メッセージ。 - diary
2010-01-23
# 撤退戦
最近、人と話してるときとかに口にしている言葉:「撤退戦」。
たとえば友達の弟が、もともとは勤めている会社で技術職だったのだけど、この不景気でリストラが進められて営業職に異動になって悩んでいるというような話を聞く。転職したほうがいいんだろうか、とか。仕事がうまくこなせない、とか。
そういうときに「撤退戦」という言葉で、ちょっとアドバイスというか、思っていることを言いたくなる。それは、日本がここ20年ほど、「撤退戦」を戦っているということだ。
20年前のその前、日本は40年ほど、高度成長期などといって戦線を拡大していた。その時期には、どんな産業にあったとしても大かれ少なかれビジネスはうまくいき、平均以下の能力を持った人でも、仕事をすれば成功することも多かった。相場が上昇基調にあったからだ。その40年を知っている人(少なくともその一部)は、仕事やビジネスというものを、拡大戦線のイメージで捉えている。つまり彼らは、撤退の仕方を知らない。
だからどうしても、戦線を拡大するやり方で、この撤退戦を戦おうとしてしまう。売上が落ちてきたら、キャンペーンを打ったり、新規事業に投資したりして売上を補おうとする。売上を拡大しようとする。しかし多分、そういったやり方は、なかなかうまくいかないのではないか。
いまの時代、売上が下がるのは仕方ないと考えたほうがよいのかもしれない。無理に売り上げを大きくするのではなく、下がり続ける売上でどう利益を確保するか。どのように守るかが重要なのではないかと思う。もちろん、必要な投資はしたほうがよい。しかし、昔と比べると投資も難しくなっている。昔ならうまくいったような投資が、今では回収できなくなっている。
まぁ、投資というのはそもそも失敗しがちで、エジソンの発明のように「うまくいかない方法を100個も見つけた」というように積み重ねるものでもあるのだろうけど。ただ、なんというのかなぁ、いまは環境が厳しいので、精度を高めたり、最大限コストを抑えながら投資することが大事なんじゃないかなぁ、と。少なくとも、いままでのようなジャブジャブの投資はやめたほうがよいだろうと思う。
冒頭の、友達の弟さんの話に戻ると、そのときは、「まぁ難しいけど、いま日本が撤退戦にあることをちょっと意識してみてもいいんじゃないかな」みたいな話をした。ぼくも過去、いくつか会社を転職した。転職するときは、「この会社はもう駄目なんじゃないか」と感じたこともあった。でも、転職して数年たって振り返って見てみると、あのときの会社は案外元気にやっていたりする。社員数が順調に増えていたり、新製品を発表していたり。だから案外、会社というのは潰れないものだということを、後を歩く人には言いたい。
そしてもう1つ、技術職から営業職に異動になって難しいというような問題については、あまり悩みすぎないように、ってことかな。いまは撤退戦にあるのだから、そもそも「仕事はうまくいかない時期にあるのだ」と考えよう。悩んでいるのはあなただけじゃない。いまの時代は、みんなが「仕事がうまくいかない」と悩んでいる。うまくいかなくて普通なんだ。平均点が「前年比マイナス5%ぐらいなんだ」って。そのうえで、技術職から営業職に変わったことを、ポジティブに捉えることもできるのではないかと思う。
会社はあなたをクビにしなかったのだから。クビにする代わりに彼らは、あなたを異動させた。彼らはあなたに可能性を感じているし、なんらかの良い結果が起こる*かもしれない*と考えてそのような試みをしているのだろう。だからあなたは、そこで自分のできることを試してみればよいのではないかと思う。どうせ今は、前年比マイナス5%ぐらいの時代。良い結果を出せなくても悩みすぎずに、ちょっと視点を変えるつもりで、与えられた仕事にあたってみてはどうだろうか。
