メッセージ。 - ディレクトリとハイパーリンク
# ディレクトリとハイパーリンク
今日はOSC2006に行ってきました。いろんな人とお話しできて楽しかったです。
それで、帰りの電車の中で、shinoさんhirofummyさんと話していたのですが、予想外に面白がってくれたディレクトリとハイパーリンクの話を書いてみます。
たとえばWikiエンジンを作っていると、データ構造をどうしようといつも考えます。Wikiなのだから、ページタイトルとページ本文を対にした構造が基本です。「ラルク アン シエル」といったタイトルと「1996年に結成されたロックバンド」といった本文を、対にして保存するわけです。
しかし、「ラルク アン シエル」の説明は、必ずしも「1996年に結成されたロックバンド」と一意に決まるわけではありません。たとえば最近では、メンバーの一人であるハイドの身長がどうの、という話題でWikipediaの編集合戦が発生しました。つまり、誰かが思う「ラルク アン シエル」と、別の人が思う「ラルク アン シエル」は違うわけです。
これは、いろんなものごとに対して当てはまります。たとえば「ビール」は、ある人にとって「すごくおいしい飲み物」ですが、別の人からは「ただの苦い飲み物」です。また別の人から見れば、「当社の主力商品」かもしれません。
なにごとにもいろんな側面があって、見る人や立場が違えば意味が違うわけです。Wikiでもこういったブレを包含できたら、あるいは「ものごとの側面」という情報を利用できればなぁと思います。ちょっと前に、はてなの近藤さんが個人レベルでは「人々の意見は全て正しい」と書いていましたが、こういう感じ。みんなの意見を包含できるシステムにしたい。
そうしたとき、側面という情報が大事だと思うんですよね。どんなものごとも、たくさんの側面を持ちます。ある側面から見たときと、別の側面から見たときで結果が違うのは自然なことです。Wikiのデータ構造にも、この「側面」という情報を持たせたい。「○○さん」から見たときの「ラルク アン シエル」は「1996年に結成されたロックバンド」という感じです。
それで、まぁ少し端折るんですけど、ハイパーリンクはまさにこういう感じだと思うんです。さっき挙げた近藤さんの日記へのリンクで言うと、「このページ」から評価すると、「http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20060312/1142098012というリンク先にある文章」は、『個人レベルでは「人々の意見は全て正しい」』として評価(意味を切り取り)できるわけです。
別の言い方をすると、「主語、述語、目的語」で物事を表現するということです。単なるWikiは、述語と目的語しかなかった。主語がなくて、一般化されたものを述語として書くべきとされたわけです。百科事典のようなサイトを作るのにWikiが適しているのはこういう理由です。匿名というのも同じベクトルです。逆にハイパーリンクは、「あるページ」(主語)から、「別のページ」(目的語)を、「リンクアンカーのテキスト」(述語)を用いて表現していく仕組みです。
考えをさらに一歩進めます。ぼくはWebやハイパーリンクを、「すごいなぁ。大ブレークしたし面白いなぁ」と思います。なんでかなぁと考えるわけですよね。ハイパーリンク以前と以降で何が違うのか、ハイパーリンク以前は何があったのか。ハイパーリンクではないものとして、何があるのか。
とりあえず思い付くのは、ディレクトリなんです。ディレクトリは、述語と目的語でものごとを表現する仕組みですね。あるディレクトリにファイルがいくつかあって、それぞれのファイルが「なんのために」そこに存在するかは、表現できない。ディレクトリにはそれを表現する仕組みが備わっていません。
収集がつかなくなってきたので、とりあえずまとめます。
- 述語と目的語でなにかを表現する仕組み:ディレクトリ、従来のWiki
- 主語、述語、目的語でなにかを表現する仕組み:ハイパーリンク、ぼくが作りたいと思っていたWiki
YASWiki2ではこういうことをやろうとしていましたし、その前のYASWikiもこの問題を意識していました。Momokaのマーク機能もその延長線上にあります。桶さんがTumikiで実装している2つのキーでページを指定する機能も、たろうさんがProfListで実現している人と属性でなにかを表現する機能も、いろいろ狙っているでしょうけど、同じ問題を意識しているのだろうと考えています。
まぁ、単にこんなこと考えてますということで。なんの話からこんなことになったんでしたっけ?
