メッセージ。 - diary

2016-07-29

# にゃー

おいらはちょっと、やり方が愚直すぎるんだよな。それで、ボトムアップにアプローチして仕事量が多くなってしまう。遠回りも好きだし。ただ、あるカテゴリの仕事では、これは変えなきゃいけない。
2016-07-29 21:00:09 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2016-07-07

# にゃー

バーチャルリアリティって意味でいうと、現実認識というもの自体が、教育や環境によって人間のなかに形作られてしまったものだよね。言い換えると、現実(の認識)というのは、「自分はこういう人間である」「世界はこういうものである」って言う先入観とか観念を指す。

だからそういう人間の価値観とか先入観みたいなものを含めて、変えてしまう、いったん
捨ててしまう能力をバーチャルリアリティが得られれば面白いなと思う。その意味では、映画や小説、音楽、誰かの人生といったものが、すでにバーチャルリアリティなのかもしれないけど。

でも実際の世界では、人間の価値観や先入観を変えてしまうものは「バーチャルリアリティ」には求められていなくって、もとの価値観、先入観レイヤに影響を与えない、単にそのとき楽しければ、あるいは役に立てば後でほぼ完全に元に戻せる、いわばプラガブルなレイヤ化された「リアリティ」が「バーチャルリアリティ」の現在の定義なのかもしれない。
2016-07-07 08:45:09 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2016-06-25

# にゃー

続・拝啓『変わらない開発現場』を嘆く皆様へ ~ ウォータフォール & アジャイル編~ | とあるコンサルタントのつぶやき


https://blogs.msdn.microsoft.com/nakama/2016/06/24/waterfall/


結局、未知のものを作るときは工数が読めないので、ウォーターフォールよりアジャイルのほうがいいよね(小さくプロジェクトを進めて徐々に工数を見積もろう)って話だと思う。

ただもう、個人的には優秀なハッカーレベルの人を少数雇って、「後は頼んだ。好きなようにやってくれていい。責任は自分が取る。足りないものがあれば言ってくれ」と任せるというやり方でもいいと思うんだよなー。

その場合に必要なのは、高度な信頼関係、スキルを見極める力、チームの裁量になる。そういったものをハナから無理だと諦めているんだったら、アジャイルとかウォーターフォールにするしかない。

でもそーゆーのを完全に諦めなきゃいけないレベルでやってるってこと自体が、高い品質や満足なプロダクティビティを諦めなきゃいけない状況の本質なんじゃないの?
2016-06-25 10:24:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2016-06-24

# にゃー

日本では、人間関係が難しすぎてプロジェクト進行の難易度が高いから、そこはもう諦めてコンピュータとの対話だけを生業にしたいと思う人が多いのかなぁ。
2016-06-24 22:51:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# にゃー

受託開発の開発って、人月いくらで計算して見積もり出すじゃん。それでだいたい値切られるんだよね。で、バッファをギリギリまで削って出しなおしたりすることになるんだけど。

でも、バッファとかリスクヘッジとかなしにやれるんなら、そもそも発注側が請負契約じゃなくて派遣契約でプロジェクトを進めればいいだけなんだよ。でもそんなの発注側にはできないよね。99パーセントできない。

なんでかというと、少なくともリスクバッファがゼロだから。リスクが結構存在するのに、その対策をしないでゴーを出すなんて自殺行為だ。だから彼らはそういうことをやらない。正しい選択だ。

一方で受注側は、なんでか知らないけどリスクバッファをほぼゼロで見積もり出しちゃったりするんだよね。もう完全に自殺行為。絶対にやっちゃいけない。

じゃあ受注側としてどうすべきか。たとえば見積もりを試算した結果10人月だったとする。そうしたらお客さんには20人月とか30人月で出す。それしかない。高すぎるかもって負い目を感じる必要はまったくない。だって、蓋を開けてみたら本当にそれだけかかる可能性があるんだもの。
2016-06-24 09:24:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2016-06-21

# にゃー

うまくいっているアジャイル開発はうまくいっているというトートロジー。ウォーターフォールだって、うまくいっているウォーターフォールはうまくいってるんだよね。

うまくいっていない事例、現実離れした手法適用で失敗している事例をあげつらっても、人々の気持ちを煽る以上の意味はないわけで。

欧米の人たちは体系化に長けていて、そこは非常に見習うべき。ただ、具体的にどうやれば体系化の文化や手法が手に入るのかは、ちょっとノーアイデアなんだよなぁ。論文を書いて、数式に落として、organizationで議論切磋するとかそんな感じなんだろうか。

誰かヒントをご存知なら教えていただきたいっす。
2016-06-21 09:00:05 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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