メッセージ。 - diary
2006-12-04
# 我慢できないほどの
なんだろう。
ときに人間には、我慢できないほどの痛みや苦しさが、降ってくるものだと思う。
そういう痛みや苦しさを感じたときに、論理的(倫理的)じゃない行動をしてしまうのは、仕方がないことじゃないかなぁ。
もちろん。どんなに自分が苦しくても、誰かに迷惑をかけたり、傷付けたりはしないほうがいい。
でもさ。我慢できないほどの痛みや苦しさなんだよ? どうすればいい?
黙って堪えて、抑え込めばいい?
誰もいないところで大声を上げて、ただ時間が過ぎて嵐が去るまで泣けばいい?
それでもいいけどさ。
でも、もし。ぼくの好きな人が、ぼくの知らないところでそうやって苦しんでいるのだとしたら、嫌だな。
ぼくはなにもしてあげられないだろうけど、なにかをしてあげたいと思ってしまう。
だからさ。声を聞かせてくれるってのは有り難い。
しんどいときに、「しんどい」って言ってくれたら、駆け付けることができる。
そばにいても、なにもできないんだけどさ。それでもね。
なにかしたいじゃん? なにかせずにはいられない。
そのときには、痛みや苦しさを、ぼくにぶつけてくれていい。傷付けてくれていい。
それであなたの苦しさが、少しでも晴れるならうれしい。
ぼくがそこにいる理由があるってものだ。
だから本当に、声を聞かせてくれるってのは有り難い。
ときに人間には、我慢できないほどの痛みや苦しさが、降ってくるものだと思う。
そういう痛みや苦しさを感じたときに、論理的(倫理的)じゃない行動をしてしまうのは、仕方がないことじゃないかなぁ。
もちろん。どんなに自分が苦しくても、誰かに迷惑をかけたり、傷付けたりはしないほうがいい。
でもさ。我慢できないほどの痛みや苦しさなんだよ? どうすればいい?
黙って堪えて、抑え込めばいい?
誰もいないところで大声を上げて、ただ時間が過ぎて嵐が去るまで泣けばいい?
それでもいいけどさ。
でも、もし。ぼくの好きな人が、ぼくの知らないところでそうやって苦しんでいるのだとしたら、嫌だな。
ぼくはなにもしてあげられないだろうけど、なにかをしてあげたいと思ってしまう。
だからさ。声を聞かせてくれるってのは有り難い。
しんどいときに、「しんどい」って言ってくれたら、駆け付けることができる。
そばにいても、なにもできないんだけどさ。それでもね。
なにかしたいじゃん? なにかせずにはいられない。
そのときには、痛みや苦しさを、ぼくにぶつけてくれていい。傷付けてくれていい。
それであなたの苦しさが、少しでも晴れるならうれしい。
ぼくがそこにいる理由があるってものだ。
だから本当に、声を聞かせてくれるってのは有り難い。
2006-12-03
# なぜか惹かれてしまうのです
女「男は女に○○すべきだよ」男「いや、男が女に○○するのは適切じゃない」女「わたしのことを愛していないの?」男「それとこれとは話が違う」女「いつもそうやって逃げるのね」男「そういうわけじゃ……」女「わたしのこと、すき?」男「え……あ……ああ、うん」女「よかった! じゃあ○○してくれるわよね! わたし嬉しい!」
あー。こういう風に奔放に振る舞われると、なんでか男ってドキドキしちゃうんですよね。理不尽なところがたまらなくよいです……。なんつーのかなぁ。峰不二子的魅力というか。
そういう、女の人の理不尽さを前にしたら、男なんて、猫じゃらしで遊ばれる猫のようなものです。なんだかなんだ言って、案外好きなんですよね。結局あの話題も、みんな怒っているように見えるけど、すごく盛り上がってますから。みんな女が好きすぎる!と思います。
にゃー!
