メッセージ。 - diary

2007-10-12

# 野生

asahi.com:夢見た教壇2カ月 彼女は命を絶った 23歳教諭の苦悩 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/1009/TKY200710080324.html

この記事。なんかよく分からない。はてブとかでも、死んだ彼女が可哀想という論調が多くて、それもよく分からない。

や、そりゃあまぁ可哀想だと思うし大変なんだろうとは思う。SEがデスマーチで死んでいくのと同じぐらい、悲惨な現場なんだろうと思う。

でも、2か月でことを決めてしまうこの人の決断は、早すぎるんじゃないかなぁ。ぼくだったら、たった2か月で何かが分かるはずがないから重大な結論は留保するし、自分にできないのは当たり前だと考える。

だって新任でしょ? まだ2か月でしょ? できるはずがないじゃん。それを「やれ」と言うのなら、むしろ「やれ」と言うほうが無能だ。できない人間でも「できるようにする」、あるいは「できる仕事を与える」というのが有能な人間の仕事。

ぼくができないのは、ぼくだけのせいじゃない。ぼくをできさせない彼らのせいもある。だから、たとえぼくがひどい無能だとしても、その無能を活かせない上司や職場も無能だ。そして逆に、彼らの無能を活かせないのなら、ぼくもまた無能(彼らの能力を活かす力がない)だ。

死ぬなと言いたい。たった2か月で死なないでほしい。苦しくなったら辞めればいいんだ。貯金を全部下ろして南の島に逃げたっていい。親とも友達とも連絡を断って、誰も知らない場所に行ったっていい。でも生きたまま行って、生き続けてほしい。自分が死ぬぐらいだったら、相手を殺せ。相手を殺す意気で自分が生きろ。

そういう気迫というか、野生みたいなものを、少しでも持っていてほしい。そして、同じようなことはこっちの話にも感じる。↓

慣性のある生活 - 一年目の教師が経験した教育現場
http://d.hatena.ne.jp/idiotape/20071010/1192003209

まぁ、ぼくは何も知らない外部の人間で、呑気に外から何かを言うことはできないのだけど。みんなが共感しているほどには、ぼくはこの彼には同意できない。死んだ彼女にも、この彼にも感じるのだけど、線が細すぎるんじゃないかと思う。

彼らの直接の敵は、生徒や親や同僚の教師だったりするのだけど、でも彼らを苦しめているもう1つの大きな要因は、彼ら自身だ。はっきり言って、死ぬか生きるかのひどい状況に陥ったら、ルールなんか捨てちまえばいいんだ。高校生は勉強すべきものだとか、受験が迫っているのにとか、学習計画だとか、上司だとかは小さい問題。

生徒たちが教室で騒ぐとき、教壇に人が立って「騒ぐな」と言っても逆効果だと思う。むしろ教壇から下りて生徒たちの間に入ることが必要なんじゃないかな。彼らが騒ぐのには理由がある。どうしようもなくて、あるいは根拠があって騒いでいる。その原因を取り除いてあげなければ、結果を取り除くこともできない。

貧乏な人を助けてあげようと、「お金を稼げばいいんですよ」と言うようなものだ。池で溺れている人に対して「泳がないと助からないよ」と言うようなものだ。「騒いでいる人に騒ぐなと言う」、その無意味を考えないなら、救われない。教師という立場、学校というもの、そういったルールやフレームの中でしか自分のなすべきことを見ないのなら、子供のような公私の問題を混在させている存在とは対峙できないだろうと考える。
2007-10-12 08:05:16 / ふじさわ / Comment: 3 / Trackback: 0

2007-10-09

# 日記

ぼやきくっくり | Nスペ「激流中国『チベット』」
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid381.html
 女性幹部(?) 「右手を挙げてください。……団結、服従、高効率発展」
 
 従業員一同 「団結、服従、高効率発展。団結、服従、高効率発展。団結、服従、高効率発展」
 
 開業1年。競争を勝ち抜くため、張社長はさらなるコストダウンを決断しました。

まるでおとぎ話を読んでいるようだ。魔女の国のトランプの兵士。
2007-10-09 10:13:31 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-10-06

