メッセージ。 - diary
2007-07-12
# 日記
生きてればいろんなことが起こるけど、どんな出来事も面白いものです。
生きてるって、そういう感じです。
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バカが征く
http://www.jitu.org/~tko/cgi-bin/bakagaiku.rb?bakaid=20070712
バカ征くさんは、いつもいいことを書いてらっしゃるなぁと
思ってて、いつもここで紹介したくなるのだけど、それを
やってるとキリがないのでそういうことはしない、と決めて
いるのだけど、そう決めて絶対にルールを守るのもなぁと
いうことで、たまにはする。紹介? んにゃ、リンク。
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山に登る。一面美しい景色が広がる。
カメラを構えるも、フレームには、その美しさが全然収まらない。
どうやってその美しさを切り取るか、美しさに迫るか。
目に見えているのに、それをつかまえられないジレンマ。
フレームというこの四角い箱は、人間の手が届く場所は、あまりにも小さい。
そのフレームで、どこまで美に近付くか、どうやってそこに迫るか。
それはある意味、冒険だ。フレームで視界を冒険することだ。
フレーム、視線、自分の発想との戦い。発想で世界を探検する。
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打ち合わせについて。
知的な人と話をするのは、面白いものだ。
でも、面白い話を一方的にしないよう気をつけたい。
こちらが向こうを振動させるだけでは、意味がないから。
向こうに、こちらを振動させたい。
また振動が、全体に伝わらないのも問題がある。
そういうわけで、打ち合わせというのは難しい。
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そこにないものを、さもあるかのように表現するのが好きじゃない
ってこと、か。
生きてるって、そういう感じです。
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バカが征く
http://www.jitu.org/~tko/cgi-bin/bakagaiku.rb?bakaid=20070712
プログラマの仕事っていうのは、単にプログラムを書くことじゃないのね。問題を解決するためにプログラムを書くことなのね。だから、問題を解決しないプログラムを書くのは、プログラマの仕事じゃない。だから、プログラマは、自分が書いてるプログラムが本当に問題を解決できるか気にしないといけない。
バカ征くさんは、いつもいいことを書いてらっしゃるなぁと
思ってて、いつもここで紹介したくなるのだけど、それを
やってるとキリがないのでそういうことはしない、と決めて
いるのだけど、そう決めて絶対にルールを守るのもなぁと
いうことで、たまにはする。紹介? んにゃ、リンク。
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山に登る。一面美しい景色が広がる。
カメラを構えるも、フレームには、その美しさが全然収まらない。
どうやってその美しさを切り取るか、美しさに迫るか。
目に見えているのに、それをつかまえられないジレンマ。
フレームというこの四角い箱は、人間の手が届く場所は、あまりにも小さい。
そのフレームで、どこまで美に近付くか、どうやってそこに迫るか。
それはある意味、冒険だ。フレームで視界を冒険することだ。
フレーム、視線、自分の発想との戦い。発想で世界を探検する。
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打ち合わせについて。
知的な人と話をするのは、面白いものだ。
でも、面白い話を一方的にしないよう気をつけたい。
こちらが向こうを振動させるだけでは、意味がないから。
向こうに、こちらを振動させたい。
また振動が、全体に伝わらないのも問題がある。
そういうわけで、打ち合わせというのは難しい。
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そこにないものを、さもあるかのように表現するのが好きじゃない
ってこと、か。
2007-07-07
# 「私」の存在
ちょっと引用が長いけど、すばらしく重要な理解だと思うので抜粋。
はてブついでに覚書。 - 繋がりたい私の選択
http://d.hatena.ne.jp/chanm/20070707/1183799300
既存のメディアの人の中に、ネットの匿名性を攻撃する人がいるけど、そういう人はまさにこういう「弱さ」を自分の核にしているのかなぁと思った。たいていの人はこの文章で指摘されている意味で弱いので、匿名性というのは今後も大勢としては攻撃され続けるのかなぁとか。
あと、この人はすごく鋭いのだけど、そこまでの鋭さがあるなら、たまには自分を捨てられる軽やかさとか、勇気とか、出せばいいんじゃないかなぁと思う(よくこの人のことを知らないで書いてますけど)。少し前から書いているような、「外から自分を見る」ってのは、過去や未来との繋がりを、あえて切断することにあたると思うんだよね。
