メッセージ。 - diary
2015-11-08
# 太陽神信仰
お日様というのは朝が来たら起きて空に昇り、夜が来たら空から降りて眠りにつく。
朝起きて夜眠りにつくという意味では人間と同じだが、人間は高々数十年から100年ぐらいで
死んでしまう。他の動物にしても数十年から数百年ぐらいで死んでしまう。
しかし一方で、お日様というのは数百年ぐらいでは死なない。どうやらそれは、
もっともっと長く、数千年よりも長く、おそらく数万年や数億年よりも長く
生きるのだと史実や帰納的思考から推論される。
しかもお日様というのは、1日を司ると同時に1年をも司っている。
お日様が1年や四季をその役割どおりに過ごしてくれなければ植物は育たないし
果実や収穫が得られない。そうすると動物は生きていけないし人間も、
虫さえも生きていけない。
そう考えたらお日様は神様そのものじゃないかと、ふと今日腑に落ちた。
人間は悲しいけれどそのうち死んで愛するものと別れなければならない。
でもお日様はほぼ無限といっていいほど長く生き、愛するものと暮らし続ける。
いや、もしかしたらお日様もいつか死ぬときが来るのかもしれない。
それは実際には無限ではなく有限なのかもしれない。いや、むしろ有限で
ある蓋然性のほうが高い。無限ということはないであろう。
ただ。心情としては無限であってほしい。せめてお日様は愛するべきものと
無限に生き続けて欲しい。 それをただ願う。明日も明後日も日が昇り1年が
過ぎていく、そしてそういった1年がずっとずっと続いていく。自分や自分の
子、生き物たちの命がずっとずっと続いていく。
そのことがたまらなく愛おしく、欠けがえのないことであると思う。
お日様の寿命というのは、有限か無限かでいうと、ほぼ無限だろう。無限に近い。
だけれども無限ではなく有限であるだろう。有限のはずである。
そういった理解こそが太陽神信仰なのではないか。そしてお日様が神様で
あるという考えがなんとしっくりくるものだろうかと、今日始めて気づき
腑に落ちた。
朝起きて夜眠りにつくという意味では人間と同じだが、人間は高々数十年から100年ぐらいで
死んでしまう。他の動物にしても数十年から数百年ぐらいで死んでしまう。
しかし一方で、お日様というのは数百年ぐらいでは死なない。どうやらそれは、
もっともっと長く、数千年よりも長く、おそらく数万年や数億年よりも長く
生きるのだと史実や帰納的思考から推論される。
しかもお日様というのは、1日を司ると同時に1年をも司っている。
お日様が1年や四季をその役割どおりに過ごしてくれなければ植物は育たないし
果実や収穫が得られない。そうすると動物は生きていけないし人間も、
虫さえも生きていけない。
そう考えたらお日様は神様そのものじゃないかと、ふと今日腑に落ちた。
人間は悲しいけれどそのうち死んで愛するものと別れなければならない。
でもお日様はほぼ無限といっていいほど長く生き、愛するものと暮らし続ける。
いや、もしかしたらお日様もいつか死ぬときが来るのかもしれない。
それは実際には無限ではなく有限なのかもしれない。いや、むしろ有限で
ある蓋然性のほうが高い。無限ということはないであろう。
ただ。心情としては無限であってほしい。せめてお日様は愛するべきものと
無限に生き続けて欲しい。 それをただ願う。明日も明後日も日が昇り1年が
過ぎていく、そしてそういった1年がずっとずっと続いていく。自分や自分の
子、生き物たちの命がずっとずっと続いていく。
そのことがたまらなく愛おしく、欠けがえのないことであると思う。
お日様の寿命というのは、有限か無限かでいうと、ほぼ無限だろう。無限に近い。
だけれども無限ではなく有限であるだろう。有限のはずである。
そういった理解こそが太陽神信仰なのではないか。そしてお日様が神様で
あるという考えがなんとしっくりくるものだろうかと、今日始めて気づき
腑に落ちた。