メッセージ。 - diary
2005-04-15
# なんかすごく面白いんですけど……。
http://d.hatena.ne.jp/clock9/comment?date=20050413#c
http://d.hatena.ne.jp/clock9/20050415
http://d.hatena.ne.jp/clock9/20050415
【ウンコ】ここにあなたが求める嘲笑の対象はありません。帰れウンコ - cQueのにっき【ウンコ】 - うんこ。
2005-04-14
# 科学と市場、西洋とアジア
http://tabesugi.net/memo/cur/cur.html#121441
ハクライ主義はあるだろうけど、ここはもっと掘り下げられるよね? 新山さんのことだから意図的にそうしてる気もするけど。なんとなくぼくがこの文章を読んで感じたのは、日本では基準がないということかな。何かを発見したり作ったとしても、その価値を決めるのはいつもそれそのものの価値というよりも、そこにいる人間たちの力関係なんだ。
相対主義的というのかな。こっちから見ればこう見える。あっちから見ればああ見える。そうやっていろんな方面から声が挙がったり関係各所に気を遣っているうちに、価値を見失ってしまうんだ。それは自由経済に近い。それは、民主的といえる。だけど、科学における価値そのものは、市場や資本主義社会における価値とは必ずしもマッチしない。
多神教を是とする日本やアジアの文化は、科学というよりも市場にマッチする。西洋はその逆なんだろう。日本の社会は、まだ科学というものを理解できていない。そういうことは言えると思う。
キホン的に、新山は「日本人の書いた技術的な話題」ってのをまったく読む気がしないのである。ああ偏見さね偏見さね。しかし、実際そんなに面白い話題ってある? まったくないよね。とりわけ CS 業界においては、ほとんどが国外で起きていることのパクリである。もっと独自のことをやりだそうと思えばできるはずなのに、ほとんど海外の二番煎じというのはどういうこった? アメリカのほうが金持ちというのはあるが、もっと根本的な原因があると思う。結局のところ、それはある意味いつまでたってもハクライ主義だからだよ。
ハクライ主義はあるだろうけど、ここはもっと掘り下げられるよね? 新山さんのことだから意図的にそうしてる気もするけど。なんとなくぼくがこの文章を読んで感じたのは、日本では基準がないということかな。何かを発見したり作ったとしても、その価値を決めるのはいつもそれそのものの価値というよりも、そこにいる人間たちの力関係なんだ。
相対主義的というのかな。こっちから見ればこう見える。あっちから見ればああ見える。そうやっていろんな方面から声が挙がったり関係各所に気を遣っているうちに、価値を見失ってしまうんだ。それは自由経済に近い。それは、民主的といえる。だけど、科学における価値そのものは、市場や資本主義社会における価値とは必ずしもマッチしない。
多神教を是とする日本やアジアの文化は、科学というよりも市場にマッチする。西洋はその逆なんだろう。日本の社会は、まだ科学というものを理解できていない。そういうことは言えると思う。
2005-04-12
# ITにおける現場の悲劇
otsuneさんち経由だっけかな?
