メッセージ。 - diary

2005-07-02

# Gauche 0.8.5リリース!

Gauche 0.8.5リリース!
http://www.shiro.dreamhost.com/scheme/gauche/index.html

でもなんか、手元の環境(Slackware 10.1、Linuxカーネル2.6.12)だと「make install」でエラーが出る…。うーむ。
 make[1]: Entering directory `/usr/local/src/devel/Gauche-0.8.5/lib
 if test -f /usr/local/lib/slib/require.scm; then \
   /usr/local/bin/gosh -ftest -uslib -E"require 'new-catalog" -Eexit;\
 fi
 *** ERROR: unbound variable: with-load-pathname
 Stack Trace:
 _______________________________________
   0  (lambda () (apply *old-load* (cons <pathname> extra)))
         At line 205 of "/usr/local/lib/slib/require.scm"
   1  (slib:load (in-vicinity (library-vicinity) "mklibcat"))
         At line 79 of "/usr/local/lib/slib/require.scm"
   2  (catalog:get feature)
         At line 139 of "/usr/local/lib/slib/require.scm"
 make[1]: *** [slibcat] エラー 70
 make[1]: Leaving directory `/usr/local/src/devel/Gauche-0.8.5/lib'
 make: *** [install] エラー 2
2005-07-02 23:05:40 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# 「従来のEJBは存在自体が間違いだった」

http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NSW/NEWS/20050621/163065/
 「TopLinkは(現在は米Oracleが提供しているため)ベンダーによる囲い込みという弊害はあるが,それでも動かないEJBよりはマシ。悪い標準は,標準がないことよりも悪い」(同)と切り捨てた。EJB以外では,Javaのデータベース接続用APIであるJDBCも標準化がうまく機能していない例だという。
 
  「標準化がうまくいくのは,トランザクションのような何十年も使われていてそれほど変化がない分野」とJohnson氏は語る。一方,イノベーションがある分野は,標準化よりも市場での競争にゆだねるほうがうまくいくという。「悪いアイデアが標準化されるとなかなか消えない。競争にまかせれば,悪いアイデアはすぐに駆逐される」(同氏)。

激しく脱線するけど。

「イノベーションがある分野は,標準化よりも市場での競争にゆだねるほうがうまくいく」かぁ。これはそうかもしれない(が、そう思いたいという気持ちがあるゆえ間違ってるかもしれない)。もしこれが本当だとすれば、変化の激しい分野では、変に上からコントロールしようとするより、勝手にやらせとくほうがいいんだろうな。

というのも、少し前の「ソフトウェア開発の生産性を上げたい」という話に関連するのだけど。どうもいまでも、「ソフトウェアを工場で作る」という発想を肯定的に捉えている人もいるようなんだよなぁ。いつまでも家内制手工業をやってるんじゃなくて、もっと大規模な工場制手工業、機械制大工業に進みたい、そのためにデータを取得する必要があるって。

でも、やっぱりぼくは、そっち行かないほうがいいと思ってる。根拠をうまく説明できないけど、ソフトウェア工場はうまくいきそうにない。ソフトウェアは純粋な工業製品というよりも、もっと芸術的な要素が強い。使いやすいソフトウェアを作ろうと思ったら、使う人によく合ったものでなくてはいけないし、作る人がきちんとエネルギーや哲学を込めたものでなくてはいけないと思う。

つまり人間的な力を発揮しなければいけないと思うんだ。少なくともいまは。だってそうでしょ? まだ黎明期なんだもん。ルネサンス期の発展は、多くの天才によって生み出された。工場ができて平凡な人の時間を使ってたくさんの製品を作り、安定して稼働できるようになったのはずっと後のことだ。ソフトウェア産業はまだ若くて、どんどん変化しつづけてる。技術も文化も、ぜんぜんこなれていない。

どっちかというと群雄割拠の時代だと思うんだよね。そうしたらさ、いまはデータを集めて「開発効率向上のために」とか言うよりも、どうせやるなら「人」。元気にやってる人にフォーカスして、みんなのクリエイティビティを励起させるべきフェーズにあるように思うんだ。そのためには、外野の人は変に業界に力をかけないほうがいい。もしやるとしても、ちゃんとギークの話を聞くとか、人間的な方法で時代に対峙していくべきだと思う。
2005-07-02 22:31:35 / ふじさわ / Comment: 4 / Trackback: 0

