メッセージ。 - diary

2007-01-21

# ネットだけの付き合い?

ぼくらには、ネットだけの付き合いしかないの?
この付き合いは、ネットだけじゃないと思ってるんだけど……。

ネットだけの付き合いなんて、つまらないじゃん。つまらなくないかな?
どうしてネットだけにしようと思うんだろう……。

少なくともぼくは、ネットかどうかなんて関係なく、あなたと遊ぶのが楽しいから遊んでるつもり。
媒体はどうだってよくて、ただあなたと遊びたい。
ネットという媒体がなくなったり、別の何かに形を変えたとしても、あなたとは遊びたいと思っていますよ?

明日も明後日も、ずっと遊びたいと思っている。だから今日、こうして遊んでいます。
「明日はもういいや」ってぐらい、つまらなく感じているの? もしそんなだったら。
ぼくなら今日、もう、やめてしまうけどな……。
2007-01-21 09:28:40 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# なんだろう……

ぼくは、いいことなんて言わないっすよ。
間違ったこともよく書くし、矛盾してるところも多いし。
自分で書いたものを読み返して、「これ、どういう論理なんだ?」と思うことが多いんだよねぇ……。
あ、というかそれ以前に、けっこう「自分はイヤナヤツだ」と思うこともあるのだった。
自意識過剰だし、排他的になってしまうことも多い。
だからねぇ。自分と付き合うことに、案外しんどく感じてたりもする。

ただ、1つ自分で「これはうれしいな」と思うところもあってね。
それは、ぼくが案外、みんなのことを好きだってところなんだよね。
「この人いいなー」ってすぐ思ってしまう。
そういう風にすぐ思ってしまうところが、自分では結構気に入ってるんだ。
ぼくはいいことは言わないけど、
もしいいことを言っていると感じてもらえたとしたら、
そのせいじゃないかなぁ。
2007-01-21 00:21:50 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-01-20

# 誰かを理解する

Ladder to the Moon - 文章は書き手をあらわす。でも文章すべて集めても書き手自身にはならない
 人間というのは多様な面を持っている。
 
 同じ人間の中に善も悪も、優しさも残酷さも、清濁ごちゃまぜに存在する、と自分は信じている。
 
 そして、人間は時間の経過とともに変化を続ける生き物だと思っている。
 
 だから、書き手が書いた言葉、言った言葉をすべてより合わせてもそれでも、書き手自身にはならない。
 
 それらは無数のかけらであって、そのかけらはその瞬間には真でも次の瞬間には嘘になってしまうこともあるのだから。

あ。これは鋭い、というかすごく好きな感じ方だな……。

なんていうかなぁ。相手の人を決めつけないことって、大事だと思うんだよね。一人の人間の中には、よい面も悪い面もある。自分と相性の良いところもあれば、許せないところもきっとある。そして相手も自分も、時間とともに変わっていく。

そういった世界で、誰かを好きになるっていうことはさ。変わりゆくということや、自分の知らないところまで含めて、好きでいるということでもあると思うんだ。ある人を指して、理解したつもりになることは、ある意味で正しいしある意味で間違っている。

何かを、誰かを、本当の意味で理解することはできないし、理解してもらうこともできないかもしれない。いや、本当は分かってるんだ。そんなの不可能だって。ただ、それでも。それでも。……ぼくはあなたのことを理解したいと思っている。
2007-01-20 23:41:00 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-01-19

# 続 言葉の重みを分かろうとする

あれ? うまく伝わってないかなぁ……。言葉の重みを分かろうとするで言いたかったのは、「あなたのことを思って発せられた言葉を、ちゃんと選んでね」ということなんだけど。あなたを傷付けようとして発せられた言葉や、あなたから何かを奪おうとする言葉を、うまくより分けて無視してほしいんだ。

逆に言えば、「あなたを大事にしてくれる人を大事にしなさい」ということなんだよね。あなたを大事にしてくれる人が発する言葉なら、いくらでも反応すればいいと思う。何も我慢することはなくってさ。誰かの言葉にすぐ反応すること自体は、何も問題がないとぼくは思ってる。

ただぼくが言いたかったのは、「誰か」をちゃんと選びなさいよということ。あなたのことを大事にしてくれない人を、あなたはそんなに気にかけないでほしい。変な人に、近付きすぎないでほしい。うまく説明できないけど、まぁそんな感じですよー。


