メッセージ。 - diary
2025-07-22
# にゃー
プライベートな時間で何をして過ごすか、という問題。ネットやテレビを見たり、音楽を聴いたりするのもいいんだけど、そういうのが楽しめないと感じることがある。じゃあ、何をしたいのかというと、仕事とか勉強をしているほうが気が楽というか。
とくに仕事の負荷が高い時期なんかは、少しでも仕事中の負担を減らしたいから、プライベートの時間にもなにかしら調査をするとか勉強をするとか、時間のかかる処理を走らせておくなどしておきたい気になる。
要は業務時間外も仕事をしているようなものなんだけど、「業務時間内にしか仕事はしない」「業務時間内は仕事しかしない」というのは、自分にはちょっと難しいんだよね。気分が乗る、乗らないという波もあるし、うまくいくこと、いかないことの波もあって、集中できる時間と休むべき時間が、ある程度短いチャンクでやってくる。
だから、「9時〜17時で集中して効率的に仕事をしろ」と言われると困ってしまう。法律がそう言っているのは分かるし、場合によってはそういうふうに働ける日もあるけれども、自分にとって「生産的なこと」というのは、工場で機械を連続的に動かせばその時間に比例した量の成果物が出てくるような性質のものではない。
あと、もし仕事がとても暇だったとしても、ネットとかテレビを見るような受動的なことだけだとつらくなる感覚があって、何かしらを自分で作ってるほうが楽しく感じる(作ってばかりだとつかれるので、受動的な休憩もするけど)。
ただ、「自分で作ってるほうが楽しく感じる」というのには注意点があって、ぼくは「誰かが作ったものから学ぶ」とか「みんなが学んでいるものを学ぶ」といった行動が苦手というか、そういう習慣がない。他者からもっと学ぶべきというのはずっと課題だ。できればこのへんを変えていきたい。
とくに仕事の負荷が高い時期なんかは、少しでも仕事中の負担を減らしたいから、プライベートの時間にもなにかしら調査をするとか勉強をするとか、時間のかかる処理を走らせておくなどしておきたい気になる。
要は業務時間外も仕事をしているようなものなんだけど、「業務時間内にしか仕事はしない」「業務時間内は仕事しかしない」というのは、自分にはちょっと難しいんだよね。気分が乗る、乗らないという波もあるし、うまくいくこと、いかないことの波もあって、集中できる時間と休むべき時間が、ある程度短いチャンクでやってくる。
だから、「9時〜17時で集中して効率的に仕事をしろ」と言われると困ってしまう。法律がそう言っているのは分かるし、場合によってはそういうふうに働ける日もあるけれども、自分にとって「生産的なこと」というのは、工場で機械を連続的に動かせばその時間に比例した量の成果物が出てくるような性質のものではない。
あと、もし仕事がとても暇だったとしても、ネットとかテレビを見るような受動的なことだけだとつらくなる感覚があって、何かしらを自分で作ってるほうが楽しく感じる(作ってばかりだとつかれるので、受動的な休憩もするけど)。
ただ、「自分で作ってるほうが楽しく感じる」というのには注意点があって、ぼくは「誰かが作ったものから学ぶ」とか「みんなが学んでいるものを学ぶ」といった行動が苦手というか、そういう習慣がない。他者からもっと学ぶべきというのはずっと課題だ。できればこのへんを変えていきたい。
2025-07-15
# にゃー
勉強中や仕事中に音楽をかける人がいるけど、どうも自分にはできないんだよなぁ。
音楽をスタートして仕事にとりかかっても、仕事に集中しているあいだに曲が終わってしまって、「あれ?いつのまにか終わってる、もう一度最初から流そうか」のループになってしまう。
逆に曲に集中すると仕事ができないし。コードをビルドしている合間とか、ちょっとした待ち時間に手持ち無沙汰だから音楽をかけようかなと思うんだけど、細切れの時間をそこに使うのも気分が乗らないんだよね。
自分にとって音楽というのは、ある程度「リラックスさせてくれるもの」「楽しませてくれるもの」という感覚があって、仕事や勉強はその対極にある感じがする。なので、精神負荷がかかる勉強や仕事はひとかたまりで終わらせたいように感じる。