2006-12-02
# でも優しくもある
wHite_caKe - 時折、世界は残酷で
いいお話だなぁ……。「おれなんかのことを」って、なかなか言えるもんじゃないよ。すっごく素敵なお父さん。好きな人とその家族に、こうやって思い出してもらえるんだから、その人はそれなりに幸せだったんじゃないかなぁ。いい供養だと思う。本当にいい供養だと思う。
いいお話だなぁ……。「おれなんかのことを」って、なかなか言えるもんじゃないよ。すっごく素敵なお父さん。好きな人とその家族に、こうやって思い出してもらえるんだから、その人はそれなりに幸せだったんじゃないかなぁ。いい供養だと思う。本当にいい供養だと思う。
# なんとなく
えー? ぼくは結構、michyさんのことは好きなんだけどなぁ……。
人間は、ちょっとぐらい間違ったことを言ったっていいと思うし、暗いトンネルの中を歩いているような、ひどい気分のときだってあるじゃん。そういうときにさぁ、誰かにあたり散らしたくなるのは分かる。自分が自分を制御できなくって、つらくって、どうしようもないときはぼくにだってあるから。
苦しんでいる人に、つらくあたるのはやめようよ。そりゃあ、八つ当たりされたり、無茶なことを言われたら嫌な気分になることもあるだろうけど。
でも、「しんどいよぅ」って声をかけて、八つ当たりしてくれるってのは、うれしいことだとぼくは思うな。だって、信頼してくれてるから、八つ当たりしてくれてるんだもん。人間は本当にしんどいとき、嫌いな人に声をかけたりはしない。たとえ八つ当たりするためだとしても、嫌いな人に声をかけたりはしない。
本当は、「しんどいよぅ」って言うのは、勇気のいることなんだよ。それは弱味を見せるということだから。「しんどいよぅ」って声をかけてくる人には、逆に自分がしんどいとき、頼ることができる。そんなありがたいことありまへんで。
人間は、ちょっとぐらい間違ったことを言ったっていいと思うし、暗いトンネルの中を歩いているような、ひどい気分のときだってあるじゃん。そういうときにさぁ、誰かにあたり散らしたくなるのは分かる。自分が自分を制御できなくって、つらくって、どうしようもないときはぼくにだってあるから。
苦しんでいる人に、つらくあたるのはやめようよ。そりゃあ、八つ当たりされたり、無茶なことを言われたら嫌な気分になることもあるだろうけど。
でも、「しんどいよぅ」って声をかけて、八つ当たりしてくれるってのは、うれしいことだとぼくは思うな。だって、信頼してくれてるから、八つ当たりしてくれてるんだもん。人間は本当にしんどいとき、嫌いな人に声をかけたりはしない。たとえ八つ当たりするためだとしても、嫌いな人に声をかけたりはしない。
本当は、「しんどいよぅ」って言うのは、勇気のいることなんだよ。それは弱味を見せるということだから。「しんどいよぅ」って声をかけてくる人には、逆に自分がしんどいとき、頼ることができる。そんなありがたいことありまへんで。
# 論理的に正しいことが正しいことであるとは限らない
あとは、これ。
法務だけど理系女子の綴るblog: 「男は女にやさしくすべき」と考える不幸へのコメント -「病院に行け」の怖さと、スルー力より議論力の重要性と、「優しさ」意味-
こういう意見を読んだら、ぼくはこういう風に考えてしまう。「男性に月経がないということは、男性の人格形成にも多大な影響を及ぼしていると思いますので、その点も含めて配慮して欲しい」。
でも、これって変でしょう? 男性に月経がないから、男性の人格形成に影響を及ぼしているという前半は、論理としては正しい。だけどそれは、後半の男性には配慮が必要という論拠にはならない。月経があるかないかは、男性と女性の人格に何らかの傾向をもたらす可能性がある。そこまではいいけど、この論理では、配慮が必要なのは男性なのか女性なのかまでは分からない。
配慮が必要ってことは、つまり配慮されるべき性のほうに、何らかの不足があるということでしょう? で、その配慮されるべき性は女性だと。それって真実なのかなぁ? 女性の人格には、傾向として何かの問題があるってこと? 逆の可能性だってあると思うんだけど。月経のある女性のほうが正常な人格傾向があって、月経のない男性はどこか異常で不足な可能性だってある。(詭弁だって? まぁね。この指摘にはあとで(気が向いたら)答えます)
それともあれかなぁ? どちらかに不足があるわけじゃなくて、この文脈では、「月経が存在するか否かで、男性と女性の人格には差異があると予想される。つまり、男性と女性は違う。だから、分かろうと努力しなければ、お互いに分かりあえない。男性は女性に配慮しようね(女性は男性に配慮するから)」という意見なの? 違うよね?
