メッセージ。 - diary

2007-10-22

# a

2007-10-22 22:31:41 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-10-13

# 「お前に何が分かるのか?」問題

昨日書いた文章についてだけど。あれを読んだ人はどう感じるのだろうか。いろいろな感じ方があるとは思うけど、1つあるのはこういうやつだと思う。

「お前に何が分かるのか?」

実際に体験したことのないお前に、当事者の気持ちが分かるの? 当事者を助けることができるの?って。

そう言いたい気持ちは分かる。そして、自分だってそう思うときはよくある。自分の悩みや苦労を告白したとき、「わかるわかる」とか、「そういうときはこうしたらいいんだよ」とか言う人がいる。

そういうとき、「何が分かるんだよ」と思ってしまうこともある。でも、相手によっては逆のことを感じるときもあってね。何が違うんだろう、と。それをずっと考えてきた。

それで、1つの結論に達したの。結局のところの違いは、「目の前にいるこの人は、ぼくのことを本当に助けてくれようとしてくれている人なのか、ぼくと一緒に泣いてくれる人なのか」ってこと。

目の前にいる人は、本当に自分の味方なのか。本当に自分のことを大事に思ってくれているのか。ぼくにとって、それを見極めることはすごく重要だって気付いた。そして、それを見極めようと頑張っているうちに、また新しいことに気付いた。

世の中のほとんどの人は、ぼくのことなんてどうだっていいと思っている。しかも、そう思っているにもかかわらず、表面上だけは「分かる」とか「こうすれば助かるよ」とか言ってくる。

たとえば川で溺れている人がいるとする。そのとき、いったい何人の人が、実際に川に飛び込んで助けてくれるだろう。ねぇ、あなたが川で溺れたとして、誰が助けてくれる思う? 川に飛び込んで人を助けるというのは、危険に身をさらすことだ。自分の命まで、生死の線すれすれにまで持っていくことだ。それができる人、自分のためにそれをしてくれる人。(逆に、自分はいったい誰のためなら川に飛び込めるだろうか、とも)

岸の上から心配して声をかけてくれる人はたくさんいる。でも、違うんだ。実際彼らのほとんどは、川に飛び込んでまで自分を助けてくれない。耳障りのいい言葉を投げかけたり、「人が川で溺れないよう柵が必要だ」とか言う人はいる。でも、目の前にいる人に対して、自分の身を危険にさらしてまで助けようとしてくれる人は、かなり少ない。

これは、いじめの構図にもあてはまる。「いじめられている子の味方をしたら自分もいじめられるかもしれない」って、みんないじめる子の側にまわるか遠巻きに眺めるばかり。戦争もそう。教師と教員室の関係もそうだし、学校と社会の関係もそう。だと感じてる。そのぐるぐるした輪の中から、抜けだしたいとぼくは思ってる。
2007-10-13 11:58:33 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

2007-10-12

# 野生

asahi.com:夢見た教壇2カ月 彼女は命を絶った 23歳教諭の苦悩 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/1009/TKY200710080324.html

この記事。なんかよく分からない。はてブとかでも、死んだ彼女が可哀想という論調が多くて、それもよく分からない。

や、そりゃあまぁ可哀想だと思うし大変なんだろうとは思う。SEがデスマーチで死んでいくのと同じぐらい、悲惨な現場なんだろうと思う。

でも、2か月でことを決めてしまうこの人の決断は、早すぎるんじゃないかなぁ。ぼくだったら、たった2か月で何かが分かるはずがないから重大な結論は留保するし、自分にできないのは当たり前だと考える。

だって新任でしょ? まだ2か月でしょ? できるはずがないじゃん。それを「やれ」と言うのなら、むしろ「やれ」と言うほうが無能だ。できない人間でも「できるようにする」、あるいは「できる仕事を与える」というのが有能な人間の仕事。

ぼくができないのは、ぼくだけのせいじゃない。ぼくをできさせない彼らのせいもある。だから、たとえぼくがひどい無能だとしても、その無能を活かせない上司や職場も無能だ。そして逆に、彼らの無能を活かせないのなら、ぼくもまた無能(彼らの能力を活かす力がない)だ。

死ぬなと言いたい。たった2か月で死なないでほしい。苦しくなったら辞めればいいんだ。貯金を全部下ろして南の島に逃げたっていい。親とも友達とも連絡を断って、誰も知らない場所に行ったっていい。でも生きたまま行って、生き続けてほしい。自分が死ぬぐらいだったら、相手を殺せ。相手を殺す意気で自分が生きろ。

そういう気迫というか、野生みたいなものを、少しでも持っていてほしい。そして、同じようなことはこっちの話にも感じる。↓

慣性のある生活 - 一年目の教師が経験した教育現場
http://d.hatena.ne.jp/idiotape/20071010/1192003209

まぁ、ぼくは何も知らない外部の人間で、呑気に外から何かを言うことはできないのだけど。みんなが共感しているほどには、ぼくはこの彼には同意できない。死んだ彼女にも、この彼にも感じるのだけど、線が細すぎるんじゃないかと思う。

彼らの直接の敵は、生徒や親や同僚の教師だったりするのだけど、でも彼らを苦しめているもう1つの大きな要因は、彼ら自身だ。はっきり言って、死ぬか生きるかのひどい状況に陥ったら、ルールなんか捨てちまえばいいんだ。高校生は勉強すべきものだとか、受験が迫っているのにとか、学習計画だとか、上司だとかは小さい問題。

生徒たちが教室で騒ぐとき、教壇に人が立って「騒ぐな」と言っても逆効果だと思う。むしろ教壇から下りて生徒たちの間に入ることが必要なんじゃないかな。彼らが騒ぐのには理由がある。どうしようもなくて、あるいは根拠があって騒いでいる。その原因を取り除いてあげなければ、結果を取り除くこともできない。

貧乏な人を助けてあげようと、「お金を稼げばいいんですよ」と言うようなものだ。池で溺れている人に対して「泳がないと助からないよ」と言うようなものだ。「騒いでいる人に騒ぐなと言う」、その無意味を考えないなら、救われない。教師という立場、学校というもの、そういったルールやフレームの中でしか自分のなすべきことを見ないのなら、子供のような公私の問題を混在させている存在とは対峙できないだろうと考える。
2007-10-12 08:05:16 / ふじさわ / Comment: 3 / Trackback: 0

2007-10-09

# 日記

ぼやきくっくり | Nスペ「激流中国『チベット』」
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid381.html
 女性幹部(?) 「右手を挙げてください。……団結、服従、高効率発展」
 
 従業員一同 「団結、服従、高効率発展。団結、服従、高効率発展。団結、服従、高効率発展」
 
 開業1年。競争を勝ち抜くため、張社長はさらなるコストダウンを決断しました。

まるでおとぎ話を読んでいるようだ。魔女の国のトランプの兵士。
2007-10-09 10:13:31 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-10-06

# 日々

はてブついでに覚書。 - 次元をまたいだ取引は結構高度、かも
http://d.hatena.ne.jp/chanm/20071005/1191554791

好きな感じ。
2007-10-06 00:51:00 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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