メッセージ。 - diary
2025-01-17
# にゃー
YouTubeでカメラ系の人達を見てると、みなさん頻繁に機材を購入されてるのを見かけるけど、すごいなぁと思う。自分は不器用なのか、機材を追加してもあまり楽しめないみたいだ。
実はつい最近ぼくもレンズを一本買い足したのだけど、かなり四苦八苦している。いままで使っていた(いまも持っている)レンズへの愛着が強すぎるのか、新しいほうを使うときの戸惑いがとても大きい。
「古いほうはこんな風に使えたのに」とか「古いほうだとこんな写真が撮れたなぁ」と思い返してしまう。もちろん新しいほうにも良いところはある。新しいほうが便利な部分もあるし写りも良いみたいだし、いままで撮れなかった写真が撮れてたりもする。
心と身体を新しいほうに馴染ませようとしているところなんだけど、簡単にはいかない。なんだか気分が晴れない。
実はつい最近ぼくもレンズを一本買い足したのだけど、かなり四苦八苦している。いままで使っていた(いまも持っている)レンズへの愛着が強すぎるのか、新しいほうを使うときの戸惑いがとても大きい。
「古いほうはこんな風に使えたのに」とか「古いほうだとこんな写真が撮れたなぁ」と思い返してしまう。もちろん新しいほうにも良いところはある。新しいほうが便利な部分もあるし写りも良いみたいだし、いままで撮れなかった写真が撮れてたりもする。
心と身体を新しいほうに馴染ませようとしているところなんだけど、簡単にはいかない。なんだか気分が晴れない。
2024-12-24
# にゃー
街中で写真を撮っていて、「ファインダーを覗く行為が一番周りへの圧力が高いのではないか」という写真家さん(?)の意見を見かけた。それについて、初見では何かを書くほどの気にはならなかったのだけど、反応の意見を見かけてちょっと書きたくなった。
https://www.youtube.com/watch?v=EjguIVcsioE
まず、個人的にはファインダーが一番の要素とは思わないかなぁ。ぼくの感覚としては、街の人は「普通の人かどうか」「悪いことをしてなそうかどうか」「普通に話ができそうかどうか(常識がある人かどうか)」「嫌なことをされないかどうか」を気にしている気がする。
結局のところ、NGなものを撮らない、撮ってほしくないものを撮らない、というルールを守れるならば、そこまで目くじらを立てる必要がないというか、ルールを厳しくしすぎてもお互いしんどくなるだけなので、とくに日本人の場合は「人に迷惑をかけない」という点が基準になっていると思う。
だから逆に街中で写真を撮りたい人は、「人に迷惑をかけなさそう」と思わせるような配慮をできるだけすれば、周囲との軋轢も減らせるように思うんだよね。具体的には、
- 女性で優しそうである
- イケメンで優しそうである
- 清潔感があり、上品でかつ「近寄りがたくない格好(話しやすそうな雰囲気)」をしている
- 目が会えば笑顔で会釈をしたり挨拶をしたりし、必要十分な会話もする
あたりができればほぼ理想であり、100%理想的でなくても近くなるよう努力することが必要かと思う。
ファインダーを覗くという行為に関して、人間は他者の目(視線)を見てその意図や感情を理解しようとするものだから、それが隠されて意思疎通が一方通行になってしまう「ファインダーを覗く」という行為自体は確かにマイナス要素になる。
でも、ファインダーってずーっと覗いているものでもないし、その前後の振る舞いも含めてどう見られるかじゃないかな。具体的な言葉を交わすわけじゃなくても、どんな服装と表情と立ち居振る舞いでその場にいて、どう邪魔にならずに、周りの人とコミュニケーションするか(視線が触れるだけでもコミュニケーションだ)。そういうことも含めて「表現」なんだろうと思う。
まぁ、ぼくもそんなにできているわけではないけれども。
https://www.youtube.com/watch?v=EjguIVcsioE
まず、個人的にはファインダーが一番の要素とは思わないかなぁ。ぼくの感覚としては、街の人は「普通の人かどうか」「悪いことをしてなそうかどうか」「普通に話ができそうかどうか(常識がある人かどうか)」「嫌なことをされないかどうか」を気にしている気がする。