転職も悪くはないけど、転職したからといっていまの時代、新しい会社の元気が良いとは限らない。やっぱり新しい会社も、前年比マイナス5%ぐらいで苦しんでいる場合も多いだろう。だから転職も、なかなか難しい。どこにいたって、前年比5%プラスぐらいにするのは難しいのだ。だったら現状をあまり悩みすぎずに、「マイナスで当たり前だよね」ぐらいに考えたほうがいい。やがてときがくれば、流れも変わる。そのときまで、いろいろ勉強して力を貯めるとか、長期的に考えて自分がやるべきだと思うことに力を入れるとか、すればよいのではないかと思うのだ。
たとえば友達の弟が、もともとは勤めている会社で技術職だったのだけど、この不景気でリストラが進められて営業職に異動になって悩んでいるというような話を聞く。転職したほうがいいんだろうか、とか。仕事がうまくこなせない、とか。
そういうときに「撤退戦」という言葉で、ちょっとアドバイスというか、思っていることを言いたくなる。それは、日本がここ20年ほど、「撤退戦」を戦っているということだ。
20年前のその前、日本は40年ほど、高度成長期などといって戦線を拡大していた。その時期には、どんな産業にあったとしても大かれ少なかれビジネスはうまくいき、平均以下の能力を持った人でも、仕事をすれば成功することも多かった。相場が上昇基調にあったからだ。その40年を知っている人(少なくともその一部)は、仕事やビジネスというものを、拡大戦線のイメージで捉えている。つまり彼らは、撤退の仕方を知らない。
だからどうしても、戦線を拡大するやり方で、この撤退戦を戦おうとしてしまう。売上が落ちてきたら、キャンペーンを打ったり、新規事業に投資したりして売上を補おうとする。売上を拡大しようとする。しかし多分、そういったやり方は、なかなかうまくいかないのではないか。
いまの時代、売上が下がるのは仕方ないと考えたほうがよいのかもしれない。無理に売り上げを大きくするのではなく、下がり続ける売上でどう利益を確保するか。どのように守るかが重要なのではないかと思う。もちろん、必要な投資はしたほうがよい。しかし、昔と比べると投資も難しくなっている。昔ならうまくいったような投資が、今では回収できなくなっている。
まぁ、投資というのはそもそも失敗しがちで、エジソンの発明のように「うまくいかない方法を100個も見つけた」というように積み重ねるものでもあるのだろうけど。ただ、なんというのかなぁ、いまは環境が厳しいので、精度を高めたり、最大限コストを抑えながら投資することが大事なんじゃないかなぁ、と。少なくとも、いままでのようなジャブジャブの投資はやめたほうがよいだろうと思う。
冒頭の、友達の弟さんの話に戻ると、そのときは、「まぁ難しいけど、いま日本が撤退戦にあることをちょっと意識してみてもいいんじゃないかな」みたいな話をした。ぼくも過去、いくつか会社を転職した。転職するときは、「この会社はもう駄目なんじゃないか」と感じたこともあった。でも、転職して数年たって振り返って見てみると、あのときの会社は案外元気にやっていたりする。社員数が順調に増えていたり、新製品を発表していたり。だから案外、会社というのは潰れないものだということを、後を歩く人には言いたい。
そしてもう1つ、技術職から営業職に異動になって難しいというような問題については、あまり悩みすぎないように、ってことかな。いまは撤退戦にあるのだから、そもそも「仕事はうまくいかない時期にあるのだ」と考えよう。悩んでいるのはあなただけじゃない。いまの時代は、みんなが「仕事がうまくいかない」と悩んでいる。うまくいかなくて普通なんだ。平均点が「前年比マイナス5%ぐらいなんだ」って。そのうえで、技術職から営業職に変わったことを、ポジティブに捉えることもできるのではないかと思う。
会社はあなたをクビにしなかったのだから。クビにする代わりに彼らは、あなたを異動させた。彼らはあなたに可能性を感じているし、なんらかの良い結果が起こる*かもしれない*と考えてそのような試みをしているのだろう。だからあなたは、そこで自分のできることを試してみればよいのではないかと思う。どうせ今は、前年比マイナス5%ぐらいの時代。良い結果を出せなくても悩みすぎずに、ちょっと視点を変えるつもりで、与えられた仕事にあたってみてはどうだろうか。
