メッセージ。 - diary
2006-12-09
# Binary 2.0カンファレンス2006だって。
2006-12-08
# 「自己中」の話。
ぼくは「自己中」という省略の仕方は、あんまり気にならないなぁ。携帯電話を「携帯」と呼ぶのには、抵抗があるけど。
どうして「自己中」が良くて、「携帯」は駄目なのか。つらつらと考えるに、どうもぼくは、関西的合理主義と、音感指向でそれを捉えようとしているからかなと思った。
まず、「携帯」の何が嫌って、「携帯○○」ってのがほかにもあるから嫌な感じがしちゃうんだよなぁ……。たとえば携帯傘とか、携帯灰皿とか。「携帯」という言葉そのものも、単体で扱ってよいほど意味が確立しているように感じる。
一方「自己中」は、存在が一人立ちしてる気がするんだよね。「ジコチュウ」っていう「すわ、外来語か?」というように可愛い音感だし、「自己中○○」みたいな類似の言葉もない。
「自己中」っていうのは、「あってもいいかな」という気がする。「自己中心的」って言葉は、よく使うわりに長くて言いにくいから。言いにくいところに、その言葉のニクニクシサが込められるのかもしれないけど、「そこを無理矢理可愛くして、笑い飛ばしてしまおう」というような言葉遣いが関西ではなされる。
実は関西人はけっこう合理主義で、この手の表現は多い。たとえば「マクドナルド」は、上と同じ理由で「マクド」だし、「ファミリーマート」は「ファミマ」。「サークルケー」は「サクケー」で、「びっくりドンキー」は「びくド」になる。
なんつーのかなぁ。関西人からすると、「携帯」も「マック」も、ちょっと乱暴な感じがする。一括りにできないような一般的な言葉を、固有のモノに対して適用するようなのは、あまり関西では好かれない。逆に関西では、そういった言葉の持つニュアンスや人の心のセグメントを、うまく使おうとするような精神がある気がするなぁ。
そういえば昔、「神奈川県が地元」という女友達がいた。彼女は「保土ヶ谷バイパス」という道路を指して、「ワタシたちはそれを『保土ヶ谷』と省略するけど」と言ってて、そのお馬鹿なニュアンスに笑いあったっけ。(「保土ヶ谷」というのは地名で、駅や区の名前になる程度に一般的な言葉です)
どうして「自己中」が良くて、「携帯」は駄目なのか。つらつらと考えるに、どうもぼくは、関西的合理主義と、音感指向でそれを捉えようとしているからかなと思った。
まず、「携帯」の何が嫌って、「携帯○○」ってのがほかにもあるから嫌な感じがしちゃうんだよなぁ……。たとえば携帯傘とか、携帯灰皿とか。「携帯」という言葉そのものも、単体で扱ってよいほど意味が確立しているように感じる。
一方「自己中」は、存在が一人立ちしてる気がするんだよね。「ジコチュウ」っていう「すわ、外来語か?」というように可愛い音感だし、「自己中○○」みたいな類似の言葉もない。
「自己中」っていうのは、「あってもいいかな」という気がする。「自己中心的」って言葉は、よく使うわりに長くて言いにくいから。言いにくいところに、その言葉のニクニクシサが込められるのかもしれないけど、「そこを無理矢理可愛くして、笑い飛ばしてしまおう」というような言葉遣いが関西ではなされる。
実は関西人はけっこう合理主義で、この手の表現は多い。たとえば「マクドナルド」は、上と同じ理由で「マクド」だし、「ファミリーマート」は「ファミマ」。「サークルケー」は「サクケー」で、「びっくりドンキー」は「びくド」になる。
なんつーのかなぁ。関西人からすると、「携帯」も「マック」も、ちょっと乱暴な感じがする。一括りにできないような一般的な言葉を、固有のモノに対して適用するようなのは、あまり関西では好かれない。逆に関西では、そういった言葉の持つニュアンスや人の心のセグメントを、うまく使おうとするような精神がある気がするなぁ。
そういえば昔、「神奈川県が地元」という女友達がいた。彼女は「保土ヶ谷バイパス」という道路を指して、「ワタシたちはそれを『保土ヶ谷』と省略するけど」と言ってて、そのお馬鹿なニュアンスに笑いあったっけ。(「保土ヶ谷」というのは地名で、駅や区の名前になる程度に一般的な言葉です)
# 日記
2006-12-07
# なぜ組織の中で敵対的闘争が起こるのか
小野和俊のブログ:ふたつ下のヒューマンマネジメント:5分で人をダメにする技術 - 優秀な部下の能力の芽を摘み取る無能な上司