優れた科学者や芸術家ってのは、過去や未来の自分との繋がりを、あえて切断できる人間だとぼくは思ってる。ただ、彼らはつながる術も持ちつつ、切断することもできる。内側から見ることができる一方で、外側からも物事を見ることができる。そしてそれは、すべての人間が内部に神を宿しているかのように、そこに在ることができるし、在ってほしいものだと思う。
「周りの人や、過去や未来との繋がりがなきゃ意味ない」ってことは、ないんじゃないかな。それを認めてしまうなら、あなたやぼくの個そのものが、社会性を依りどころにしか存在を許されなくなってしまう。でも、人間って社会的な存在である前に、根源としては非社会的な存在なんじゃないかなぁ。そしてその、非社会的な部分でつながりあえなければ、面白くないような気がする。
たとえば明日、あなたやぼくが記憶喪失になったとして、自分が誰かも分からなくなってしまったとしたらどうだろう? 「自分はもう死ぬしかない」と思うほど、記憶という社会への参加証は重いだろうか。記憶喪失になった友達を見て、「お前なんか知らない」と言ってしまえるようなものだろうか。親はきっと、自分の子供が記憶喪失になったって、自分の子供を愛してしまうものなんじゃないだろうか。ぼくは、社会性など記号にすぎないように思う。記号ぐらい失っても、人間にはたいして関係ないんじゃないかな。だって人間は、ちゃんとたくさんのものを持っていると思うもの。
はてブついでに覚書。 - 繋がりたい私の選択
http://d.hatena.ne.jp/chanm/20070707/1183799300
社会が昨日の私と今日の私とをおんなじ人間だと見てくれてること、そういう、周りの人の、私の同定性への信頼と安心によって私は支えられている。誰かが明日の私に今日の私の延長としての「場」を与えてくれることで、私はその人の中に明日存在出来る。そうやって認識されていることが私が存在しているということなので、その整合性が崩れそうになると身体のどこかでアラームが鳴っておっといけないいけないとどこかがバランスを取るようになっている。別に相手は社会や友人じゃなくて、神や主義でもいいけど、、。という感じで私は私を毎日”選択”してるような気がする。一つ言葉を発すれば、一つ行動をすれば、それによって次の私の選択肢が現れる。で、必ずその選択肢の中から次の”私”を選ぶようにしてる。選択肢外から次の私を持ってくるようなことは、基本的にはしない。アラームっていうのは、イメージが近い感覚は「恐怖」かなあ。で、アラームが壊れているような人がたまにいて、そういう恐怖みたいなのがないのかなあ強いなあうらやましいなあ何でもできるじゃんと思うけど、やっぱうらやましくないかな。そういう人は怖いし。なんでも出来たって、周りの人や、過去や未来との繋がりがなきゃ意味ないし。アラームっていうか恐怖というかこれは、弱い人間のための免疫機能なのかね。その人間が”社会的に”死亡しないための。
既存のメディアの人の中に、ネットの匿名性を攻撃する人がいるけど、そういう人はまさにこういう「弱さ」を自分の核にしているのかなぁと思った。たいていの人はこの文章で指摘されている意味で弱いので、匿名性というのは今後も大勢としては攻撃され続けるのかなぁとか。
あと、この人はすごく鋭いのだけど、そこまでの鋭さがあるなら、たまには自分を捨てられる軽やかさとか、勇気とか、出せばいいんじゃないかなぁと思う(よくこの人のことを知らないで書いてますけど)。少し前から書いているような、「外から自分を見る」ってのは、過去や未来との繋がりを、あえて切断することにあたると思うんだよね。
優れた科学者や芸術家ってのは、過去や未来の自分との繋がりを、あえて切断できる人間だとぼくは思ってる。ただ、彼らはつながる術も持ちつつ、切断することもできる。内側から見ることができる一方で、外側からも物事を見ることができる。そしてそれは、すべての人間が内部に神を宿しているかのように、そこに在ることができるし、在ってほしいものだと思う。
「周りの人や、過去や未来との繋がりがなきゃ意味ない」ってことは、ないんじゃないかな。それを認めてしまうなら、あなたやぼくの個そのものが、社会性を依りどころにしか存在を許されなくなってしまう。でも、人間って社会的な存在である前に、根源としては非社会的な存在なんじゃないかなぁ。そしてその、非社会的な部分でつながりあえなければ、面白くないような気がする。
たとえば明日、あなたやぼくが記憶喪失になったとして、自分が誰かも分からなくなってしまったとしたらどうだろう? 「自分はもう死ぬしかない」と思うほど、記憶という社会への参加証は重いだろうか。記憶喪失になった友達を見て、「お前なんか知らない」と言ってしまえるようなものだろうか。親はきっと、自分の子供が記憶喪失になったって、自分の子供を愛してしまうものなんじゃないだろうか。ぼくは、社会性など記号にすぎないように思う。記号ぐらい失っても、人間にはたいして関係ないんじゃないかな。だって人間は、ちゃんとたくさんのものを持っていると思うもの。
2007-07-06