転職も悪くはないけど、転職したからといっていまの時代、新しい会社の元気が良いとは限らない。やっぱり新しい会社も、前年比マイナス5%ぐらいで苦しんでいる場合も多いだろう。だから転職も、なかなか難しい。どこにいたって、前年比5%プラスぐらいにするのは難しいのだ。だったら現状をあまり悩みすぎずに、「マイナスで当たり前だよね」ぐらいに考えたほうがいい。やがてときがくれば、流れも変わる。そのときまで、いろいろ勉強して力を貯めるとか、長期的に考えて自分がやるべきだと思うことに力を入れるとか、すればよいのではないかと思うのだ。
2010-01-21
# 『クローズアップ現代「“助けて”と言えない~共鳴する30代~」』
いまNHKでやっている、『クローズアップ現代「“助けて”と言えない~共鳴する30代~」』。なんかちょっと、論者のピントが外れている気がするなぁ。
30代は、人の役に立ちたいんだよ。助けてもらいたいんじゃない。「助けてあげたい」んだ。
「自分は役に立つ人間だ」って、認めてもらいたいし、自分でそうありたい。あらなければならないと思っている。
だから親に助けを求めない。社会に助けを求めない。そもそも社会は助けてくれないし。生活保護にしても、各種控除にしても、法律を知っていて申請を行う人間にしか支給されない。現状の政府というものは、無学で無知な大衆を救うためのシステムではない。悪く言うならば、強欲な人間を救うシステムか、もしくは本当に本当に困っている人たちを救うためのシステムであって、*普通の健康な、ちゃんとした大人の男*、もしくは*大人の女*、*大人の人間*である自分を救うためのシステムではない。
それは、自己責任論みたいな最近(ここ20年とか)が原因の話ではないと思う。「助けてあげる」と言ってくる人間に、「助けてください」などと返事できるわけがないのだ。そのような社会システムは構築されていない。はっきりいって、「助けてあげる」なんて言葉は、「饅頭怖い」という言葉と同義だ。日本人ならほとんどの人は、「饅頭怖い」という話を知っているだろう。日本という社会は「饅頭怖い」を前提としている。「助けてほしいと言ってごらん?」という言葉に対して、「助けてほしい」と返事する日本人はいない。
また、思うのは、「助けてと言え」と言うことの傲慢さみたいなものだ。本人には悪気はないのだろうし、そういう言葉を口にする人は、実際に悪い人ではないだろう。でも「助けてと言え」とか、「助けてあげる」とか言わないでほしい。「助けてあげる」と言うんじゃなくて、「助けて」と言ってほしい。どうしてあなたは、30代を助けたいのか? 「助けて*あげる*」という気持がどこかにあるんじゃないのか? 自問してほしい。そうしたらきっと、「助けてあげる」ではなくて、「こちらこそ、実は助けてほしいんだ、困ってるんだ」と切り出せるんじゃないかと思う。
「助けてほしいんだ、困ってるんだ、君の力が借りたいんだ」そういう言葉をかけられたなら、30代は心を開き、あなたをきっと助けてくれるのではないか。そんな風に思うのだ。
--
あと解決策。たぶん寄付はうまくいかないんじゃないかという気がする。ないよりあったほうがよいだろうけど、マスの隅に届くぐらいになるほどではないというか。ぼくが考える解決案は、1段階として彼らが自ら助けあえるコミュニティ作りだ。一人8万円前後の生活保護を分け合って、シェアホームをする。ギークハウスの一般版というか。そうすると、一人ひとりのお金では足りなかった「住」の部分が満たせるし、それが「社会的信用」の担保の一部となる。
そしてきっと、シェアホームには社会に対するレゾンデートル(存在理由)が必要だ。ただたくさんの30代が集まって、生活保護を受ける人間ばかりウダウダするのでは社会に受け容れられない。そうなったとき、1つの方向性としては農業や軽工業で自活する都市国家のようなコミュニティがあり得るだろう。しかしこれは、宗教的組織になってしまいがちだろうし、地域社会はこのような宗教都市が身近で増大していくことを受け容れられない可能性も高い。また、なにより30代の彼ら自身が、「宗教的な施設に世話になっているみたいな自分」を受け容れにくいだろう。