# 日々

はてブついでに覚書。 - 次元をまたいだ取引は結構高度、かも
http://d.hatena.ne.jp/chanm/20071005/1191554791

好きな感じ。
2007-10-06 00:51:00 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-10-05

# 狂気と近代

はてブついでに覚書。 - 思考の用語辞典
http://d.hatena.ne.jp/chanm/20070930/1191166037 
 知ってる?かつて狂気は神聖だった。すくなくともプラトンのころ、狂気は両義的なものだったんだ。狂気は理性をうしなった人間の失墜したすがたではある。でも神的なものとの通路でもあった。だから神的な理性というとくべつな地位をみとめられていた。プラトンにとって詩人は、常人にあたえられない通路をつうじて神と交流する者で、それじたい一種の狂気にちかい存在だったんだ。その後ながらく中世まで、狂うことの両義はたもたれていたのに、近代のはじまりにいったいなにが起きたのだろう。そこで人間はぐらりと理性の側にかたむく。
 
 p.157 狂気 foile, alie'nation, Wahsinn

へぇ。こういう歴史は知らなかった。狂気についての感覚は、近代以前の人に共感するなぁ。近代ってやっぱりおかしいような気がする。言うならば、近代人は狂ってる。

それはそれとして独り言。ぼくは、こういう本を読むのは好きじゃないんだよなー。というのも、こういう本を読むのはコミュニケーションをするためにはよいけど、コミュニケーションではない何かをしたい人には役立たないから。

巨人の肩に乗ったり、すでに発見された概念を知ることは、大きな価値があると認める。でもそれが、それこそが自分の問題を解決するのか?と考えると、ぼくの場合は違う。自分の求めていたまさに最後の答が本に書かれているのを発見したとしても、ぼく自身はきっと救われない。

救われないというか、そこで終わらない。そのことについて誰かと話しても話しても渇きはいえない。だから、本を読もうと読むまいと、自分にとっては同じことだ。自分の考えなど陳腐なものであることは分かっている。だけど、だからといってぼくはそれを捨てない。語ることが1つもなくなったって、「語ることがない」と言う。

(一応念のため、本を読むことに価値がないという意味ではないですよ。)
2007-10-05 10:48:54 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# 日々

YouTube - 初音ミクに はじめてのチュウ を歌わせてみた
http://www.youtube.com/watch?v=knX8puDVn_w

これ。たしかに可愛いなぁ……。

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深く考えないで捨てるように書く - 違う人間≠敵対する人間
http://d.hatena.ne.jp/azumy/20071003/1191381908

なんとなく好きな感じだな……。

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なんか、自分の書いた文章を見てると迷宮にはまりこむ。
この文章で、いったい自分が何を言いたいのか分からなくなるし、
相手も分からないだろうなって。

そう思いながらテキストを眺めてると、言葉が分解されて、
まるでじーっと「ぬ」と「ね」ってどう違うんだっけ?と
見つめたときみたいに気が遠くなる感じがする。

いかにも自分の書いたものはフワフワして、つかみどころがなくて。
でもちょっと待てよ。相手の人の書いたものはどうなんだっけ?と
読み返してみると、それはそれで分からなくなってくる。

楽しい気持ちで書かれたものなのか、悲しい気持ちで書かれたものなのか、
それだけでも分かればいいのに。
しょうがないので、意味も分からずとにかく送信ボタンを押す。
2007-10-05 08:00:35 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-10-04

# たまには流行にのって……

YouTube - 初音ミクに古畑任三郎のテーマ曲をアカペラで歌ってもらいました。
http://www.youtube.com/watch?v=ctn9y5Vv-4o&mode=related&search=

これすごかった。いい。


あとこれ。

YouTube - 初音ミク3パートで般若心経木魚付き x4,669
http://www.youtube.com/watch?v=ipZ6S0NmTyk&mode=related&search=

これを聞いてみて思った。40年ぐらい経ってたとき言うことになるのかなぁ、と。「コンピュータがお経を唱えるのを聞いたのは、あのときがはじめてじゃった」って。
2007-10-04 01:05:23 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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