メッセージ。 - diary

2007-02-23

# つらつらと

苦しい。ちょっとフォーマットを変えてつらつらと書いてみる。毒を吐きますので、ここから先よい子は見ちゃだめ。

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キャバクラねぇ……。あまり好きじゃないな。「お金を払わない自分は、女の子に喋ってさえ貰う資格がない」という身分に自分が落ちるみたいに感じてしまうから。

ぼくは夜の街のことをよく知らないけど、たまに街で呼び込みしている人たちを見ると、男も女も若くて、着ている服の造作が大きくて、まるで子供のように見える。その彼らが、粋がってお酒を酌み交わしたり、独自のマナーや美学の世界で暮らしていることを思うと、どうも自分がそこに入っていく気は起きない。

彼らを否定するつもりはなくて、(……いや、本当のことを言えば彼らを否定したい気持ちが自分の中にはあるような気がするけど、ただ、うまく言うならば)自分はそこに快楽を見出せないだろうなと感じる。

だからキャバクラから何か学ぶべきことがあるとしても、なかなかそうする気にはなれない。

認めたくないことだれども、この感じを一言で告白するならば、「嫌悪感」になる。そして、嫌悪の感情が自分の中にあることを見るのはつらい。夜の世界に何が存在するかを、自分は本当には知らないからだ。知らないことを否定し嫌うというのは、自分の心に対して禁じてきたはずのことでもあるし、ドロドロした感情に自分が支配されるのも不快だ。

んー。なんか不快な感じでごめんなさい。消すかも。でもそんな風に、キャバクラとか、夜のお酒の世界というのは好きじゃないのです。ああいうのが「おもてなし」だという価値観を、あまり見たくない。いや、自分だってもてなしとは何かなんて分かっていないんだけど。しんどく感じちゃったのです。
2007-02-23 12:51:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 格言

女の敵は女だ。

自分が馬鹿だと分かっている馬鹿は馬鹿じゃない。
2007-02-23 10:31:54 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-02-22

# 上司に期待すること

部下がアウトプットを出してきたときの話。

部下がアウトプットを出してきたとき、悪いところがあるなら、どんどん指摘すればいい。でも、悪いところを指摘したあとで、自分ならどうアウトプットするか、どうしたいかを表明してほしい。だって、部下は勇気を出してアウトプットしてきたんだから。

悪いところを指摘するだけ指摘して、じゃあどうすれば良かったか、どういう方向に自分たちが進んでいくべきか、そこを指し示さないのなら、みんなが迷走してしまう。あそこが悪い、ここが悪いと指摘するだけでは、どうすれば良いか分からない。

悪いところだけ指摘するんじゃなくて、1つでいいから良いところも指摘してほしい。だって、悪いところを指摘するのは簡単なんだもの。この道は狭いとか、あの道は薄暗いとか、そんなことを言っているだけでは前へ進まない。すべての道が悪く見えたとしても、どれかを選ぼうよ。そうでないと、進めない。

部下は勇気を出してアウトプットしてきた。それに対して、上司もアウトプットしようよ。そうでなければ、部下は勇気を削がれてしまう。上司にとって、アウトプットとは行き先を決めることだ。決めるのが怖いという気持ちは分かる。だけど、上司がアウトプットを出せないなら、部下もアウトプットを出せない。立ち行かなくなってしまう。

上司のアウトプットが間違ってても、ぼくはいいと思ってる。たとえ間違っていたとしても、上司がアウトプットを出してくれるなら、部下だって頑張ってアウトプットを出す。フォローする。そうやってみんなでアウトプットを出していけば、いつかきっと見晴しの良い道に出るはずだ。
2007-02-22 22:03:29 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-02-21

# うれしい報せ

某書籍、もう3刷まで行ってるのかぁ……。
自分の手を離れているので全然知らなかったけど、買ってくれた人から誤植について指摘があって、ドンブラコドンブラコとぼくの手元にまで報せがやってきた。

「実用上問題ないです。次の版が出るときにでも修正してください」とのこと。
優しい人がいるなぁ。ちょっと泣けてくる。

自分としては、あの仕事は全然納得がいっていなかったのだけど、不思議なことに案外評価してくださっている方がいらっしゃるようなんだよなぁ。
怖くもあり、うれしくもあり。お腹の底がギュッとなる。
本当にありがたいことだと思います。ありがとうございます。
2007-02-21 19:51:36 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 政治的メッセージが強すぎる

無理にオチをつける必要はないし、面白くすることが必須でもない。
誰かに語りかけるのもいいけど、そればっかりじゃあ書くほうも読むほうも気が重くなる。
誰にも分からないような独り言を連ね、善くもなく悪くもなく、息をするように文字を書き、空を見やるようにそこに文章を置きたい。
2007-02-21 12:07:07 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 朝の風景

今日駅前のターミナルを横切ろうとしたら、フリーペーパーを配るお姉さんがたくさんいた。
「無料の雑誌です。どうぞお読みください。どうぞお読みください」という言葉が、青空のした小鳥が歌うように反響していた。

ぼくは表紙を一瞥して、(もともともらうつもりもないのだが)その横を、足を早めて通り過ぎる。
「どうぞお読みください」、か……。

ふと思うことには、それは、「読んでください」じゃないのだなぁ。
そこには、「どうぞお金ください」とか、「どうぞ遊びましょう」といったニュアンスはない。

無料で(この)雑誌が読めるということは、
「あなたにとって」得することであり損ではないでしょうということだろう。

だけどどうかな……。
そういえば最近、小鳥のさえずりを聞いていない。本物の小鳥は、どんな気持ちで歌っているんだろう。
2007-02-21 10:06:55 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# どうでもいいけど