車を運転するときに音楽を聞くというのは問題ないんだけど。車の運転は精神負荷が高くないのと、運転自体が「楽しいこと」の一部だから良いのかもしれない。
勉強や仕事をしながら音楽を聞ける人というのは、(全部がそうとは言わないけど)それらを楽しめているってことなのかなぁ。
音楽をスタートして仕事にとりかかっても、仕事に集中しているあいだに曲が終わってしまって、「あれ?いつのまにか終わってる、もう一度最初から流そうか」のループになってしまう。
逆に曲に集中すると仕事ができないし。コードをビルドしている合間とか、ちょっとした待ち時間に手持ち無沙汰だから音楽をかけようかなと思うんだけど、細切れの時間をそこに使うのも気分が乗らないんだよね。
自分にとって音楽というのは、ある程度「リラックスさせてくれるもの」「楽しませてくれるもの」という感覚があって、仕事や勉強はその対極にある感じがする。なので、精神負荷がかかる勉強や仕事はひとかたまりで終わらせたいように感じる。
車を運転するときに音楽を聞くというのは問題ないんだけど。車の運転は精神負荷が高くないのと、運転自体が「楽しいこと」の一部だから良いのかもしれない。
勉強や仕事をしながら音楽を聞ける人というのは、(全部がそうとは言わないけど)それらを楽しめているってことなのかなぁ。
2025-05-28
# にゃー
「あなたのオーダーを実行しようとするとリスクがありますよ」と現場からアラートがあがったときに、「リスクなくやるのが現場の仕事だろう」と返してくるマネージャーがいると、本当に困ってしまう。
日本人は結果責任を要求する。でもリスクは厳然として存在するので、100%問題が起こらないようにするのは不可能だ。問題を回避するには、かなり安全マージンを取るしかなくなってしまう。でもそういうマネージャーは、安全マージンすら許さず、問題が起こるのも許さない。どうすればいいのか。
そうして現場はやる気を失って何もしなくなる。現場だけでなく、マネージャー自身も上のマネージャーから同じような無茶を言われているんだろう。そうやって会社全体が硬直して何の成果も出せなくなる。
日本人は結果責任を要求する。でもリスクは厳然として存在するので、100%問題が起こらないようにするのは不可能だ。問題を回避するには、かなり安全マージンを取るしかなくなってしまう。でもそういうマネージャーは、安全マージンすら許さず、問題が起こるのも許さない。どうすればいいのか。
そうして現場はやる気を失って何もしなくなる。現場だけでなく、マネージャー自身も上のマネージャーから同じような無茶を言われているんだろう。そうやって会社全体が硬直して何の成果も出せなくなる。
2025-05-25
# にゃー
最近転職活動をしている。で、ありがたいことにいくつか面接の時間をいただいたりしているのだけれども、相変わらず自分はダメだなぁと痛感する。自己分析ができていないし、お相手の分析もできていない。自分が何ができて、何ができないか、お相手が何を求めていて、自分は何に貢献できそうなのか。そういったことが、ぼくには何も分かっていない。本当は、面接の最中にそういうことに気付くべきなのだ。でも、できなくて、面接が終わってから気付く。「ああ、ああ言えばよかったんだ」って。
今回は、そういったケースの一つ、「将来のキャリアプランをどう考えていますか?」に対する答らしいものを書いてみる。まず、いまから書くことは与えられたお題に対する「正答」ではまったくない。これは正答なんかではなく、ぼくが自分自身で思っていることで、企業の求めていることとは無関係である。ぼく自身は、誰かと話しているとき、お相手の求めるものを探ってしまいがちな人間だ。共感力が高かったり、コミュニケーションの癖でお相手に同調しがちなので、そうなってしまうんだと思う。嘘はつかないようにしている。でも、結果的に表現が完結しなくて、あるいは曖昧で分かりにくくなったりして、嘘っぽく聞こえてしまうときがあるんだと思う。そこは反省点だけど…、おっと話がそれている。