その意味では本当は、シェアホームの次の段階として、彼らは社会にはばたっていけることが理想だ。彼らが、普通の社会の一員としてやっていけることが必要だ。しかし実は、これが難しい。現在、日本経済は縮退している。だから彼らのための席は、それほど余っていない。シェアホームの次の段階に進むのが難しい。現実的には、シェアホームのような生活が善であるような社会になっていくことだ。シェアホームが社会起業であり、そのエコシステムが地域の一部を担うような、それが一般企業として成り立つような、そういう変革が必要になっていくのではないか。
「助けて」。この言葉が言えず、孤独死した30代の男性を去年10月にクローズアップ現代で取材し、放送した。番組では、生活に困窮し、命に危険を及ぼしかねない状況になっても助けを求めない30代の姿を取材。彼らは、こうした状況になったのは、自己責任だと自らを責め、「助けて」の言葉を拒み続けていた。この放送直後、インターネット上のブログでは書き込みが急増。わずか3日で2000件を超えた。その多くが30代で、驚くことに孤独死は他人事ではないと共感するものがほとんどだ。なかでも30代の女性に、共鳴する声が瞬く間に広がった。一体、いま30代に何が起きているのか?番組では、ブログの声から、静かに広がる「助け」を求められない30代の実像を継続取材した。
30代は、人の役に立ちたいんだよ。助けてもらいたいんじゃない。「助けてあげたい」んだ。
「自分は役に立つ人間だ」って、認めてもらいたいし、自分でそうありたい。あらなければならないと思っている。
だから親に助けを求めない。社会に助けを求めない。そもそも社会は助けてくれないし。生活保護にしても、各種控除にしても、法律を知っていて申請を行う人間にしか支給されない。現状の政府というものは、無学で無知な大衆を救うためのシステムではない。悪く言うならば、強欲な人間を救うシステムか、もしくは本当に本当に困っている人たちを救うためのシステムであって、*普通の健康な、ちゃんとした大人の男*、もしくは*大人の女*、*大人の人間*である自分を救うためのシステムではない。
それは、自己責任論みたいな最近(ここ20年とか)が原因の話ではないと思う。「助けてあげる」と言ってくる人間に、「助けてください」などと返事できるわけがないのだ。そのような社会システムは構築されていない。はっきりいって、「助けてあげる」なんて言葉は、「饅頭怖い」という言葉と同義だ。日本人ならほとんどの人は、「饅頭怖い」という話を知っているだろう。日本という社会は「饅頭怖い」を前提としている。「助けてほしいと言ってごらん?」という言葉に対して、「助けてほしい」と返事する日本人はいない。
また、思うのは、「助けてと言え」と言うことの傲慢さみたいなものだ。本人には悪気はないのだろうし、そういう言葉を口にする人は、実際に悪い人ではないだろう。でも「助けてと言え」とか、「助けてあげる」とか言わないでほしい。「助けてあげる」と言うんじゃなくて、「助けて」と言ってほしい。どうしてあなたは、30代を助けたいのか? 「助けて*あげる*」という気持がどこかにあるんじゃないのか? 自問してほしい。そうしたらきっと、「助けてあげる」ではなくて、「こちらこそ、実は助けてほしいんだ、困ってるんだ」と切り出せるんじゃないかと思う。
「助けてほしいんだ、困ってるんだ、君の力が借りたいんだ」そういう言葉をかけられたなら、30代は心を開き、あなたをきっと助けてくれるのではないか。そんな風に思うのだ。
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あと解決策。たぶん寄付はうまくいかないんじゃないかという気がする。ないよりあったほうがよいだろうけど、マスの隅に届くぐらいになるほどではないというか。ぼくが考える解決案は、1段階として彼らが自ら助けあえるコミュニティ作りだ。一人8万円前後の生活保護を分け合って、シェアホームをする。ギークハウスの一般版というか。そうすると、一人ひとりのお金では足りなかった「住」の部分が満たせるし、それが「社会的信用」の担保の一部となる。
