メッセージ。 - diary
2007-07-27
# 自分を愛せない人は、自分以外の人も愛せない
やっぱり家が好き - 多分それぞれ想像している場面が違うんだとは思うんだけど
http://d.hatena.ne.jp/quiznos/20070726/p3
直接的にはこのへん(↑)から。
自分を愛せない人は、自分以外の人も愛せない。
だから、自分のことを、愛していいんだよ。そういうことだよね。
あと、蛇足だけど。もし「あなた」が、自分のことを愛せないのなら、
その原因を突き詰めて言えば、あなたのお父さんやお母さんが、
自分自身を愛せない人だった(あるいは彼らの関係が破滅的だった)と
いうことが考えられる。
このケースで、もしあなたがあなたのお父さんやお母さんのことを
嫌いなら、「彼らのように生きるな」と、ぼくは言いたい。
彼らのことが嫌いなら、彼らのように生きるな。彼らとはまるで反対に
生きて、彼らとはまるで反対に、自分や自分以外の人のことを愛して
生きたほうがいい。
そしてもしあなたが、彼らのことを好きなら、彼らのことを愛するように、
自分や自分以外の人を愛して生きればいい。
http://d.hatena.ne.jp/quiznos/20070726/p3
直接的にはこのへん(↑)から。
自分を愛せない人は、自分以外の人も愛せない。
だから、自分のことを、愛していいんだよ。そういうことだよね。
あと、蛇足だけど。もし「あなた」が、自分のことを愛せないのなら、
その原因を突き詰めて言えば、あなたのお父さんやお母さんが、
自分自身を愛せない人だった(あるいは彼らの関係が破滅的だった)と
いうことが考えられる。
このケースで、もしあなたがあなたのお父さんやお母さんのことを
嫌いなら、「彼らのように生きるな」と、ぼくは言いたい。
彼らのことが嫌いなら、彼らのように生きるな。彼らとはまるで反対に
生きて、彼らとはまるで反対に、自分や自分以外の人のことを愛して
生きたほうがいい。
そしてもしあなたが、彼らのことを好きなら、彼らのことを愛するように、
自分や自分以外の人を愛して生きればいい。
2007-07-22
# ハッカーは面白い仕事しか請けない
404 Blog Not Found:Web業界の底上げとか崇高な考えがあるなら、お前ら率先して金取ろうよ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50874804.html
んー。んーーーーーーーーーーーー。弾さんの意見って、なんか好きじゃないなぁ。
ハッカーの人は、確かに安いお金で仕事を請けることはある。もらうお金が少ないことを嫌だと思っていない。でもそのかわり、ハッカーは面白い仕事しか請けない。というか、ハッカーの人は面白い仕事しかできない。お金の問題じゃないのです。彼らは、金額が安い仕事であっても、それが面白いなら請けざるを得ない。ハッカーの人は、性格的に興味のあることしかできなくって、だからこそハッカーになったんだと思う。
ハッカーの人のところに面白い仕事の依頼が来たとき、「これでは安すぎるから」と言ってもっとたくさん要求をして、その仕事がポシャったらどうなる? 損をするのはハッカーの人自身だと思うし、業界としても損をしていると思う。面白い仕事というのは、作り手だけが面白がるのではなくて、受け手(クライアントや最終消費者)も面白がってしまうものだと思うから。そういうのこそ、業界の底上げに役立つだろう。
でも実際には、仕事が面白いかどうかは、依頼が来たときには分からないことが多い。仕事の面白さの1つは、相手がハッカーの人であるかどうかにもかかわってきて、その真贋を見極めるのに時間がかかるから。また、相手の人(直接の担当者)だけじゃなくて、そのバックにある会社のハッカー度みたいなものも大きな要因になる。これは、仕事を発注するクライアント側からしても同じで、相手の見極めは難しい。
だから、金額としてはある程度ならしてしまうしかなくなるのだと思う。自分に能力があるからといって、高い金額ばかり要求していたら、単に金持ちのクライアントからしか発注が来なくなる。そういう金持ちのクライアントが、ハッカーばかりならいいけど、大手というだけでつまらない仕事を持ち掛けてくるところも多いだろう。そして、高い発注ばかり請けている間に、お金はないけど面白い仕事を持ってくるようなクライアントを見落とすことになってしまう。これはクライアントからしても同じで、お金の扱いのうまさと、ハッカーの能力は、必ずしも線形対応にならない。
