メッセージ。 - diary

2005-06-03

# SuikaWiki

http://suika.fam.cx/~wakaba/-temp/wiki/wiki?SuikaWiki
 SuikaWiki(すいかゐき)は、 wiki (様々な情報を有機的に扱うシステム) の一実装です。

なんか面白そうなWiki実装。前からあったみたいだけど。
2005-06-03 13:25:51 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 説得力とリアリティ、あと責任

でも、「プログラミングは素晴らしい」じゃあ、話が終わっちゃわないかな?

「プログラミングは素晴らしい」ことを理解してほしいのなら、「プログラミングは素晴らしい」ことを説明するだけじゃあダメなように思う。どっちかというと「こんな風に素晴らしくてぼくはハッピーハッピーだよ」って言うか、「プログラミングは素晴らしい」なんておくびにも出さないかのほうがいいように思う。

たぶん、そんなまっすぐに勧められると、うさん臭く感じてしまう。それに、万人にとって素晴らしいものはない。自分にとってはもっと好きなものがあるかもしれないし、合わないかもしれない。誰かが何かを素晴らしいと感じるのは結構なことだけど、人は何かに対してつねに自分との関係性は?と考える。

ただ「素晴らしい」では、その関係性がつかめないんじゃないかな。たとえばぼくがある種の宗教をうさん臭く感じるのは、その宗教が、ぼくにとってそれが良いか悪いかを考えてくれてなさそうなところだ。「○○教は素晴らしい」と言われたら、引く。それが不特定多数に対して発せられているメッセージなら、余計に引く。

「○○は素晴らしい」ってことを理解してほしいなら、「素晴らしい」って言うよりも「ぼくは好きだ」と言うほうがいいと思うんだよね。それなら引かない。味の出た好々爺がたまに聞かれると盆栽のことをとうとうと語ったり、お婆さんが庭の草木をとても大事に育てていたり。そのほうが含蓄がある。ああ、言うまでもなくこの親父には盆栽って素晴らしいものなんだな、この奥さんにとって、庭の草木はとても大事な意味を持つんだろうなと思わせる。

それは自分にとっての素晴らしいものとは違うかもしれない。だけどそこには決定的なリアリティがある。爺さんや婆さんにとって、それは素晴らしいものなんだろうなと芯から理解できる。なんでそんなリアリティがあるかと言うと、爺さんも婆さんも、「自分はこれが好きだ」と全身で表現し、かけてきた時間や情熱の重みが伝わるからだ。

そこには、「あなたにとっても素晴らしい」なんてメッセージはカケラほども入れなくていい。そんなはずないから。あなたにとって素晴らしいかどうかは、あなたにしか決められない。「え? 素晴らしいかって? そりゃあぼくはこれが好きで素晴らしいと思うからやってるんだよ。でも素晴らしいかどうかは、ぼくには言えないなぁ」。そこにはちゃんと、責任感が感じられる。だから信じてみようかという気にもなる。

そういうところはあるんじゃないっすかね。
2005-06-03 07:47:00 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# プログラミングが素晴らしい理由

http://d.hatena.ne.jp/cuzic/20050529
 プログラミングは素晴らしい

という話題。なるほど、分かりやすいし迫力があるなぁ。
2005-06-03 00:09:19 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2005-06-02

# Lightweight Language Day and Nightなんだけど……

http://ll.jus.or.jp/2005/blog/4
 夜の部のチケットが完売しました。

はぁ? 勘弁してよ、もう……(涙)
2005-06-02 20:45:42 / ふじさわ / Comment: 1 / Trackback: 0

# Gauche 0.8.4リリース!

http://www.shiro.dreamhost.com/scheme/gauche/index-j.html
Gauche 0.8.4リリース! めでたい。

わー。リリースノート見てるとけっこううれしいなぁ、楽しいなぁ。
「こうだったらいいな」と思ってた部分に変更があるのはうれしいし、大きな進化を一緒に体験できるのは楽しいことだ。なんつーか完成した漫画家の作品を読むよりも、発展途上の漫画家が上達していくさまを見守るような(たとえが悪い)。
2005-06-02 05:25:52 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2005-06-01

