メッセージ。 - diary

2007-10-09

# 日記

ぼやきくっくり | Nスペ「激流中国『チベット』」
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid381.html
 女性幹部(?) 「右手を挙げてください。……団結、服従、高効率発展」
 
 従業員一同 「団結、服従、高効率発展。団結、服従、高効率発展。団結、服従、高効率発展」
 
 開業1年。競争を勝ち抜くため、張社長はさらなるコストダウンを決断しました。

まるでおとぎ話を読んでいるようだ。魔女の国のトランプの兵士。
2007-10-09 10:13:31 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-10-06

# 日々

はてブついでに覚書。 - 次元をまたいだ取引は結構高度、かも
http://d.hatena.ne.jp/chanm/20071005/1191554791

好きな感じ。
2007-10-06 00:51:00 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-10-05

# 狂気と近代

はてブついでに覚書。 - 思考の用語辞典
http://d.hatena.ne.jp/chanm/20070930/1191166037 
 知ってる?かつて狂気は神聖だった。すくなくともプラトンのころ、狂気は両義的なものだったんだ。狂気は理性をうしなった人間の失墜したすがたではある。でも神的なものとの通路でもあった。だから神的な理性というとくべつな地位をみとめられていた。プラトンにとって詩人は、常人にあたえられない通路をつうじて神と交流する者で、それじたい一種の狂気にちかい存在だったんだ。その後ながらく中世まで、狂うことの両義はたもたれていたのに、近代のはじまりにいったいなにが起きたのだろう。そこで人間はぐらりと理性の側にかたむく。
 
 p.157 狂気 foile, alie'nation, Wahsinn

へぇ。こういう歴史は知らなかった。狂気についての感覚は、近代以前の人に共感するなぁ。近代ってやっぱりおかしいような気がする。言うならば、近代人は狂ってる。

それはそれとして独り言。ぼくは、こういう本を読むのは好きじゃないんだよなー。というのも、こういう本を読むのはコミュニケーションをするためにはよいけど、コミュニケーションではない何かをしたい人には役立たないから。

巨人の肩に乗ったり、すでに発見された概念を知ることは、大きな価値があると認める。でもそれが、それこそが自分の問題を解決するのか?と考えると、ぼくの場合は違う。自分の求めていたまさに最後の答が本に書かれているのを発見したとしても、ぼく自身はきっと救われない。

救われないというか、そこで終わらない。そのことについて誰かと話しても話しても渇きはいえない。だから、本を読もうと読むまいと、自分にとっては同じことだ。自分の考えなど陳腐なものであることは分かっている。だけど、だからといってぼくはそれを捨てない。語ることが1つもなくなったって、「語ることがない」と言う。

(一応念のため、本を読むことに価値がないという意味ではないですよ。)
2007-10-05 10:48:54 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# 日々

YouTube - 初音ミクに はじめてのチュウ を歌わせてみた
http://www.youtube.com/watch?v=knX8puDVn_w

これ。たしかに可愛いなぁ……。

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深く考えないで捨てるように書く - 違う人間≠敵対する人間
http://d.hatena.ne.jp/azumy/20071003/1191381908

なんとなく好きな感じだな……。

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なんか、自分の書いた文章を見てると迷宮にはまりこむ。
この文章で、いったい自分が何を言いたいのか分からなくなるし、
相手も分からないだろうなって。

そう思いながらテキストを眺めてると、言葉が分解されて、
まるでじーっと「ぬ」と「ね」ってどう違うんだっけ?と
見つめたときみたいに気が遠くなる感じがする。

いかにも自分の書いたものはフワフワして、つかみどころがなくて。
でもちょっと待てよ。相手の人の書いたものはどうなんだっけ?と
読み返してみると、それはそれで分からなくなってくる。