お金をたくさん貰うようなスタープレイヤーを見て、若い人の中には憧れる人もいるだろう。でも、お金だけがものや人の価値を表すものではないよね。価値の高いものが高価であるほうがいいだろうけど、そんな単純なものではない。本物のハッカーなら、お金は価値を測るたくさんの指標のうちの1つにすぎない」と早晩理解する。「ものの価値が、お金で適正に評価できればいいのに」と思ってしまうのは理解できる。でも世の中、良いものが高価になるかどうかと言えば、実際には線形と言えるほどには対応しない。価値評価としてのお金というシステムは、必ずしも期待したとおりに機能しているとは言えないし、今後も機能しないだろう。
それはつまり、民主主義の優秀度と同じで、民衆が愚かならその市民に支えられている国も愚かしい行動をしてしまうということだ。そして実際、世の中にはつまらない行動や決定ばかりしている国も、つまらない商品も、あふれている。彼らをお金の力で導こうと、あるいはお金の機能を取り戻そうと頑張るのは1つの方法だろう。でも、ぼくから見れば、その試みが成功するかは悲観的に思える。
「ハッカーは面白い仕事しか請けない」という受注側の論理は、「面白い仕事を持っていかないとハッカーには請けてもらえない」と発注側の負担になる。それはつまり、「高価」ということだ。お金をたくさん積んでやっと、あの人に請けてもらえるとか、あるいはいくら積んでも面白い仕事を持っていけないことには、あの人には請けてもらえないとなる。そういう行動原理は、ある種の仕事や人や業界を「高価」にする1つの方策であって、優秀な人がお金をたくさん取るという方策と比べて、少なくとも遜色はない。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50874804.html
んー。んーーーーーーーーーーーー。弾さんの意見って、なんか好きじゃないなぁ。
ハッカーの人は、確かに安いお金で仕事を請けることはある。もらうお金が少ないことを嫌だと思っていない。でもそのかわり、ハッカーは面白い仕事しか請けない。というか、ハッカーの人は面白い仕事しかできない。お金の問題じゃないのです。彼らは、金額が安い仕事であっても、それが面白いなら請けざるを得ない。ハッカーの人は、性格的に興味のあることしかできなくって、だからこそハッカーになったんだと思う。
ハッカーの人のところに面白い仕事の依頼が来たとき、「これでは安すぎるから」と言ってもっとたくさん要求をして、その仕事がポシャったらどうなる? 損をするのはハッカーの人自身だと思うし、業界としても損をしていると思う。面白い仕事というのは、作り手だけが面白がるのではなくて、受け手(クライアントや最終消費者)も面白がってしまうものだと思うから。そういうのこそ、業界の底上げに役立つだろう。
でも実際には、仕事が面白いかどうかは、依頼が来たときには分からないことが多い。仕事の面白さの1つは、相手がハッカーの人であるかどうかにもかかわってきて、その真贋を見極めるのに時間がかかるから。また、相手の人(直接の担当者)だけじゃなくて、そのバックにある会社のハッカー度みたいなものも大きな要因になる。これは、仕事を発注するクライアント側からしても同じで、相手の見極めは難しい。
だから、金額としてはある程度ならしてしまうしかなくなるのだと思う。自分に能力があるからといって、高い金額ばかり要求していたら、単に金持ちのクライアントからしか発注が来なくなる。そういう金持ちのクライアントが、ハッカーばかりならいいけど、大手というだけでつまらない仕事を持ち掛けてくるところも多いだろう。そして、高い発注ばかり請けている間に、お金はないけど面白い仕事を持ってくるようなクライアントを見落とすことになってしまう。これはクライアントからしても同じで、お金の扱いのうまさと、ハッカーの能力は、必ずしも線形対応にならない。
