メッセージ。 - diary
2005-03-04
# 創業当時のYahoo.com
http://promo.yahoo.com/birthday10/incorporation/
やじうまWatch(http://internet.watch.impress.co.jp/static/yajiuma/index.htm)経由、
創業当時のYahoo.comはこんなだった、とのこと。興味深いなぁ。灰色の背景とお粗末なアイコンが涙をそそるべや。
やじうまWatch(http://internet.watch.impress.co.jp/static/yajiuma/index.htm)経由、
創業当時のYahoo.comはこんなだった、とのこと。興味深いなぁ。灰色の背景とお粗末なアイコンが涙をそそるべや。
# 言いかえるなら……
人がなにかを理解したときは、かならず歪曲 (つまり言い換え) が起こる。逆に、ある情報が言い換えられていれば、それは「その情報がヒトの頭の中を通ってきた痕跡」である、といってもいい。つまり「言いかえ」という名前で呼ばれている現象は、すべて昔から謎につつまれた「『理解する』って何?」的な問題のひとつにすぎない。つーか、つーーーか、そんなこたぁ何千年も前から明らかだろうに、なんでオレはこんな当たり前のことを書いてんだ! (次第にムカついてきた)
すばらしい言いかえ! こういうのは好きだ。なぜ言いかえるのか、それは理解というものが、「自分の中のボキャブラリからの相対的位置付け」だからだと思う。理解というものは、すでに持っている理解を用いて再帰的に定義される。オートポイエティックなものなんだろう。
# IT関連にかかるお金
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20050302mh13.htm
「システムの運用」という名目で年間2億4000万円かかっていた費用が、実は730万円ですむものだと分かったよ、というニュース(実際にはもっと複雑なので、気になった人はニュースソースに当たってください)。これは、喜んでいいのか悲しんでいいのか分からないニュースだなぁ。表面にあらわれるものだけじゃなくて、もっともっと全体像を深く見つめなければ真実はつかめないんじゃないかという気がする。
2億4000万円→730万円 会計検査院 システム委託費
「システムの運用」という名目で年間2億4000万円かかっていた費用が、実は730万円ですむものだと分かったよ、というニュース(実際にはもっと複雑なので、気になった人はニュースソースに当たってください)。これは、喜んでいいのか悲しんでいいのか分からないニュースだなぁ。表面にあらわれるものだけじゃなくて、もっともっと全体像を深く見つめなければ真実はつかめないんじゃないかという気がする。
# なんか機械的な作業が...
なんか機械的な作業が必要になったとき、プログラムを書いてしまいたくなる。同じことを繰り返すのが嫌なんだな。人間は同じことを繰り返すのが苦手で、計算機は得意だ。
そしてプログラムを作ることになる。この作業は楽しい。ただ、うまく作ろうと熱中してしまって、結局手作業でやったほうが早かったろうと思うことも多い。人はこれを現実逃避と呼ぶ。で、いまもプログラムを書こうとしたところだったんだけど、その前に「うまく作ろう」というところに法則性があるような気がした。
ここで言う「うまく作る」というのは、「いろんなケースに対処できるように」ということだ。いろんなデータが来ても動くようにとか、あとで改造しやすいように、とか。問題を汎化しようとしてしまう、そういう気持ちが働いている。でもやりすぎはよくないんだ。汎化なんてものは、終わりがない。2000年問題は、年号を2桁(たとえば「99」とか「73」とか)で表現したことに端を発するけど、だからといって年号を4桁にすればそれは「直った」と言えるわけじゃない。10000年問題や100000年問題は起こりうるのだから。
汎化には限界がないわけで、だからどこかで諦めなきゃいけない。「コストと効率のバランスが大事」ということだ。……何が言いたかったんだっけ?
そしてプログラムを作ることになる。この作業は楽しい。ただ、うまく作ろうと熱中してしまって、結局手作業でやったほうが早かったろうと思うことも多い。人はこれを現実逃避と呼ぶ。で、いまもプログラムを書こうとしたところだったんだけど、その前に「うまく作ろう」というところに法則性があるような気がした。
ここで言う「うまく作る」というのは、「いろんなケースに対処できるように」ということだ。いろんなデータが来ても動くようにとか、あとで改造しやすいように、とか。問題を汎化しようとしてしまう、そういう気持ちが働いている。でもやりすぎはよくないんだ。汎化なんてものは、終わりがない。2000年問題は、年号を2桁(たとえば「99」とか「73」とか)で表現したことに端を発するけど、だからといって年号を4桁にすればそれは「直った」と言えるわけじゃない。10000年問題や100000年問題は起こりうるのだから。
汎化には限界がないわけで、だからどこかで諦めなきゃいけない。「コストと効率のバランスが大事」ということだ。……何が言いたかったんだっけ?
