メッセージ。 - diary
2007-06-22
# 書くというお仕事
ライター仕事の処世術 - ジュブナイルポルノ作家わかつきひかるのホームページ - 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/wakatukihikaru/diary/200706190000/
ふぅん。そういうものなのかなぁ……。週刊誌とか一般誌の仕事だったら、そうなのかなぁ。なんか、逆のケースもあるかなーと思ったり。つまり、「この人は仕事が速いな」、「安心して仕事できるな」→「次も頼もう、迷惑かけないように早く発注しよう」ってなる場合もあるような気がする。
たしかにねぇ、編集者って追い詰められてるところがあって、「まだいけるか?、もうそろそろやばいかな?」っていつも考えてるものなのかもしれない。ぼくも、経験上、発注をギリギリにしてしまうことが多かった。でもねー。ギリギリに発注をかけるというのは、すごく心苦しいんですよね。「あーごめんなさいごめんなさい、次はちゃんとしよう次はちゃんとしよう」といつも思ってた。
でもなっかなか、それができなくて苦しくってね。編集者にとっては、雑誌を作るのにはいろんな不安要素があって、どうしても遅れてしまう。なんでだろう?って自分でも思ってるんですけどねー。たとえば、ぼくだって、新人のころはかなりソツなく仕事をこなしていた部分があった。あのころは、仕事の量も少なかっただろうけど、それ以上にうまくこなしていたような気がする。でもそれが、だんだん出来なくなっちゃったんですよね。
なんでだろう?と考えるに、鬱傾向だったのかもなーと思ったり。たまにせっかく早くに発注しているのに、ギリギリになるまで書いてくれない人があると、「早くに発注するとダレちゃうんだなー」と考える。それで次は、「ジャストタイミングになるまで塩漬けしてから発注だ」とか思うんだけど、発注するのを忘れて(あるいは茹でガエル効果で)ギリギリになってしまったりする。「早く発注しても、ギリギリで発注しても結果は同じなの?」って思ってしまったら、また苦しい。どうすればいいか分からなくなる。そして次の月に突入する。
ぼくの場合は、いろんな人からよく怒られたり、喧嘩したりしたからなぁ。余計に臆病になっているところがあって、「どういう風に声をかければいいんだろう?」とか、「この人にとっては、いつ、どういう風にアプローチされるのが快適に感じるのだろう?」とか、考えすぎてしまって、でもなかなかうまくいかなくて、苦しかった。
あとぼくの場合は、いわゆる「ライターさん」を使うんじゃなくて、現場の一線で活躍している人に声をかけたいと思っていたから、余計にしんどい面があった。知らない人に声をかけるのはそれなりに気を遣うものだし、知らない人に仕事を発注するわけだから、結果としてもらえる文章(アウトプット)の品質が読めない部分が大きくて、そのへんにも苦労した。
期待外れのアウトプットをもらったときとかは、本当に困る。そういう場合、強気な編集者さんは大きくリライトしてしまうケースもあるようだけど、ぼくはそれがなかなかできなくて。何度も文章を読んで、「この人は、この文章で何を言いたかったんだろう? この人にとって、(この)仕事の意味ってなんだろう?」、「読者にとって、この文章から読んで得られる価値の根幹は何だろう?」と考える。そして、書いた人と読む人の、双方が何かを得られる地点まで文章を持っていく。
そのとき、文章をリライトするだけじゃなくて、書いた人と調整するわけだけど。人の書いたものに手を入れて、とくにそれを「良く」しようと試みるのは、それだけで苦しい。なにが「良い」かなんて分からないわけだし、実際ぼくなんかはその現場のことを何も知らないわけで。「お前なんかに何が分かる」と言われても仕方ない。その仕方ない人間が、仕方のない感性と感覚で、文章をリライトする。その人とは初めて仕事するわけだから、信頼関係とかも1から構築しながらそれをやる。しんどかったなぁ。
えーと、なにが言いたいんだっけ? まぁそんな感じで作業している編集者もいますよということで。でもともあれ。自分の小説の仕事が来て、よかったですね。書く側として、それは本当にうれしいことだろうし、発注する側としてもうれしいことです。これからも、そういう風に仕事をしていけるといいですね。そう思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/wakatukihikaru/diary/200706190000/
発注頂いたアンソロジーの官能小説の短編を、締め切りの2週間前に納品しました。ほんとうは、これは、ライター仕事で学んだ処世術からいうと、やってはいけないことなんです。納品は締め切りの直前。早くても数日前。それがライター仕事をうまく回すコツです。どうしてかというとですね。……