お金をたくさん貰うようなスタープレイヤーを見て、若い人の中には憧れる人もいるだろう。でも、お金だけがものや人の価値を表すものではないよね。価値の高いものが高価であるほうがいいだろうけど、そんな単純なものではない。本物のハッカーなら、お金は価値を測るたくさんの指標のうちの1つにすぎない」と早晩理解する。「ものの価値が、お金で適正に評価できればいいのに」と思ってしまうのは理解できる。でも世の中、良いものが高価になるかどうかと言えば、実際には線形と言えるほどには対応しない。価値評価としてのお金というシステムは、必ずしも期待したとおりに機能しているとは言えないし、今後も機能しないだろう。
それはつまり、民主主義の優秀度と同じで、民衆が愚かならその市民に支えられている国も愚かしい行動をしてしまうということだ。そして実際、世の中にはつまらない行動や決定ばかりしている国も、つまらない商品も、あふれている。彼らをお金の力で導こうと、あるいはお金の機能を取り戻そうと頑張るのは1つの方法だろう。でも、ぼくから見れば、その試みが成功するかは悲観的に思える。
「ハッカーは面白い仕事しか請けない」という受注側の論理は、「面白い仕事を持っていかないとハッカーには請けてもらえない」と発注側の負担になる。それはつまり、「高価」ということだ。お金をたくさん積んでやっと、あの人に請けてもらえるとか、あるいはいくら積んでも面白い仕事を持っていけないことには、あの人には請けてもらえないとなる。そういう行動原理は、ある種の仕事や人や業界を「高価」にする1つの方策であって、優秀な人がお金をたくさん取るという方策と比べて、少なくとも遜色はない。
2007-07-21
# 「自分のもの」
深く考えないで捨てるように書く - ブックマークコメント、ブログコメント、トラックバック
http://d.hatena.ne.jp/azumy/20070721/1184982353
ああ、まさしく最近、そういうことを考えているのだった。「SNSはメールの延長線上にある」と考えてdmf.scmを作っているのも、そういうこと。つまり、マイミクも、もらったプライベートメッセージも、コメントも、自分が書いた日記も、「自分のもの」だ。そして、自分のものが増えるからこそ、嬉しいのだと思う。それがSNSの「面白さ」。一時期、「You gatta mail!」というあのメッセージがインターネットの楽しさを示すものとして象徴的に使われたけど、SNSは結局あれの延長線上を歩いているのだと考えた。「自分のもの」をどう扱うか、そこをソフトウェア的に実装するのが1つの重要な観点だと最近は思っている。
http://d.hatena.ne.jp/azumy/20070721/1184982353
私の書いたブックマークコメントは、私のもの。確かに他のブログやページとリンクしてはいるが、自分で管理編集するものである以上、リンク先ページの付属物ではなく、自分のもの。
ああ、まさしく最近、そういうことを考えているのだった。「SNSはメールの延長線上にある」と考えてdmf.scmを作っているのも、そういうこと。つまり、マイミクも、もらったプライベートメッセージも、コメントも、自分が書いた日記も、「自分のもの」だ。そして、自分のものが増えるからこそ、嬉しいのだと思う。それがSNSの「面白さ」。一時期、「You gatta mail!」というあのメッセージがインターネットの楽しさを示すものとして象徴的に使われたけど、SNSは結局あれの延長線上を歩いているのだと考えた。「自分のもの」をどう扱うか、そこをソフトウェア的に実装するのが1つの重要な観点だと最近は思っている。
2007-07-20
# ちょっとメモ
Say::So? - ノート関連の話をちらちらと読みながら思ったこと
http://d.hatena.ne.jp/b_say_so/20070719/1184821114
この話を読みながら思ったのだけど。学生がノートを取らないのは、ノートを取る意義が分かってないからなんじゃないかなぁ。かくいうぼくも、学生時代はノートをうまく取れなかったし、あまりちゃんとノートを取っていなかったほうだから、ノートを取らない学生の気持ちは、分かるような気がする。
たとえば今、自分の身を振り返ったとき。仕事の最中に紙のノートこそ取らないものの、メモ用Wikiには膨大なテキストを残している。それはなぜかというと、「メモを取らなかったことで大変困った」という体験が多かったせいである。