……あっ、あと「お嬢ちゃん」なんですけど。ぼくは結構この表現が好きで、よく使います。なので、「お嬢ちゃん」というのは、あなたのことかもしれないし、そうでないかもしれません。というか、そんな簡単に釣られてはいけません(w。
2007-01-19 20:19:08 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# Gauche 0.8.9のZaurus用パッケージを作りました

Gauche 0.8.9がリリースされていたので、Zaurus用のパッケージを作ってみました。
ご入り用の方は、次のページからダウンロードしてくださいませ。

http://pikapika.to/~yf/download/gauche_0.8.9-1_arm.ipk

パッケージ作成は、次のようにしてZaurus上でセルフコンパイルしています。一応ご参考まで。

$ ./configure --prefix=/opt/QtPalmtop --enable-multibyte=euc-jp --enable-threads=pthreads
$ make
$ mkdir -p $HOME/pkgs/Gauche-0.8.9
$ make install DESTDIR=$HOME/pkgs/Gauche-0.8.9
$ cd $HOME/pkgs
$ fakeroot ipkg-build Gauche-0.8.9
2007-01-19 12:49:11 / ふじさわ / Comment: 4 / Trackback: 0

# いつもの過激発言

人間ってのは基本的に、猿なんですよ。猿から毛が抜けたものでしかない。

だからね。あまりに難しいことをさせようとしたり、ストレスをかけたりしたらパニックを起こす。

そこを忘れてはいけない。「猿は死ね」とか「もっと高度な生活に対応しろ。ストレスに耐えろ」と言っても何の解決にもならない。そんなことは現実問題として不可能なんだから。不可能なことを「やれ」と言うのは、単に猿のストレスを増やすだけ。

そうやって、猿により大きなストレスをかけたり、上から押さえつけようとしたら、猿は暴走する。それは、自分にとっても、相手の猿にとっても不幸だよね。ときどき猿が、悪いことをしたり、馬鹿なことをしたりするのは自然なこと。猿だって、ストレスで苦しいんだよ。自分が苦しいのと同じ。

でも、苦しいからといって猿は、簡単にほかの猿を殺すということまでしない。ストレスを受けた猿は、他の猿にいたずらをしたり、周りのものにあたり散らして暴れることはある。だけど、そのレベルと、ほかの猿を殺すというレベルの間には大きなへだたりがある。

猿がなにか悪いことをしたとき。「死ね」と言ったり、「ちゃんとルールに従え」と言ったりしても、何も変わらない。そうやって、木で鼻をくくったような接し方をしているほうが、猿にストレスを加えるんだ。そうやってストレスを加え続けるから、ついに猿は猿殺しをしてしまう。

あなただってそうでしょう? 苦しいとき、つらいとき、「死んでしまえば苦しみはなくなる」とか、「ルールに従って相手を裁判所に告訴すればいい」と言われても、困るでしょう? そういうことを求めているわけじゃない。そういうことが欲しいわけじゃない。それは、みんな同じ。ストレスに苦しんでいる猿に向かって、より強くストレスをかけてはいけない。


……あとね。そもそもという話をすると、猿がすることに対して、いちいち腹を立てるのは、やめたほうがいい。猿に悪気はないし、彼らはもともと難しいルールを守れないんだから。

野生公園なんかに行って、猿を見ていると、ときどき彼らと目が合う。そうすると、彼らは襲いかからんばかりに激怒する。猿は、ほかの猿と目を合わることを、ルール違反だとか、重大な罪のように考えているらしい。でもね。人間にとってそれは不可解だ。彼らと目が合ったといって、なんで人間であるぼくらが怒られにゃならんのだ。何か勘違いが起こっている。問題なんかどこにも、何もないのに、いさかいが起ころうとしている。

何が言いたいのって? つまり、向こう(人間、あるいは猿)が何かをしてきたからといって、我々(猿、あるいは人間)にとって、それがマナーに違反しようとするものであったり、攻撃の意思を示すものであるとは言えないってこと。向こうが何かをしてきたとき、いちいち相手に付き合って、怒ったり泣いたりしてあげる必要はないんだよ。そうやって、相手の土俵に乗ってしまったら、馬鹿をみたり損をするのは自分のほうなんだよ。