ふぅん。そういうものなのかなぁ……。週刊誌とか一般誌の仕事だったら、そうなのかなぁ。なんか、逆のケースもあるかなーと思ったり。つまり、「この人は仕事が速いな」、「安心して仕事できるな」→「次も頼もう、迷惑かけないように早く発注しよう」ってなる場合もあるような気がする。
たしかにねぇ、編集者って追い詰められてるところがあって、「まだいけるか?、もうそろそろやばいかな?」っていつも考えてるものなのかもしれない。ぼくも、経験上、発注をギリギリにしてしまうことが多かった。でもねー。ギリギリに発注をかけるというのは、すごく心苦しいんですよね。「あーごめんなさいごめんなさい、次はちゃんとしよう次はちゃんとしよう」といつも思ってた。
でもなっかなか、それができなくて苦しくってね。編集者にとっては、雑誌を作るのにはいろんな不安要素があって、どうしても遅れてしまう。なんでだろう?って自分でも思ってるんですけどねー。たとえば、ぼくだって、新人のころはかなりソツなく仕事をこなしていた部分があった。あのころは、仕事の量も少なかっただろうけど、それ以上にうまくこなしていたような気がする。でもそれが、だんだん出来なくなっちゃったんですよね。
なんでだろう?と考えるに、鬱傾向だったのかもなーと思ったり。たまにせっかく早くに発注しているのに、ギリギリになるまで書いてくれない人があると、「早くに発注するとダレちゃうんだなー」と考える。それで次は、「ジャストタイミングになるまで塩漬けしてから発注だ」とか思うんだけど、発注するのを忘れて(あるいは茹でガエル効果で)ギリギリになってしまったりする。「早く発注しても、ギリギリで発注しても結果は同じなの?」って思ってしまったら、また苦しい。どうすればいいか分からなくなる。そして次の月に突入する。
ぼくの場合は、いろんな人からよく怒られたり、喧嘩したりしたからなぁ。余計に臆病になっているところがあって、「どういう風に声をかければいいんだろう?」とか、「この人にとっては、いつ、どういう風にアプローチされるのが快適に感じるのだろう?」とか、考えすぎてしまって、でもなかなかうまくいかなくて、苦しかった。
あとぼくの場合は、いわゆる「ライターさん」を使うんじゃなくて、現場の一線で活躍している人に声をかけたいと思っていたから、余計にしんどい面があった。知らない人に声をかけるのはそれなりに気を遣うものだし、知らない人に仕事を発注するわけだから、結果としてもらえる文章(アウトプット)の品質が読めない部分が大きくて、そのへんにも苦労した。
期待外れのアウトプットをもらったときとかは、本当に困る。そういう場合、強気な編集者さんは大きくリライトしてしまうケースもあるようだけど、ぼくはそれがなかなかできなくて。何度も文章を読んで、「この人は、この文章で何を言いたかったんだろう? この人にとって、(この)仕事の意味ってなんだろう?」、「読者にとって、この文章から読んで得られる価値の根幹は何だろう?」と考える。そして、書いた人と読む人の、双方が何かを得られる地点まで文章を持っていく。
そのとき、文章をリライトするだけじゃなくて、書いた人と調整するわけだけど。人の書いたものに手を入れて、とくにそれを「良く」しようと試みるのは、それだけで苦しい。なにが「良い」かなんて分からないわけだし、実際ぼくなんかはその現場のことを何も知らないわけで。「お前なんかに何が分かる」と言われても仕方ない。その仕方ない人間が、仕方のない感性と感覚で、文章をリライトする。その人とは初めて仕事するわけだから、信頼関係とかも1から構築しながらそれをやる。しんどかったなぁ。
えーと、なにが言いたいんだっけ? まぁそんな感じで作業している編集者もいますよということで。でもともあれ。自分の小説の仕事が来て、よかったですね。書く側として、それは本当にうれしいことだろうし、発注する側としてもうれしいことです。これからも、そういう風に仕事をしていけるといいですね。そう思います。
2007-06-21
# 日記
奥様、鼻毛が出ておりますことよ - たこやき人生訓
http://d.hatena.ne.jp/wakamura_you/20070620/1182320821
いや、面白かったですよ。楽しそうでいいですね。
最近飲みに行っていないのでうらやましい。
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小野和俊のブログ:Thunderbird の唯一にして最大の悩みである「アドレス自動補完問題」を解決する方法
http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50170581.html
この次の部分でワロタ。「くるぞくるぞくるぞー。キターっ」って感じ。