http://s03.2log.net/home/programmer/archives/blog38.html
よく書けてるなぁ。デジタル土方と言われるSE/プログラマの叫び声が聞こえてきそうだ。
http://s03.2log.net/home/programmer/archives/blog38.html
よく書けてるなぁ。デジタル土方と言われるSE/プログラマの叫び声が聞こえてきそうだ。
2005-04-11
# GaucheのVC++ポーティング、新たな試みへ
http://www.shiro.dreamhost.com/scheme/wiliki/wiliki.cgi?Gauche%3aWindows%2fVC%2b%2b
WindowsネイティブのGaucheが生まれつつあるみたい! すばらしい。ドキュメンテーションも丁寧だし、よい協力者を持てたことだなぁ。
VC++への移植、新たな試み
WindowsネイティブのGaucheが生まれつつあるみたい! すばらしい。ドキュメンテーションも丁寧だし、よい協力者を持てたことだなぁ。
# はらへったー (T_T)
# RubyとLisp
# メディアの公共性や中立性
http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/
これねぇ。どのマスメディアにもあることのように感じる。スポンサーや他誌やややこしい問題について、悪いことは書かないでしょ? また、偏った意見や価値のない内容も掲載しない。そうすると、書かないというのも意志表示の一つなんだけど、読者は「マスメディアとはどういうものか」を意識しながら裏を読まなければいけない。
まぁ、それ自体はblogにもある。たとえ正論だとしても、誰かの悪口は書きにくい。だって読む人が不快に感じたり面倒に巻き込まれたりすることが予想されるから。そういう意味で、どのメディアにも偏向はきっとあるんだろうな。ただ、テレビや雑誌などの既存メディアが持つ偏向が、以前よりも受け入れられにくくなっている面はあるのだろうと思う。
それは良い/悪いや社会がどう変わったという観点ではなくて、単純に選択肢が増えたからなのかもしれない。そうでないのかもしれない。
デーブも太田も、どっちもバカというか、テレビ、というか民放のパラエティが抱えている問題を露呈したシーンでしたね。西さんは、ぼくも対談したことがありますが、ああいうしゃべりが本人のペースなんですよ。それをとやかくいうのは、極端にいうと、手足が不自由な障碍者に対して、テレビなんだから、もっと手足をばたばたさせてくださいよというようなもんなんですよね。まさか障碍者に対して、そんなことはいえないから、テレビはどうするかというと、もう出演させないんです。テレビはそうやって自分たちの体質に合わない意見を、視聴者に見えない形で排除して抹殺していくんです。そこに多様な意見を番組に反映させる公共性や中立性はありません。とにかく、よくいえば、わいわい明るく元気、悪くいうと狂騒的にバカになってふさげ合う、こうじゃないとテレビじゃない(これを全社的スローガンとしたのがフジテレビ)、バラエティじゃない、そうしないと視聴率が取れないという思い込み、あるいは構造的に作られた事実の積み重ね、あるいは惰性があるだけです。
これねぇ。どのマスメディアにもあることのように感じる。スポンサーや他誌やややこしい問題について、悪いことは書かないでしょ? また、偏った意見や価値のない内容も掲載しない。そうすると、書かないというのも意志表示の一つなんだけど、読者は「マスメディアとはどういうものか」を意識しながら裏を読まなければいけない。
まぁ、それ自体はblogにもある。たとえ正論だとしても、誰かの悪口は書きにくい。だって読む人が不快に感じたり面倒に巻き込まれたりすることが予想されるから。そういう意味で、どのメディアにも偏向はきっとあるんだろうな。ただ、テレビや雑誌などの既存メディアが持つ偏向が、以前よりも受け入れられにくくなっている面はあるのだろうと思う。
それは良い/悪いや社会がどう変わったという観点ではなくて、単純に選択肢が増えたからなのかもしれない。そうでないのかもしれない。
# 雪国の冬を越した猫
http://www.asahi.com/national/update/0411/TKY200504100151.html?ts
寒かっただろうなぁ。知った顔を見たときはどんな思いだったろう。かわいそうに。
asahi.com: 飼い猫、4カ月間生きていた 旧山古志村で飼い主と再会 - 社会
寒かっただろうなぁ。知った顔を見たときはどんな思いだったろう。かわいそうに。
2005-04-07
# 「『肥大したジャーナリズム背後にいる電通…」
# とりあえずメモ。
http://www.altum.jp/math/exp2a/intr/15.html
プログラミング言語Schemeにおける準引用と評価の説明。分かりやすい。この人のところ(サイト)は面白そうだなぁ。
プログラミング言語Schemeにおける準引用と評価の説明。分かりやすい。この人のところ(サイト)は面白そうだなぁ。