えーと、頭を冷やして……。月経があるということは、しんどくて嫌なことなんだと思う。ぼくには分かれないし、分かりたくもないかもしれない。(あれ? でも、「分かりたくない」と男に思わせるようじゃ、こういう意見はストラテジーとして失敗してるんじゃないかな? や、まぁそれはいいとして、)そのしんどさは、やっぱり言葉では伝えにくいもののような気がする。
とくに、こういうインターネット上で、多くの人に対して「だから女の子には優しく☆」と言うのは、ちょっと違うんじゃないかな。「女の子に優しく☆」じゃなくて、「私に優しく☆」のほうが、誠実で本当だと思う。「女の子に優しく☆」とプロパガンダを広めることは、本質的じゃないアプローチだ。世の男どもが女の子たち全般に優しくしたところで、問題は解決しない。
女の子がみな、それほど重い生理に苦しんでいるわけじゃない。世の男は全員、その程度重い生理を想定して女の子に優しくせよと言うのなら、男たちにかかる負担はどこかに軋轢を生む。それが何につながるかを考えたら、「女は女らしく、男の庇護(支配)下に置かれるべきだ」という方向に行きがちなんじゃないかな。
でも、それって嫌だよね? ぼくだって嫌だ。つまらない。何か言いたくなるのは、気持ちとしては分かる。だから言うなとは言わないし、好き勝手に自分の思うことを言えばいいと思う。だけどね。そうやって紡いだ自分の言葉が、自分を傷付けることもあるからね(いろんな意味で)。たとえ言葉に出さなくても、思考として結実させた時点で、それは自分を傷付ける。気を付けてほしいなって思うのです。
とにかく。「女の人は犠牲を払っている。だから男も相応の犠牲を払いなさい」、これはやめよう。ぜったいにやめたほうがいい。なんとなくそう思うです。
※ 2006/12/02(Sat) 13:03:45追記:ごっ、ごめんなさい。タイトルの「論理的に正しいことが正しいことであるとは限らない」ですけど、内容とはあまり関係のない文言です。この日記システムでは、まず本文を書いて最後にタイトルを入れるんですけど、タイトルを付ける時点で、自分の中で、「この文章は論理的であるかもしれないけど、実際に苦しんでいる人の救いにはならない(だろう)。また、誰かを傷付けてしまうかもしれない。ごめんなさい」という気持ちになったので、自暴自棄なタイトルを付けてしまいました。
法務だけど理系女子の綴るblog: 「男は女にやさしくすべき」と考える不幸へのコメント -「病院に行け」の怖さと、スルー力より議論力の重要性と、「優しさ」意味-
「女性に月経がある」ということは、女性の人格形成にも多大な影響を及ぼしていると思いますので、その点も含めて配慮して欲しい
こういう意見を読んだら、ぼくはこういう風に考えてしまう。「男性に月経がないということは、男性の人格形成にも多大な影響を及ぼしていると思いますので、その点も含めて配慮して欲しい」。
でも、これって変でしょう? 男性に月経がないから、男性の人格形成に影響を及ぼしているという前半は、論理としては正しい。だけどそれは、後半の男性には配慮が必要という論拠にはならない。月経があるかないかは、男性と女性の人格に何らかの傾向をもたらす可能性がある。そこまではいいけど、この論理では、配慮が必要なのは男性なのか女性なのかまでは分からない。
配慮が必要ってことは、つまり配慮されるべき性のほうに、何らかの不足があるということでしょう? で、その配慮されるべき性は女性だと。それって真実なのかなぁ? 女性の人格には、傾向として何かの問題があるってこと? 逆の可能性だってあると思うんだけど。月経のある女性のほうが正常な人格傾向があって、月経のない男性はどこか異常で不足な可能性だってある。(詭弁だって? まぁね。この指摘にはあとで(気が向いたら)答えます)
それともあれかなぁ? どちらかに不足があるわけじゃなくて、この文脈では、「月経が存在するか否かで、男性と女性の人格には差異があると予想される。つまり、男性と女性は違う。だから、分かろうと努力しなければ、お互いに分かりあえない。男性は女性に配慮しようね(女性は男性に配慮するから)」という意見なの? 違うよね?