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Tech Mom from Silicon Valley - 豊かな時代の教育とは:「こいつらにはやっぱかなわねー」と思うこと
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20070606/1181096157
[竹田さん] まぁ記事にも共感・目鱗したのだけど、この記事を読んでもう1つ思ったのは、「どうしてこんな高度な技術が、教育の現場で有効に働いてるんだ? マジか?」ってことかなぁ。教育問題ってさぁ、日本では定説みたいなのがイマイチ一般に浸透していない気がする。何が正しいのかよく分からない感じ。教育学の成果って、ぼくは何一つ知らないかもしれない。っつーか、日本では科学の成果自体が、社会とか文化にあまりフィードバックされてない気がするね。前にも書いたかこれ。
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それにしても、Zaurusの新しいの出ないかなぁ。メモリがあと64MB増えたら、ほんとにほんとに、ほんっとーに嬉しいのだけど。
http://d.hatena.ne.jp/wakamura_you/20070620/1182320821
いや、面白かったですよ。楽しそうでいいですね。
最近飲みに行っていないのでうらやましい。
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小野和俊のブログ:Thunderbird の唯一にして最大の悩みである「アドレス自動補完問題」を解決する方法
http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50170581.html
このままでは次のような失礼なメールになってしまう。
この次の部分でワロタ。「くるぞくるぞくるぞー。キターっ」って感じ。
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Tech Mom from Silicon Valley - 豊かな時代の教育とは:「こいつらにはやっぱかなわねー」と思うこと
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20070606/1181096157
[竹田さん] まぁ記事にも共感・目鱗したのだけど、この記事を読んでもう1つ思ったのは、「どうしてこんな高度な技術が、教育の現場で有効に働いてるんだ? マジか?」ってことかなぁ。教育問題ってさぁ、日本では定説みたいなのがイマイチ一般に浸透していない気がする。何が正しいのかよく分からない感じ。教育学の成果って、ぼくは何一つ知らないかもしれない。っつーか、日本では科学の成果自体が、社会とか文化にあまりフィードバックされてない気がするね。前にも書いたかこれ。
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それにしても、Zaurusの新しいの出ないかなぁ。メモリがあと64MB増えたら、ほんとにほんとに、ほんっとーに嬉しいのだけど。
2007-06-20
# なんとなく、セクハラと社会について
*minx* [macska dot org in exile] - セクシュアルハラスメントの動機は性的興味ではない、という話
http://d.hatena.ne.jp/macska/20070521/p1
よく理解できなかったんだけど、興味深い内容だと思った。というか、タイトルに同感。
で、なんとなく感じたこと。結局のところ、セクハラというのは、弱者探しなんじゃないか? だいたいセクハラをする人間のイメージとしては、「(性的に、ではなく)社会的に歪んだ欲望の持ち主」を想像してしまうけれども、この想像を是と仮定してもう一歩進めてみる。「なぜ、セクハラの加害者は、社会的に歪んだ欲望を持つのか、その結果どのように振る舞うのか?」
まったくの想像と言っていい範疇に踏み込むのだけど(ぶじさわの書くものはいつもそうだけど)、セクハラの加害者は、きっと、「社会的弱者」だ。彼らは自ら、自分達が社会的弱者であると感じており、そのことに不満を持っている。ぼくはいつも、サルの集団生活を映す動物ドキュメンタリーを見ると、ボスザル以外の大人のオスザル(あるいはメスザル)達が、どんな気持ちでいるか想像するのだけど、それに似たものを感じる。
つまり、社会的弱者の地位にいる者は、その境遇に不満を感じ、なんとか改善したいと考える。彼らの不満の対象は、直接的には上位のサルであるべきだが、現実的には、憎悪は社会に向けられる。「どうして『自分』が『社会』において『弱者』なのか」と。「この社会が悪い、こんな社会は潰してしまえ」と。