たとえば使っているシステム(OSとか)がエラーになって、それを解決したいとき、エラーメッセージを残しておかなかったら、誰かに何かを尋くのもままならない。またプログラミングをしていて「あの情報どこのWebページにあったかな」と思うことは頻繁にあるし、仕事中に「一年前に提出した書類、また今年も出さなきゃいけないんだけど、去年のデータ残ってないかな?」と思うこともよくある。
そういったとき、データを残しておかなければ困ってしまってほとんど仕事が進まなくなる。今のぼくにとって、ノートというのは、取っておくことが仕事でも趣味でも死活問題に直結している。でも、学生のときには、そこまでこんを詰めて何か(勉強にせよ趣味にせよ)をやっているということがなかったんだな。あのころはとくに、データを残しておかなければいけないこと、というのがあまりなかったように思う。
だから、学生がノートを取らないというのも、ぼくから見ればまぁ当然というか、しょうがないことのようにも思われる。彼らはそのことで、困ったことがないのだ。ぼくも当時、ノートを取らなくても困らなかったし(だって同じようなことが、すでに参考書に書いてある!)、全然、本当に全然、うまく使いこなせていなかった。それと同じことを、今もみんなも感じているんじゃないのかなぁ。
だからたぶん、ノートを取りなさいとか言ってもしょうがない。放っとけばいいのだ。そのことで困るという体験をしなければ、どうせ彼らの身には付かない。自分だって、最近やっと身に付いてきたところだもの。教職の側からやらなければいけないのは、むしろノートを取らない学生たちをいかに困らせ、いかに問題に気付かせる(問題を手渡し、共有する)ことなんじゃないかという気がする。
追記:b_say_soさんの文章を最後まで読んでみたら、同じようなことが書いてあった。あにゃー。
http://d.hatena.ne.jp/b_say_so/20070719/1184821114
この話を読みながら思ったのだけど。学生がノートを取らないのは、ノートを取る意義が分かってないからなんじゃないかなぁ。かくいうぼくも、学生時代はノートをうまく取れなかったし、あまりちゃんとノートを取っていなかったほうだから、ノートを取らない学生の気持ちは、分かるような気がする。
たとえば今、自分の身を振り返ったとき。仕事の最中に紙のノートこそ取らないものの、メモ用Wikiには膨大なテキストを残している。それはなぜかというと、「メモを取らなかったことで大変困った」という体験が多かったせいである。
たとえば使っているシステム(OSとか)がエラーになって、それを解決したいとき、エラーメッセージを残しておかなかったら、誰かに何かを尋くのもままならない。またプログラミングをしていて「あの情報どこのWebページにあったかな」と思うことは頻繁にあるし、仕事中に「一年前に提出した書類、また今年も出さなきゃいけないんだけど、去年のデータ残ってないかな?」と思うこともよくある。
そういったとき、データを残しておかなければ困ってしまってほとんど仕事が進まなくなる。今のぼくにとって、ノートというのは、取っておくことが仕事でも趣味でも死活問題に直結している。でも、学生のときには、そこまでこんを詰めて何か(勉強にせよ趣味にせよ)をやっているということがなかったんだな。あのころはとくに、データを残しておかなければいけないこと、というのがあまりなかったように思う。
だから、学生がノートを取らないというのも、ぼくから見ればまぁ当然というか、しょうがないことのようにも思われる。彼らはそのことで、困ったことがないのだ。ぼくも当時、ノートを取らなくても困らなかったし(だって同じようなことが、すでに参考書に書いてある!)、全然、本当に全然、うまく使いこなせていなかった。それと同じことを、今もみんなも感じているんじゃないのかなぁ。
だからたぶん、ノートを取りなさいとか言ってもしょうがない。放っとけばいいのだ。そのことで困るという体験をしなければ、どうせ彼らの身には付かない。自分だって、最近やっと身に付いてきたところだもの。教職の側からやらなければいけないのは、むしろノートを取らない学生たちをいかに困らせ、いかに問題に気付かせる(問題を手渡し、共有する)ことなんじゃないかという気がする。
追記:b_say_soさんの文章を最後まで読んでみたら、同じようなことが書いてあった。あにゃー。