# 2007年、ISBNが規格改定

http://www.isbn-center.jp/whatsnew/kikaku.html
 ISBN(国際標準図書番号)規格改定等について お知らせ

2007年からISBNが現状の10桁から13桁になるとのこと。Web上のデジタルコンテンツにもISBNを振れるようになるみたい。Web上のコンテンツにISBNが付くのは面白そう。ただ、ISBNには出版社コードみたいなのがくっついてるんだよなぁ。13桁ということもあるし、すべてのWebコンテンツにISBNが付くというわけではなくて、やっぱりハブとなるところが発行することになるんだろう。クールなURI問題なども想起され、なかなか興味深いねぇ。
2005-06-01 10:09:13 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2005-05-31

# 雑誌についてふと思ったこと

ほんと、雑誌の役割って変わったなーと、ふと思った。

昔は雑誌って保存するためのものだった(少なくともぼくにとっては)。書いてある内容はパラパラと流し読みしておいて必要なときに探す。そのために雑誌は取っておくべき対象だった。でもいまは違うように思う。「あれどこかにあったな」と思っても、雑誌を調べるよりはGoogle先生に聞くほうが早い。雑誌をめくろうとは思わないだろう。技術情報誌はとくにそうだ。

「情報がまとまっていること」、「ノイズが少ないこと」が雑誌の売りとはいえるか。「ダイジェスト性」と呼べるかもしれない。昔ぼくが雑誌に必要としていた機能性というものは、そういうことじゃなかった。雑誌は、それを買い続けていなければ損をすると思わせる機能を持っていた。いまの雑誌にはそれがあまりないかもしれない。
2005-05-31 17:11:06 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2005-05-30

# バージョン管理システムを作る話

http://tiki.is.os-omicron.org/tiki.cgi?c=v&p=git
 git -- Linuxのソースを管理するためBitKeeperに代わって現在使われているツール。

そうか、SHA-1(ファイルの内容から一意な文字列を作る仕組み)の結果を、ファイル名にする手があったか! ぼけーっとgitの説明を読んでいたら、「そういやぼくも、最近バージョン管理システムを作ったのだった」と思い出した。

これがまた、仕組み的によく似てるのだ。任意のファイル名を付けてrsyncでマージ。お手軽だもんね。もっともぼくは、モバイル環境や会社/自宅で作ったメモやプログラムの管理に使おうと思ってるんだけど(機能が足りなくて絶賛放置中なのだ)。似てるってことは、筋が悪くないってことだよね。うへへ♪
2005-05-30 22:44:48 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 妙にツボにはまった

「いや、結局なにが一番大事かって、自己再帰的に考えられること、内省できることじゃないか?」

少し前、自分の日記にコメントを付けようとしてブラウザを起動したままほったらかしていた。そこに残っていたコメント。
2005-05-30 19:47:07 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# こんなものを読ませてしまいました……

ええーい、くだらんことを日記に書くな!

と思うときと、思わないときがある。「くだらん」と思うのは、かまって君のときかな? 自分のことを知ってほしい、自分のためにコストをかけてほしいという意識が透けて見えるような。その人が全面的に悪いと言っているのではない。正確に言うと、透けて見えるというのは、ぼくが色眼鏡をかけているからかもしれないし、相性が悪くて、一般に見えるはずのないものが見えているのかもしれないから。でもとにかく。そんなことをぼくに読ませてどうするんだ!と思う。読みに行ってるのが分かってるはずなのに。腹が立つ。正直に言うとそういう感じ。

ただ、こういうのって紙一重なんだよねぇ。今日なに食べたとか、デザートの作り方とか、女の子とお茶をしたとか、そういうのを面白く読ませる人も世の中にはいる。それと、食べ物の話ってのはなんとなく嫌な感じがしない。気分転換に読みたくなるような日記は、今日なに食べたとかナントカを作ったとか、そういうネタが案外多いような気がする。

なんかよく分からんけど、読みたくなる日記と読みたくない日記があるというお話!
2005-05-30 03:06:50 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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