そしてきっと、シェアホームには社会に対するレゾンデートル(存在理由)が必要だ。ただたくさんの30代が集まって、生活保護を受ける人間ばかりウダウダするのでは社会に受け容れられない。そうなったとき、1つの方向性としては農業や軽工業で自活する都市国家のようなコミュニティがあり得るだろう。しかしこれは、宗教的組織になってしまいがちだろうし、地域社会はこのような宗教都市が身近で増大していくことを受け容れられない可能性も高い。また、なにより30代の彼ら自身が、「宗教的な施設に世話になっているみたいな自分」を受け容れにくいだろう。
その意味では本当は、シェアホームの次の段階として、彼らは社会にはばたっていけることが理想だ。彼らが、普通の社会の一員としてやっていけることが必要だ。しかし実は、これが難しい。現在、日本経済は縮退している。だから彼らのための席は、それほど余っていない。シェアホームの次の段階に進むのが難しい。現実的には、シェアホームのような生活が善であるような社会になっていくことだ。シェアホームが社会起業であり、そのエコシステムが地域の一部を担うような、それが一般企業として成り立つような、そういう変革が必要になっていくのではないか。
2009-11-13
# Haskellナイトの宣伝
宣伝っつーか、情報っつーか。2009年11月20日(金) 、つまり今日からちょうど1週間後の金曜夕方に、Haskell好きが集まるイベントがあります。これは、Haskellでの実用的なプログラミング手法を紹介した書籍『Real World Haskell』の翻訳版発行を記念して行われるものです(たぶん)。
ぼくは、このイベントの直接の関係者ではないのですが、「Haskellゴングというセッションで発表する人が足りないよー」という声が聞こえてきたので、ひょんなことから同セッションで短い発表をすることになりました。でも実際には、ぼくの発表なんてショボいものなので、とても不安です…。
応募多数になったらぼくが辞退できるので、「みんな応募してみるといいよ」って宣伝しようと思ったのですが、締め切りは1時間後か… orz。なんかいろいろすみませんって感じですが、もしこのイベントに興味のある方がいらしたら、参加してみてください。作品デモの応募も、ちょっとぐらいなら締切を過ぎても受付してくれるんじゃないかなぁ…。とにかく幹事さんに問い合わせてみるとよいのではないかと思います。
だいたいこの手のイベントの後は、ぼくは手持ち無沙汰でショボーンとしていますので、どなたかお話してくれる方がいらっしゃるとうれしいです。ま、あんまりお願いするのは良くないですね。Haskellに興味のある方でしたらそれなりに楽しいイベントではないかと思いますので、参加されてみてはいかがでしょうか。よろしくお願いします…。
ぼくは、このイベントの直接の関係者ではないのですが、「Haskellゴングというセッションで発表する人が足りないよー」という声が聞こえてきたので、ひょんなことから同セッションで短い発表をすることになりました。でも実際には、ぼくの発表なんてショボいものなので、とても不安です…。
応募多数になったらぼくが辞退できるので、「みんな応募してみるといいよ」って宣伝しようと思ったのですが、締め切りは1時間後か… orz。なんかいろいろすみませんって感じですが、もしこのイベントに興味のある方がいらしたら、参加してみてください。作品デモの応募も、ちょっとぐらいなら締切を過ぎても受付してくれるんじゃないかなぁ…。とにかく幹事さんに問い合わせてみるとよいのではないかと思います。
だいたいこの手のイベントの後は、ぼくは手持ち無沙汰でショボーンとしていますので、どなたかお話してくれる方がいらっしゃるとうれしいです。ま、あんまりお願いするのは良くないですね。Haskellに興味のある方でしたらそれなりに楽しいイベントではないかと思いますので、参加されてみてはいかがでしょうか。よろしくお願いします…。