えーと、頭を冷やして……。月経があるということは、しんどくて嫌なことなんだと思う。ぼくには分かれないし、分かりたくもないかもしれない。(あれ? でも、「分かりたくない」と男に思わせるようじゃ、こういう意見はストラテジーとして失敗してるんじゃないかな? や、まぁそれはいいとして、)そのしんどさは、やっぱり言葉では伝えにくいもののような気がする。
とくに、こういうインターネット上で、多くの人に対して「だから女の子には優しく☆」と言うのは、ちょっと違うんじゃないかな。「女の子に優しく☆」じゃなくて、「私に優しく☆」のほうが、誠実で本当だと思う。「女の子に優しく☆」とプロパガンダを広めることは、本質的じゃないアプローチだ。世の男どもが女の子たち全般に優しくしたところで、問題は解決しない。
女の子がみな、それほど重い生理に苦しんでいるわけじゃない。世の男は全員、その程度重い生理を想定して女の子に優しくせよと言うのなら、男たちにかかる負担はどこかに軋轢を生む。それが何につながるかを考えたら、「女は女らしく、男の庇護(支配)下に置かれるべきだ」という方向に行きがちなんじゃないかな。
でも、それって嫌だよね? ぼくだって嫌だ。つまらない。何か言いたくなるのは、気持ちとしては分かる。だから言うなとは言わないし、好き勝手に自分の思うことを言えばいいと思う。だけどね。そうやって紡いだ自分の言葉が、自分を傷付けることもあるからね(いろんな意味で)。たとえ言葉に出さなくても、思考として結実させた時点で、それは自分を傷付ける。気を付けてほしいなって思うのです。
とにかく。「女の人は犠牲を払っている。だから男も相応の犠牲を払いなさい」、これはやめよう。ぜったいにやめたほうがいい。なんとなくそう思うです。
※ 2006/12/02(Sat) 13:03:45追記:ごっ、ごめんなさい。タイトルの「論理的に正しいことが正しいことであるとは限らない」ですけど、内容とはあまり関係のない文言です。この日記システムでは、まず本文を書いて最後にタイトルを入れるんですけど、タイトルを付ける時点で、自分の中で、「この文章は論理的であるかもしれないけど、実際に苦しんでいる人の救いにはならない(だろう)。また、誰かを傷付けてしまうかもしれない。ごめんなさい」という気持ちになったので、自暴自棄なタイトルを付けてしまいました。
2006-12-01
# 配慮と優しさ
法務だけど理系女子の綴るblog: 「男は女にやさしくすべき」と考える不幸へのコメント -「病院に行け」の怖さと、スルー力より議論力の重要性と、「優しさ」意味-
んー。いまあんまり物を考えられる状態じゃないのと、細切れにしか時間も取れないのだけど、興味深いテーマだなと思うので、目に入ってきたところについてちょいとメモ。
とりあえず気になるのは、『障害をもってるから配慮して欲しい』かな。障害を持っている人は、本当にこんなこと思うんだろうかという疑問が湧く。もし自分なら。……軽率なことは言えないけど、もし自分が障害を持っていたら、他人に対して「配慮してほしい」とは思わないような気がする。
障害を持っている自分に、変に気を使われたくない。他者から自分が、「普通でない、特別な障害のある人」として扱われたら、みじめに感じてしまう気がするから。「守ってあげなければ生きられない人」とか、「完全に足手まといの人」と思われたくない。単に障害も1つの個性として、ちょっと個性が強い普通の人間として対等に扱ってほしい。
あなたにも欠点があるけど、私にも欠点があるよ。その代わり、あなたにもいいところがあるし、私にもいいところがある。そういう風に思わなければ、苦しくってしょうがない。配慮なんてしてほしくない。ぼくは、ぼくの力を認めてほしい。ぼくにだってできることがある。それであなたたちの役に立ちたい。自分の力で、ここにいることを許されたい。個人的には、ぼくはそういう風に考えるほうです。
だからぼくは、同じように、女の人を「女だから」といって配慮はしない。配慮するということは、無条件にそれらの人たちを「弱者」であると認めることであり、それらの人たちの弱いところしか見ていないことになると思う。でも、そうじゃない。彼女らは弱くなんてない。弱いところもあり、強いところもある、トータルとしては男と同じ強さ、同じ心を持つ人間だと思っている。
だからぼくは、女の人に優しくなんてしない。そう決めている。「あなたが○○だから優しくしてあげる」なんて言われたら、ぼくは逃げる。そんな扱いをされるのは嫌だ。ぼくは○○じゃない。ぼくはあなたの○○じゃない。ぼくはぼくだ。ぼくのことはぼくが決める。優しくしてもらうかわりに、あなたの○○になるなんて嫌だ。○○であるかどうかは、ぼくが決める。ぼくがぼくのことを決める。「優しくしてあげる」なんて、そんなのは優しくなんてない。優しさのシンタックスを持った、別の何かだ。
