メッセージ。 - diary
2019-04-02
# にゃー
天を論じないものに大事をなせるだろうか。「なせる」という論と「なせない」という論があるだろう。「なせる」派は単に技術さえあれば、そこに意志は不要という考え方だ。ただ、「ことを成す」のはたぶんどこまで行っても人間か人間の集まりであって、そこに悪意や間違いや暴走があったときにも問題が起こらないかは考えておかなければいけない。悪意や間違いや暴走さえ防げるような技術があれば問題ないという考え方もあって、それはシステムにコントロールを完全に預け、外部から停止する機能を持たないことを意味するだろう。あるいは、人間もある種の機械のようなものなので、システムの中に人間も含めてしまって、人間とシステムの判断によってシステムを停止したり、挙動を微調整するような仕組みか。ただここで問題になるのは「大事をなす」の定義だろう。それが単に「系をできるだけ長く安定させる」ことを指すなら、そういう仕組みで何も問題ないのかもしれない。もしくは、こういった考えそのものが、「人間以外に実行系を持たない」時代のものなのかもしれない。もはや人間など介さずとも計算機がいろいろなことを実行できる環境が見えてきている現代において、心配する必要がないという考え方もある。悪意はさておき、間違いや暴走をできるだけ防ぐ、つまりバグを出さないようにすればいい。といっても未来予見が必要だったり再現性が低かったりするのである程度難しいだろうけど、長期的にはヒューリスティックに補正していくことで系は安定するはず。
ええと、で、何が書きたかったかというと、逆に「なせない」派の視点に立ったとき。「天を論じないものに大事はなせない」というのが命題でこれは「天を論じないものに世界は救えるか?」と言い換えられると思ったんだよな。「できるだけ長く系を安定させる」と「世界を救う」の間には開きがあるような気がするけど。まあとにかく、「世界を救う」と「天を論じる」の二つを考えたとき、天を論じることなく世界を救うような物語が多いなぁと。たとえば『ドラえもん』の大長編映画では、のび太やドラえもんたちがひょんなことから世界の危機に直面し、そして紆余曲折のすえ解決してしまったりする。その話中、彼らが天を論じる箇所はほとんど見ない。同じような構図はそこかしこにあって、普通の少年少女がいつのまにか世界の危機に巻き込まれ、しかしやがて世界を救っていく物語が多い。外観的には「天を論じる」場面など出てこないし、子供たちはそんなようなことは語らない。語られない。でも、それらの物語に通底しているのは、たしかにそういう物語性というか、意志なんじゃないかなぁと思うんだよな。
ええと、で、何が書きたかったかというと、逆に「なせない」派の視点に立ったとき。「天を論じないものに大事はなせない」というのが命題でこれは「天を論じないものに世界は救えるか?」と言い換えられると思ったんだよな。「できるだけ長く系を安定させる」と「世界を救う」の間には開きがあるような気がするけど。まあとにかく、「世界を救う」と「天を論じる」の二つを考えたとき、天を論じることなく世界を救うような物語が多いなぁと。たとえば『ドラえもん』の大長編映画では、のび太やドラえもんたちがひょんなことから世界の危機に直面し、そして紆余曲折のすえ解決してしまったりする。その話中、彼らが天を論じる箇所はほとんど見ない。同じような構図はそこかしこにあって、普通の少年少女がいつのまにか世界の危機に巻き込まれ、しかしやがて世界を救っていく物語が多い。外観的には「天を論じる」場面など出てこないし、子供たちはそんなようなことは語らない。語られない。でも、それらの物語に通底しているのは、たしかにそういう物語性というか、意志なんじゃないかなぁと思うんだよな。
2019-04-01
# にゃー
「天」という概念がいいなとぼくが思う理由は、それが人生と社会と世界を運命論的に扱うからだ。それぞれに意味があるという考え方が根底にある。逆に、「すべてに意味なんてないんだ。現代において人間は、動物的に、意味や物語でなく唯物論的に快楽的に生きればいいんだ」という意見もあるけど。
人間は何か大きなものに仮託して生きたくなってしまう生き物だ。個人的にはあまり好きな考えではないというか、認めたくない考え方だけど。しかし、人生に意味は欲しい。生きている、生きていく、死んでいくとは何なのかと考えてしまう。究極的には、誰かに認められる必要なんかない。自分で自分を認める必要すらないのではないかと思う。ただここにある以上、なにかを願い、祈らざるを得ないような感じ。死への道筋でただ一つ何かをしていいと許されるなら、それは祈りなのではないか。
