メッセージ。 - diary

2019-02-06

# にゃー

「これ以上ないくらいよくやった」「今日は最高に楽しかった」、毎日ってのは本来そうあるべきなんだよな。できる、できないでいうと現実的には難しいんだけど、でも、なんで難しいんだろう。最初から諦めて、夢の中からさえ追いやって捨ててしまっていいんだろうか。
2019-02-06 09:16:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-02-04

# にゃー

好きな人にフラれたからといって、悲しまなくていいんだよ。どうせこれまで一人で来た道、これからも一人で歩いていける。たとえもう会えなくなったとしても、遠く離れた場所から幸せを祈ることはできる。
2019-02-04 22:45:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# にゃー

働くということについて、男女のあいだで基本的価値観が共有されているのかどうか、ちょっとよく分からないんだよなぁ。たとえば、職場にバリバリ働かない人がいるとする。ミスをよくするし、ただ言われたことだけをやっていて本質的なことに関心がないような働き方の人。もしそれが男性なら「ミスをしないようにしようよ」「こうしたらもっと良くなるんじゃない?」「一緒に頑張ろうか」とアプローチするだけなんだけど、相手が女性の場合はちょっと難しく感じる。

なんというか、男性の場合は、暗黙の前提として「いい仕事をする」「苦しいところも乗り越えて、自分も会社も、お客さんも成長する」って価値観が共有できているか、それをするのがいいことだと価値観をすり合わせできる感覚があるんだよね。女性であってもこういうことができる場合もあるけど、前提の共有でつまづきそうというか、うまくいきそうな感じがしないことがある。

乱暴なのかもしれないけど、男だったらマジョリティとして「(仕事を通じて)何者かになりたい」という価値観を持っているように思うんだよね。みんないい仕事をしたい、できるようになりたいと。でも、そういう価値観じゃない人が相手の場合、どうすればミスをしないでもらえるか、できるだけいい仕事をしてもらえるか、誘導するのが難しいと感じる。まぁ、まったく別のアプローチをしたほうがいいんかね。価値観の押し付けは良くないということかもしれない。

ドライに突き詰めるなら、「入出力特性のさまざまな部品を組み合わせて、期待する結果を得るために必要なことをするのがマネジメントの仕事」となるのだろう。
2019-02-04 09:24:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-01-31

# にゃー

昨日、お昼を買いに外に出たら、思いがけずいい天気だったんだ。そしたら、どこかのマンションのそばで、黒い猫が仰向けに昼寝をしてるの。普通猫って仰向けに寝る?寝ないよね。人通りのある道沿いのマンションにもたれかかって寝る?そんなの見たことない。でもそこに、猫いた。仰向けに寝てた。気持ち良さそうな顔して。一瞬死んでるのかと思ったよ。でもちゃんと生きてたんだ。いい陽射しだったなぁ。世界ってのは、こうでなくっちゃとうれしくなった。ありがとう。
2019-01-31 09:11:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-01-30

# にゃー

ここ数日、家の周りで猫がにゃあにゃあないている。夜通しないているような感じで心配だ。あれだけなけば、喉だって痛いだろう。何か困っているんじゃないかなぁ。こんな寒い冬の夜に、外で寝るのはさぞ辛いはず。いったいどうすればいいんだろう。あたたかいご飯でもあげて家に入れてあげたいけど。それをするには、去勢をしたり最後まで責任を持つ必要があるんだって。でも、率直に言ってぼくは去勢が嫌いだ。自分自身が去勢されたくないから。もしくは、ぼく自身が誰か他の人を去勢する権利があると納得できないから。しかし、ならばスーパーで肉を買い、暖かい家の中で美味しいものを毎日お腹いっぱい食べているぼくは、どんな権利の上に成り立っているのかという話であることは理解できる。じゃあどうすればいいんだろう。目の前に困っている人(猫)がいても、ぼくは何もできないのか。じゃあ、人生っていったいなんなのか。一日一善なんて嘘なのか?いったいこの世界はどうなっているんだろう。どうすればいいんだろう。
2019-01-30 09:24:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-01-29

# にゃー

昨日電車に乗っていたときのこと。イヤフォンのケーブルが誰か知らない人のカバンのベルトに挟まってしまったようで、駅に着いたとき引っ張られてしまった。手もふさがっていたので、おっとっとという感じになったんだけど、たまたま隣に立っていたお姉さんが気づいて、さっと両手を使って外してくれた。「ありがとうございます」と言うと、ちょっとこちらを見てニコッ。かっこよかったなぁ。ああいうのがヒーローっていうんだと思う。そういえば、昔はよく「一日一善」という言葉を聞いたけど、最近は聞かないなぁ。皆があんな風に一日一善できたら、この世界は凄いことになるんだろうなぁと思った。
2019-01-29 09:16:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# にゃー

一人称について。ちょっと前、あるお母さんが小さい娘さんに「あ
なたはもうお姉ちゃんなんだから、自分のことは「さっちゃん」(仮称)じゃなくて『
わたし』と呼ぶんだよ」と教えていて、なんでなんだろうと思っていた。その後えらく時間がかかったけど、やっと理由が分かった。

自分の一人称を名前で呼ぶということは、その環境はみな自分のことを知っている前提がある。たとえば家族の中では、
周りは皆自分のことを一人称の呼び名、たとえば「さっちゃん」
と呼ぶ。だから自分で自分のことを「さっちゃんはね」
と呼んでも何も不都合がない。

しかし、家から外に出て、自分のことを知らない人や、今後も名前を覚えあう必要のない相手と会話するとき、一人称を「さっちゃんは」とすることには合理性がない。「わたし」という匿名化された形こそが適切になるのだろう。つまり、あのお母さんは娘さんが一人で社会に出ていける歳になりつつあるんだよという考えを持っていたんだなぁ。まだちょっと早いような気はするけど。
2019-01-29 09:11:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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