結局のところ、NGなものを撮らない、撮ってほしくないものを撮らない、というルールを守れるならば、そこまで目くじらを立てる必要がないというか、ルールを厳しくしすぎてもお互いしんどくなるだけなので、とくに日本人の場合は「人に迷惑をかけない」という点が基準になっていると思う。
だから逆に街中で写真を撮りたい人は、「人に迷惑をかけなさそう」と思わせるような配慮をできるだけすれば、周囲との軋轢も減らせるように思うんだよね。具体的には、
- 女性で優しそうである
- イケメンで優しそうである
- 清潔感があり、上品でかつ「近寄りがたくない格好(話しやすそうな雰囲気)」をしている
- 目が会えば笑顔で会釈をしたり挨拶をしたりし、必要十分な会話もする
あたりができればほぼ理想であり、100%理想的でなくても近くなるよう努力することが必要かと思う。
ファインダーを覗くという行為に関して、人間は他者の目(視線)を見てその意図や感情を理解しようとするものだから、それが隠されて意思疎通が一方通行になってしまう「ファインダーを覗く」という行為自体は確かにマイナス要素になる。
でも、ファインダーってずーっと覗いているものでもないし、その前後の振る舞いも含めてどう見られるかじゃないかな。具体的な言葉を交わすわけじゃなくても、どんな服装と表情と立ち居振る舞いでその場にいて、どう邪魔にならずに、周りの人とコミュニケーションするか(視線が触れるだけでもコミュニケーションだ)。そういうことも含めて「表現」なんだろうと思う。
まぁ、ぼくもそんなにできているわけではないけれども。
2024-12-04
# にゃー
「カメラ市場に再び暗雲が垂れ込めている」というBCN?さんの記事が最近公開されたらしい。関連していくつか意見を述べられているYouTuberの人を見掛けた。
https://www.youtube.com/watch?v=a1ZmD08Vvt0
https://www.youtube.com/watch?v=s-raUVnGggA
どちらも興味深くって、記憶に残ったフレーズとしては「写真には記録用途とアートの用途があって、スマホは記録用」というものとか、「身近なものを綺麗の撮るとか、動画を撮るという点ではスマホで十分であり、その分野ではむしろ一眼カメラは負けている。普通の人にはスマホで十分で、普通の人をカメラに呼び込むこと自体が不可能じゃないか。どうしてカメラメーカーは高性能化に突き進むのか?」といったニュアンスの意見かな。
たしかに、普通の人にとってわざわざカメラを買う意義が、2024年時点では少ないと思う。旅行の記念にとか、日常生活のスナップにという用途はスマホで十分だろうし、カメラというのは大きくて重くて高価なので、わざわざ買ってまで使おうという人は少ないだろう。
とくにプロではない「記録」用途の人(大半の人)には「カメラを買ったほうがいいよ」とは勧められない。ただ、目的が記録ではなくアートになるなら、いまでもカメラは面白いと思う。もちろんスマホでもアーティスティックな写真は撮れると思うけど、カメラで写真を撮るのには、なんていうのかなぁ・・・楽しさとか、手作りする感じ、アナログのダイレクトさがある。車でいえばATとMTの違いのような。スマホがATでカメラがMTね。
いや、カメラのほうでもAFにAIが適用されたりとか、高速連射とかで、カメラメーカーは自動化技術を頑張っているので、必ずしも「手作りする感じ、アナログのダイレクトさ」ではない方向性にカメラメーカーさんは突き進んでいるけれども、それはあくまで「スマホと差別化せねばならない」とか「技術は進展させねばならない」というカメラメーカーの宿命とか使命感、常識がそうさせている気がしていて、アートとは別方向の力学が働いていると思う。
「アート」という意味では、いまでもカメラは楽しいし、楽しむためには必ずしも高性能・高機能は必要ないというか、むしろ不便でいいから安くてfun to useなものが、もう少しカメラメーカーから出てほしいなぁと思う。
あと、カメラメーカーにとってスマホとの差別化がビジネス上必要だというのは分かるのだけど、だったら以下のような需要に対応するのはどうなんですかね?
