メッセージ。 - diary
2007-06-29
# メモ
ニキビとビキニって、似てるね。
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自分にとって楽しいこと、うれしいことをやっていたら、
いつの間にかそれがほかの人も楽しませていた、役に立っていた、
というのが理想です。できればそういうものを作りたいですね。
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「デジカメは便利だけど、でもそれで、いい写真が撮れるようになったかは、よく分からない。」
「そうですね。たとえば昔のテレビCMは、素朴だったけど工夫もあって、驚かされたり、
キャッチコピーを口ずさんだりさせられたりしたものです。でも最近のCMでは、驚くべきような映像で
あっても贋作を見ているような、つまらなさがあるかもしれません。気が置けないの反対というか、
『どうせ作りものだから』と思ってしまいますよね。受け手も作り手も。
そこには、奇妙な緊張感というか、ざらざらした感じがあるような気がします。
要するに、微妙な距離感があるんですよね。素直に感動できない、うまく共感できない。
作り手と受け手の間に、暗くてよく分からないデジタルの溝ができてしまっている。
時代性を感じられない時代というか。まぁよく言えば混沌、ですかね。
でも、そんな中でも光明のようなものはあって、ネットやデジタルだって案外悪いものじゃない、というかね。そういうものも見え隠れしていますよね。」
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「ダイ・ハード4.0」かぁ……。原題はどうなってるんだろう。
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自分にとって楽しいこと、うれしいことをやっていたら、
いつの間にかそれがほかの人も楽しませていた、役に立っていた、
というのが理想です。できればそういうものを作りたいですね。
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「デジカメは便利だけど、でもそれで、いい写真が撮れるようになったかは、よく分からない。」
「そうですね。たとえば昔のテレビCMは、素朴だったけど工夫もあって、驚かされたり、
キャッチコピーを口ずさんだりさせられたりしたものです。でも最近のCMでは、驚くべきような映像で
あっても贋作を見ているような、つまらなさがあるかもしれません。気が置けないの反対というか、
『どうせ作りものだから』と思ってしまいますよね。受け手も作り手も。
そこには、奇妙な緊張感というか、ざらざらした感じがあるような気がします。
要するに、微妙な距離感があるんですよね。素直に感動できない、うまく共感できない。
作り手と受け手の間に、暗くてよく分からないデジタルの溝ができてしまっている。
時代性を感じられない時代というか。まぁよく言えば混沌、ですかね。
でも、そんな中でも光明のようなものはあって、ネットやデジタルだって案外悪いものじゃない、というかね。そういうものも見え隠れしていますよね。」
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「ダイ・ハード4.0」かぁ……。原題はどうなってるんだろう。
2007-06-28
# 日々
ねぇ。ぼくはこう思うんだ。
ぼくは男だし、もういい歳だし、……そうだなぁ、ずいぶん
目が悪かったり、最近はおなかがポッコリだったり、頭が
薄くなるんじゃないかと危惧されいたりするけど、その部分を
根拠に、他人から何かをしてもらっても、全然うれしくない。
たとえば、ぼくの目が悪いという理由で、授業や映画館で
前の席に座らせてもらうことができても、ぼくはそれを
「嬉しい」とは思わないし、「優しくしてもらった」とも
思わない。
また別の例でいうと、ぼくがもういい歳だからという理由で、
若い人より平均的によい給料をくれたり、上座に座らせて
もらったりしても、「嬉しい」とは思わないし、「優しくして
もらった」とも思わない。
またたとえば、ぼくが仮にキムタクのように恰好のいい人
だったとして、女性からモテたり、楽できらびやかな仕事を
もらえたり、何かいろいろとトクをすることができたとしても、
「嬉しい」とは思わないし、「優しくしてもらった」とも
思わない。
そんなことは、単に制度の都合か、「そういうものだ」と
いう集合意識の惰性に過ぎない。つまり、そこには感動がないし、
発見がないし、本当のことがない。
満たされない。そんなことでは、自分が満たされない。
どうせなら。ずっとずっと後になって、「ああ、あのとき
あの人は、こんなこと言ったよな……」とか、「あのとき、
一緒に街中歩きまわったよな……」とか、思い出せるような
記憶が欲しい。あの人と一緒の時代を過ごせた喜びとか、
交わした一言をずっとずっと覚えてるとか、そういうものを
感じたい。
それがぼくにとって優しさだ。単に「○○してもらった」とか、
男だからとかキムタクだからとか、おなかがぽっこりだからとか、
目がいいからとか、そういうものは、単なる現象、事実、
シンタックスであって、セマンティクスではない。
ぼくはね、そう思うんだよ。……で、きみはどう思うの?って
話なんだけどさ。自分が男であるとか、女であるとか、
貧乏であるとか、ソンをしているとか、そういうことは事象と
して厳然と存在しているとは、思う。でも、そんなのに
振り回されるのって、つまらなくない? 自分が女であるとか、
人間であるとか、そんなこと! 本当は、どーーーーーーだって良くない?