んー。という感じで、ぼくはそんな風に、考えるんだけどなぁ。
んー。いまあんまり物を考えられる状態じゃないのと、細切れにしか時間も取れないのだけど、興味深いテーマだなと思うので、目に入ってきたところについてちょいとメモ。
とりあえず気になるのは、『障害をもってるから配慮して欲しい』かな。障害を持っている人は、本当にこんなこと思うんだろうかという疑問が湧く。もし自分なら。……軽率なことは言えないけど、もし自分が障害を持っていたら、他人に対して「配慮してほしい」とは思わないような気がする。
障害を持っている自分に、変に気を使われたくない。他者から自分が、「普通でない、特別な障害のある人」として扱われたら、みじめに感じてしまう気がするから。「守ってあげなければ生きられない人」とか、「完全に足手まといの人」と思われたくない。単に障害も1つの個性として、ちょっと個性が強い普通の人間として対等に扱ってほしい。
あなたにも欠点があるけど、私にも欠点があるよ。その代わり、あなたにもいいところがあるし、私にもいいところがある。そういう風に思わなければ、苦しくってしょうがない。配慮なんてしてほしくない。ぼくは、ぼくの力を認めてほしい。ぼくにだってできることがある。それであなたたちの役に立ちたい。自分の力で、ここにいることを許されたい。個人的には、ぼくはそういう風に考えるほうです。
だからぼくは、同じように、女の人を「女だから」といって配慮はしない。配慮するということは、無条件にそれらの人たちを「弱者」であると認めることであり、それらの人たちの弱いところしか見ていないことになると思う。でも、そうじゃない。彼女らは弱くなんてない。弱いところもあり、強いところもある、トータルとしては男と同じ強さ、同じ心を持つ人間だと思っている。
だからぼくは、女の人に優しくなんてしない。そう決めている。「あなたが○○だから優しくしてあげる」なんて言われたら、ぼくは逃げる。そんな扱いをされるのは嫌だ。ぼくは○○じゃない。ぼくはあなたの○○じゃない。ぼくはぼくだ。ぼくのことはぼくが決める。優しくしてもらうかわりに、あなたの○○になるなんて嫌だ。○○であるかどうかは、ぼくが決める。ぼくがぼくのことを決める。「優しくしてあげる」なんて、そんなのは優しくなんてない。優しさのシンタックスを持った、別の何かだ。
んー。という感じで、ぼくはそんな風に、考えるんだけどなぁ。
# ふわふわー
http://www.youtube.com/watch?v=6ISSNvtn5jQ
かわいいなぁ。西山茉希さんっていままで知らなかったけど。
妄想チックでありながらそれを笑いにできるという自意識のあり方がとてもよいです☆
かわいいなぁ。西山茉希さんっていままで知らなかったけど。
妄想チックでありながらそれを笑いにできるという自意識のあり方がとてもよいです☆
# 仕事をして声をかけあう
自分の仕事を見て、心を動かしてくれる人がいるというのはうれしいことだ。
ぼくはぼくなりに頑張っていて、前の人から受け取ったバトンを落とさぬよう走っているつもり。
ぼくはぼくの仕事をやる。それは、前の人から受け取ったバトンが、大事だと思うからだ。ぼくが全力を尽くすのは、前の人と戦ってその人を打ちのめしたいからじゃない。自分の力を誇示したいからでもない。
前の人の仕事に価値があると感じるから、それに見合うだけ、自分も力を注ぎ込みたい。前後のランナーは、それぞれ得意分野が異なる。坂道が得意な人もいれば、スパートが得意な人もいる。得意な人が得意なパートを受け持てばいい。
ただそのとき、お互いがお互いを、「すごい」と感じられるほうが楽しいじゃないか。そのほうが成長できるし、後々になってまで自分の糧とすることができる。相手の得意分野は、自分にはとうてい及びもつかないような高みに達しているけど、だからといってそれを「違う世界のこと」としたくない。
「すごいなぁ。あの人うらやましいなぁ。自分とは何が違うんだろう。どうやったら自分もああなれるんだろう。ようし、分野は違うけど自分だって」。そういう風に、相手と自分は違うけど同じだと感じていたい。
違うルートを走っているけど、求めるものは同じというか。元々同じところにいたのに、いまはそれぞれここまで来たねというか。
ただ、それを押し付けるつもりは毛頭ない。基本的には、そういうのは仕事の後ろに隠しておく。分かりたいと思う人だけ分かってくれればいいし、隠しておいても見つけて声をかけてくれる人はいるものだ。
