メッセージ。 - diary
2007-06-08
# 続続 0.999...は1か
0.999...は1か、続 の続きっていうか。
結局のところ、「0.999...は1か」ってのは、「そう考えればイロイロうまくいくよ」以上のものではないんだよ。
「0.999...=1」ってのは、証明できない。「証明できるよ」って意見もあるけど、その意見をよく精査すれば完全ではない。
「0.999...=1」を証明しようとすれば、「Aの定理により証明できる」という結論が得られ、「Aの定理は正しいの?」という疑問が残る。Aの定理を証明しようとすれば、「Bの定理によりAの定理が証明できる」みたいになって、収束しない。ゲーデルの不完全性定理だ。
だから本当は、数学者も教育者も、「0.999...は1なの?」って尋かれたら、「すばらしい質問だね!! その疑問は妥当で、結局のとろは先生にもその答は分からない。0.999...=1と考えればイロイロうまくいくってだけだ。ゲーデルって人がね……」と言わなければいけない。ところが、それを言うのはすごく難しいんだ。
簡単な問題だけど、なかなかそれができない。コロンブスの卵。その原因はいくつか考えられるけど、問題の1つは身体性にあって、多くの人にとって「0.999...=1」というのが身体性を伴って理解されている。「そう考えればうまくいく」という経験則に過ぎないことを、ついつい「証明できる」(世界の果てに到達している)と思ってしまったり、あいまいな答を言ってしまう。
質問者は、「じゃあ証明って何?」って話を尋きたいのに、そこに至らない。「正しいから正しいんだよ」の向こうに辿り着けない。それが悪いって言うんじゃなくて、人間には限界があるってことで、ある程度はしょうがない。それが我々の弱みであって、強みでもある。問題はつねに在るんだ。でも問題が存在することは問題じゃない。
結局のところ、「0.999...は1か」ってのは、「そう考えればイロイロうまくいくよ」以上のものではないんだよ。
「0.999...=1」ってのは、証明できない。「証明できるよ」って意見もあるけど、その意見をよく精査すれば完全ではない。
「0.999...=1」を証明しようとすれば、「Aの定理により証明できる」という結論が得られ、「Aの定理は正しいの?」という疑問が残る。Aの定理を証明しようとすれば、「Bの定理によりAの定理が証明できる」みたいになって、収束しない。ゲーデルの不完全性定理だ。
だから本当は、数学者も教育者も、「0.999...は1なの?」って尋かれたら、「すばらしい質問だね!! その疑問は妥当で、結局のとろは先生にもその答は分からない。0.999...=1と考えればイロイロうまくいくってだけだ。ゲーデルって人がね……」と言わなければいけない。ところが、それを言うのはすごく難しいんだ。
簡単な問題だけど、なかなかそれができない。コロンブスの卵。その原因はいくつか考えられるけど、問題の1つは身体性にあって、多くの人にとって「0.999...=1」というのが身体性を伴って理解されている。「そう考えればうまくいく」という経験則に過ぎないことを、ついつい「証明できる」(世界の果てに到達している)と思ってしまったり、あいまいな答を言ってしまう。
質問者は、「じゃあ証明って何?」って話を尋きたいのに、そこに至らない。「正しいから正しいんだよ」の向こうに辿り着けない。それが悪いって言うんじゃなくて、人間には限界があるってことで、ある程度はしょうがない。それが我々の弱みであって、強みでもある。問題はつねに在るんだ。でも問題が存在することは問題じゃない。
2007-06-07
# 日々
通りを歩いていたら、突然自分が裸であることに気付く。
そういう夢を、昔はよく見た。
でもあるとき、もうその夢を見るのが本当に嫌になって、
「もうこの夢見るの、やめる!」と決めた。
それでだいたい、その夢を見ることは、なくなった。
……ちょっと違うか。
「その夢を見るのが本当に嫌になって」ってのは本当は、
「その夢を見るときに感じる気持ちが本当に嫌になって」のほうが正しい。
「もうこんな気持ちを感じるのは、やめる!」と決めたのだった。
もうぼくは、通りを歩いていて自分が裸であることに気付いても、
嫌な気持ちを感じない。そういう気持ちにならない。
「そうなったらそうなったでしょうがない」。そう決めた。
もしぼくが、街中を裸で歩いてしまったとしても。
それがぼくの運命と能力の限界であり、ぼくの本当の姿だ。
裸で歩くぼくを見て、
逮捕したいのならすればいいし、蔑みたいならそうすればいい。