もっと面白い遊びをしたいよ。きみとは。
ぼくは男だし、もういい歳だし、……そうだなぁ、ずいぶん
目が悪かったり、最近はおなかがポッコリだったり、頭が
薄くなるんじゃないかと危惧されいたりするけど、その部分を
根拠に、他人から何かをしてもらっても、全然うれしくない。
たとえば、ぼくの目が悪いという理由で、授業や映画館で
前の席に座らせてもらうことができても、ぼくはそれを
「嬉しい」とは思わないし、「優しくしてもらった」とも
思わない。
また別の例でいうと、ぼくがもういい歳だからという理由で、
若い人より平均的によい給料をくれたり、上座に座らせて
もらったりしても、「嬉しい」とは思わないし、「優しくして
もらった」とも思わない。
またたとえば、ぼくが仮にキムタクのように恰好のいい人
だったとして、女性からモテたり、楽できらびやかな仕事を
もらえたり、何かいろいろとトクをすることができたとしても、
「嬉しい」とは思わないし、「優しくしてもらった」とも
思わない。
そんなことは、単に制度の都合か、「そういうものだ」と
いう集合意識の惰性に過ぎない。つまり、そこには感動がないし、
発見がないし、本当のことがない。
満たされない。そんなことでは、自分が満たされない。
どうせなら。ずっとずっと後になって、「ああ、あのとき
あの人は、こんなこと言ったよな……」とか、「あのとき、
一緒に街中歩きまわったよな……」とか、思い出せるような
記憶が欲しい。あの人と一緒の時代を過ごせた喜びとか、
交わした一言をずっとずっと覚えてるとか、そういうものを
感じたい。
それがぼくにとって優しさだ。単に「○○してもらった」とか、
男だからとかキムタクだからとか、おなかがぽっこりだからとか、
目がいいからとか、そういうものは、単なる現象、事実、
シンタックスであって、セマンティクスではない。
ぼくはね、そう思うんだよ。……で、きみはどう思うの?って
話なんだけどさ。自分が男であるとか、女であるとか、
貧乏であるとか、ソンをしているとか、そういうことは事象と
して厳然と存在しているとは、思う。でも、そんなのに
振り回されるのって、つまらなくない? 自分が女であるとか、
人間であるとか、そんなこと! 本当は、どーーーーーーだって良くない?
もっと面白い遊びをしたいよ。きみとは。
2007-06-27
# 私信というか
# 「傷つく」って、どういうことか
wHite_caKe - 「傷ついた」、「傷つけたくない」、「傷つかずに生きられる人間はいない」、「傷つけることを恐れるな」等の言葉を聞く度に思い出すのは
http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20070623/1182569849
http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20070625/1182770910
そうなんだよなぁ〜。
こういうところを分かってくれるから、シロイさんは好きだ。
(でも、分かってるくせに、たまにメソメソしているからなぁ、とも思う。
あれ? 今思えば、メソメソしてるってのは単なるレトリックかなぁ)
http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20070623/1182569849
http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20070625/1182770910
そうなんだよなぁ〜。
こういうところを分かってくれるから、シロイさんは好きだ。
(でも、分かってるくせに、たまにメソメソしているからなぁ、とも思う。
あれ? 今思えば、メソメソしてるってのは単なるレトリックかなぁ)
2007-06-26
# セクハラってなんやったっけ?
なんかさ、おれらが子供だったときには、「セクハラ」なんて言葉はなかったよね?