# 日記
ちょっと前にビオレのCMだかで、SHIHOさんが「よいしょー」とか言ってソファーに座るシーンがあって可愛らしく、日頃真似しているうちに口癖になってしまった。そして口癖になっていることに昨日?一昨日?気付いたのだけど、ベッドから立つのにも「よいしょー」、ベッドに座るときにも「よいしょー」、ノートパソコンを開くときも「よいしょー」、トイレに行こうと思って「よいしょー」、お茶を飲もうとして「よいしょー」と言っている自分を発見し、愕然とした。「もうこの癖直す!」と思ったのだけど、会社で「ちょっと打ち合わせしよっか」と言われたときにも、「はい」と言いつつメモ帳を手に「よいしょー」と小声で言ってしまっている。うがががが。
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malaさんがFastladderというのを作って公開されたということで、遅ればせながRSSリーダーを使おうと思ったのだけど、アカウントを取ってしばらく使ってみたところ、なーんか自分が求めているものとは違う。要するにぼくは、RSSMixみたいなことをしたいのだけど、その機能がないのだ。なんつーか、サイトごとにRSSを読むのじゃなくて、エントリを新しい順に並べかえて読んだりはできないの? 「RSSリーダーってこういうものなのかな?」と思い、ThunderbirdのRSSリーダー機能を使ってもみたのだけど、おんなじような感じ。ふんがー。あと、Fastladderはドメインクッキーを使っているようで、w3mでは読めませんでした。最近ちょっと、規模の大きいWebアプリを考えているのだけど、ドメインクッキーというのは悩ましい問題ですね。>おさかなラボ - MixiとCookieドメイン
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malaさんがFastladderというのを作って公開されたということで、遅ればせながRSSリーダーを使おうと思ったのだけど、アカウントを取ってしばらく使ってみたところ、なーんか自分が求めているものとは違う。要するにぼくは、RSSMixみたいなことをしたいのだけど、その機能がないのだ。なんつーか、サイトごとにRSSを読むのじゃなくて、エントリを新しい順に並べかえて読んだりはできないの? 「RSSリーダーってこういうものなのかな?」と思い、ThunderbirdのRSSリーダー機能を使ってもみたのだけど、おんなじような感じ。ふんがー。あと、Fastladderはドメインクッキーを使っているようで、w3mでは読めませんでした。最近ちょっと、規模の大きいWebアプリを考えているのだけど、ドメインクッキーというのは悩ましい問題ですね。>おさかなラボ - MixiとCookieドメイン
# ライオンは我が子を崖から
はてなブックマーク - 不倒城: 幸せを主張しろ、という声を挙げてみる
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://mubou.seesaa.net/article/46399913.html
ねぇ、これ。難しいのは分かるけどさ。分かるけど。でも難しいからこそ、やらなくちゃいけないことだと思うんだ。
ライオンは、我が子を崖から突き落とすって言うでしょう? これって、実際にやるライオンがいるかどうかは知らないけど。でも、こう、大事な人だからこそ、厳しく接しなきゃいけないときって、あると思うんだよね。
大事な人だからって、傷付けないように接するというのは、よくないんじゃないかな。崖から我が子を突き落とすって、難しいことだよ。でも、難しいけどやるんだ。やらなくちゃ。そう思わない?
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://mubou.seesaa.net/article/46399913.html
2007年07月04日 white_cake white_cake 同感ではあるのだけれど、「幸せそうなひとの記事を読むと死にたくなる」とか、「耳をすませばをみると死にたくなる」とか言う人が大勢いるwebという場所で、幸せを主張するのは難しい
ねぇ、これ。難しいのは分かるけどさ。分かるけど。でも難しいからこそ、やらなくちゃいけないことだと思うんだ。
ライオンは、我が子を崖から突き落とすって言うでしょう? これって、実際にやるライオンがいるかどうかは知らないけど。でも、こう、大事な人だからこそ、厳しく接しなきゃいけないときって、あると思うんだよね。
大事な人だからって、傷付けないように接するというのは、よくないんじゃないかな。崖から我が子を突き落とすって、難しいことだよ。でも、難しいけどやるんだ。やらなくちゃ。そう思わない?
2007-07-05
# 日々
価値の源泉を我々は持っている。そこから湧き出る水を、みんなに配ればいい。
そして、どんどん配った水がみんなを潤していれば、誰かは自然にお返しをしてくれるようになる。
いくばくかの物が返ってくる。
そして泉は、そう簡単に枯渇しなくって。だから心配はいらないんです。
自分の取り分を最初に考えて、「取り分が欲しい」、「取り分が欲しい」とばっかり言っていて、
どうしようというのか。価値を提供してこそ、取り分がもらえるわけでしょう?