そうやって、声をかけあうことができるというのは、とても幸せなことです。
ぼくはぼくなりに頑張っていて、前の人から受け取ったバトンを落とさぬよう走っているつもり。
ぼくはぼくの仕事をやる。それは、前の人から受け取ったバトンが、大事だと思うからだ。ぼくが全力を尽くすのは、前の人と戦ってその人を打ちのめしたいからじゃない。自分の力を誇示したいからでもない。
前の人の仕事に価値があると感じるから、それに見合うだけ、自分も力を注ぎ込みたい。前後のランナーは、それぞれ得意分野が異なる。坂道が得意な人もいれば、スパートが得意な人もいる。得意な人が得意なパートを受け持てばいい。
ただそのとき、お互いがお互いを、「すごい」と感じられるほうが楽しいじゃないか。そのほうが成長できるし、後々になってまで自分の糧とすることができる。相手の得意分野は、自分にはとうてい及びもつかないような高みに達しているけど、だからといってそれを「違う世界のこと」としたくない。
「すごいなぁ。あの人うらやましいなぁ。自分とは何が違うんだろう。どうやったら自分もああなれるんだろう。ようし、分野は違うけど自分だって」。そういう風に、相手と自分は違うけど同じだと感じていたい。
違うルートを走っているけど、求めるものは同じというか。元々同じところにいたのに、いまはそれぞれここまで来たねというか。
ただ、それを押し付けるつもりは毛頭ない。基本的には、そういうのは仕事の後ろに隠しておく。分かりたいと思う人だけ分かってくれればいいし、隠しておいても見つけて声をかけてくれる人はいるものだ。
そうやって、声をかけあうことができるというのは、とても幸せなことです。
2006-11-29
# 性差と入出力
Say::So? - 出力に興味があるからこそ工学
けっこうこの人の考え方は好きだなぁ。ブレない感じ。くるくる回ってるコマのように、不思議な安定感があるように感じる。まぁそれはいいとして。
性差と出力から思い出したんだけど、普通の女性って、入出力の関係にあまり興味を持っていないように感じる。どういう入力をしたらどういう出力になるか、あまり気にしていないような。
社会的な要因もあると思うんだけどね。たとえば社会的には、努力しても女性は報われない面が大きい。若いうちに子供を生まなきゃいけないし、知識や能力を身に着けて着実に階段を上るような、そうじゃない生き方が恰好いいと思われているフシがある。
何度か書いてるけど、女性って、20代までにチャンスを生かすよう要請されている面があって、多分にギャンブラー的だと思うんだよね。入力と出力の関係を緻密に解析してそれを生かすというよりは、乗るか逸るかが重要というか。
まぁ原因はよく分からない。そういう社会的な要請(外的要因)だけではないと思うけど。ともあれ現象としてはそういう事象が観察されるかなぁと。入力と出力の関係、つまり因果律について女性があまり興味を持っていない(かもしれない)というのは、1つのポイントのような気がするんだよね。
けっこうこの人の考え方は好きだなぁ。ブレない感じ。くるくる回ってるコマのように、不思議な安定感があるように感じる。まぁそれはいいとして。
性差と出力から思い出したんだけど、普通の女性って、入出力の関係にあまり興味を持っていないように感じる。どういう入力をしたらどういう出力になるか、あまり気にしていないような。
社会的な要因もあると思うんだけどね。たとえば社会的には、努力しても女性は報われない面が大きい。若いうちに子供を生まなきゃいけないし、知識や能力を身に着けて着実に階段を上るような、そうじゃない生き方が恰好いいと思われているフシがある。
何度か書いてるけど、女性って、20代までにチャンスを生かすよう要請されている面があって、多分にギャンブラー的だと思うんだよね。入力と出力の関係を緻密に解析してそれを生かすというよりは、乗るか逸るかが重要というか。
まぁ原因はよく分からない。そういう社会的な要請(外的要因)だけではないと思うけど。ともあれ現象としてはそういう事象が観察されるかなぁと。入力と出力の関係、つまり因果律について女性があまり興味を持っていない(かもしれない)というのは、1つのポイントのような気がするんだよね。
# ばぶーっばぶーっ
# ばばば、ばきゅーんばきゅーん。壊れております。
http://www.studyinghttp.net/header#Location
HTTPのLocationヘッダって、絶対URIを指定しなければいけないのかー。使いにくいなー。なんでこんなんなってるんすかねー。
HTTPのLocationヘッダって、絶対URIを指定しなければいけないのかー。使いにくいなー。なんでこんなんなってるんすかねー。