ぼくを殺したいのなら殺せばいいし、ぼくの一番大事なものを
滅茶苦茶にしたいのならそうすればいい。
ぼくが裸で歩くのが罪なら、そうすればいい。
夢の中でも現実でも。ぼくはいっこうに構わない。
そういう夢を、昔はよく見た。
でもあるとき、もうその夢を見るのが本当に嫌になって、
「もうこの夢見るの、やめる!」と決めた。
それでだいたい、その夢を見ることは、なくなった。
……ちょっと違うか。
「その夢を見るのが本当に嫌になって」ってのは本当は、
「その夢を見るときに感じる気持ちが本当に嫌になって」のほうが正しい。
「もうこんな気持ちを感じるのは、やめる!」と決めたのだった。
もうぼくは、通りを歩いていて自分が裸であることに気付いても、
嫌な気持ちを感じない。そういう気持ちにならない。
「そうなったらそうなったでしょうがない」。そう決めた。
もしぼくが、街中を裸で歩いてしまったとしても。
それがぼくの運命と能力の限界であり、ぼくの本当の姿だ。
裸で歩くぼくを見て、
逮捕したいのならすればいいし、蔑みたいならそうすればいい。
ぼくを殺したいのなら殺せばいいし、ぼくの一番大事なものを
滅茶苦茶にしたいのならそうすればいい。
ぼくが裸で歩くのが罪なら、そうすればいい。
夢の中でも現実でも。ぼくはいっこうに構わない。
2007-06-06
# 日々
もしかして、おいら、嫌われてる?
って思ったりもするけど、あまり気にしない。
気にしないというか、「嫌われててもしょうがない」というか。
「嫌われてるんだったらどうしよう、どうしよう」なんて慌てるほうが、
(もし本当に嫌われてるんだとすれば、)余計に相手に迷惑な気がする。
嫌われてて、相手に迷惑なことをしてしまっていたのなら、
「ごめん」と心の中で謝る。
「ごめんよごめんよ。おいらちょっと、ただ、キミのことが気になっちゃって。
思わず声をかけてしまっただよ」。
心の中で、大声で叫ぶ。それでまぁ、矛を収めるしかしょうがない。
別に、嫌われてたって構わないもーんだ。
どれだけ嫌われてたって、自分の気持ちは変わらない。
あなたがぼくを嫌いでも、ぼくはあなたを嫌わない。だから、それでいい。
あなたには望まない。正確には、「あなたとの関係には望まない」。
ぼくはもう、あなたから十分、本当に十分、もらっているのだ。
だからもう、これ以上を望まないし、迷惑をかけるつもりも必要もない。
あなたはあなたの好きなようにやればいい。
「ありがとう」だけがふさわしい。
嫌われてたって、「ありがとう」と言ってやるのだ。
って思ったりもするけど、あまり気にしない。
気にしないというか、「嫌われててもしょうがない」というか。
「嫌われてるんだったらどうしよう、どうしよう」なんて慌てるほうが、
(もし本当に嫌われてるんだとすれば、)余計に相手に迷惑な気がする。
嫌われてて、相手に迷惑なことをしてしまっていたのなら、
「ごめん」と心の中で謝る。
「ごめんよごめんよ。おいらちょっと、ただ、キミのことが気になっちゃって。
思わず声をかけてしまっただよ」。
心の中で、大声で叫ぶ。それでまぁ、矛を収めるしかしょうがない。
別に、嫌われてたって構わないもーんだ。
どれだけ嫌われてたって、自分の気持ちは変わらない。
あなたがぼくを嫌いでも、ぼくはあなたを嫌わない。だから、それでいい。
あなたには望まない。正確には、「あなたとの関係には望まない」。
ぼくはもう、あなたから十分、本当に十分、もらっているのだ。
だからもう、これ以上を望まないし、迷惑をかけるつもりも必要もない。
あなたはあなたの好きなようにやればいい。
「ありがとう」だけがふさわしい。
嫌われてたって、「ありがとう」と言ってやるのだ。
2007-06-02
# 『年次改革要望書』
著作権の非親告罪化やP2Pによる共有の違法化は誰が言い始めたのか? - GIGAZINE
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070602_annual_reform_request/
『年次改革要望書』というのは知らなかったなぁ。ひどい話だ。こんな大事なことが、こんなくだらないルートで決まってしまうのか。日本には自決権などないってことね。馬鹿らしいこった。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070602_annual_reform_request/
『年次改革要望書』というのは知らなかったなぁ。ひどい話だ。こんな大事なことが、こんなくだらないルートで決まってしまうのか。日本には自決権などないってことね。馬鹿らしいこった。