メッセージ。 - diary
2007-11-07
# Gauche 0.8.12のZaurus用パッケージを作りました
Gauche 0.8.12が出ていたのに気付いていませんですた。
Zaurus用のパッケージを作って置いときます。コンパイル時には、--enable-multibyte=eucjpしました。また、今回からdbm.gdbmなどを使えるようにしました。(gdbmを使いたいなら別途libgdbmをインストールする必要あり)
http://pikapika.to/~yf/download/gauche_0.8.12-1_arm.ipk
Zaurus用のパッケージを作って置いときます。コンパイル時には、--enable-multibyte=eucjpしました。また、今回からdbm.gdbmなどを使えるようにしました。(gdbmを使いたいなら別途libgdbmをインストールする必要あり)
http://pikapika.to/~yf/download/gauche_0.8.12-1_arm.ipk
2007-11-05
# メモ
2007-11-02
# 熟語の能力
熟語というのは、話し言葉であまり使わないので、好きじゃない面がある。
たとえば「先日」という言葉は、普段しゃべるときには使わない。それはしゃちほこばった言葉であって、心の中にあるものをストレートに表現したいときには、適切な感じがしないから。
心の中にあるものをストレートに表現したいときには、できれば普段使っている言葉をそのまま使いたい。普段は使いもしない言葉や、自分自身が読めないような漢字、横文字、俗語、構文。そういったものを使うとうまく表現できないような気がする(人にもよると思われる)。
ところが、文章を書いていると、普段使いの言葉ではどうも表現能力が足りていないと感じるようなことがある。
たとえば「先日」という言葉は、ぼくの普段使いの言葉でいうと「このあいだ(こないだ)」ということになるのだけど。でも「このあいだ」というのは、活字になっているのを読むと、どうも心にすっと入ってこないようなところがある。
理由を考えてみると、1つには、「このあいだ」という言葉は、「この」という言葉と「あいだ(間)」という言葉の組み合わせのような気がしてしまうというのがあげられる。「この」ってどれを指すんだ?とか「あいだ(間)」ってどれくらいだろう?とか、ニュアンスを解釈する余地が大きくなってしまっているというか。
「この」という文字を読むと、以前に出てきた何かとのかかりうけが一瞬頭に浮かんでしまって、余計に「あいだ(間)」とのあいだで意味が分断されやすいのかもしれない。しかし、かといって「こないだ」という言葉(音)で代用すると、うまく目に入らないように感じられる。「こないだ」という日本語はないような気がするというか、字面として見慣れないので瞬時に頭に入ってこないというか。音や意味としては好きなんだけどねぇ。
そういう問題を考えていると、逆に「先日」という言葉は書き言葉としては能力が高いなぁという風に感じる。「先日」というのはよく見る文字ですっと頭に入ってくるし、単体で使って意味がはっきりしている。「このあいだ」に感じるような後に尾を引く感じがないというか。
話が飛ぶかもしれないけど、普段文章を書くとき、ぼくは普段使いの言葉を使いたい。そのほうが、自分の表現したいものをうまく表現できる気がするし、読み手が知らない単語や受け容れにくい言葉を使わないほうが、うまく伝わるような気がするから。
だから、たとえば熟語や横文字の単語はできるだけ使わないで表現したいと思っている。でも、上に書いたようにひとことで表現できる単語を、「普段使いじゃないからとか、知らない人がいるかもしれないから」という理由で平易な書き方に開くことで、逆に意味があいまいになったりニュアンスが伝わらなかったりすることもあるように思う。
その意味では、横文字の言葉というのはまさに熟語と同じ使い勝手と表現能力がある。横文字の言葉や、まだ生まれて間もないような言葉もあまり使いたくないけど、でも場合によっては使うほうが適切なケースもあるのだなぁなどと考えた。
