メッセージ。 - diary
2018-05-14
# にゃー
結局、好きなことをやってないといかんのだよなぁ。こないだテレビで、繁盛しているラーメン店の親父がバカになることの重要性を説いていた。「こんなラーメンバカが、世の中にいたっていいんですよ」と。そしてやっていることもすごく立派だった。一言でいうと哲学的ですらあった。一方で自分は、バカと呼べるだけ打ち込んでいることが、何かあるだろうか。「これが好きで好きで仕方ない」と呼べることが何かあるだろうか。そこまで好きなことを持てる人は、強い。子供の教育だって、好きなことを見つけて打ち込ませてあげることが重要なんじゃないかと、最近思い始めている。そして、好きなことの対象は、たぶんそれほど重要ではない。好きを突き詰めることで、世界に通用する何かが実現されていくのではないかと思う。英語とか国語とか数学とか、そういったものも確かにあったらいいが、「好きな何かを突き詰める」ことを欠いていたら、それらの周辺スキルだけあっても、本物にはなりにくいだろう。
2017-11-02
# にゃー
少し前に香港に旅行に行ってきたんだけど、感想を一言で言うとすごかった。その凄さの1つをキーワードで表すならば、生活感とでも言おうか。とにかく人で溢れている街だ。そしてその人のエネルギーは、生活感として溢れ返っている。小さな街にものすごい人のエネルギーが詰め込まれ、狭いスペースを争うように最適化され、結果として整然と並んでいる。
ちょっと面白いなぁと感じたのは、その生活感が包み隠さずそこに置かれていたことだ。例えばベランダに干された洗濯物とか、建物の上にも横にも拡張された建物とか、お店の看板とか。そういう、生活感を包み隠さない態度は日本にもあるように思う。街を歩いていても、居酒屋や焼鳥屋の換気扇が通りに煙を吐き出しているし、小窓や何かが通りからも見えるようになっている。こういったものはヨーロッパの街にもあるんだろうか。
イタリアなんかには通りに洗濯物を干す習慣があるみたいだけど、その他の地域ではあまり見ないような気がする。生活感を隠すことへの美的価値観というか共通認識というか、ウチとソトの感覚みたいなものなのかなぁ。
ちょっと面白いなぁと感じたのは、その生活感が包み隠さずそこに置かれていたことだ。例えばベランダに干された洗濯物とか、建物の上にも横にも拡張された建物とか、お店の看板とか。そういう、生活感を包み隠さない態度は日本にもあるように思う。街を歩いていても、居酒屋や焼鳥屋の換気扇が通りに煙を吐き出しているし、小窓や何かが通りからも見えるようになっている。こういったものはヨーロッパの街にもあるんだろうか。
イタリアなんかには通りに洗濯物を干す習慣があるみたいだけど、その他の地域ではあまり見ないような気がする。生活感を隠すことへの美的価値観というか共通認識というか、ウチとソトの感覚みたいなものなのかなぁ。