# ところでコストは計算に転嫁できるの?
と、前置きしておいて。
ある人の日記に、「マイクロソフトさんからセキュリティを扱ったニュースレターがくるのだけど、その形式をHTMLメールにしないでほしい」ということが書いてあった。これを読んで思ったこと。そもそもメール自体が発信者のトレーサビリティが低いわけで、あまりよくないんじゃないかと思ったり。や、もちろんHTMLメールのセキュティの低さに比べれば、誤差範囲になるのかもしれないけどね。
なんだろう。あるメディアについて言及するのに、そのメディアを使うことの有効性を考えたりとか。ある定理を証明するのに、その定理が正しいことを前提とするのは是か非か、とか。まーそういういつもの妄想の延長線上で、考えちゃったわけだ。
でもこう、セキュリティってのは結局コストの問題なんだよな。だとすれば本屋に並んだ情報が嘘にまみれていない(一般的に真実だと信じられている)と考えるのは妥当なわけで。メールだと、自分が読んでいるものがほかの人が読んでいるものと巧妙に違っててそこに嘘をまぎれこまされていても分からんとかいうこともあるかなと思ったり。暗号や署名というのは、その一般性とコストを保証するものであるのかな、とか。
あーこれはインターネットで公開すべきような内容だったろうか……。
ある人の日記に、「マイクロソフトさんからセキュリティを扱ったニュースレターがくるのだけど、その形式をHTMLメールにしないでほしい」ということが書いてあった。これを読んで思ったこと。そもそもメール自体が発信者のトレーサビリティが低いわけで、あまりよくないんじゃないかと思ったり。や、もちろんHTMLメールのセキュティの低さに比べれば、誤差範囲になるのかもしれないけどね。
なんだろう。あるメディアについて言及するのに、そのメディアを使うことの有効性を考えたりとか。ある定理を証明するのに、その定理が正しいことを前提とするのは是か非か、とか。まーそういういつもの妄想の延長線上で、考えちゃったわけだ。
でもこう、セキュリティってのは結局コストの問題なんだよな。だとすれば本屋に並んだ情報が嘘にまみれていない(一般的に真実だと信じられている)と考えるのは妥当なわけで。メールだと、自分が読んでいるものがほかの人が読んでいるものと巧妙に違っててそこに嘘をまぎれこまされていても分からんとかいうこともあるかなと思ったり。暗号や署名というのは、その一般性とコストを保証するものであるのかな、とか。
あーこれはインターネットで公開すべきような内容だったろうか……。
2005-03-03
# フーリエランドの旅
http://www.inter-highschool.ne.jp/~s0201002/Fourier_Land/Fourier00.html
微分・積分・フーリエ展開など、高校数学(だっけかな?)レベルの分かりやすい説明あり。あとで読もうっと。
フーリエランドの旅
微分・積分・フーリエ展開など、高校数学(だっけかな?)レベルの分かりやすい説明あり。あとで読もうっと。
2005-03-02
# 「よろしかったでしょうか」の功利
# どうにかして!
むぅ。gooの英和辞書に「ひょっとして機能」が追加されていたとは……。知らなかった。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=miniist&ej.x=33&ej.y=9&ej=%B1%D1%CF%C2&kind=&mode=0
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&inlang=ja&c2coff=1&q=minist&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ja
っていうか、「ひょっとして」、「もしかして」って! キミらふざけてるやろ?
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=miniist&ej.x=33&ej.y=9&ej=%B1%D1%CF%C2&kind=&mode=0
ひょっとして: minimalist minister ministry [類似した綴り]
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&inlang=ja&c2coff=1&q=minist&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ja
もしかして: minister
っていうか、「ひょっとして」、「もしかして」って! キミらふざけてるやろ?
2005-03-01
# Ajax: Web アプリケーション開発の新しいアプローチ
http://antipop.zapto.org/docs/translations/ajax.html
みんながはしゃいでたのはこれかぁ。んー。これだけじゃぁ分からないなぁ。ユーザーインタフェースを充実したいってことなのかなぁ。データをクライアントにスプールすることが、それほど画期的なんだろうか。クライアント側でアプリケーションを動かせたら、たしかに面白いだろうけど。
こういうことをやるんだったら、たとえばクライアントのJavaScriptでLisp処理系を実装しておいて、サーバーでS式を吐き出してクライアントで評価するとかしたら面白いかなぁって考えてしまうけど。んー。でもこれでもそんなに面白そうにも感じない。知的好奇心を刺激するのに、必要なインストラクションってなんだろう。Ajaxというのは、それを満たしてるのかな? や。純粋にどうなのかなと思って。面白そうなテーマなので、ちょっと考えてみよう。
Ajax: Web アプリケーション開発の新しいアプローチ
みんながはしゃいでたのはこれかぁ。んー。これだけじゃぁ分からないなぁ。ユーザーインタフェースを充実したいってことなのかなぁ。データをクライアントにスプールすることが、それほど画期的なんだろうか。クライアント側でアプリケーションを動かせたら、たしかに面白いだろうけど。
こういうことをやるんだったら、たとえばクライアントのJavaScriptでLisp処理系を実装しておいて、サーバーでS式を吐き出してクライアントで評価するとかしたら面白いかなぁって考えてしまうけど。んー。でもこれでもそんなに面白そうにも感じない。知的好奇心を刺激するのに、必要なインストラクションってなんだろう。Ajaxというのは、それを満たしてるのかな? や。純粋にどうなのかなと思って。面白そうなテーマなので、ちょっと考えてみよう。
