メッセージ。 - diary

2007-06-27

# 私信というか

あろはさんにリンクしていただいたので、リンクを貼り返しておきます。
http://alohakun.blog7.fc2.com/

んー。なにか書きたいと思ったけど、なにを書いていいか分からん。
2007-06-27 10:11:46 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 「傷つく」って、どういうことか

wHite_caKe - 「傷ついた」、「傷つけたくない」、「傷つかずに生きられる人間はいない」、「傷つけることを恐れるな」等の言葉を聞く度に思い出すのは
http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20070623/1182569849
http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20070625/1182770910

そうなんだよなぁ〜。
こういうところを分かってくれるから、シロイさんは好きだ。
(でも、分かってるくせに、たまにメソメソしているからなぁ、とも思う。
あれ? 今思えば、メソメソしてるってのは単なるレトリックかなぁ)
2007-06-27 09:54:34 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-06-26

# セクハラってなんやったっけ?

なんかさ、おれらが子供だったときには、「セクハラ」なんて言葉はなかったよね?
でさ。初めて「セクハラ」って言葉を聞いたとき、「え?なにそれ?」って思わなかった?
説明を聞くと、「会社の男性上司が部下の女性に嫌がらせをすることだよ」とか言われて、
ふーん、大人の世界には、嫌なこともあるもんだなぁと思ったり。

でも、なんか意味を受け容れがたくなかった? なんつーか、セクハラって言葉は
定義が曖昧すぎるというか。そもそもは、「会社の男性上司が部下の女性に○○すること」
以上の意味はなかったと思うんだけど。なんか、最近のセクハラ議論ってのは、
この辺の感覚からずいぶん遠くに来ちゃってるよね?

思うんだけど。「ハラスメント」ってのはさ、たぶん英語の概念なんだよ。
だから日本語の「嫌がらせ」という概念とは、だいぶインピーダンスミスマッチが
あるような気がする。ほら、「Thank you」と「ありがとう」の違いみたいに。

だからさー。「これはセクハラだ!」とか「じゃあこれはどうなの?」とか、
そういう議論は、あまり意味がないように思う。「こういうときはThank youと言う」、
「じゃあこういうときは?」って確かめあうみたいなもんで。そんなん、
アメリカに移住するとかでもない限り、どーでもええやん。しかも、日本に
住んでる日本人どうしでThank youのニュアンスを議論しても、つかみどころがないやん。

せやから、そういうのに縛られたり、あんまりたくさん時間を費したりするのは、
やめたほうがええと思うねん。
2007-06-26 23:07:45 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 考えたこと、作ったもの

とりあえず、とりあえず土日で作ったものなんだけど、どうしようかなーと思って。まだ全然未完成なんだけど、勢いで表に出さないとうじうじーっとお蔵入りしそうなので、エイヤと公開しちゃいました。要するに、WebメールとSNSの中間的なソフトです。

で、これを作るまでに考えたこと。少し前に、「Webブラウザのサイドバーを表示させる人が案外多い」という話題があって、それからつらつらと、「そういう人にとって、サイドバーってどんな存在なのかなぁ」って考えたのでした。で、思い至ったのが「お気に入り」だったり、mixiのマイミクリストだったりしたわけです。

つまり、サイドバーに何かを表示するメリットとしては、やっぱりワンクリックでジャンプできることだと思うんですよね。頻繁にアクセスするサイトなのだから、アクセスしやすいように身近に置いておきたい。そのほうが確かに便利で、合理的な考えだと思います。

それに、「頻繁にアクセスするサイト」というのは、要するに「好きなサイト」なわけで。好きなサイトのアイコンを、身近なすぐアクセスできる位置に置いておくというのは、心地良いものなんじゃないかなと。ある意味部屋に飾るインテリアみたいなものというか。

「サイドバーを常時表示するなんて変だ」と言ったりする人もいますが(ぼく自身も、サイドバー非表示派なので、本当にはサイドバー表示派の気持ちは分からないのですが)、でもまぁ、きっと表示派の人たちだって、なんらかの合理性を持っているはず。

たとえば、mixiのサイドバーにマイミクリストが表示されていたり、ブログのサイドバーによくアクセスするサイトのリンクを貼っておくのと、そう大差ないかもなと思ったのでした。もっと言えば、それはインテリアであり、ブックマークであり、コックピットなんじゃないかと。

PCやWebブラウザの前に座るというのは、ある意味車の運転席に座るときのような感覚がある。「これからいろんな操作をして、いろんな場所に行くぞ」と。それで、えーと、なんだっけなぁ。なんでWebメールを作ったんだっけ。「mixiって結局メールソフトだな」って思ったのだけど、道筋を忘れちゃいました。まーとにかくそんな感じで。

まだ実験中なので、アプリもデータもガリガリ入れ替えながら、気の向くまま遊びたいと思います。(すぐ飽きるかもしれないけど)

ソースコード: http://pikapika.to/~yf/source/dmf.scm
2007-06-26 09:20:19 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-06-25

# とりあえず

2007-06-25 10:39:44 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-06-22

# 書くというお仕事

ライター仕事の処世術 - ジュブナイルポルノ作家わかつきひかるのホームページ - 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/wakatukihikaru/diary/200706190000/

 発注頂いたアンソロジーの官能小説の短編を、締め切りの2週間前に納品しました。
 ほんとうは、これは、ライター仕事で学んだ処世術からいうと、やってはいけないことなんです。
 