たとえば「先日」という言葉は、普段しゃべるときには使わない。それはしゃちほこばった言葉であって、心の中にあるものをストレートに表現したいときには、適切な感じがしないから。
心の中にあるものをストレートに表現したいときには、できれば普段使っている言葉をそのまま使いたい。普段は使いもしない言葉や、自分自身が読めないような漢字、横文字、俗語、構文。そういったものを使うとうまく表現できないような気がする(人にもよると思われる)。
ところが、文章を書いていると、普段使いの言葉ではどうも表現能力が足りていないと感じるようなことがある。
たとえば「先日」という言葉は、ぼくの普段使いの言葉でいうと「このあいだ(こないだ)」ということになるのだけど。でも「このあいだ」というのは、活字になっているのを読むと、どうも心にすっと入ってこないようなところがある。
理由を考えてみると、1つには、「このあいだ」という言葉は、「この」という言葉と「あいだ(間)」という言葉の組み合わせのような気がしてしまうというのがあげられる。「この」ってどれを指すんだ?とか「あいだ(間)」ってどれくらいだろう?とか、ニュアンスを解釈する余地が大きくなってしまっているというか。
「この」という文字を読むと、以前に出てきた何かとのかかりうけが一瞬頭に浮かんでしまって、余計に「あいだ(間)」とのあいだで意味が分断されやすいのかもしれない。しかし、かといって「こないだ」という言葉(音)で代用すると、うまく目に入らないように感じられる。「こないだ」という日本語はないような気がするというか、字面として見慣れないので瞬時に頭に入ってこないというか。音や意味としては好きなんだけどねぇ。
そういう問題を考えていると、逆に「先日」という言葉は書き言葉としては能力が高いなぁという風に感じる。「先日」というのはよく見る文字ですっと頭に入ってくるし、単体で使って意味がはっきりしている。「このあいだ」に感じるような後に尾を引く感じがないというか。
話が飛ぶかもしれないけど、普段文章を書くとき、ぼくは普段使いの言葉を使いたい。そのほうが、自分の表現したいものをうまく表現できる気がするし、読み手が知らない単語や受け容れにくい言葉を使わないほうが、うまく伝わるような気がするから。
だから、たとえば熟語や横文字の単語はできるだけ使わないで表現したいと思っている。でも、上に書いたようにひとことで表現できる単語を、「普段使いじゃないからとか、知らない人がいるかもしれないから」という理由で平易な書き方に開くことで、逆に意味があいまいになったりニュアンスが伝わらなかったりすることもあるように思う。
その意味では、横文字の言葉というのはまさに熟語と同じ使い勝手と表現能力がある。横文字の言葉や、まだ生まれて間もないような言葉もあまり使いたくないけど、でも場合によっては使うほうが適切なケースもあるのだなぁなどと考えた。
# 女にとっての「いい男」
先日テレビを見ていたら、ある会社の女性の社長がこんなことを言っていて鋭いなぁと思った。
「女にとって『いい男』ってのは、とにかく話を聞いてくれる人ですよ。アドバイスはいらない。アドバイスされるとむかつくから」。
こんな風にエッセンスを抜き出して、身も蓋もないことを言えるのは賢い人だ。自分のなかにあるものを偽らずに取り出せるのは、ストレートな感性の持ち主ということ。
しかもこの場合テレビで放送されるもの(どこかのカンファレンスでのパネルディスカッションでの一幕を抜き出したもの?)だったので、女性社長としてある一定の仕事をこなしていたように見受けられた。
上記のような発言では、「女性を共感させられる」という女性(社内)に対してのメッセージ性と、「自分の強さ(女らしさと男っぽさ)を見せつけられる」という市場(男社会)に対してのメッセージ性を端的に演出できていたから。女性社長としてなかなかの仕事だと感じた。
それはそれとして。それが、女にとっての「いい男」だというのは理解できるし、ぼく自身は必要に応じて女の人の話はとりあえず聞くことが多い。「女の人ってのは『喋りたい生き物』なんだな」と思うようなところがあるから。
でもときに、「聞くだけ」というのはあえてやらないこともある。女の人の前で「いい男」でいるだけなのは、女の人にとって気分がよいだろうけど、その実気分がよいだけで女の人をダメにするところがある気がするから。