しかし現実には、社会を潰すのは難しく、それを実現するということは、上位のサルより上位に立つ能力が必要だ。そこで彼らは、社会と正面から対峙するのを避ける。ゲリラ的に、あるいは刹那的に、反社会的行動を(人目に触れない場所で)行う。彼らの目的は、社会への「仕返し」だ。
一方で、どうして彼ら、たとえばセクハラをする男や痴漢らは、「女らしい女」を標的にしないのか。もし彼らが、自らの社会的弱者的境遇に鬱屈を感じているのなら、「女らしくない女」は同様に社会的弱者であるか、どちらかと言えば社会的正義に反目する存在、「味方」だと言える。「女らしい女」はまさに社会的強者であり、彼女らこそが敵だ。なぜ彼らは、敵を攻撃せずに味方を攻撃するのか。
たぶんだけれど。たぶん彼らは、「女らしい女」たちが、自分より強いことを知っている。彼女らは、社会的強者であって、弱者である自分たちでは歯が立たない。「女らしい女」を、(とくにたくさんの人がいる場所で)攻めるというのは、社会に対して正面から立ち向かうことなので、彼らはそれを選ばない。要するに、彼らが求めているのは、はけ口なのではないか。
……セクハラというよりは、痴漢のイメージを頭の中に入れて書いちゃったっぽい。
http://d.hatena.ne.jp/macska/20070521/p1
よく理解できなかったんだけど、興味深い内容だと思った。というか、タイトルに同感。
で、なんとなく感じたこと。結局のところ、セクハラというのは、弱者探しなんじゃないか? だいたいセクハラをする人間のイメージとしては、「(性的に、ではなく)社会的に歪んだ欲望の持ち主」を想像してしまうけれども、この想像を是と仮定してもう一歩進めてみる。「なぜ、セクハラの加害者は、社会的に歪んだ欲望を持つのか、その結果どのように振る舞うのか?」
まったくの想像と言っていい範疇に踏み込むのだけど(ぶじさわの書くものはいつもそうだけど)、セクハラの加害者は、きっと、「社会的弱者」だ。彼らは自ら、自分達が社会的弱者であると感じており、そのことに不満を持っている。ぼくはいつも、サルの集団生活を映す動物ドキュメンタリーを見ると、ボスザル以外の大人のオスザル(あるいはメスザル)達が、どんな気持ちでいるか想像するのだけど、それに似たものを感じる。
つまり、社会的弱者の地位にいる者は、その境遇に不満を感じ、なんとか改善したいと考える。彼らの不満の対象は、直接的には上位のサルであるべきだが、現実的には、憎悪は社会に向けられる。「どうして『自分』が『社会』において『弱者』なのか」と。「この社会が悪い、こんな社会は潰してしまえ」と。
しかし現実には、社会を潰すのは難しく、それを実現するということは、上位のサルより上位に立つ能力が必要だ。そこで彼らは、社会と正面から対峙するのを避ける。ゲリラ的に、あるいは刹那的に、反社会的行動を(人目に触れない場所で)行う。彼らの目的は、社会への「仕返し」だ。
一方で、どうして彼ら、たとえばセクハラをする男や痴漢らは、「女らしい女」を標的にしないのか。もし彼らが、自らの社会的弱者的境遇に鬱屈を感じているのなら、「女らしくない女」は同様に社会的弱者であるか、どちらかと言えば社会的正義に反目する存在、「味方」だと言える。「女らしい女」はまさに社会的強者であり、彼女らこそが敵だ。なぜ彼らは、敵を攻撃せずに味方を攻撃するのか。
たぶんだけれど。たぶん彼らは、「女らしい女」たちが、自分より強いことを知っている。彼女らは、社会的強者であって、弱者である自分たちでは歯が立たない。「女らしい女」を、(とくにたくさんの人がいる場所で)攻めるというのは、社会に対して正面から立ち向かうことなので、彼らはそれを選ばない。要するに、彼らが求めているのは、はけ口なのではないか。
……セクハラというよりは、痴漢のイメージを頭の中に入れて書いちゃったっぽい。
# サポートとか
MovableTypeのラインセンスがGPL化されることが意外と知られてない/理解されてないらしい
http://neta.ywcafe.net/000749.html
あーそうかー。そういやMovableTypeのライセンスって、GPL化されるんだったなー。ライセンスのことって忘れがちだし、オープンソースライセンスの意味も、なんつーか「理解」するのはなかなか難しいよなー。
それにしても、いいことが書かれてるなぁ。サポートの意味とか、営業の実際とか。あと、MovableTypeがGPL化されるとして、どれくらいオープンなんだろうか?とか(機能限定版がオープンになるの?とか、コードがブランチしたらいやだなぁとか、URLの深いところでひっそりオープンになるんじゃないの?とか)。
個人的には、現実問題として「サポート」なんてまったくと言っていいほど「使えない」と思っているのだけど、世間の温度感とかそうじゃないし、実際にOSS陣営からも「オープンソースソフトウェアのビジネスモデルって『サポート』が本質じゃん?」みたいな意見さえあるわけで、とんでもない空中戦だよなぁ。どこから弾が飛んでくるか分からない。