何の話だっけ。天か。まとまらないけど、「天」という言葉の感覚は、ぼくにとってはお釈迦様が空から人びとを見ているような感覚がある。人間や生き物や世界、地上の世界が幸せにあるよう見守っているような。それぞれの人生、それぞれの一瞬一瞬、それぞれの国家、それぞれのプロジェクトに、そのときどき果たすべき役割があるというような感覚。社会のなかの存在意味でなくても、個としての存在意味を与えるような。
相変わらずまとまらないけど、「天」という感覚を持つことが、ある意味で教養なのではないか。中島らもは「一人で誰にも迷惑をかけず時間を過ごせる技術が教養だ」というようなことを言った。それはまさに「天」と個との感覚を言っているように思うし、天という価値観がなければ、国家運営のような大事を成すことは難しいようにも思う。
人間は何か大きなものに仮託して生きたくなってしまう生き物だ。個人的にはあまり好きな考えではないというか、認めたくない考え方だけど。しかし、人生に意味は欲しい。生きている、生きていく、死んでいくとは何なのかと考えてしまう。究極的には、誰かに認められる必要なんかない。自分で自分を認める必要すらないのではないかと思う。ただここにある以上、なにかを願い、祈らざるを得ないような感じ。死への道筋でただ一つ何かをしていいと許されるなら、それは祈りなのではないか。
何の話だっけ。天か。まとまらないけど、「天」という言葉の感覚は、ぼくにとってはお釈迦様が空から人びとを見ているような感覚がある。人間や生き物や世界、地上の世界が幸せにあるよう見守っているような。それぞれの人生、それぞれの一瞬一瞬、それぞれの国家、それぞれのプロジェクトに、そのときどき果たすべき役割があるというような感覚。社会のなかの存在意味でなくても、個としての存在意味を与えるような。
相変わらずまとまらないけど、「天」という感覚を持つことが、ある意味で教養なのではないか。中島らもは「一人で誰にも迷惑をかけず時間を過ごせる技術が教養だ」というようなことを言った。それはまさに「天」と個との感覚を言っているように思うし、天という価値観がなければ、国家運営のような大事を成すことは難しいようにも思う。
2019-03-29
# にゃー
「神」というのは、方程式における「x」だとぼくは思ってる。理想を満たすものをさがすとき、あるいは単に何かの概念を念頭に置くとき、それに名前を付けると扱いやすい。式をこねくり回して「証明」したりできる。だからそこに誰かが名前を付けた。「神」と。「そこに何かがあるとすれば」とまどろこしく前提を付けるのではなく、「いったんあると仮定しましょう、xです。xはaを満たすはずです、bも満たします」と式を置いていった。日本語で表現するならば、それは「天」に相当するだろう。
まぁしかし、「天」なんて言葉は最近聞かないな。完全に死に絶えたわけではないだろうけど、「天」という言葉を出して何かを論じる人はほとんど見ない。かといって日本人は「神」などという言葉や概念もほぼ使わない。ただ(自分も含めて)人々が気にしているのは、身の回りの人やお金や何かの物ばかりなのではないか。でもそれでほんとにいいんだろうか。
まぁしかし、「天」なんて言葉は最近聞かないな。完全に死に絶えたわけではないだろうけど、「天」という言葉を出して何かを論じる人はほとんど見ない。かといって日本人は「神」などという言葉や概念もほぼ使わない。ただ(自分も含めて)人々が気にしているのは、身の回りの人やお金や何かの物ばかりなのではないか。でもそれでほんとにいいんだろうか。
2019-03-27
# にゃー
何が起こるか分からないからログをたくさん取っておこうとか、念のためあそこもテストをしておこうとか、そういうのは教科書に載っていない。そして、「教科書に載っていないことはやらない。ファーストクラスの要件には入れない」というエンジニアはたくさんいる。ある程度低レイヤならそれでもいいが、アプリケーションレイヤでは、そういった泥臭い仕事も非常に大事だ。要するにギャップがある。そこここにある。人と人の組み合わせの数だけある。ギャップをすべて埋める必要はない。ただ、「必要な要件」と「現実」の間のギャップだけは埋めなくてはならない。それを効率的にやるのも、ある種のハッカーの仕事だ。
2019-03-26
# にゃー
いま、来期の目標を立てようとしている。突き詰めていえば、それは理想と現実を明確な言葉にし、そのギャップを埋めていく方策を挙げるだけのことだ。けれども案外、それだけのことが難しい。理想を口にすると、身のほどを知れと言われるのではないか、達成できなかったらどうしようと怯え、現実を語るとあまりのちっぽけさに押しつぶされそうになる。結果、人は理想も現実も曖昧なままにし、それっぽく見えるハリボテをただ並べる。でも、こんなお飾りに何の意味があるだろうか。ひとつの問題は、心のうちを明かせないことだ。どんな理想も、現実もあっていい。どんな結果もあっていい。我々の仕事は、ただできるだけ、現実が理想に近づけるよう手助けし応援することだ。