メッセージ。 - 本当にとりとめのない話

# 本当にとりとめのない話

昨日はインドカレー屋さんでカレーを食べたよ。すごく慣れなれしい店員さんがいて面白いお店。「ピッピッピッのピッと。4000円いただいてもよろしいですかたまには?」。「たまには?」。息をするように冗談を言われて、こちらは咄嗟に返事を返せない。インドの人なんだけど、すごいね。日本語が上手なだけじゃない。人間として懐の深さを感じさせられる。

それでね。そのお店でインドの音楽DVDみたいなのが流れてて、ちょっと感じるところがあったんだ。どうもインド人はダンスが好きみたいで、そのDVDもダンスミュージックのようだった。若い男の人と女の人が、さまざまなシチュエーションで歌っていく構成。ストーリー仕立てになっていて、ちょうどカラオケのバックで流れる映像みたいな感じと言ったらいいかな?

そのなかの1シーン。若い男女が田舎道をバスに揺られたり、畑の脇道を歩いたりしながら旅をしているみたいだった。その旅の間中、二人でずっと歌っていて、なんとも楽しそう。バスの乗客や畑で働く娘さんたちも効果的に使われていてほのぼのムードなんだよね。ぼくは流行り音楽やダンスが苦手なほうだけど、そのDVDはけっこう楽しめた。それでね、思ったんだ。日本の映像とはちょっと違うなって。

日本の映像には、あんな風に農作業をする娘さんが出てこない。バスに揺られる田舎道の乗客たちが、音楽のバックで使われるのもあまり見ない。日本の映像は、生活というものを肯定的に描いていない気がした。テレビドラマも、ニュースも、CMも、ただひたすら無機質な素材ばかり使っていて、生活の存在が感じられないように思う。漁師さんとか、農家の人とか、いまでも日本にいるのかなぁと、ぼくなんかは考えてしまう。

毎日食べるご飯は、どこかで誰かが作ってるはずなのに、そういうものがさっぱり分からない。ご飯だけじゃなくて、身の周りのいろんなもの、いろんな人の暮らしがまったくぼくには想像できない。それがなんか、つまらないなぁと。たとえばぼくと同い年ぐらいの人が、農家として野菜を作ってたり、田舎のサラリーマンをやってたり、政治家の卵や工場の工員として働いてたりするはずで。彼らはぼくだったかもしれないし、ぼくは彼らだったかもしれない。

なんとなく、そういう彼らの暮らしを知りたい。自分が今暮らすところだけじゃなくて、誰かが暮らす土地にも何かがあると知りたい。生活というものは、もっと肯定的に捉えられるような気がする。そしてそれらはいま、路傍の石として放っておかれているような気がする。
2006-03-21 17:32:51 / ふじさわ / Comment: 8 / Trackback: 0

Comment

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インドの人っておもしろいですよねー。関西人みたいなノリがあって。
2006-03-22 07:53:34 / shino / Comment: 0 / Trackback: 0

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昨日は三浦半島まで大根をとりにいったよ。ふだん食べてる大根が「へー、こんな畑で取れてるんだ」とおもしろかったよ。

ところで名前が毎回、guestになっちゃうよ。クッキーとかはいれてないんだ?
2006-03-22 07:55:08 / shino / Comment: 0 / Trackback: 0

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shinoさん、おはよう。
大根とりいいねぇ。小さな子供がいるとさぞかし楽しいだろうなぁ。

それと、名前について。クッキーを発行してるはずだけど、guestになっちゃうのかぁ。ちょっと調べてみまーす。
2006-03-22 08:35:33 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 食ってない

あ、憶えないのは仕様かと思ってました。
当方も毎回guestです。
2006-03-22 12:48:04 / AsO / Comment: 0 / Trackback: 0

# 修正しました。

テストも兼ねて投稿してみます。えいっ!
2006-03-22 15:16:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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O.K!
2006-03-22 15:16:14 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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ありがとうございます〜。
2006-03-22 19:10:16 / AsO / Comment: 0 / Trackback: 0

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あ、いえ。こちらこそありがとうございます〜 (^-^)/
2006-03-22 19:44:13 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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