でさ。初めて「セクハラ」って言葉を聞いたとき、「え?なにそれ?」って思わなかった?
説明を聞くと、「会社の男性上司が部下の女性に嫌がらせをすることだよ」とか言われて、
ふーん、大人の世界には、嫌なこともあるもんだなぁと思ったり。
でも、なんか意味を受け容れがたくなかった? なんつーか、セクハラって言葉は
定義が曖昧すぎるというか。そもそもは、「会社の男性上司が部下の女性に○○すること」
以上の意味はなかったと思うんだけど。なんか、最近のセクハラ議論ってのは、
この辺の感覚からずいぶん遠くに来ちゃってるよね?
思うんだけど。「ハラスメント」ってのはさ、たぶん英語の概念なんだよ。
だから日本語の「嫌がらせ」という概念とは、だいぶインピーダンスミスマッチが
あるような気がする。ほら、「Thank you」と「ありがとう」の違いみたいに。
だからさー。「これはセクハラだ!」とか「じゃあこれはどうなの?」とか、
そういう議論は、あまり意味がないように思う。「こういうときはThank youと言う」、
「じゃあこういうときは?」って確かめあうみたいなもんで。そんなん、
アメリカに移住するとかでもない限り、どーでもええやん。しかも、日本に
住んでる日本人どうしでThank youのニュアンスを議論しても、つかみどころがないやん。
せやから、そういうのに縛られたり、あんまりたくさん時間を費したりするのは、
やめたほうがええと思うねん。
でさ。初めて「セクハラ」って言葉を聞いたとき、「え?なにそれ?」って思わなかった?
説明を聞くと、「会社の男性上司が部下の女性に嫌がらせをすることだよ」とか言われて、
ふーん、大人の世界には、嫌なこともあるもんだなぁと思ったり。
でも、なんか意味を受け容れがたくなかった? なんつーか、セクハラって言葉は
定義が曖昧すぎるというか。そもそもは、「会社の男性上司が部下の女性に○○すること」
以上の意味はなかったと思うんだけど。なんか、最近のセクハラ議論ってのは、
この辺の感覚からずいぶん遠くに来ちゃってるよね?
思うんだけど。「ハラスメント」ってのはさ、たぶん英語の概念なんだよ。
だから日本語の「嫌がらせ」という概念とは、だいぶインピーダンスミスマッチが
あるような気がする。ほら、「Thank you」と「ありがとう」の違いみたいに。
だからさー。「これはセクハラだ!」とか「じゃあこれはどうなの?」とか、
そういう議論は、あまり意味がないように思う。「こういうときはThank youと言う」、
「じゃあこういうときは?」って確かめあうみたいなもんで。そんなん、
アメリカに移住するとかでもない限り、どーでもええやん。しかも、日本に
住んでる日本人どうしでThank youのニュアンスを議論しても、つかみどころがないやん。
せやから、そういうのに縛られたり、あんまりたくさん時間を費したりするのは、
やめたほうがええと思うねん。
# 考えたこと、作ったもの
とりあえず、とりあえず土日で作ったものなんだけど、どうしようかなーと思って。まだ全然未完成なんだけど、勢いで表に出さないとうじうじーっとお蔵入りしそうなので、エイヤと公開しちゃいました。要するに、WebメールとSNSの中間的なソフトです。
で、これを作るまでに考えたこと。少し前に、「Webブラウザのサイドバーを表示させる人が案外多い」という話題があって、それからつらつらと、「そういう人にとって、サイドバーってどんな存在なのかなぁ」って考えたのでした。で、思い至ったのが「お気に入り」だったり、mixiのマイミクリストだったりしたわけです。
つまり、サイドバーに何かを表示するメリットとしては、やっぱりワンクリックでジャンプできることだと思うんですよね。頻繁にアクセスするサイトなのだから、アクセスしやすいように身近に置いておきたい。そのほうが確かに便利で、合理的な考えだと思います。