本題は、「将来のキャリアプランをどう考えていますか?」に対する答らしいもの、だ。ぼくは自分のキャリアプランをどう考えているか?これを聞かれたら、だいたいこんな感じで答えてしまっている。「基本的にノープランな人間なので、正直なところとくにないです。でも、人の役に立つもの、世の中に求められるものを作っていきたいです」。まぁ、見る人が見れば最悪の回答だろう。それは認める。教科書や参考書を何も見ていない人間が、客観性もなく妄想を垂れ流している。分かっている。ぼくはばかだ。でもまぁ、自分がばかであること自体はそんなに気にしていないので、とりあえずほうっておいてほしい。
本題に戻る。直近の面接でもそう答えたのだけど、後で気がついた。それは最近考えていることで、ぼくは仕事を面白くしたい。仕事を面白くする仕事をしたい。だって、いままでのキャリアで、仕事がしんどいことが多くて、面白かった経験があまりないんだもの(全然ないわけではない)。だから、これからは仕事を面白くしたい。自分自身が面白いだけではなく、周りの人にも仕事を面白く感じてほしい。お客さんにも仕事を面白く感じてほしい。ぼくがこれからやりたいことは何だ?って聞かれたら、そういうことなんじゃないかなって思う。
何を夢みたいなことを言うんだ、ってのが、お相手の人の感想だろう。分かる。「具体的にお前は何ができるんだ。やりたいだけじゃなく、やれそうな根拠を示せ」と普通は考えるだろう。おっしゃるとおり。そしてぼくは、とくに何も示せない。ユーザーさんの問題を解決して心から感謝されたこと、業界にいる末端の一員としてエンドユーザーの幸福に少しでも貢献してきたつもりなこと、障害を起こしてしまったのにそれを直したら「障害を直してくれてありがとう」とまで言ってくれるユーザーさんがいること、技術領域を理解できなくて長らく困っていたエンジニアがついに理解できて目を輝かせた瞬間、そういったものがぼくにとっての宝物だ。そういったものが、ぼくにとっては仕事が面白いかどうかのポイントになる気がする。
でもまぁ、そんなものはぼくにとっての価値であって、お相手の人には興味がないことも多いのだろう。ぼく自身としては、客観的に見てもこれらのポイントにある程度価値があるんじゃないかなぁと思うのだけど、それにしたってフワフワしてしまって夢みたいな話だという点には同意する。だって結局、このへんって気持ちの問題とか心の問題だろうから。気持ちや心なんてものは計測できないし、働きかけができないし、それをやること自体が黒魔術みたいに禁忌な感じがする。だからぼく自身も、そういうのを口にするのは憚られる。
それで結局、「あなたは何ができるの?何がしたいの?」という質問に返ってくる。「言葉にしえないもの」なのかもしれない。何がしたい?という思いもまた、気持ちについての問いなんだろうけど、気持ちについての答えを返せば曖昧になりすぎる。そういうことをいろいろ丸めて「チームビルディングがしたいです」といったことを言えばいいのかなぁ。ただ、それが実際にできるのかは「実績」がないからよく分からない。ここ数年でぼくがやってきたことは広義には「チームビルディング」と呼べるものだろうけど、再現性があるかどうかや技術として確立できるのかなど、確かなことは言いにくい。その分野の学位を持っているわけではないというか、その「分野」や「学位」が存在するのかどうかもよく分からない。それに「チームビルディング」という言葉は人にとっても意味が違うだろうし、それ専業の仕事やポジションがあるのかもよく分からない。
まぁそういった感じで、結論は出ていない。こんなだからうまくいっていないんだろうというのは自分でも理解している。でもまぁ、とにかく一歩ずつでも進むしかないから、こうやって分かったことを少しでも文章に落としてみている。
今回は、そういったケースの一つ、「将来のキャリアプランをどう考えていますか?」に対する答らしいものを書いてみる。まず、いまから書くことは与えられたお題に対する「正答」ではまったくない。これは正答なんかではなく、ぼくが自分自身で思っていることで、企業の求めていることとは無関係である。ぼく自身は、誰かと話しているとき、お相手の求めるものを探ってしまいがちな人間だ。共感力が高かったり、コミュニケーションの癖でお相手に同調しがちなので、そうなってしまうんだと思う。嘘はつかないようにしている。でも、結果的に表現が完結しなくて、あるいは曖昧で分かりにくくなったりして、嘘っぽく聞こえてしまうときがあるんだと思う。そこは反省点だけど…、おっと話がそれている。