相手が自分を傷付けようとしたり、汚してきたときに、それを怖いとか恥ずかしいとか思う必要はない。それは往々にして、プロトコルミスマッチ以上のものではないんだから。相手を指して「あいつは猿だ、猿だ。猿は嫌いだから死ね」と言うのは、人間のやるべきことじゃない。猿のことを気にするのは、人間ではなく猿のやること。猿なんかのことは、放っておいてやればいいんだよ。猿に悪気はないし、あなたが適切に振る舞えば、それ以上のことはしてこないから。

だからね、お嬢ちゃん。あなたは怒る必要はない。悲しむ必要もない。あなたは何も汚れていないし、何も悪いことをしていない。そのことを、ちゃんと分かっている。分かっている人がいる。だから、そんなことでいつまでもくよくよして泣くのはやめてほしいな。
2007-01-19 10:52:12 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

2007-01-17

# 言葉の重みを分かろうとする

Say::So? - 努力とかいいわけとか自戒をこめて
 思うに「言い訳をするな」は本人が本人に向かってのみいえることばで周りの人間が言うと傲慢でしかない(子供に対しては別)。周りの人間がせいぜいできることは「どうして言い訳するのか」と質問を重ねて本人に問題を気づかせることぐらいじゃないだろうか。別に聞いた人が問題を解決する必要はないし、理解することもない。ただ質問を重ねて問題を突き詰めれば、言い訳をする本人に現実を突きつけたり、にっちもさっちも行かなくなってしまっている人に余裕をあげたりすることはできるんじゃないかな。

うん。そう。この人はいいことを言うな。(「別に聞いた人が問題を解決する必要はないし……」以降はちょっと異論を持つけど)。

世の中には無責任な言葉が多いと思うんだよね。「努力しろ」とか「死ねばいいのに」とか、無責任に発せられる言葉を、無防備に受け容れないほうがいい。そういう言葉を受け取ったときは、いったん深呼吸して相手の目をじっと見てみる。あるいは、即座に反応せずに自分のペースで生活をし続けてみる。そうすることで、相手の言葉の重みや、責任感というものが分かると思うんだ。

「世の中には無責任な言葉が多い」というのは、1つの重要な知恵でね。よぅく肝に据えておいたほうがいい。それは、自分が必要以上に傷付かないために重要だし、「自分が無責任なことを言って誰かを傷付けていないか」とつねに確認するためにも重要だから。言葉を容易に受け容れないこと、言葉を軽々しく発しないこと。あまり語られていないけど、とても重要なこと。

あと、こういうことを言うと、嫌な人もいるかもしれないけど。実はね。誰かが発する無責任な言葉に反応しがちな人は、無責任なことを言ってしまいがちでもあるから、気を付けたほうがいい。誰かの無責任な言葉に反応しがちというのは、自分のペースを守れていないということなんだよね。自分のペースを守れない人は、誰かほかの人のペースも乱しがちなんだよ。

ペースを乱してしまうのが、一概に悪いとは言えないけど。でも、相手のペースを理解するのは良いことだと思うんだ。人間にはそれぞれペースがあって、そのペースでしか動けない。それを無理に変えようとしたら、大きな問題が起こる。これは、自分にも言えることだし、誰かほかの人についても言えること。自分のペースを大事にする人は、ほかの人のペースも大事にする。ペースというのは、リズムであり呼吸であり、生き方とさえ言えるかもしれない。そういうものを意識してみるのは大事だと思うんだ。
2007-01-17 08:10:38 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-01-16

# 情報アクセスにおける空間と言語

お気に入りのサイトを見るというのは、情緒的であり受動的な行為なんだと思ってる。

「インターネット遊びをしよう」と思ったとき、人間はブックマークを開いてくつろいだ気分で、「ど・れ・に・し・よ・う・か・な」とサイトを選ぶ。

先に文字が頭に浮かんでいて、それを見に行くのではない感じ。
先に幸福なイメージがあって、それが自分に語りかけてくるような。

何か食べたいものが決まっていて、お店に向かうようなやり方じゃなくて、
食べ物がいっぱいある中から、それを選びたいという感じ。

ひとことで言えば「気分」。

気に入っているとか、くつろいでいるとか、
そういう情報は人間の感性に結びついていて、空間的に心の中に配置されている。

そういうことだとぼくは解釈しています。
2007-01-16 12:59:17 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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