メッセージ。 - diary
2007-04-03
# 世界は1つじゃない。まぁそれでいいじゃん
「自衛官は、人殺しの練習をしている」と知事が言ったというニュース。「この人阿呆やなぁ」とは思うけど、仕方ないんじゃないの? 世の中には阿呆な人がいっぱいいるし、差別心というか、人を見下さないと生きていけない人というのはいっぱいいる。それはそれでいいんじゃないの? じゃあ何か? 知事は賢く清廉潔白、ミスをしない人間でなければいけないの? 無理無理。みんな『暴れん坊将軍』の見すぎ。スーパーマンはいないのよ。
こういう記事に怒る人って、なにがしたくて声をあげてるの? 逆に怒っている人は、知事さんのような立場が務まるのかなぁ? 失言をしないよう喋ろうと思ったら、何も言えなくなっちゃうと思うんだよ。「誰も傷付けない言葉はない」から。完全な倫理も、完全な人物も、完全なシステムも存在しない。世界を1つのセグメントで理解しようとしては駄目だ。
あとね。「不謹慎」って言葉も意味が分からない。誰かが悲しんでいると、他の人も悲しいフリをしたり、悲しんだりしなきゃいけないの? そんなの、「常識」とか「女らしくしろ」ってのと変わらないべさ。「あそこで暴力を振るう悪い奴がいる。みんなで殴りに行こう」って言うようなもんじゃね?
いや、文句を言うなというわけじゃなくてね。異を唱えるのはいい。ただ、暴力に暴力で抗そうとして、パワーゲームに持ち込むのはやめたほうがいいと思うんだよ。暴力をなくしたいなら、暴力の扱いには慎重にならなければならない。知ってる? 暴力を生むのは暴力であり、憎しみを生むのは憎しみなんだよ?
こういう記事に怒る人って、なにがしたくて声をあげてるの? 逆に怒っている人は、知事さんのような立場が務まるのかなぁ? 失言をしないよう喋ろうと思ったら、何も言えなくなっちゃうと思うんだよ。「誰も傷付けない言葉はない」から。完全な倫理も、完全な人物も、完全なシステムも存在しない。世界を1つのセグメントで理解しようとしては駄目だ。
あとね。「不謹慎」って言葉も意味が分からない。誰かが悲しんでいると、他の人も悲しいフリをしたり、悲しんだりしなきゃいけないの? そんなの、「常識」とか「女らしくしろ」ってのと変わらないべさ。「あそこで暴力を振るう悪い奴がいる。みんなで殴りに行こう」って言うようなもんじゃね?
いや、文句を言うなというわけじゃなくてね。異を唱えるのはいい。ただ、暴力に暴力で抗そうとして、パワーゲームに持ち込むのはやめたほうがいいと思うんだよ。暴力をなくしたいなら、暴力の扱いには慎重にならなければならない。知ってる? 暴力を生むのは暴力であり、憎しみを生むのは憎しみなんだよ?
2007-03-28
# あーーーっと!
「あっちの山に金塊が埋まってたよ」に重大な抜けがあったよ! 「きみも行って、取ってきたらどう?」って言うのは、たしかに人の心を動かせないと思う。でも、「一緒に取りに行かない?」なら、とてもいいと思う。
つまり、あの文章では「何も言わないほうがいい」って書いちゃってたけど、そうじゃないってこと。あなたが何かを言いたくなってしまうことや、いままで何かを言ってきたことは、間違いじゃない。それらは、「一緒に取りに行かない?」だから。です。すんません。
つまり、あの文章では「何も言わないほうがいい」って書いちゃってたけど、そうじゃないってこと。あなたが何かを言いたくなってしまうことや、いままで何かを言ってきたことは、間違いじゃない。それらは、「一緒に取りに行かない?」だから。です。すんません。
2007-03-27
# 記号を好きにならないでほしい感じ
Say::So? - 前回切れすぎなので補足いたしますが
ああ、これ分かる。でも、こういうのを分かってくれる人って、案外いないんだよなぁ……。(たぶんみんな心のどこかでは分かってるんだろうけど、流されてしまってるんじゃないかなぁ。)
「ねぇ、私のどこが好き?」って聞かれたとき、「目が好き」とか、「優しいところが好き」とか言うのは、あまりリアルじゃないような気がする。リアルじゃないというか、本気じゃない。
好きってのはもっと感覚的で、でも深くて、言葉にできないものなんじゃないかな。「目が好き」とか、「優しいところが好き」とかはさ、明日には変わってしまうかもしれないでしょ?
もしあなたが、明日、「もっと目が綺麗な人を見つけた」とか、「嫌な面も見つけた」とか、そういうことが起こったとしても。ぼくは、あなたにぼくを好きでいてほしいし、自分もあなたを好きでいたい。
それは、もっと深いところにある変わらないものを、大事にするってことだと思うんだよね。雨が降り風が吹いて春が来るように、カンガルーにポケットがあるように*1、深い谷底を風が吹くように、そうありたい。
記号ってのはさ。そういう深い感覚(アナログな感覚)を、捨象してしまう。記号なんて捨ててとは言わないけど、記号以外のなにかも、もうちょっと大事にしてほしい。
*1 (c)小沢健二「すぐに会えるかな?」
まぁあえていうなら「女性だから欲望する」のはやめてくれ、と思う。「私だから欲望する」のであればまだましなような気がする。私という人間に対して向かう感情ならば。記号に欲望するというのに拒否感があるんだろうな。きっと。
ああ、これ分かる。でも、こういうのを分かってくれる人って、案外いないんだよなぁ……。(たぶんみんな心のどこかでは分かってるんだろうけど、流されてしまってるんじゃないかなぁ。)
「ねぇ、私のどこが好き?」って聞かれたとき、「目が好き」とか、「優しいところが好き」とか言うのは、あまりリアルじゃないような気がする。リアルじゃないというか、本気じゃない。
好きってのはもっと感覚的で、でも深くて、言葉にできないものなんじゃないかな。「目が好き」とか、「優しいところが好き」とかはさ、明日には変わってしまうかもしれないでしょ?