2005-02-28
# 仕様はインクリメンタルに定まるべき?
『ソフトウエア開発プロフェッショナル』(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4822282155/)を読んでいて感じたこと。P.13から引用。
ふむ。まったくそのとおりだ。……ということは、裏を返せばソフトウェアの仕様そのものが、インクリメンタルに定まるべきということじゃないか? 作って動かすことで人はインスピレーションを得、仕様を作り上げていくことができる。開発ってそうあってもいいんじゃないか?
最近の調査結果によると、ソフトウエア開発プロジェクトが失敗する最大の原因は、仕様関係のものである。仕様自体が正しくない、仕様が曖昧なので詳細設計ができない、頻繁に仕様が変わりシステム設計が大混乱するなどだ。仕様問題は新しくない。1969年にロバート・フロッシュは、「一言一句、仕様書通りに作っても、システムの機能は十分ではない」と述べている。
ふむ。まったくそのとおりだ。……ということは、裏を返せばソフトウェアの仕様そのものが、インクリメンタルに定まるべきということじゃないか? 作って動かすことで人はインスピレーションを得、仕様を作り上げていくことができる。開発ってそうあってもいいんじゃないか?
# 最近のWiki関係の雑文について
Wiki関係で書き散らかした雑文にコメントをいただいた。
- http://nnri.dip.jp/~yf/cgi-bin/yaswiki2.cgi?op=idaccess&id=1156
- http://jm.vis.ne.jp/sbox/index.cgi?StoreRoom%2f2005%2f02%2d21#ID28
それぞれおっしゃることはごもっともだと思う。逆にふじさわは、たぶん幾分間違ったことを書いている。自分の中で消化できず相矛盾したものを、そのまま吐き出してしまっているんだろうなぁ……。いずれにせよもう少し時間をください。(少なくとも)しばらくは間違ったことを言い続けると思いますが、ご容赦を。
- http://nnri.dip.jp/~yf/cgi-bin/yaswiki2.cgi?op=idaccess&id=1156
- http://jm.vis.ne.jp/sbox/index.cgi?StoreRoom%2f2005%2f02%2d21#ID28
それぞれおっしゃることはごもっともだと思う。逆にふじさわは、たぶん幾分間違ったことを書いている。自分の中で消化できず相矛盾したものを、そのまま吐き出してしまっているんだろうなぁ……。いずれにせよもう少し時間をください。(少なくとも)しばらくは間違ったことを言い続けると思いますが、ご容赦を。
# コミュニケーションのはざまで
考えてみれば、こうして日記を書くというのは奇妙なものだ。
……というのも、日記を公開するという行為はコミュニケーションで、ぼくはこの人生観で、以前はコミュニケーションを肯定的に捉えていなかったはずだからだ。学生時代も、就職してからも、ぼくには友達が少ない。日常生活にコミュニケーションが必要だと思っていなかったし、実際それは必要なかった。
にもかかわらず、いまでは毎日のように、こうやってみんなとコミュニケーションを取っている。交友範囲は明らかに広がっているし、(ぼく自身にとって)実利的でさえある。かつて否定していたものなのに。……そしていつのまにか、ぼくはそれに依存するようになっている。コミュニケーションがなければ不安に感じ、だれかとの距離の中に自分の居場所があるかのように感じている。
……というのも、日記を公開するという行為はコミュニケーションで、ぼくはこの人生観で、以前はコミュニケーションを肯定的に捉えていなかったはずだからだ。学生時代も、就職してからも、ぼくには友達が少ない。日常生活にコミュニケーションが必要だと思っていなかったし、実際それは必要なかった。
にもかかわらず、いまでは毎日のように、こうやってみんなとコミュニケーションを取っている。交友範囲は明らかに広がっているし、(ぼく自身にとって)実利的でさえある。かつて否定していたものなのに。……そしていつのまにか、ぼくはそれに依存するようになっている。コミュニケーションがなければ不安に感じ、だれかとの距離の中に自分の居場所があるかのように感じている。