だから我々は、まず、その価値とは何なのかを考えなきゃいけない。そうしないと、取り分ももらえない。
なのに、会議室で話されているのはその反対。
「提供できる価値が何で、どれくらいあるか」ではなくて、
「どうすれば取り分がもらえるか」、「どれだけ取り分がもらえるか」ばっかり。
価値を提供しないで取り分がもらえるわけないじゃん。ばっかみたい。
本当にね。本当に我々は、価値の源泉を持ってるんですよ。だから大丈夫。
みんなが「面白い」と言って喜んでくれるだけのものを、我々はたくさん、
これからもずっと、この泉から汲み出すことができる。ずっとずっとそれは尽きない。
だからどんどんそれを配ればいい。それが我々のやるべき仕事です。
そして、どんどん配った水がみんなを潤していれば、誰かは自然にお返しをしてくれるようになる。
いくばくかの物が返ってくる。
そして泉は、そう簡単に枯渇しなくって。だから心配はいらないんです。
自分の取り分を最初に考えて、「取り分が欲しい」、「取り分が欲しい」とばっかり言っていて、
どうしようというのか。価値を提供してこそ、取り分がもらえるわけでしょう?
だから我々は、まず、その価値とは何なのかを考えなきゃいけない。そうしないと、取り分ももらえない。
なのに、会議室で話されているのはその反対。
「提供できる価値が何で、どれくらいあるか」ではなくて、
「どうすれば取り分がもらえるか」、「どれだけ取り分がもらえるか」ばっかり。
価値を提供しないで取り分がもらえるわけないじゃん。ばっかみたい。
本当にね。本当に我々は、価値の源泉を持ってるんですよ。だから大丈夫。
みんなが「面白い」と言って喜んでくれるだけのものを、我々はたくさん、
これからもずっと、この泉から汲み出すことができる。ずっとずっとそれは尽きない。
だからどんどんそれを配ればいい。それが我々のやるべき仕事です。
# 日記
http://d.hatena.ne.jp/laddertothemoon/20070702/p1
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ちなみにぼくは、「なりたい自分に、なれると思う派」。
やりたいことや、好きなことをやってれば、なりたい自分にはなれると思う。
とはいえぼくだって、「好きなことをやれって言われても、
あんなことやこんなことをしたら、あの人に迷惑だろうか」って思ってしまうし、
「自分はわがままなんじゃないか」って、ついつい弱気になってしまうけど。
でもね。そういうときは、たとえばお父さんやお母さんのことを思い出して
みると、いいように思う。
「自分が好きなことややりたいことをやって、お父さんやお母さんは、
迷惑に感じるだろうか」、「わがままだって怒られるだろうか」。
たぶん彼らは、「迷惑だ」とか「わがままだ」とか「傷付いた」と言わないし、そう感じない。
そりゃあ少しは、戸惑ったり怒ったりするかもしれないけど。
でも、あなたがやりたいことをやって、幸せで笑っているのなら、
彼らはきっと、最後には「それでいい」って言ってくれると思う。
だから逆にね。あなたは、あなたのやりたいことを、やってみたらどうかな?
それが誰かを傷付けるとしても、あなたのお父さんやお母さんを
傷付けることになったとしても、それでいいって、彼らは言ってくれるんじゃないかな。
それが、あなたのことを好きだってこと。
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ちなみにぼくは、「なりたい自分に、なれると思う派」。
やりたいことや、好きなことをやってれば、なりたい自分にはなれると思う。
とはいえぼくだって、「好きなことをやれって言われても、
あんなことやこんなことをしたら、あの人に迷惑だろうか」って思ってしまうし、
「自分はわがままなんじゃないか」って、ついつい弱気になってしまうけど。
でもね。そういうときは、たとえばお父さんやお母さんのことを思い出して
みると、いいように思う。
「自分が好きなことややりたいことをやって、お父さんやお母さんは、
迷惑に感じるだろうか」、「わがままだって怒られるだろうか」。
たぶん彼らは、「迷惑だ」とか「わがままだ」とか「傷付いた」と言わないし、そう感じない。
そりゃあ少しは、戸惑ったり怒ったりするかもしれないけど。
でも、あなたがやりたいことをやって、幸せで笑っているのなら、
彼らはきっと、最後には「それでいい」って言ってくれると思う。
だから逆にね。あなたは、あなたのやりたいことを、やってみたらどうかな?
それが誰かを傷付けるとしても、あなたのお父さんやお母さんを
傷付けることになったとしても、それでいいって、彼らは言ってくれるんじゃないかな。
それが、あなたのことを好きだってこと。