2005-07-01

# dotimpactさん個展

http://realtimemachine.dotimpac.to/
 dotimpact 田中孝太郎[リアル・タイム・マシーン]展
 
      ◎日時:2005年7月4日[月]〜7月9日[土]
       12 : 00〜19 : 00[最終日は〜17 : 00]
      ◎オープニングパーティ:7月4日[月]17 : 30〜
      ◎会場:表参道画廊+MUSEE F
       東京メトロ 表参道駅 A2出口より徒歩7分

Wikiばなでお会いしたことのあるdotimpactさんが個展を開かれるらしい。すごいなぁ。ぜひ行きたいです! 「一緒に行く人募集!」といきたいところだけど、この週は忙しいので時間を合わせられるかなぁ。オープニングパーティとか、突然行っちゃってもいいもんなのかなぁ。
2005-07-01 10:02:52 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

2005-06-29

# 実利のあるソフトウェアを作るために

それと、いま必要なのはニーズを発見しそれに応える力だと思います。

小さくて簡単に作れて安いものでいいから、強く人を魅きつけるもの。そういうものからスタートして、多くの人に使ってもらうこと。それが重要です。それに成功しているから、はてなもmixiもうまくいってるんじゃないかと。

ソフトウェアをちゃんと実利のあるものとして成り立たせていくには、ニーズを発見しそれを実現していくことです。そのために必要なのは、ハイレベルな技術力じゃない。技術力はそこそこでもいいからニーズを見つけること。そしてそれをプレゼンしていくこと。

ニーズを見つけられるのもプレゼンをできるのも、人間としての力や、コミュニケーションを恐れない力だと思います。「そういうデータが出ているから」、「これが流行っているから」じゃなくて、「ぼくはこれが面白いと思うから」。それでいいし、そうでなくては、人に使ってもらうサービスなど提供できないですよね?
2005-06-29 11:47:44 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# ソフトウェア開発の生産性を向上させる1つの方法

「ソフトウェア開発の生産性を向上させるにはどうしたらいい?」って悩んでる人がいるけど、1つの答は、使ってくれる人を増やすことですよ。これは大きい。でもみんななかなか気づかない。

あるソフトウェアを作った場合、それを5人が使うのは、10人が使う場合と比べてコストが倍。つまり生産性が倍違うということです。たくさん使ってくれればくれるほどコストが負担しやすくなって、要はペイしやすくなります。だからこそマイクロソフトのWindowsなんかは成り立っていると。

とにかくたくさんの人に使ってもらうこと。これはすごく重要です。デファクトスタンダードってやつです。マイクロソフトもLinuxも、それで成功したと言って過言ではないでしょう。使う人がたくさんいれば、それが新しい顧客を呼び込んでくる。生産性拡大のサイクルを生むわけですね。

だから「日本のIT産業はどうしてうまくいかないのか」って悩んでいないで、四の五の言わずに輸出することですよ。使ってくれる人が増えれば生産性は上がりますから。「品質を高める」とか「見積もり精度を上げる」とか、そんなのが生産性に与える影響は微々たるものです。難しい割にうまくいかない。そんなのは後で考えればいいんです。
2005-06-29 10:54:41 / ふじさわ / Comment: 1 / Trackback: 0

2005-06-28

# 辞める会社、辞めない会社

AERAの吊り広告、「辞める会社、辞めない会社」というのが気になった。

キャッチーな見出しだけど、本質的じゃないなぁと。というのも、辞める辞めないは、会社の「良さ」とは関係ないように思うからだ。ぼくの知り合いに、NTTの研究所に行った人がいる。その人はもう会社を辞めて別の仕事をしてるのだけど、ほかの同期はほとんど辞めずに続けているということだった。

ただ、辞めないでやっているにもかかわらず、その人たちは仕事を楽しんでいる風じゃないという。「仕事が嫌だ嫌だ」と言いながら、「でも辞めたくない」。そんな人たちが良い仕事をしているとは思えないし、そういう会社が良い会社だとも思わない。じゃあ、辞める辞めないはなんの役に立つ評価基準か?