2009-09-17
# 民主党はなぜ勝利したのか?
民主党の首脳陣は、廃れつつあるものと、勃興しつつあるものを、見間違えてはなりません。そのことを、自民党の壊滅から学んだのではありませんでしたか。学んでいないのなら、面白いことになりますよ。
先日、テレビ東京の『ルビコンの決断』で、民主党が先の総選挙でどのような選挙対策を行っていたのかを放送していた。民主党というか、小沢一郎さんの選挙戦術という紹介の仕方だったけど。
番組によると、今回たくさん当選した民主党の新人議員たちは、小沢一郎さんのバックアップにより選挙活動を行い、当選できたのだそうだ。番組内では彼らのことを「小沢チルドレン」と呼んでいた。紹介されていた選挙戦術は主に次の3点。
- 川上作戦
- 1日に50回以上を目標に、街頭演説をすること
- 小沢さんの顔を使用した選挙区引き締め
川上作戦というのは、文字どおり選挙区内で川の上流にあたる地域から、各家を個別訪問するという選挙活動。小沢チルドレンたちは、今回の選挙の実に1年以上前から、川上作戦と称して田舎の川上の家を毎日回っていたそうだ。
これにはどういう効果があるかというと、「こんな田舎にも民主党の議員さんは目をかけてくれているんだ」という好印象を与えるということらしい。ただし、無名の新人さんが行ったところで効果は薄いかもしれないので、実際には彼らとは別に、「小沢議員の秘書」という肩書を持った人たちも、別途各地方を回っていたとのこと。「小沢さんもこの地域を気にかけていくれている」という好印象を与えていた。
実際、小沢さんというのは、秘書をたくさん持っているらしい。自宅にはたくさんの門下生を住まわせていて、昔でいうところの書生さんをたくさん世話しているのだと言っていた。その書生さんたちが秘書となって全国に散らばり、各候補者の選挙を暗に陽にバックアップしている。
川上作戦というのはこういう意味がある。つまり、川の上流にあるような地域は要するに田舎で、お年寄りが住んでいる。そういった人たちの印象を良くすれば、評判は口コミで川下にいる彼らの子供や孫など若い人たちに自然に伝わっていく。川下に住む人たちにとって、政治家が来ることなどたいした意味がないとしても、川上に住む人たちにとっては大事件なのだ。
候補者たちは、人がほとんど通らない村の辻であっても、少しずつ場所を変えて1日50回の街頭演説を行う。そうやって川上から順に顔を売っていくのだ。
この番組はけっこう面白かった。選挙運動ってこんなことやってるんだって知らなかったし、1年も前からそういう活動をやってることもはじめて知った。選挙運動は公職選挙法で細かく規制されているので、ぼくにとっては何が違法でなにが合法なのか分からない。上記の説明で書いた文章も、記憶を頼りに書いているので文言や言葉の定義などがかなり曖昧だ。たぶん間違っている箇所がいくつもあるだろう。でもまぁ、実際に小沢さん陣営がそのように活動し、テレビで放送するぐらいだから、上記のような活動は合法なのだろう。
そして思ったことは、「やっぱり選挙というのは政策や政治内容ではなく、印象を操作することでなされるのだ」と。「なにをする人か」ではなく、「誰が味方か」を判断して、人は投票行為を行うのではないか。選挙前のネットでは、民主党の評判はそんなに良くなかった。ネットの評判は極端な傾向があるので、一般とはある程度開きがあるだろうとは思っている。
ただ、かといってテレビや新聞が一般の評判を反映しているかというと、ちょっと疑問に感じるところがある。テレビも新聞も、麻生さんのことを揚げ足取りして悪く言いすぎだと思うし、民主党の言う「まず、政権交代」とかいうロジックもそう説得力があるように思えない。では、誰が民主党に投票したのか? なぜ選挙直前、民主党の支持率があれほど高かったのか? ネット世論からはそれほど自民党支持のエネルギーを感じなかったけど、かといって「民主党がいいんだ」というエネルギーもそれほど感じなかった。
しかし、件の番組の内容をある程度重く見るなら納得がいく。年配の人を中心に、地方にいる人たちが民主党に投票したのだ。だからネットを見ていたり、比較的若く都市に住むような人たちを見ていても、民主支持の手応えを感じないのではないか。都市に住む若い人たちの中にも民主党に投票した人がいるだろうが、それに加えて比較的多くの地方にいる年配の人が、民主党に投票したんじゃないかと。そしてそのような投票を引き起こしたのは、小沢さん流の選挙活動、つまりそもそも田中角栄さんから連なる、まさしく自民党的な手法に依るのではないかと。
国民は、政策ではなく、政治の方向性でもなく、「誰が味方か」を頼りに今回の結論を出した。だとするなら、国民のなかには「廃れつつあるものと、勃興しつつあるもの」といったものは存在しないのではないか。まったく新しい新種の風が吹いたというよりは、同じ風が単にその風向きを変えただけに過ぎないのではないかと思う。