- 監視カメラとか定点カメラ
- ドローン
- 360度被写体を追従してくれるカメラ(360度カメラとかOSMO Pocketのようなもの)
- ライフレコーダー(ドライブレコーダーのようなものだけど、人間の身に付けて「あっ」というイベントが起こったときに後から記録を明示的に残せる」)
- 使い捨てのようなカメラ
- 不便を楽しむカメラ
「いままでのカメラの形」「いままでのカメラの用途」にこだわるから、スマホの登場によって皆が「カメラ」を欲しがらなくなっているのであって、外の世界に目を向ければ、皆が欲しがってスマホでは用途を満たせないような製品はまだまだ作れるんじゃないかと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=a1ZmD08Vvt0
https://www.youtube.com/watch?v=s-raUVnGggA
どちらも興味深くって、記憶に残ったフレーズとしては「写真には記録用途とアートの用途があって、スマホは記録用」というものとか、「身近なものを綺麗の撮るとか、動画を撮るという点ではスマホで十分であり、その分野ではむしろ一眼カメラは負けている。普通の人にはスマホで十分で、普通の人をカメラに呼び込むこと自体が不可能じゃないか。どうしてカメラメーカーは高性能化に突き進むのか?」といったニュアンスの意見かな。
たしかに、普通の人にとってわざわざカメラを買う意義が、2024年時点では少ないと思う。旅行の記念にとか、日常生活のスナップにという用途はスマホで十分だろうし、カメラというのは大きくて重くて高価なので、わざわざ買ってまで使おうという人は少ないだろう。
とくにプロではない「記録」用途の人(大半の人)には「カメラを買ったほうがいいよ」とは勧められない。ただ、目的が記録ではなくアートになるなら、いまでもカメラは面白いと思う。もちろんスマホでもアーティスティックな写真は撮れると思うけど、カメラで写真を撮るのには、なんていうのかなぁ・・・楽しさとか、手作りする感じ、アナログのダイレクトさがある。車でいえばATとMTの違いのような。スマホがATでカメラがMTね。
いや、カメラのほうでもAFにAIが適用されたりとか、高速連射とかで、カメラメーカーは自動化技術を頑張っているので、必ずしも「手作りする感じ、アナログのダイレクトさ」ではない方向性にカメラメーカーさんは突き進んでいるけれども、それはあくまで「スマホと差別化せねばならない」とか「技術は進展させねばならない」というカメラメーカーの宿命とか使命感、常識がそうさせている気がしていて、アートとは別方向の力学が働いていると思う。
「アート」という意味では、いまでもカメラは楽しいし、楽しむためには必ずしも高性能・高機能は必要ないというか、むしろ不便でいいから安くてfun to useなものが、もう少しカメラメーカーから出てほしいなぁと思う。
あと、カメラメーカーにとってスマホとの差別化がビジネス上必要だというのは分かるのだけど、だったら以下のような需要に対応するのはどうなんですかね?
- 監視カメラとか定点カメラ
- ドローン
- 360度被写体を追従してくれるカメラ(360度カメラとかOSMO Pocketのようなもの)
- ライフレコーダー(ドライブレコーダーのようなものだけど、人間の身に付けて「あっ」というイベントが起こったときに後から記録を明示的に残せる」)
- 使い捨てのようなカメラ
- 不便を楽しむカメラ
「いままでのカメラの形」「いままでのカメラの用途」にこだわるから、スマホの登場によって皆が「カメラ」を欲しがらなくなっているのであって、外の世界に目を向ければ、皆が欲しがってスマホでは用途を満たせないような製品はまだまだ作れるんじゃないかと思う。
2024-11-28
# にゃー
カメラ趣味については、個人的にやっすいマニュアルのレンズが好き。なぜなら撮れた写真がすべて自己責任だと思えるから。うまく撮れた写真も失敗した写真も、自分のせいにできる。失敗したときは「あちゃー。次はこうしてみようか、こうしてみたらどうだろうか」と思うことができる。
一方でちゃんとしたレンズを使った場合、撮れた写真をカメラやレンズのせいにしてしまう気がする。うまくいった場合はまだいいのだけど、失敗したとき。「どうしてフォーカスが思ったところに合わなかったんだろう。どうしてゴーストが出るんだろう。どうして思った色味が出ないんだろう」、そうやって「自分ではないもの」のせいにしてしまい、なんというか楽しくない。
ちゃんとしたレンズは、たしかに良いところもあるんだけどね。でも、ちゃんとしてないレンズにも良いところがあるというか。いまどきは、写りも操作性もある程度問題ないと思えるものが安くで入手できる。とくに操作性に関してはマニュアルのほうが便利だし楽しいじゃんと思っている。