構造変換を求められている日本において、変化が不要な会社はそう多くない。日本が変わらなければならないのと同じだけ、会社も変わらなければならないはずだ。とくに今後伸びるべき会社では、人の入れ替わりも激しいに違いない。変わらなければならないのに変わらない、変わらなくてもよいのに変わってしまう。もし会社の価値を評価したいなら、ただ辞める辞めないでではなく、そういう価値観で評価する必要があるだろう。
2005-06-28 01:15:51 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2005-06-27

# 新しいPCが欲しい

http://www.google.com/custom?hl=ja&ie=shift-jis&q=s30+%83t%83%8A%81%5B%83Y&sa=Google+Search&cof=LW%3A345%3BL%3Ahttp%3A%2F%2Fwww.thinkpad-club.com%2Fwebforum%2Ficons%2Ftitle2.gif%3BLH%3A45%3BAH%3Acenter%3BS%3Ahttp%3A%2F%2Fwww.thinkpad-club.com%2F%3BAWFID%3A2f1c54505d9dcac5%3B&domains=www.thinkpad-club.com&sitesearch=www.thinkpad-club.com

ThinkPad s30が固まるんですよ。Linuxなのに。
なんでかなぁと思ってたら、やっぱりハードに問題がありそうということで。
TrackPointだし、キーボードが打ちやすいし、ちっちゃいし、バッテリーはもつし、
筐体がかっこいいので好きだったのに。固まるのはすごいストレスだよぅ。
あー新しいノートが欲しいなぁ。ううう。
2005-06-27 19:14:06 / ふじさわ / Comment: 3 / Trackback: 0

# 「隠さなくていいものは隠したってしょうがない」というお話

「隠さなくていいものは隠したってしょうがない」というお話

http://d.hatena.ne.jp/naoya/20050610/1118379135
 僕は、真に参入障壁と呼べるものというのは、たとえその情報が開示されたとしてもそう簡単に真似できるものではなかったり、真似したからといってうまくいくものでもない、という事なんだろうと思っています。

これは、ぼくもそうなんだろうなと思う。口にしてすぐ他人が理解し実践できるノウハウ、アイデアは、結局その程度のものでしかないんじゃないかと。たとえばある目的を達成するソフトウェアについて、実装がいくつかあったとしても、作った人のセンスによって使い勝手が大きく違う。WindowsとMac、Linuxがそれぞれ違うように。

それはやっぱり、そのアイデアや目的について、強くリーズナブルなイメージを持った人のほうが、よいものを作れるからじゃないかな。隠さなきゃ価値を失ってしまうようなアイデアや文化は、そもそも価値のプールが少なすぎる。
2005-06-27 16:38:48 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# Wikiのスパム対策案

近ごろちょっと話題の、Wikiスパムにどう対処するかというお話。

編集ボタンのとなりに「ブラックリスト登録」みたいなボタンを付けておくのはどうかなぁ。そのボタンを押すと、ページ内容が古いものに書き戻されて、ページに書かれているURLらしきものはすべて「禁止ワード」として登録されるの。

で、次回以降そのURLを含むコンテンツは書き込めなくなるの。ブラックリスト登録コストは比較的低く、とくに外国からくるスパムに効果がありそうに思うんだ。どうかなぁ?
2005-06-27 13:41:28 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 不確定性に満ちる世界

http://www.hirax.net/diaryweb/2005/06/25.html#200506253
 仮に、同じ流星を遠く離れた恋人同士が見ることができたとしても、悲しいことに、たいていは違うところを見ているのである。
  それは、同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。

あ、そうそう。「人は、誰かと同じものを見ることはできない」という感じはとてもよく分かる。でも、ぼくはそのあと逆方向に考えた。誰かと同じものを見ることができないからこそ、いいんじゃないかと。

たとえばあるニュースや作品を受けて感じたことを、みんながblogに書いたり酒場でしゃべったりする。そういうのが無意味かというと、そうじゃないんだと思う。人それぞれ感じ方や立場が違うからこそいい。くだらないことでも、素朴な疑問でも、感じたことを言っていいんだって。

誰かがどれだけ当たり前のことを言っても、それは自明ではない。予測できない。その言葉には理由がある。誰一人として同じ場所には立っていないし、誰かの気持ちを完全に理解することはできない。ぼくらは量子論的不確定性の中に生きている。それは、切ない。それは、孤独だ。だけど、それもまたよい。
2005-06-27 12:11:52 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# メディアの特性とリアリティ

http://blogs.itmedia.co.jp/kaza/2005/06/22_966f.html

2005年6月22日(水)、23日(木)に開かれていた「VA Business Forum 2005」。その中でまつもとゆきひろさんや八田真行さん、小飼弾さんらが討論するという話題のセッション「OSS Roundup」がちょっとつまらなかったというお話。行ってないけど、うん、まぁ、そうなるだろうなとゴニョゴニョ。

揶揄したいんじゃなくてね。たしかにそういう温度感とかリアリティって大事ですよねというお話。オープンソースやインターネットはユーザーと開発者のあいだの垣根が低いのだから、とくにそういうの大事だと思うんです。
2005-06-27 00:03:26 / ふじさわ / Comment: 1 / Trackback: 0
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