それで、帰りの電車の中で、shinoさんhirofummyさんと話していたのですが、予想外に面白がってくれたディレクトリとハイパーリンクの話を書いてみます。
たとえばWikiエンジンを作っていると、データ構造をどうしようといつも考えます。Wikiなのだから、ページタイトルとページ本文を対にした構造が基本です。「ラルク アン シエル」といったタイトルと「1996年に結成されたロックバンド」といった本文を、対にして保存するわけです。
しかし、「ラルク アン シエル」の説明は、必ずしも「1996年に結成されたロックバンド」と一意に決まるわけではありません。たとえば最近では、メンバーの一人であるハイドの身長がどうの、という話題でWikipediaの編集合戦が発生しました。つまり、誰かが思う「ラルク アン シエル」と、別の人が思う「ラルク アン シエル」は違うわけです。
これは、いろんなものごとに対して当てはまります。たとえば「ビール」は、ある人にとって「すごくおいしい飲み物」ですが、別の人からは「ただの苦い飲み物」です。また別の人から見れば、「当社の主力商品」かもしれません。
なにごとにもいろんな側面があって、見る人や立場が違えば意味が違うわけです。Wikiでもこういったブレを包含できたら、あるいは「ものごとの側面」という情報を利用できればなぁと思います。ちょっと前に、はてなの近藤さんが個人レベルでは「人々の意見は全て正しい」と書いていましたが、こういう感じ。みんなの意見を包含できるシステムにしたい。
そうしたとき、側面という情報が大事だと思うんですよね。どんなものごとも、たくさんの側面を持ちます。ある側面から見たときと、別の側面から見たときで結果が違うのは自然なことです。Wikiのデータ構造にも、この「側面」という情報を持たせたい。「○○さん」から見たときの「ラルク アン シエル」は「1996年に結成されたロックバンド」という感じです。
それで、まぁ少し端折るんですけど、ハイパーリンクはまさにこういう感じだと思うんです。さっき挙げた近藤さんの日記へのリンクで言うと、「このページ」から評価すると、「http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20060312/1142098012というリンク先にある文章」は、『個人レベルでは「人々の意見は全て正しい」』として評価(意味を切り取り)できるわけです。
別の言い方をすると、「主語、述語、目的語」で物事を表現するということです。単なるWikiは、述語と目的語しかなかった。主語がなくて、一般化されたものを述語として書くべきとされたわけです。百科事典のようなサイトを作るのにWikiが適しているのはこういう理由です。匿名というのも同じベクトルです。逆にハイパーリンクは、「あるページ」(主語)から、「別のページ」(目的語)を、「リンクアンカーのテキスト」(述語)を用いて表現していく仕組みです。
考えをさらに一歩進めます。ぼくはWebやハイパーリンクを、「すごいなぁ。大ブレークしたし面白いなぁ」と思います。なんでかなぁと考えるわけですよね。ハイパーリンク以前と以降で何が違うのか、ハイパーリンク以前は何があったのか。ハイパーリンクではないものとして、何があるのか。
とりあえず思い付くのは、ディレクトリなんです。ディレクトリは、述語と目的語でものごとを表現する仕組みですね。あるディレクトリにファイルがいくつかあって、それぞれのファイルが「なんのために」そこに存在するかは、表現できない。ディレクトリにはそれを表現する仕組みが備わっていません。
収集がつかなくなってきたので、とりあえずまとめます。
- 述語と目的語でなにかを表現する仕組み:ディレクトリ、従来のWiki
- 主語、述語、目的語でなにかを表現する仕組み:ハイパーリンク、ぼくが作りたいと思っていたWiki
YASWiki2ではこういうことをやろうとしていましたし、その前のYASWikiもこの問題を意識していました。Momokaのマーク機能もその延長線上にあります。桶さんがTumikiで実装している2つのキーでページを指定する機能も、たろうさんがProfListで実現している人と属性でなにかを表現する機能も、いろいろ狙っているでしょうけど、同じ問題を意識しているのだろうと考えています。
まぁ、単にこんなこと考えてますということで。なんの話からこんなことになったんでしたっけ?
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というと、RDFのトリプルですね。セマンッティックウェブ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Resource_Description_Framework
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