一方でちゃんとしたレンズを使った場合、撮れた写真をカメラやレンズのせいにしてしまう気がする。うまくいった場合はまだいいのだけど、失敗したとき。「どうしてフォーカスが思ったところに合わなかったんだろう。どうしてゴーストが出るんだろう。どうして思った色味が出ないんだろう」、そうやって「自分ではないもの」のせいにしてしまい、なんというか楽しくない。
ちゃんとしたレンズは、たしかに良いところもあるんだけどね。でも、ちゃんとしてないレンズにも良いところがあるというか。いまどきは、写りも操作性もある程度問題ないと思えるものが安くで入手できる。とくに操作性に関してはマニュアルのほうが便利だし楽しいじゃんと思っている。
2024-11-02
# にゃー
やばい。超いまさらだけど、自分の中でEmacs祭が始まっている。Emacs超いいじゃん!こんなクールなソフトウェアがあったなんて知らなかった。いや、ずっとずっと使ってたんだけど。知らなかった。その良さに長い長いあいだ気付けなかった。
何が良いって、エディタなのに自分の好きな機能を追加できる。「カスタマイズ」とか「マクロが組める」とかいう領域を遥かに越えている。エディタなのにファイルマネージャとして使えるし、ファイルマネージャ自体も自由にカスタマイズできるというか、自分だけのファイルマネージャを作れる。しかもけっこう簡単に。ファイルマネージャ以外にも、PC上での暮らしを良くするいろいろが作れる。
ただいくつか弱点もあって、その一つはEmacs
Lispでプログラムを書かないといけないこと。ぼくはLispは全然嫌いじゃないし、EmacsはLispを書くためのサポート機能も充実しているけど、それでもやっぱりモダンな言語に比べたら構造化しにくいしメンテナンスしにくいと思う。
だからちょっと複雑な機能を実装したいときは、バックエンドをPureScriptとかの構造化しやすい言語で書いて、Emacsをフロントエンドとして使いたくなる。どんな言語でもたいていそうだろうけど、UIを書くのはけっこう面倒くさい。低レイヤのコードをたくさん書かないといけなくてバグも出やすい。なのに柔軟性に欠ける。EmacsをUIレイヤとして使えばかなり楽できるというか、Emacs使いにはむしろご褒美。良いツールができても他のユーザー(普通の人)に配布しにくいのが難点だけど。
もう一つの弱点はマニュアルが読みにくいこと。他の言語のマニュアルに比べて特段悪いというわけではないけど、良くもない。マニュアルのせいもあってEmacsの良さに気付くのにこんなに時間がかかったのではないかとも思う。Emacsはマニュアルを読む気にならないんだよね。ソースコードも長くて読む気になれないし、ネットで検索するのも難しい。PureScriptのマニュアルとかソースコードなんかは、ミステリー小説を読むみたいに面白く読めるんだけど、そういう感じではない。精進が足りないだけかもしれないけど。
何が良いって、エディタなのに自分の好きな機能を追加できる。「カスタマイズ」とか「マクロが組める」とかいう領域を遥かに越えている。エディタなのにファイルマネージャとして使えるし、ファイルマネージャ自体も自由にカスタマイズできるというか、自分だけのファイルマネージャを作れる。しかもけっこう簡単に。ファイルマネージャ以外にも、PC上での暮らしを良くするいろいろが作れる。
ただいくつか弱点もあって、その一つはEmacs
Lispでプログラムを書かないといけないこと。ぼくはLispは全然嫌いじゃないし、EmacsはLispを書くためのサポート機能も充実しているけど、それでもやっぱりモダンな言語に比べたら構造化しにくいしメンテナンスしにくいと思う。
だからちょっと複雑な機能を実装したいときは、バックエンドをPureScriptとかの構造化しやすい言語で書いて、Emacsをフロントエンドとして使いたくなる。どんな言語でもたいていそうだろうけど、UIを書くのはけっこう面倒くさい。低レイヤのコードをたくさん書かないといけなくてバグも出やすい。なのに柔軟性に欠ける。EmacsをUIレイヤとして使えばかなり楽できるというか、Emacs使いにはむしろご褒美。良いツールができても他のユーザー(普通の人)に配布しにくいのが難点だけど。
もう一つの弱点はマニュアルが読みにくいこと。他の言語のマニュアルに比べて特段悪いというわけではないけど、良くもない。マニュアルのせいもあってEmacsの良さに気付くのにこんなに時間がかかったのではないかとも思う。Emacsはマニュアルを読む気にならないんだよね。ソースコードも長くて読む気になれないし、ネットで検索するのも難しい。PureScriptのマニュアルとかソースコードなんかは、ミステリー小説を読むみたいに面白く読めるんだけど、そういう感じではない。精進が足りないだけかもしれないけど。