なんていうか、この場合の女にとっての「いい男」というのは、もっといえば「都合のいい男」ってことだ(かもしれない)。たとえば逆に、「男にとって(都合の)いい男というのは、とにかくすぐ脱いでくれる人のことですよ」とか言われたらどうだろう。
女の人は、「そりゃあそうかもしれないけど。でも脱いであげない」と思うんじゃないだろうか。それに、脱いであげることが、男にとってよいことだと考えるのが妥当だとは思えない。
それは単に「都合の良い女(や男や状況)」というだけであって、でも実際には世の中都合の良いことばかりじゃない。短期的には都合のいい女(や男や状況)は「良い」といえるかもしれない。一方で長期的には、「都合が悪い状況でなにができるか」というスキルこそが重要だ。
都合がよすぎてもダメだし、都合が悪すぎてもダメというか。だからたとえば、ぼくは女の人の話は適度に「聞かない」ようにしている。アドバイスもするし対話もする。それらをストップさせようと思えばできるけど、そうはしないという方針でいる(少なくとも最近は)。
「女にとって『いい男』ってのは、とにかく話を聞いてくれる人ですよ。アドバイスはいらない。アドバイスされるとむかつくから」。
こんな風にエッセンスを抜き出して、身も蓋もないことを言えるのは賢い人だ。自分のなかにあるものを偽らずに取り出せるのは、ストレートな感性の持ち主ということ。
しかもこの場合テレビで放送されるもの(どこかのカンファレンスでのパネルディスカッションでの一幕を抜き出したもの?)だったので、女性社長としてある一定の仕事をこなしていたように見受けられた。
上記のような発言では、「女性を共感させられる」という女性(社内)に対してのメッセージ性と、「自分の強さ(女らしさと男っぽさ)を見せつけられる」という市場(男社会)に対してのメッセージ性を端的に演出できていたから。女性社長としてなかなかの仕事だと感じた。
それはそれとして。それが、女にとっての「いい男」だというのは理解できるし、ぼく自身は必要に応じて女の人の話はとりあえず聞くことが多い。「女の人ってのは『喋りたい生き物』なんだな」と思うようなところがあるから。
でもときに、「聞くだけ」というのはあえてやらないこともある。女の人の前で「いい男」でいるだけなのは、女の人にとって気分がよいだろうけど、その実気分がよいだけで女の人をダメにするところがある気がするから。
なんていうか、この場合の女にとっての「いい男」というのは、もっといえば「都合のいい男」ってことだ(かもしれない)。たとえば逆に、「男にとって(都合の)いい男というのは、とにかくすぐ脱いでくれる人のことですよ」とか言われたらどうだろう。
女の人は、「そりゃあそうかもしれないけど。でも脱いであげない」と思うんじゃないだろうか。それに、脱いであげることが、男にとってよいことだと考えるのが妥当だとは思えない。
それは単に「都合の良い女(や男や状況)」というだけであって、でも実際には世の中都合の良いことばかりじゃない。短期的には都合のいい女(や男や状況)は「良い」といえるかもしれない。一方で長期的には、「都合が悪い状況でなにができるか」というスキルこそが重要だ。
都合がよすぎてもダメだし、都合が悪すぎてもダメというか。だからたとえば、ぼくは女の人の話は適度に「聞かない」ようにしている。アドバイスもするし対話もする。それらをストップさせようと思えばできるけど、そうはしないという方針でいる(少なくとも最近は)。
2007-11-01
# 営業という仕事
先日ものの本を読んでいたところ、近年では山本勘助という人物は存在しなかったのではないかという説が有力だったという話が書いてあった。その本の続きを読むと、ところが最近、武田信玄公のしたためた書状が発見され、上記の説が覆されたとのこと。
なんでもその書状は、武田信玄公が支配外の武将との交渉にあたって書いたものだったらしい。当時、そのような国家間の書状は、武将の腹心にあたる者が手渡しで届ける役目を負っており、まさにその任を与えられたのが勘助だったというのだ。