本題は、「将来のキャリアプランをどう考えていますか?」に対する答らしいもの、だ。ぼくは自分のキャリアプランをどう考えているか?これを聞かれたら、だいたいこんな感じで答えてしまっている。「基本的にノープランな人間なので、正直なところとくにないです。でも、人の役に立つもの、世の中に求められるものを作っていきたいです」。まぁ、見る人が見れば最悪の回答だろう。それは認める。教科書や参考書を何も見ていない人間が、客観性もなく妄想を垂れ流している。分かっている。ぼくはばかだ。でもまぁ、自分がばかであること自体はそんなに気にしていないので、とりあえずほうっておいてほしい。
本題に戻る。直近の面接でもそう答えたのだけど、後で気がついた。それは最近考えていることで、ぼくは仕事を面白くしたい。仕事を面白くする仕事をしたい。だって、いままでのキャリアで、仕事がしんどいことが多くて、面白かった経験があまりないんだもの(全然ないわけではない)。だから、これからは仕事を面白くしたい。自分自身が面白いだけではなく、周りの人にも仕事を面白く感じてほしい。お客さんにも仕事を面白く感じてほしい。ぼくがこれからやりたいことは何だ?って聞かれたら、そういうことなんじゃないかなって思う。
何を夢みたいなことを言うんだ、ってのが、お相手の人の感想だろう。分かる。「具体的にお前は何ができるんだ。やりたいだけじゃなく、やれそうな根拠を示せ」と普通は考えるだろう。おっしゃるとおり。そしてぼくは、とくに何も示せない。ユーザーさんの問題を解決して心から感謝されたこと、業界にいる末端の一員としてエンドユーザーの幸福に少しでも貢献してきたつもりなこと、障害を起こしてしまったのにそれを直したら「障害を直してくれてありがとう」とまで言ってくれるユーザーさんがいること、技術領域を理解できなくて長らく困っていたエンジニアがついに理解できて目を輝かせた瞬間、そういったものがぼくにとっての宝物だ。そういったものが、ぼくにとっては仕事が面白いかどうかのポイントになる気がする。
でもまぁ、そんなものはぼくにとっての価値であって、お相手の人には興味がないことも多いのだろう。ぼく自身としては、客観的に見てもこれらのポイントにある程度価値があるんじゃないかなぁと思うのだけど、それにしたってフワフワしてしまって夢みたいな話だという点には同意する。だって結局、このへんって気持ちの問題とか心の問題だろうから。気持ちや心なんてものは計測できないし、働きかけができないし、それをやること自体が黒魔術みたいに禁忌な感じがする。だからぼく自身も、そういうのを口にするのは憚られる。
それで結局、「あなたは何ができるの?何がしたいの?」という質問に返ってくる。「言葉にしえないもの」なのかもしれない。何がしたい?という思いもまた、気持ちについての問いなんだろうけど、気持ちについての答えを返せば曖昧になりすぎる。そういうことをいろいろ丸めて「チームビルディングがしたいです」といったことを言えばいいのかなぁ。ただ、それが実際にできるのかは「実績」がないからよく分からない。ここ数年でぼくがやってきたことは広義には「チームビルディング」と呼べるものだろうけど、再現性があるかどうかや技術として確立できるのかなど、確かなことは言いにくい。その分野の学位を持っているわけではないというか、その「分野」や「学位」が存在するのかどうかもよく分からない。それに「チームビルディング」という言葉は人にとっても意味が違うだろうし、それ専業の仕事やポジションがあるのかもよく分からない。
まぁそういった感じで、結論は出ていない。こんなだからうまくいっていないんだろうというのは自分でも理解している。でもまぁ、とにかく一歩ずつでも進むしかないから、こうやって分かったことを少しでも文章に落としてみている。