# Haskellでのデータベースの話の続き
昨日の話の続き。昨日書いたように、HDBCでMySQLを使おうとすると、UTF8の文字列が化けるので使うのは諦めた。それで、今日はHDBC-PostgreSQLが使えないか試し中。HDBC-PostgreSQLを叩く簡単なドライバを作ったことで、UTF8が文字化けしないと確認できた。そのため、rssmixはHDBC-PostgreSQLに対応させることにした。rssmix自体のHDBC-PostgreSQL対応はほぼ完了し、本番サーバのデータをテスト用サーバにインポートしてテストしてみてるのだけど…。
すごいよPostgreSQL!!!!! ちょう速い!!!!! 非力なテスト用サーバーでも、本番のデータでサクサク動いてる。SQLiteで遅かったのは何だったんだろうか。rssmix内に埋め込まれているSQL文じたいは何も変わってないのに。まぁ、ファイルベースのDBMSは、性能面で非常に不利だというのは理解するけど。とにかくすばらしいぞ-、PostgreSQL!!! …ということで、ひととおりテストが終わったら、本番サーバーのrssmixもPostgreSQL版に移行します。
すごいよPostgreSQL!!!!! ちょう速い!!!!! 非力なテスト用サーバーでも、本番のデータでサクサク動いてる。SQLiteで遅かったのは何だったんだろうか。rssmix内に埋め込まれているSQL文じたいは何も変わってないのに。まぁ、ファイルベースのDBMSは、性能面で非常に不利だというのは理解するけど。とにかくすばらしいぞ-、PostgreSQL!!! …ということで、ひととおりテストが終わったら、本番サーバーのrssmixもPostgreSQL版に移行します。
2009-09-15
# Haskellでのデータベース(ストレージIO)
rssmixで、たくさんサイトを登録しているユーザーのページ表示が非常に重い。数日前から調べているのだけど、どうやらDBとして使っているSQLiteが重い模様。データ量はせいぜい2~3万件なのだけど、この程度がスケールしないのかなぁ。DBのチューニングも試してみたけど、うまくいかない。
それで、SQLiteの代わりにMySQLを使えないか試してみた。rssmixはHaskellで組んでいて、DBとの接続にはHDBC(SQLiteとの接続はHDBC-SQLiteモジュール)を使っている。これを差し替えてHDBC-MySQLにすれば、上物のコードはほとんど変えずに、DBMSだけ替えることができるはずだ。
で、やってみたところ失敗。MySQLには接続できるのだけど、日本語が「?」に文字化けしてしまうのだ。どうしたらいいのかなぁ。HDBC-MySQLのコードを修正すればよさそうけど、いまのぼくのスキルではちょっと重い。ほかにもいろいろやりたいことがあるので、この案件にあまり時間をかけたくなくて焦っている。
そうだ、関連で調べたこと。DBMSではなくてもっとシンプルなDBM系を使うことも検討してみてるのだけど、Hackageには適当なライブラリが公開されていない。具体的にはGDBMを使いたいのだけど、GDBMを使うライブラリはなかった。それ以外に使えそうなのが数個あるにはあったが、たとえばTokyo Cabinetのライブラリをコンパイルしようとしたらエラーが出てうまくいかない。結局、Haskellでうまく使えるストレージIOライブラリが見つからない。うぐぐぐ。
2009-09-17 追記。その後、PostgreSQLがうまく使えそうだと分かったので、rssmixではPostgreSQLを使うことになりそうです。→その後の話
それで、SQLiteの代わりにMySQLを使えないか試してみた。rssmixはHaskellで組んでいて、DBとの接続にはHDBC(SQLiteとの接続はHDBC-SQLiteモジュール)を使っている。これを差し替えてHDBC-MySQLにすれば、上物のコードはほとんど変えずに、DBMSだけ替えることができるはずだ。
で、やってみたところ失敗。MySQLには接続できるのだけど、日本語が「?」に文字化けしてしまうのだ。どうしたらいいのかなぁ。HDBC-MySQLのコードを修正すればよさそうけど、いまのぼくのスキルではちょっと重い。ほかにもいろいろやりたいことがあるので、この案件にあまり時間をかけたくなくて焦っている。
そうだ、関連で調べたこと。DBMSではなくてもっとシンプルなDBM系を使うことも検討してみてるのだけど、Hackageには適当なライブラリが公開されていない。具体的にはGDBMを使いたいのだけど、GDBMを使うライブラリはなかった。それ以外に使えそうなのが数個あるにはあったが、たとえばTokyo Cabinetのライブラリをコンパイルしようとしたらエラーが出てうまくいかない。結局、Haskellでうまく使えるストレージIOライブラリが見つからない。うぐぐぐ。
2009-09-17 追記。その後、PostgreSQLがうまく使えそうだと分かったので、rssmixではPostgreSQLを使うことになりそうです。→その後の話