もしあなたが、明日、「もっと目が綺麗な人を見つけた」とか、「嫌な面も見つけた」とか、そういうことが起こったとしても。ぼくは、あなたにぼくを好きでいてほしいし、自分もあなたを好きでいたい。
それは、もっと深いところにある変わらないものを、大事にするってことだと思うんだよね。雨が降り風が吹いて春が来るように、カンガルーにポケットがあるように*1、深い谷底を風が吹くように、そうありたい。
記号ってのはさ。そういう深い感覚(アナログな感覚)を、捨象してしまう。記号なんて捨ててとは言わないけど、記号以外のなにかも、もうちょっと大事にしてほしい。
*1 (c)小沢健二「すぐに会えるかな?」
2007-03-26
# 試合に勝って勝負に負ける
江川達也さんの漫画『日露戦争物語』が面白くって、あの時代の物語などをいくつか読んでみた。そこで知ったんだけどさ。戦争の勝敗というのは、「相手の戦艦を何隻沈めた」とか、「相手の将兵を何人やっつけた」とか、そういうことではないんだって。
戦争の勝敗で一番大事なのは、いかに有利な講和条件を引き出すかや、いかに世界に、自国の利を認めさせるかにある。たとえば日清戦争でいうと、日本は武力で中国軍を圧倒しながらも、中国側の戦略によって決着を長引かせられ苦しんだ。戦争が長引けば、漁夫の利を狙うイギリスやフランスなどが介入してきて、政治や経済の世界で不利な立場に立たされてしまう。
だから日本軍は、早く戦争を決着させるべきだった。それは、「相手の戦艦を早くたくさん沈めるべきだった」ということではなくて、政治・外交などの手段を使って素早く有利に事を納めるべきだった。子供どうしのけんかでもそうだけど、結局のところ戦争や喧嘩の勝利というのは、いかに相手の戦意を喪失させるかなんだ。「相手の腕をへし折った」とか「相手を泣かせた」とか、そういうことでは全然ない。
ところが、多くの人はそういうことが分かっていない(将校や将軍、政治家にさえそういう人が多い)。彼らの頭は、「戦争や喧嘩に勝つことイコール目の前の相手が泣いて頭を下げること」という理屈に染められていて、目の前の戦いに一生懸命になってしまう。「相手の戦艦を沈めたぞ」と言っては喜び、「相手に意地悪をしてやろう」といっては目をつり上げる(そしてたいしたものを得ることなく戦い終わる)。
これは結局のところ、「試合に勝って勝負に負けた」という状態だ。ぼくが見る限り、パレートの法則じゃないけど8割の人は試合のことばかり気にしていて、勝負や、試合と勝負の関係には気付いていない。……気付いていないというか忘れているというか。
それは。それはそれでいいと思うよ。他人の人生なんだから、ぼくが口出しすることじゃない。だからぼくは、なにも言わない。
戦争の勝敗で一番大事なのは、いかに有利な講和条件を引き出すかや、いかに世界に、自国の利を認めさせるかにある。たとえば日清戦争でいうと、日本は武力で中国軍を圧倒しながらも、中国側の戦略によって決着を長引かせられ苦しんだ。戦争が長引けば、漁夫の利を狙うイギリスやフランスなどが介入してきて、政治や経済の世界で不利な立場に立たされてしまう。
だから日本軍は、早く戦争を決着させるべきだった。それは、「相手の戦艦を早くたくさん沈めるべきだった」ということではなくて、政治・外交などの手段を使って素早く有利に事を納めるべきだった。子供どうしのけんかでもそうだけど、結局のところ戦争や喧嘩の勝利というのは、いかに相手の戦意を喪失させるかなんだ。「相手の腕をへし折った」とか「相手を泣かせた」とか、そういうことでは全然ない。
ところが、多くの人はそういうことが分かっていない(将校や将軍、政治家にさえそういう人が多い)。彼らの頭は、「戦争や喧嘩に勝つことイコール目の前の相手が泣いて頭を下げること」という理屈に染められていて、目の前の戦いに一生懸命になってしまう。「相手の戦艦を沈めたぞ」と言っては喜び、「相手に意地悪をしてやろう」といっては目をつり上げる(そしてたいしたものを得ることなく戦い終わる)。
これは結局のところ、「試合に勝って勝負に負けた」という状態だ。ぼくが見る限り、パレートの法則じゃないけど8割の人は試合のことばかり気にしていて、勝負や、試合と勝負の関係には気付いていない。……気付いていないというか忘れているというか。
それは。それはそれでいいと思うよ。他人の人生なんだから、ぼくが口出しすることじゃない。だからぼくは、なにも言わない。