「じゃあおまい、どんだけサポート頼りにするんか?」と。「サポートを売る・買うってことに、どれくらいコミットする(責任を取る)んか?」と。このへんの感覚は、言葉に出して表現するのも難しい。長島監督の野球談義を聞くように、要領の得ない説明になってしまう。結局のところ、サポートって「責任」ってことなのかなぁ。で、「責任」が曖昧だから、サポートやサポートビジネスも曖昧なのかなぁ。
よく分からんけど。困ったとき、最終的には自分の身を助けてくれるのは自分しかいない。でもまぁ、医者の手助けがなければ話にならないように、自分で自分を助けられない場面もあるだろうしなぁ。サポートってたとえば医者の仕事みたいなものなのかなぁ。よく分からない。モヤモヤー
http://neta.ywcafe.net/000749.html
あーそうかー。そういやMovableTypeのライセンスって、GPL化されるんだったなー。ライセンスのことって忘れがちだし、オープンソースライセンスの意味も、なんつーか「理解」するのはなかなか難しいよなー。
それにしても、いいことが書かれてるなぁ。サポートの意味とか、営業の実際とか。あと、MovableTypeがGPL化されるとして、どれくらいオープンなんだろうか?とか(機能限定版がオープンになるの?とか、コードがブランチしたらいやだなぁとか、URLの深いところでひっそりオープンになるんじゃないの?とか)。
個人的には、現実問題として「サポート」なんてまったくと言っていいほど「使えない」と思っているのだけど、世間の温度感とかそうじゃないし、実際にOSS陣営からも「オープンソースソフトウェアのビジネスモデルって『サポート』が本質じゃん?」みたいな意見さえあるわけで、とんでもない空中戦だよなぁ。どこから弾が飛んでくるか分からない。
「じゃあおまい、どんだけサポート頼りにするんか?」と。「サポートを売る・買うってことに、どれくらいコミットする(責任を取る)んか?」と。このへんの感覚は、言葉に出して表現するのも難しい。長島監督の野球談義を聞くように、要領の得ない説明になってしまう。結局のところ、サポートって「責任」ってことなのかなぁ。で、「責任」が曖昧だから、サポートやサポートビジネスも曖昧なのかなぁ。
よく分からんけど。困ったとき、最終的には自分の身を助けてくれるのは自分しかいない。でもまぁ、医者の手助けがなければ話にならないように、自分で自分を助けられない場面もあるだろうしなぁ。サポートってたとえば医者の仕事みたいなものなのかなぁ。よく分からない。モヤモヤー
2007-06-19
# 悪とは何か
要するに、悪というのは「敵」の言い換えにすぎない。
だが人は、「敵」と呼べばよい場面で、「悪」と呼ぶ。
「敵」では駄目だからだ。敵では大義がない。
大義が必要だから、わざわざ人はそれを「悪」と呼ぶ。
そこには根拠などない。彼らにとっては、根拠などなんでもいい。
より多くの人間を味方に付けたほうが「正義」だ。
だから彼らは、「敵」や「嫌い」といった言葉ではなく、
「正義」や「汚い」という言葉を使う。
そういうロジックでなければ、
彼らが「正義」や「悪」という言葉を使う必要はない。
彼らは、「あなたは私の敵か?」とは尋ねない。
「あなたは悪か?」と問う。
つまり、暗に「自分や、自分たが正義だ」と言っている。
そして暗に、「あなたが悪でないのなら証を示せ」
(そこにある悪を潰して正義の証を立てよ)とけしかける。
恐怖心をあおる。誰もがみな、恐怖心に駆られている。
現実に、多くのケースで、「敵」という言葉の代わりに
「悪」という言葉が使われる。
彼らは「敵」という言葉も、「嫌い」という言葉も使えない。
弱いからだ。
だが人は、「敵」と呼べばよい場面で、「悪」と呼ぶ。
「敵」では駄目だからだ。敵では大義がない。
大義が必要だから、わざわざ人はそれを「悪」と呼ぶ。
そこには根拠などない。彼らにとっては、根拠などなんでもいい。
より多くの人間を味方に付けたほうが「正義」だ。
だから彼らは、「敵」や「嫌い」といった言葉ではなく、
「正義」や「汚い」という言葉を使う。
そういうロジックでなければ、
彼らが「正義」や「悪」という言葉を使う必要はない。
彼らは、「あなたは私の敵か?」とは尋ねない。
「あなたは悪か?」と問う。
つまり、暗に「自分や、自分たが正義だ」と言っている。
そして暗に、「あなたが悪でないのなら証を示せ」
(そこにある悪を潰して正義の証を立てよ)とけしかける。
恐怖心をあおる。誰もがみな、恐怖心に駆られている。
現実に、多くのケースで、「敵」という言葉の代わりに
「悪」という言葉が使われる。
彼らは「敵」という言葉も、「嫌い」という言葉も使えない。
弱いからだ。