うーん。小野さんの論点では、ぼくはどっちが良いとも言えないなぁ……。ただ思うのは、どうして職場で、こういった敵対的闘争が行われるのかということ。そこが問題じゃないかなぁ。
ぼくは、否定的な意見、反対的な意見は、グループ内部に必要だと思っている。イエスマンばかり集めると組織が腐るから。だから、言うことを聞かない部下というのは、そう悪いものではない。
「良薬は口に苦し」という。苦いものがすべて良薬とは限らないけれども、少なくとも、苦いというだけで薬を嫌ってはいけない。その薬が本当に役に立つのかどうかを見極めなければいけない。
でもこの上司は、リンク先のストーリーの中で、部下が「良薬」かどうか判断できていないように感じる。なぜならあの文章には、部下に対する憎しみがあるように思うから。苦いものが、「良薬」かどうか判断しなきゃいけないときに、憎しみがあっては判断が偏向する。
また、どんな状況であれ、憎しみで人を味方に変えることはできない。たとえ一時的に部下を掌中に収められても、心の中に生まれてしまった憎しみは消えない。それはずっと心の中でくすぶり、部下を貶め続ける。いずれ部下は潰れてしまうだろう。
部下を味方に付けたいのなら、まずは自分が彼の味方になるべきだったんじゃないかなぁ。そうやって味方を増やすことは、実はビジネスの本質だと思うのだけど。結局のところ、社内の組織も味方だし、顧客も味方だ。ビジネスというのは、イコールそういった人たちを増やすということだと思う。
まぁともあれ、ぼくにとって気を付けなきゃいけないのは、上司がこういった策を弄する人間かどうか、また、信じられるのは誰かをきちんと見極めて、立ち居振る舞いをしていかなきゃいけないということだね。ん? そんなこたぁ元から分かってるって? そうだね。この世界は、人狼BBSと、そう大きく違わない。
あまり関係ないかもしれないけど、ref: なぜ、会社と社員の利害が対立するのか?
うーん。小野さんの論点では、ぼくはどっちが良いとも言えないなぁ……。ただ思うのは、どうして職場で、こういった敵対的闘争が行われるのかということ。そこが問題じゃないかなぁ。
ぼくは、否定的な意見、反対的な意見は、グループ内部に必要だと思っている。イエスマンばかり集めると組織が腐るから。だから、言うことを聞かない部下というのは、そう悪いものではない。
「良薬は口に苦し」という。苦いものがすべて良薬とは限らないけれども、少なくとも、苦いというだけで薬を嫌ってはいけない。その薬が本当に役に立つのかどうかを見極めなければいけない。
でもこの上司は、リンク先のストーリーの中で、部下が「良薬」かどうか判断できていないように感じる。なぜならあの文章には、部下に対する憎しみがあるように思うから。苦いものが、「良薬」かどうか判断しなきゃいけないときに、憎しみがあっては判断が偏向する。
また、どんな状況であれ、憎しみで人を味方に変えることはできない。たとえ一時的に部下を掌中に収められても、心の中に生まれてしまった憎しみは消えない。それはずっと心の中でくすぶり、部下を貶め続ける。いずれ部下は潰れてしまうだろう。
部下を味方に付けたいのなら、まずは自分が彼の味方になるべきだったんじゃないかなぁ。そうやって味方を増やすことは、実はビジネスの本質だと思うのだけど。結局のところ、社内の組織も味方だし、顧客も味方だ。ビジネスというのは、イコールそういった人たちを増やすということだと思う。
まぁともあれ、ぼくにとって気を付けなきゃいけないのは、上司がこういった策を弄する人間かどうか、また、信じられるのは誰かをきちんと見極めて、立ち居振る舞いをしていかなきゃいけないということだね。ん? そんなこたぁ元から分かってるって? そうだね。この世界は、人狼BBSと、そう大きく違わない。
あまり関係ないかもしれないけど、ref: なぜ、会社と社員の利害が対立するのか?
# 男は女に……の補足
「男は女にやさしくすべき」ではなく、「PMSである人に、周りの人が」という問題なんじゃね?
ああ、そう。そうなんだよなぁ……。そういうことを書きたかったのだけど、なぜかぼくは書けなかったなぁ。かなり正確にポイントをまとめられてて、しかも悪意がなく指摘されてて感心した。