 納品は締め切りの直前。早くても数日前。それがライター仕事をうまく回すコツです。
 どうしてかというとですね。……

ふぅん。そういうものなのかなぁ……。週刊誌とか一般誌の仕事だったら、そうなのかなぁ。なんか、逆のケースもあるかなーと思ったり。つまり、「この人は仕事が速いな」、「安心して仕事できるな」→「次も頼もう、迷惑かけないように早く発注しよう」ってなる場合もあるような気がする。

たしかにねぇ、編集者って追い詰められてるところがあって、「まだいけるか?、もうそろそろやばいかな?」っていつも考えてるものなのかもしれない。ぼくも、経験上、発注をギリギリにしてしまうことが多かった。でもねー。ギリギリに発注をかけるというのは、すごく心苦しいんですよね。「あーごめんなさいごめんなさい、次はちゃんとしよう次はちゃんとしよう」といつも思ってた。

でもなっかなか、それができなくて苦しくってね。編集者にとっては、雑誌を作るのにはいろんな不安要素があって、どうしても遅れてしまう。なんでだろう?って自分でも思ってるんですけどねー。たとえば、ぼくだって、新人のころはかなりソツなく仕事をこなしていた部分があった。あのころは、仕事の量も少なかっただろうけど、それ以上にうまくこなしていたような気がする。でもそれが、だんだん出来なくなっちゃったんですよね。

なんでだろう?と考えるに、鬱傾向だったのかもなーと思ったり。たまにせっかく早くに発注しているのに、ギリギリになるまで書いてくれない人があると、「早くに発注するとダレちゃうんだなー」と考える。それで次は、「ジャストタイミングになるまで塩漬けしてから発注だ」とか思うんだけど、発注するのを忘れて(あるいは茹でガエル効果で)ギリギリになってしまったりする。「早く発注しても、ギリギリで発注しても結果は同じなの?」って思ってしまったら、また苦しい。どうすればいいか分からなくなる。そして次の月に突入する。

ぼくの場合は、いろんな人からよく怒られたり、喧嘩したりしたからなぁ。余計に臆病になっているところがあって、「どういう風に声をかければいいんだろう?」とか、「この人にとっては、いつ、どういう風にアプローチされるのが快適に感じるのだろう?」とか、考えすぎてしまって、でもなかなかうまくいかなくて、苦しかった。

あとぼくの場合は、いわゆる「ライターさん」を使うんじゃなくて、現場の一線で活躍している人に声をかけたいと思っていたから、余計にしんどい面があった。知らない人に声をかけるのはそれなりに気を遣うものだし、知らない人に仕事を発注するわけだから、結果としてもらえる文章(アウトプット)の品質が読めない部分が大きくて、そのへんにも苦労した。

期待外れのアウトプットをもらったときとかは、本当に困る。そういう場合、強気な編集者さんは大きくリライトしてしまうケースもあるようだけど、ぼくはそれがなかなかできなくて。何度も文章を読んで、「この人は、この文章で何を言いたかったんだろう? この人にとって、(この)仕事の意味ってなんだろう?」、「読者にとって、この文章から読んで得られる価値の根幹は何だろう?」と考える。そして、書いた人と読む人の、双方が何かを得られる地点まで文章を持っていく。

そのとき、文章をリライトするだけじゃなくて、書いた人と調整するわけだけど。人の書いたものに手を入れて、とくにそれを「良く」しようと試みるのは、それだけで苦しい。なにが「良い」かなんて分からないわけだし、実際ぼくなんかはその現場のことを何も知らないわけで。「お前なんかに何が分かる」と言われても仕方ない。その仕方ない人間が、仕方のない感性と感覚で、文章をリライトする。その人とは初めて仕事するわけだから、信頼関係とかも1から構築しながらそれをやる。しんどかったなぁ。

えーと、なにが言いたいんだっけ? まぁそんな感じで作業している編集者もいますよということで。でもともあれ。自分の小説の仕事が来て、よかったですね。書く側として、それは本当にうれしいことだろうし、発注する側としてもうれしいことです。これからも、そういう風に仕事をしていけるといいですね。そう思います。
2007-06-22 07:30:22 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-06-21

# 日記

奥様、鼻毛が出ておりますことよ - たこやき人生訓
http://d.hatena.ne.jp/wakamura_you/20070620/1182320821

いや、面白かったですよ。楽しそうでいいですね。
最近飲みに行っていないのでうらやましい。

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小野和俊のブログ:Thunderbird の唯一にして最大の悩みである「アドレス自動補完問題」を解決する方法
http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50170581.html
 このままでは次のような失礼なメールになってしまう。

この次の部分でワロタ。「くるぞくるぞくるぞー。キターっ」って感じ。

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Tech Mom from Silicon Valley - 豊かな時代の教育とは:「こいつらにはやっぱかなわねー」と思うこと
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20070606/1181096157

[竹田さん] まぁ記事にも共感・目鱗したのだけど、この記事を読んでもう1つ思ったのは、「どうしてこんな高度な技術が、教育の現場で有効に働いてるんだ? マジか?」ってことかなぁ。教育問題ってさぁ、日本では定説みたいなのがイマイチ一般に浸透していない気がする。何が正しいのかよく分からない感じ。教育学の成果って、ぼくは何一つ知らないかもしれない。っつーか、日本では科学の成果自体が、社会とか文化にあまりフィードバックされてない気がするね。前にも書いたかこれ。

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それにしても、Zaurusの新しいの出ないかなぁ。メモリがあと64MB増えたら、ほんとにほんとに、ほんっとーに嬉しいのだけど。
2007-06-21 22:36:34 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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