楽しい気持ちで書かれたものなのか、悲しい気持ちで書かれたものなのか、
それだけでも分かればいいのに。
しょうがないので、意味も分からずとにかく送信ボタンを押す。
2007-10-05 08:00:35 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-10-04

# たまには流行にのって……

YouTube - 初音ミクに古畑任三郎のテーマ曲をアカペラで歌ってもらいました。
http://www.youtube.com/watch?v=ctn9y5Vv-4o&mode=related&search=

これすごかった。いい。


あとこれ。

YouTube - 初音ミク3パートで般若心経木魚付き x4,669
http://www.youtube.com/watch?v=ipZ6S0NmTyk&mode=related&search=

これを聞いてみて思った。40年ぐらい経ってたとき言うことになるのかなぁ、と。「コンピュータがお経を唱えるのを聞いたのは、あのときがはじめてじゃった」って。
2007-10-04 01:05:23 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-10-03

# 魔女狩りについて

魔女狩りについて、ふじさわが得ている感触は、次のとおり。

魔女狩りは過去に存在した奇妙で特殊な事件ではない。それは現代でも(いままさにこの瞬間も)行われている。

たとえば、「ホテルルワンダ」という映画で語られた同一民族どうしの大虐殺もそうだし、毎日テレビで放送されているワイドショーもそう。不二家やライブドアを叩いて知識人でございって顔しているニュース番組もそうだし、第二次世界大戦へと走った日本人たちもそう。いじめという現象もそう。

だから別に、はてなが特殊なわけではない。テレビが特殊なわけでもない。日本人や男や女が特殊で愚かなわけでもない。ガイジンさんやアメリカ人や、帝国主義者が特殊で愚かなわけでもない。人間というのが、弱いからこうなっている。

人間というのは、どこかに悪の根源があると考えてしまう。銀の弾丸が存在すると考えてしまう。暴れん坊将軍やスーパーマンを見て快感を刺激されてしまう。自分が正義だと考えてしまう。自分の罪から目をそらしてしまう。人間は動物とは違うと考えてしまう。人殺しは悪いことだと考えてしまう(「人殺しは悪い」という価値観は、裏を返せば「人でなければ殺していい」ということだ)。正義や真理がどこかに存在すると考えてしまう。我思う故に我ありと考えてしまう。それらは、人間というものが弱いからだ。

だから、魔女狩りという概念は、もっと普通に使われていいと思う。心と同じぐらい、空気と同じぐらい、友達と同じぐらい、ごはんと同じぐらい、イノベーションと同じぐらい、貧乏父さんと同じぐらい、コロンブスの卵と同じぐらい、青い鳥と同じぐらい、普遍的な概念ではないかと思っている。
2007-10-03 23:51:42 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 幻想世間

赤の女王とお茶を - 2007-09-28
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20070928#p1
 「村の掟」・「故郷の土」・「会社のため」・「市場*1」・「Web2.0」・「公」
 
 結局、幻想世間は田舎のみならず、日本に遍在しているのです。

ふむふむ。これはまったく同意なんだけど。同意するからこそ、

 「生活世間」は(中略)今後の日本で一層重要になってくる

え? 自己矛盾じゃね? 「今後の日本」って、まさしく「幻想世間」でしょ?

 「大いなるもの」を騙って人や世の中を動かそうとする田吾作さん達には早めに御退場願いましょう。それこそが真の集団知システムを作動させる大前提ですから。

「集団知システムを作動させる」ことが善だという考え(もしそういう考えがあるのなら)も「幻想世間」で「大いなるもの」のような気が。

 個人の心の中に「大いなるもの」を持つのは結構ですが、それを集団の原理にしてはならないのです。

これ(↑。「してはならない」という言説)自体が「大いなるもの」ですよね……。

や、まぁ語ろうとするもの(対象や目的など)によっては、そういう部分を捨象するやり方ももありだと思うし、また自己破壊的表現方法の可能性があるので、読み違えているかもしれません。
2007-10-03 09:02:08 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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