メッセージ。 - diary

2006-12-30

# コミュニケーションは難しい

wHite_caKe - ヒト付き合いのコツなんてものを熟知しているワケじゃないが、それでも昔よりは判ることが多くなった。ような気がする。かもしれないねもしかしたら。

コーチングについて。これだけのものを一から自分で構築するって、すごいことだと思うんだよな……。そこには積み重ねてきた努力と熱意と愛情の重みがあって、事情は知らないけど、掛け値なしにいい仕事をしている。……とぼくは言いたい。

自分と感性が似ていると感じるから色眼鏡だけど、シロイさんという人は分かってるし、優しすぎるぐらいに優しい。でもその優しさが、普通の人には伝わらない。天才の孤独みたいなものを背負っているように感じる。あと、シロイさんは真面目すぎるんじゃないかなぁ。いろいろ切ない。
2006-12-30 01:20:12 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-12-28

# 今日もいいお天気でした

おだやかな空の青に、あたたかな日の金色。
じっと空を見ていたら、おっきな六角形の光の玉が、いつのまにかたくさんキラキラしてる。
まつげの上にお陽さまが降ってきたみたい。

今日も本当にいいお天気。
それを落とさぬよう、じっと空を見上げつづける。
この時期の空は、光で満たされたあたたかな青を、風に流されたうっすら白いベールがおおう。
一年の終わりと、また一年のはじまり。
新しい春というのにふさわしい空気。そっと深呼吸して、電車が線路を鳴らすのを聞く。
2006-12-28 22:27:06 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-12-27

# うわー、いいお天気

目をあけていられないぐらいまぶしい!
2006-12-27 10:51:21 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-12-26

# 電飾

最近は、クリスマスのイルミネーションにもたいして感動しないなぁ。なんつーか重みがないというか、どこでもやっているので、「このデパートは頑張ってるね」とか「センスがいいね」ぐらいにしか感じなくなってしまっている。宗教的な重みとかがあればいいのかなぁ。あるいはそこに意味とか物語性みたいなものがあってほしいかもしれない。

昔の人はなぜ、クリスマスのイルミネーションを欲したのだろう。なんとなくだけど、昔のそれはもっと珍しいものであったと思うし、誰でもができるレベルのコストでは実現していなかったように思う。数珠繋ぎにする電球を集めるだけでもお金がかかったし、それを綺麗に飾り付けるだけのノウハウやモチベーションもなかった。いや、そもそも、自宅をそんな風に飾り付けるという発想がなかった。

最近では、ルミナリエやらなんやら、いろんなところで電飾のイベントがある。ちょっと大きな列車の駅前は必ず綺麗な飾り付けがなされている。そういった状況の中で、何を感じていいか分からなくなっているように思う。電飾に飾り付けられたツリーも街並みも、綺麗だとは感じられない。表面上は綺麗だとしても、その裏にある経済合理性や惰性に裏打ちされた審美眼のようなものがあるのだと思ったら、心動かすことを躊躇われてしまう。

電飾のためのコストなんて現代では高が知れていて、しかも「それをやろう」という発想や思想性みたいなものが、あまりに安売りされてしまっているのではないか。希少であることが価値だとは言わない。ただ、本質的であるかどうかが知りたいのだ。なぜだかしらないが、本質的でないものに心動かされることを、ぼくはとても怖れている。その一方で、本質的でないものが抗いようのない波のように押し寄せている。

ハレとケの問題なのだろうか。電飾の街並みは、足跡と泥にまみれた雪の感じに近いかもしれない。それを単に嫌悪するつもりはない。いずれにせよ、足跡をつけねば我々は前に進めないのだから。ただなんとなく、なんとなく。
2006-12-26 10:21:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-12-22

# メモ

http://tabesugi.net/memo/2006/b6.html#202207
 あんまり劣等感や罪悪感をもってはいけないと思う。この世の一番の悪事は、劣等感や罪悪感をもっている人によってなされるからだ。  

ほんと、新山さんはいいことを言うなぁ。
2006-12-22 10:08:56 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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