メッセージ。 - diary

2007-06-12

# 日々

他人にどれだけ評価してもらってもしょうがないんだよ。
いいかい? 一番難しいのは、自分に褒めてもらうことなんだよ。
いくら世界中の人に評価されても、褒められても、
たった一人、自分が自分を褒めてくれないのなら、意味がない。
2007-06-12 09:58:27 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-06-11

# 苦しいのう

最近は、会社関係でいろいろつまづいてる。とても不思議なことだけど、
なぜかぼくの顔を見ると、みんな突然怒り出したり、怪訝そうな顔をしたりするのだ。

ぼくのどこが悪いんだろう。全然悪気はないつもりなんだけど、うまくいかない。
書類を持っていけば、「こ、こ、こ、これは何ですかなんですか!?」って怒られるし、
会議になったらみんな喧喧囂囂大声をあげる。

まるで、不思議の国に来たみたいに訳が分からない。
ぼくは一応、みんなの言うことを聞いて、気分を悪くしないよう注意をしながら、
「これがいい」と思う方向に歩きたいと思ってる。

でもなんか、ぼくはどうも間違ってるようなのだ。たしかにぼくは、
書類の出し方を知らないし、社内の仕組みもなにも知らないので、悪いのだけど。

でも今まで、誰もとくにそういったことを教えてくれなかったし、
だからできるだけ、常識的なふるまいをすることで、被害を小さくしようとはしてる。
ぼくだけが特別、滅茶苦茶ひどい間違いをしているようにも、思えないんだけどなぁ。

みんなほうぼうに言うことが違って、あの人の言うことを聞けば、
この人が別のことを言うみたいなのが重なって、結局ぼくが、「どうしてこんな
風にしたの? こうしないと駄目じゃない」みたいなことを言われる。

でも、「こうしないと駄目」みたいなことは一面であって、それを優先することが
できなかったから今があったりして、それでも前に進まなきゃいけないんだけど、
よく考えたらもう時間が全然ない。たまに理解をしてくれる人もいるけど、
知らないところで迷惑をかけたり、がっかりさせてなかったらいいのになぁ。
本当に、不思議の国にいるみたいだ。
2007-06-11 23:45:47 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-06-08

# 続続 0.999...は1か

0.999...は1か の続きっていうか。

結局のところ、「0.999...は1か」ってのは、「そう考えればイロイロうまくいくよ」以上のものではないんだよ。

「0.999...=1」ってのは、証明できない。「証明できるよ」って意見もあるけど、その意見をよく精査すれば完全ではない。

「0.999...=1」を証明しようとすれば、「Aの定理により証明できる」という結論が得られ、「Aの定理は正しいの?」という疑問が残る。Aの定理を証明しようとすれば、「Bの定理によりAの定理が証明できる」みたいになって、収束しない。ゲーデルの不完全性定理だ。

だから本当は、数学者も教育者も、「0.999...は1なの?」って尋かれたら、「すばらしい質問だね!! その疑問は妥当で、結局のとろは先生にもその答は分からない。0.999...=1と考えればイロイロうまくいくってだけだ。ゲーデルって人がね……」と言わなければいけない。ところが、それを言うのはすごく難しいんだ。

簡単な問題だけど、なかなかそれができない。コロンブスの卵。その原因はいくつか考えられるけど、問題の1つは身体性にあって、多くの人にとって「0.999...=1」というのが身体性を伴って理解されている。「そう考えればうまくいく」という経験則に過ぎないことを、ついつい「証明できる」(世界の果てに到達している)と思ってしまったり、あいまいな答を言ってしまう。

質問者は、「じゃあ証明って何?」って話を尋きたいのに、そこに至らない。「正しいから正しいんだよ」の向こうに辿り着けない。それが悪いって言うんじゃなくて、人間には限界があるってことで、ある程度はしょうがない。それが我々の弱みであって、強みでもある。問題はつねに在るんだ。でも問題が存在することは問題じゃない。
2007-06-08 09:45:08 / ふじさわ / Comment: 6 / Trackback: 0

2007-06-07

# 日々

通りを歩いていたら、突然自分が裸であることに気付く。

そういう夢を、昔はよく見た。

でもあるとき、もうその夢を見るのが本当に嫌になって、
「もうこの夢見るの、やめる!」と決めた。

それでだいたい、その夢を見ることは、なくなった。


……ちょっと違うか。
「その夢を見るのが本当に嫌になって」ってのは本当は、
「その夢を見るときに感じる気持ちが本当に嫌になって」のほうが正しい。

「もうこんな気持ちを感じるのは、やめる!」と決めたのだった。

もうぼくは、通りを歩いていて自分が裸であることに気付いても、
嫌な気持ちを感じない。そういう気持ちにならない。

「そうなったらそうなったでしょうがない」。そう決めた。

もしぼくが、街中を裸で歩いてしまったとしても。
それがぼくの運命と能力の限界であり、ぼくの本当の姿だ。

裸で歩くぼくを見て、
逮捕したいのならすればいいし、蔑みたいならそうすればいい。
ぼくを殺したいのなら殺せばいいし、ぼくの一番大事なものを
滅茶苦茶にしたいのならそうすればいい。

ぼくが裸で歩くのが罪なら、そうすればいい。
夢の中でも現実でも。ぼくはいっこうに構わない。
2007-06-07 10:20:06 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-06-06

# 日々

しかし、難しいな……。
100個の問題を指摘できても、たった1つの解決策を示せないなら、役になんか立たない。

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あと、恋愛とか要らない。本当にいらない。なんだそれは。
2007-06-06 21:28:14 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 日々

もしかして、おいら、嫌われてる?

って思ったりもするけど、あまり気にしない。

気にしないというか、「嫌われててもしょうがない」というか。

「嫌われてるんだったらどうしよう、どうしよう」なんて慌てるほうが、
(もし本当に嫌われてるんだとすれば、)余計に相手に迷惑な気がする。

嫌われてて、相手に迷惑なことをしてしまっていたのなら、
「ごめん」と心の中で謝る。

「ごめんよごめんよ。おいらちょっと、ただ、キミのことが気になっちゃって。
思わず声をかけてしまっただよ」。

心の中で、大声で叫ぶ。それでまぁ、矛を収めるしかしょうがない。

別に、嫌われてたって構わないもーんだ。
どれだけ嫌われてたって、自分の気持ちは変わらない。

あなたがぼくを嫌いでも、ぼくはあなたを嫌わない。だから、それでいい。
あなたには望まない。正確には、「あなたとの関係には望まない」。
ぼくはもう、あなたから十分、本当に十分、もらっているのだ。

だからもう、これ以上を望まないし、迷惑をかけるつもりも必要もない。
あなたはあなたの好きなようにやればいい。

「ありがとう」だけがふさわしい。
嫌われてたって、「ありがとう」と言ってやるのだ。
2007-06-06 21:11:38 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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