メッセージ。 - diary

2007-07-06

# 日記

ちょっと前にビオレのCMだかで、SHIHOさんが「よいしょー」とか言ってソファーに座るシーンがあって可愛らしく、日頃真似しているうちに口癖になってしまった。そして口癖になっていることに昨日?一昨日?気付いたのだけど、ベッドから立つのにも「よいしょー」、ベッドに座るときにも「よいしょー」、ノートパソコンを開くときも「よいしょー」、トイレに行こうと思って「よいしょー」、お茶を飲もうとして「よいしょー」と言っている自分を発見し、愕然とした。「もうこの癖直す!」と思ったのだけど、会社で「ちょっと打ち合わせしよっか」と言われたときにも、「はい」と言いつつメモ帳を手に「よいしょー」と小声で言ってしまっている。うがががが。

 ----

malaさんがFastladderというのを作って公開されたということで、遅ればせながRSSリーダーを使おうと思ったのだけど、アカウントを取ってしばらく使ってみたところ、なーんか自分が求めているものとは違う。要するにぼくは、RSSMixみたいなことをしたいのだけど、その機能がないのだ。なんつーか、サイトごとにRSSを読むのじゃなくて、エントリを新しい順に並べかえて読んだりはできないの? 「RSSリーダーってこういうものなのかな?」と思い、ThunderbirdのRSSリーダー機能を使ってもみたのだけど、おんなじような感じ。ふんがー。あと、Fastladderはドメインクッキーを使っているようで、w3mでは読めませんでした。最近ちょっと、規模の大きいWebアプリを考えているのだけど、ドメインクッキーというのは悩ましい問題ですね。>おさかなラボ - MixiとCookieドメイン
2007-07-06 11:26:14 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# ライオンは我が子を崖から

はてなブックマーク - 不倒城: 幸せを主張しろ、という声を挙げてみる
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://mubou.seesaa.net/article/46399913.html

 2007年07月04日 white_cake white_cake 同感ではあるのだけれど、「幸せそうなひとの記事を読むと死にたくなる」とか、「耳をすませばをみると死にたくなる」とか言う人が大勢いるwebという場所で、幸せを主張するのは難しい

ねぇ、これ。難しいのは分かるけどさ。分かるけど。でも難しいからこそ、やらなくちゃいけないことだと思うんだ。

ライオンは、我が子を崖から突き落とすって言うでしょう? これって、実際にやるライオンがいるかどうかは知らないけど。でも、こう、大事な人だからこそ、厳しく接しなきゃいけないときって、あると思うんだよね。

大事な人だからって、傷付けないように接するというのは、よくないんじゃないかな。崖から我が子を突き落とすって、難しいことだよ。でも、難しいけどやるんだ。やらなくちゃ。そう思わない?
2007-07-06 10:46:21 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-07-05

# 日々

価値の源泉を我々は持っている。そこから湧き出る水を、みんなに配ればいい。
そして、どんどん配った水がみんなを潤していれば、誰かは自然にお返しをしてくれるようになる。
いくばくかの物が返ってくる。
そして泉は、そう簡単に枯渇しなくって。だから心配はいらないんです。

自分の取り分を最初に考えて、「取り分が欲しい」、「取り分が欲しい」とばっかり言っていて、
どうしようというのか。価値を提供してこそ、取り分がもらえるわけでしょう?
だから我々は、まず、その価値とは何なのかを考えなきゃいけない。そうしないと、取り分ももらえない。

なのに、会議室で話されているのはその反対。
「提供できる価値が何で、どれくらいあるか」ではなくて、
「どうすれば取り分がもらえるか」、「どれだけ取り分がもらえるか」ばっかり。
価値を提供しないで取り分がもらえるわけないじゃん。ばっかみたい。

本当にね。本当に我々は、価値の源泉を持ってるんですよ。だから大丈夫。
みんなが「面白い」と言って喜んでくれるだけのものを、我々はたくさん、
これからもずっと、この泉から汲み出すことができる。ずっとずっとそれは尽きない。
だからどんどんそれを配ればいい。それが我々のやるべき仕事です。
2007-07-05 22:37:54 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 日記

http://d.hatena.ne.jp/laddertothemoon/20070702/p1

 ----

ちなみにぼくは、「なりたい自分に、なれると思う派」。
やりたいことや、好きなことをやってれば、なりたい自分にはなれると思う。

とはいえぼくだって、「好きなことをやれって言われても、
あんなことやこんなことをしたら、あの人に迷惑だろうか」って思ってしまうし、
「自分はわがままなんじゃないか」って、ついつい弱気になってしまうけど。

でもね。そういうときは、たとえばお父さんやお母さんのことを思い出して
みると、いいように思う。

「自分が好きなことややりたいことをやって、お父さんやお母さんは、
迷惑に感じるだろうか」、「わがままだって怒られるだろうか」。

たぶん彼らは、「迷惑だ」とか「わがままだ」とか「傷付いた」と言わないし、そう感じない。
そりゃあ少しは、戸惑ったり怒ったりするかもしれないけど。

でも、あなたがやりたいことをやって、幸せで笑っているのなら、
彼らはきっと、最後には「それでいい」って言ってくれると思う。
だから逆にね。あなたは、あなたのやりたいことを、やってみたらどうかな?