それに、「頻繁にアクセスするサイト」というのは、要するに「好きなサイト」なわけで。好きなサイトのアイコンを、身近なすぐアクセスできる位置に置いておくというのは、心地良いものなんじゃないかなと。ある意味部屋に飾るインテリアみたいなものというか。
「サイドバーを常時表示するなんて変だ」と言ったりする人もいますが(ぼく自身も、サイドバー非表示派なので、本当にはサイドバー表示派の気持ちは分からないのですが)、でもまぁ、きっと表示派の人たちだって、なんらかの合理性を持っているはず。
たとえば、mixiのサイドバーにマイミクリストが表示されていたり、ブログのサイドバーによくアクセスするサイトのリンクを貼っておくのと、そう大差ないかもなと思ったのでした。もっと言えば、それはインテリアであり、ブックマークであり、コックピットなんじゃないかと。
PCやWebブラウザの前に座るというのは、ある意味車の運転席に座るときのような感覚がある。「これからいろんな操作をして、いろんな場所に行くぞ」と。それで、えーと、なんだっけなぁ。なんでWebメールを作ったんだっけ。「mixiって結局メールソフトだな」って思ったのだけど、道筋を忘れちゃいました。まーとにかくそんな感じで。
まだ実験中なので、アプリもデータもガリガリ入れ替えながら、気の向くまま遊びたいと思います。(すぐ飽きるかもしれないけど)
ソースコード: http://pikapika.to/~yf/source/dmf.scm
で、これを作るまでに考えたこと。少し前に、「Webブラウザのサイドバーを表示させる人が案外多い」という話題があって、それからつらつらと、「そういう人にとって、サイドバーってどんな存在なのかなぁ」って考えたのでした。で、思い至ったのが「お気に入り」だったり、mixiのマイミクリストだったりしたわけです。
つまり、サイドバーに何かを表示するメリットとしては、やっぱりワンクリックでジャンプできることだと思うんですよね。頻繁にアクセスするサイトなのだから、アクセスしやすいように身近に置いておきたい。そのほうが確かに便利で、合理的な考えだと思います。
それに、「頻繁にアクセスするサイト」というのは、要するに「好きなサイト」なわけで。好きなサイトのアイコンを、身近なすぐアクセスできる位置に置いておくというのは、心地良いものなんじゃないかなと。ある意味部屋に飾るインテリアみたいなものというか。
「サイドバーを常時表示するなんて変だ」と言ったりする人もいますが(ぼく自身も、サイドバー非表示派なので、本当にはサイドバー表示派の気持ちは分からないのですが)、でもまぁ、きっと表示派の人たちだって、なんらかの合理性を持っているはず。
たとえば、mixiのサイドバーにマイミクリストが表示されていたり、ブログのサイドバーによくアクセスするサイトのリンクを貼っておくのと、そう大差ないかもなと思ったのでした。もっと言えば、それはインテリアであり、ブックマークであり、コックピットなんじゃないかと。
PCやWebブラウザの前に座るというのは、ある意味車の運転席に座るときのような感覚がある。「これからいろんな操作をして、いろんな場所に行くぞ」と。それで、えーと、なんだっけなぁ。なんでWebメールを作ったんだっけ。「mixiって結局メールソフトだな」って思ったのだけど、道筋を忘れちゃいました。まーとにかくそんな感じで。
まだ実験中なので、アプリもデータもガリガリ入れ替えながら、気の向くまま遊びたいと思います。(すぐ飽きるかもしれないけど)
ソースコード: http://pikapika.to/~yf/source/dmf.scm