メッセージ。 - diary
2019-02-22
# にゃー
長い間お休みされていたお客さんがいて最近復調されたのだけど、久々にお会いしたので「何か言わなきゃいけない」と思った。それで、「お元気そうで安心しました」と言葉にしたのだけど、ただそれだけのことで泣きそうになってしまい、うまく言葉にならなかった。しどろもどろになりながら「会社のみんなも、ずっと心配していたので喜んでいます」と続けた。何を言っていたか、伝わっただろうか。個人的には、それほど長く深くお付き合いがある方ではないのだけど、どうしてこんなに涙が出るのかなぁ。不思議だ。そして、他の人はこういうときどうしてるんだろう。
2019-02-17
# にゃー
大人には、やらなきゃいけないことってないんだよ。子供は宿題をやらなきゃいけない、身の回りの整理をしなきゃいけない、でも大人にはそういうものはないんだ。もちろん確かに、大人は仕事をすることになっているし、毎日洗濯をしたり家の中を片付けたり、ご飯を食べたりすることになっている。でもそれらは大人にとって、最終的には「やらなきゃいけないこと」ではないんだよ。
自分がやりたくないと望むなら「やらない」という選択もあるし、やりたい、何かを手にしたいと願うならやることもできる。やるかやらないか、どこまでやるか、いつやるかは、すべて自由。ただ、その自由によって選択した道の先に起こることも、すべて受け入れなければいけない。答えのない問題に向きあって、暗がりのなかを歩き続ける。それが大人なんだ。
ただ、ぼくだって偉そうなことは言えない。毎日失敗して、「ああすればよかった。どうしてこう言わなかったんだろう?」と思うことの連続だ。残念ながら、ぼくはたいした人間ではない。本当に毎日失敗ばかりで、こんなふうでごめんねと心から謝りたい。ごめんね。でも。でもぼくはまだ諦めてはいないんだ。毎日失敗ばかりで、周りの人を傷つけてしまうし自分で自分が嫌になることも多いけど、「やりたいこと」のために、少しでも前に進みたいとまだ願ってる。
自分がやりたくないと望むなら「やらない」という選択もあるし、やりたい、何かを手にしたいと願うならやることもできる。やるかやらないか、どこまでやるか、いつやるかは、すべて自由。ただ、その自由によって選択した道の先に起こることも、すべて受け入れなければいけない。答えのない問題に向きあって、暗がりのなかを歩き続ける。それが大人なんだ。
ただ、ぼくだって偉そうなことは言えない。毎日失敗して、「ああすればよかった。どうしてこう言わなかったんだろう?」と思うことの連続だ。残念ながら、ぼくはたいした人間ではない。本当に毎日失敗ばかりで、こんなふうでごめんねと心から謝りたい。ごめんね。でも。でもぼくはまだ諦めてはいないんだ。毎日失敗ばかりで、周りの人を傷つけてしまうし自分で自分が嫌になることも多いけど、「やりたいこと」のために、少しでも前に進みたいとまだ願ってる。
2019-02-16
# にゃー
文章が読めない人が案外いるという話が少し前話題になったけど、文脈とか文意の理解が苦手な人が案外多いってことなのかなぁ。たとえば、文章の中にちょっとでもネガティブな言葉が入っていると「縁起でもないこというな」という感じで拒絶してしまい、あらゆる可能性を想定した仮説や議論そのものができない人がいるけど、案外文章の中の単語だけを拾ってしまったり、特定の単語に反応しすぎてしまったりして、全体の文意が取れなくなってしまうのかもしれない。かくいうぼくも、会議とかで他の人がつまらない話題を話し出すと、とたんに興味を失い話についていけなくなることがある。悪い意味ではなく、識字障害の一種というか、センテンスの理解にも人それぞれのやり方や理解度、あるいは理解や興味の癖というものがあり、同じ文章でも世の中で人に理解されているより受け取られ方は相当多様なのではないかと思った。
# にゃー
魔女狩りは過去のものではない。いまもそこかしこで起きている。しかもたちが悪いことに、彼らは自分が恐ろしいことをしているという自覚がない。自分が正しいことをしていると信じ、呪いのこもったひどい言葉を投げつける。そういったひどい言葉は、現在のところは違法ではない。言論と表現の自由がある。魔女狩りにあった人が、本当に悪人か、サイコパスか、真に強い人であるならば、恨みの言葉など気にしなければいいだけだろう。しかし、必ずしもそうではない。普通の人間が業火に投げ込まれている。目を覆いたくなる惨状だ。