新山さんには元気になってもらいたいものだ。
2007-02-21 09:14:53 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-02-16

# たとえば

2007-02-16 10:24:01 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# というかむしろ、 「大事なこと」イコール「楽しいこと」

あの後考えなおしてみたけど。
やっぱり、 「大事なこと」イコール「楽しいこと」だとぼくは思うんだ。

多くの人は、「楽しいこと」つまり自分のやりたいことを我慢して、「これが大事なことだから」って別のことをやろうとして、失敗しているように感じるんだ。

自分のやりたいことをやる勇気が持てなくって、それで妥協してやりたくもないことに毎日時間を使ってる。嫌々やってるからうまくいかなくって、それでまた言い訳して、どんどんどんどんクサってる。

でもね。それはつまらない。それではすべてがクサってしまう。もっと楽しく生きたほうがいい。

バーナードショウの言葉に、こんなのがある。「いつも自分を磨いておけ。あなたは世界を見るための窓なのだ」って。本当にそのとおりだと思う。そして、自分を磨くというのは、自分がやりたいことをやるってことなんだよ。

やりたいことをやってれば、対象についての感性が磨かれる。対象をとおして世界の仕組みや、自分のことを理解することができる。本当にやりたいことを全力でやっているのであれば、自分の心を研ぎすますことになる。

ぼくはハッカーの知り合いも多いけど、彼らの多くは子供のころからコンピュータが好きで、いまやコンピュータテクノロジーを、自分の仕事やライフワークにしてしまっている。素人なのに、下手な大学教授より詳しいぐらいだ。

彼らは、好きでやっているからこそあそこまでの逸材になれたと思うし、技術面だけじゃなく、精神面でも彼らの心は透き通っている。自分に言い訳をしないし、他者にも言い訳をしない。誰かと競って勝つことではなく、自分が愛するものだけを見ている。

ぼくは、みんなもっと好きなことをやればいいと思う。この世の中、好きなことを精一杯やっている人は少ない。みんな言い訳をしながら、好きでもないようなことに延々時間を使って、どんどんどんどん世界を曇らせている。でもそんなのはつまらない。

みんなには、好きなことをやってほしい。楽しいことを優先してほしい。それで十分世の中は回っていくし、それでいいんだ。
2007-02-16 09:06:31 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-02-15

# 要するに

大事なことを先にやれってこと。
時間は限られているから、やりたいことすべてはこなせない。
必ず取りこぼしが出るんだ。
だから、大事なことからやらなければいけない。
最後に大事なことをやろうとしたら、一番大事なものを取りこぼすことになる。
2007-02-15 10:36:35 / ふじさわ / Comment: 1 / Trackback: 0

# ひとりごと

重要なのは、「きちんとやっていますよ」というポーズではない。
きちんとやること、あるいはきちんとやろうとすることだ。
体裁をまず気にするのはやめて。
他人の目ばかり気にしてもしょうがないでしょ?
重要なのは自分の目だ。
自分に睨まれることほど、怖いことはない。自分ほど強い敵はいない。
2007-02-15 10:22:45 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 科学とはなにか

『99.9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』(ISBN4-334-03341-5)を読了しました。「科学ってなんだろう?」ってところが自分でもよく分かっていなかったので、勉強になりました。相対性理論についての考え方とか、ホーキングの思想とかがすごく簡潔に説明してあって、そういうところも発見があってよかった。けっこう面白かったです。とりあえず、科学とはなにか一番説明してそうなところを引用してみます。

P.56
 常識はただの思いこみ
 これまであえて「常識」という言葉を使ってきました。その時代、その地域に生きているほとんどの人の頭にこびりついている考えのことです。
 問題は、ガリレオをあざ笑った教授たちにしても、プトレマイオスにしても、あるいはコペルニクスでさえも、後の時代からみると間違った常識にとらわれていた、ということです。
 それは現代に生きるわれわれでも同じです。
 今日、常識だと思っているものが、明日、天才科学者の出現によってまちがいであると判明するかもしれないのです。
 つまり、常識というやつは意外にもろいのです。常識はくつがえるものなのです。
 ですから、この本では、そういった常識のことも「仮説」と呼ぶことにしたいと思います。常識は仮説にすぎないのです。
 プロローグの飛行機の例をみてもわかるように、「科学的根拠」があると思われているものも、案外なにもわかっていなかったりします。
 われわれの世界観、われわれが親から教わること、われわれが学校で教わること、そういったものは、すべて仮説にすぎません。
 たとえば、いまみなさんは「光速より速いものはない」と教わっているはずですが、これだって仮説にすぎないのです。
 
 しかし、われわれの常識が仮説にすぎない、と自覚している人はあまりいません。いちいち、目のまえで起きる事件や現象を疑っていたのでは疲れてしまうからです。
 大部分の人は、右へならえ式に、他人から教わったことをそのまま鵜呑みにしているのです。常識は正しいに決まっている。飛行機が飛ぶしくみは科学的に一〇〇パーセントわかっているにちがいない。光速より速いものはない……。
 そんなふうに思いこんでいるのです。
 でも、この本でくりかえしでてくるように、実際は、われわれの頭の中身は仮説だらけなのです。「世界は仮説でできている」のです。
 そして、むかしもいまも、そして将来も、そういった仮説はつぎつぎと崩れて修正を受ける運命にあります。
 それが、それこそが科学なんです。
2007-02-15 09:36:54 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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