それが誰かを傷付けるとしても、あなたのお父さんやお母さんを
傷付けることになったとしても、それでいいって、彼らは言ってくれるんじゃないかな。
それが、あなたのことを好きだってこと。
2007-07-05 10:26:41 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-06-30

# 日記

ドコモとソフトバンクが、iPhoneを獲得しに走っているそうだけど。
それはそれとして、任天堂に携帯を作ってもらうよう、交渉をしてはどうなのか。
あるいは、宮崎駿に声をかけてもいい。
それでこそ競争になる、というもののような気がする。
2007-06-30 19:52:59 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

2007-06-29

# メモ

ニキビとビキニって、似てるね。

 ----

自分にとって楽しいこと、うれしいことをやっていたら、
いつの間にかそれがほかの人も楽しませていた、役に立っていた、
というのが理想です。できればそういうものを作りたいですね。

 ----

「デジカメは便利だけど、でもそれで、いい写真が撮れるようになったかは、よく分からない。」

「そうですね。たとえば昔のテレビCMは、素朴だったけど工夫もあって、驚かされたり、
キャッチコピーを口ずさんだりさせられたりしたものです。でも最近のCMでは、驚くべきような映像で
あっても贋作を見ているような、つまらなさがあるかもしれません。気が置けないの反対というか、
『どうせ作りものだから』と思ってしまいますよね。受け手も作り手も。
そこには、奇妙な緊張感というか、ざらざらした感じがあるような気がします。

要するに、微妙な距離感があるんですよね。素直に感動できない、うまく共感できない。
作り手と受け手の間に、暗くてよく分からないデジタルの溝ができてしまっている。
時代性を感じられない時代というか。まぁよく言えば混沌、ですかね。
でも、そんな中でも光明のようなものはあって、ネットやデジタルだって案外悪いものじゃない、というかね。そういうものも見え隠れしていますよね。」

 ----

「ダイ・ハード4.0」かぁ……。原題はどうなってるんだろう。
2007-06-29 10:44:29 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-06-28

# 日々

ねぇ。ぼくはこう思うんだ。

ぼくは男だし、もういい歳だし、……そうだなぁ、ずいぶん
目が悪かったり、最近はおなかがポッコリだったり、頭が
薄くなるんじゃないかと危惧されいたりするけど、その部分を
根拠に、他人から何かをしてもらっても、全然うれしくない。

たとえば、ぼくの目が悪いという理由で、授業や映画館で
前の席に座らせてもらうことができても、ぼくはそれを
「嬉しい」とは思わないし、「優しくしてもらった」とも
思わない。

また別の例でいうと、ぼくがもういい歳だからという理由で、
若い人より平均的によい給料をくれたり、上座に座らせて
もらったりしても、「嬉しい」とは思わないし、「優しくして
もらった」とも思わない。

またたとえば、ぼくが仮にキムタクのように恰好のいい人
だったとして、女性からモテたり、楽できらびやかな仕事を
もらえたり、何かいろいろとトクをすることができたとしても、
「嬉しい」とは思わないし、「優しくしてもらった」とも
思わない。

そんなことは、単に制度の都合か、「そういうものだ」と
いう集合意識の惰性に過ぎない。つまり、そこには感動がないし、
発見がないし、本当のことがない。
満たされない。そんなことでは、自分が満たされない。

どうせなら。ずっとずっと後になって、「ああ、あのとき
あの人は、こんなこと言ったよな……」とか、「あのとき、
一緒に街中歩きまわったよな……」とか、思い出せるような
記憶が欲しい。あの人と一緒の時代を過ごせた喜びとか、
交わした一言をずっとずっと覚えてるとか、そういうものを
感じたい。

それがぼくにとって優しさだ。単に「○○してもらった」とか、
男だからとかキムタクだからとか、おなかがぽっこりだからとか、
目がいいからとか、そういうものは、単なる現象、事実、
シンタックスであって、セマンティクスではない。

ぼくはね、そう思うんだよ。……で、きみはどう思うの?って
話なんだけどさ。自分が男であるとか、女であるとか、
貧乏であるとか、ソンをしているとか、そういうことは事象と
して厳然と存在しているとは、思う。でも、そんなのに
振り回されるのって、つまらなくない? 自分が女であるとか、
人間であるとか、そんなこと! 本当は、どーーーーーーだって良くない?
もっと面白い遊びをしたいよ。きみとは。
2007-06-28 10:42:52 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
recent days<< | >>old days