その本では、国家間での交渉にあたって書状を届けるという役目は当時重くとらえられていたと説明されている。というのも、書状を読んだ相手方がどのような反応を示すのか(条件を出してくるのかなど)によって、使者は臨機応変に判断をしすぐさま返事をしなければならなかったからだという。
当然、判断をくだす使者は主の考えをよく理解しておらねばならず、また咄嗟の機転で事態を有利に運べる才能を持ち合わせていなければならなかったとの由。
それを読んでなるほどなぁと思った。一方で現代のビジネスはちょっと変なような気がした。現代のビジネスにおいては、商品企画・製造部門が武将で営業部門が使者のように思われる。ところが営業部門は、商品の販売において腹心といえるほど商品製造部門と連絡を密にしているだろうか。むしろ逆のような気がする。たとえば営業の人材を、製造部門の中から選ぶというような組織はどうなんだろうか。
なんでもその書状は、武田信玄公が支配外の武将との交渉にあたって書いたものだったらしい。当時、そのような国家間の書状は、武将の腹心にあたる者が手渡しで届ける役目を負っており、まさにその任を与えられたのが勘助だったというのだ。
その本では、国家間での交渉にあたって書状を届けるという役目は当時重くとらえられていたと説明されている。というのも、書状を読んだ相手方がどのような反応を示すのか(条件を出してくるのかなど)によって、使者は臨機応変に判断をしすぐさま返事をしなければならなかったからだという。
当然、判断をくだす使者は主の考えをよく理解しておらねばならず、また咄嗟の機転で事態を有利に運べる才能を持ち合わせていなければならなかったとの由。
それを読んでなるほどなぁと思った。一方で現代のビジネスはちょっと変なような気がした。現代のビジネスにおいては、商品企画・製造部門が武将で営業部門が使者のように思われる。ところが営業部門は、商品の販売において腹心といえるほど商品製造部門と連絡を密にしているだろうか。むしろ逆のような気がする。たとえば営業の人材を、製造部門の中から選ぶというような組織はどうなんだろうか。
2007-10-31
# プログラムを書く難しさ
今月(?)起きた改札機/Suicaの障害だけど。あれって「大トラブル」とは到底思えない。
だって、あれが大トラブルだとしたら、阪神大震災とかはなにトラブルなの?
あんなのを大トラブルだなんて言うのはリスク管理に対するスケールが小さすぎるんじゃないかなぁ。
3時間やそこらで復旧したのだし、鉄道システムとして輸送機能自体はほぼ問題ないレベルで稼働してたように思う。
だとしたら、なにが問題なのか。
ソフトウェアやシステムに不具合があるのは当然なのだから、なにかが起こったら運用でカバーをする。
そして今回は、ちゃんと運用でカバーできていたんじゃないかなぁ。
やったことない人には分からなくても仕方ないけど、プログラミングってのは難しいんですよ。
たとえば文章でいうと、原稿用紙何千枚を文字で埋めて、一文字でも誤字脱字・文法ミスがあってはいけないというレベル。
しかもそれを、わけの分からん言語で書いて、わけの分からん相手に読ませなきゃいけない。
1つでも行き違いがあったらバグで、不具合に結びつくかもしれない。
大変なんですよ。
だって、あれが大トラブルだとしたら、阪神大震災とかはなにトラブルなの?
あんなのを大トラブルだなんて言うのはリスク管理に対するスケールが小さすぎるんじゃないかなぁ。
3時間やそこらで復旧したのだし、鉄道システムとして輸送機能自体はほぼ問題ないレベルで稼働してたように思う。
だとしたら、なにが問題なのか。
ソフトウェアやシステムに不具合があるのは当然なのだから、なにかが起こったら運用でカバーをする。
そして今回は、ちゃんと運用でカバーできていたんじゃないかなぁ。
やったことない人には分からなくても仕方ないけど、プログラミングってのは難しいんですよ。
たとえば文章でいうと、原稿用紙何千枚を文字で埋めて、一文字でも誤字脱字・文法ミスがあってはいけないというレベル。
しかもそれを、わけの分からん言語で書いて、わけの分からん相手に読ませなきゃいけない。
1つでも行き違いがあったらバグで、不具合に結びつくかもしれない。
大変なんですよ。