メッセージ。 - diary
2006-11-27
# gauche_0.8.8-2_arm.ipkを作りました
2006年11月18日、Gauche 0.8.8にパッチがリリースされました。ということで、ここで公開しているGuache 0.8.8のZaurus用ipkファイルについても、遅ればせながらパッチを適用した版を作りました。
http://pikapika.to/~yf/download/gauche_0.8.8-2_arm.ipk
http://pikapika.to/~yf/download/gauche_0.8.8-2_arm.ipk
# セキュリティについて
特派員協会で行われた講演を撮影したものが、YouTubeにアップされていた。現場で長年経験を積んだ人から、このような意見が聞かれるというのは非常な重みがある。正直かつ聡明な方のようだ。しかし一方で、このように露出して大丈夫なのか心配だ。クリティカルなことは言っていないようだけど…。このビデオは、誰がいつ撮って、誰がどういう意図で公開しているのだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=8qUVRJP91S8&NR
アメリカに守ってもらっているのだから、対外的な意味合いで情報を秘密にする必要はない。どうでもいいと日本国民は思っている、という見解。やはりそうなのか。悪く言えば平和ボケだけど、難しい問題だ。
http://www.youtube.com/watch?v=oLXdjUs0VNQ&NR
情報共有は重要だが、実際にはそれぞれの組織のセクショナリズムが強すぎて、情報共有が促進されない。たとえば、別の官庁から情報提供を受けても、自ら確認し、得たものでなければ信用しない組織が多い。情報を自分で確認しなければ気が済まないというのはセキュリティ上筋の通ったことであるとふじさわは解釈したが、とてもリアリティがあり参考になる。
http://www.youtube.com/watch?v=8qUVRJP91S8&NR
アメリカに守ってもらっているのだから、対外的な意味合いで情報を秘密にする必要はない。どうでもいいと日本国民は思っている、という見解。やはりそうなのか。悪く言えば平和ボケだけど、難しい問題だ。
http://www.youtube.com/watch?v=oLXdjUs0VNQ&NR
情報共有は重要だが、実際にはそれぞれの組織のセクショナリズムが強すぎて、情報共有が促進されない。たとえば、別の官庁から情報提供を受けても、自ら確認し、得たものでなければ信用しない組織が多い。情報を自分で確認しなければ気が済まないというのはセキュリティ上筋の通ったことであるとふじさわは解釈したが、とてもリアリティがあり参考になる。
# 自分で参加して、「すごい」、「楽しい」と感じること
ネット音痴ぶりは、炎上のトリガーとその対応でも明らかで、たぶんほとんどの編集部員がブログやSNSをやったこともないのでしょう。少しばかり本を読んだり、人から話を聞いたところで、既存メディア的な発想はなかなか変わりません。そしてなによりも、オーマイジャパンの市民記者による記事の紹介の仕方を見ていると、多くの市民が既に自分のメディアを持っているというパラダイムのシフトに全く気づいていないという可能性が高い。鳥越氏がブログをあれだけ見下した発言をしていながら、あのような低レベルな市民記者の記事を並べているのは、別にオーマイジャパンに書かなくても、ブログで書けばいいという状況を理解していないからなのでしょう。
なんとなく、最近思ってることにリンクするなぁ……。ネットで新しいサービスを作ろうと言いながら、ネットのことを全然知らない人がいる。ネットに自分で参加して、「すごい」、「楽しい」と感じたことのない人が、「ネットに新しいサービスを……」なんてのはおかしい。自分がそこに夢も希望も持てていないのに、どうやって誰かを説得できるというのか。そのサービスは、あるいはあなたは、どういう風に社会の役に立つのか、どういう風に必要とされたいのか。そういう、コアとなる熱みたいなものを持てず、自分の食い扶持のことしか頭になく、当てずっぽうで弾を打って倒れていく人が多い。
鳥越さんの場合は、まだそういった人よりはマシなのかもしれない。自分の食い扶持ではなく、別の何かのために戦っているように感じる。でも彼は、ネットに自分で参加して、「すごい」、「楽しい」と感じたことはなさそうだ。彼はかつて、既存の社会経済を「すごい」、「楽しい」と感じ、まだそれをひきずっているのだろう。そして、ネットという「すごい」、「楽しい」と戦っているのだろう。彼がそうしたいなら、そうすればいい。だけどきっと、勝てる見込みはない。だってそれは、若い人たちの夢や希望と戦うようなものだから。
自分で参加して、「すごい」、「楽しい」と感じること。それはつまり時代だ。古い時代と新しい時代、どちらが良いとは言えないけれど、残念ながら勝敗は最初から決まっている。ならば問題は散り方。どのように散るかだ。
# ネットという望まれざる子の処遇
オーマイニュースに関しては、まぁそんなもんでしょ。鳥越さんに編集長(?)を依頼した時点で、なんかどっかが間違ってる。彼は旧世代の人間で、新しい世代に愛をもって接することができなくなっているように感じる。
ref: メッセージ。 - ネットという望まれざる子
鳥越さんに依頼した人も、引き受けた本人も、何がやりたいのかねぇ。
ref: メッセージ。 - ネットという望まれざる子
鳥越さんに依頼した人も、引き受けた本人も、何がやりたいのかねぇ。
2006-11-25
# なんとなく、いじめについて思うこと
いじめが成立するのは、いじめられているほうが、「いじめられてる」って認めたときだと思うんだよね。
たとえばさ…。子供って、つまらない駄洒落みたいな囃し言葉でからかったりするでしょ?
あの駄洒落って、「どこが面白いの?」というのが多い。
で、当の本人たちもそれのどこが面白いのか分かっていない。囃すほうも囃されるほうも。
囃すほうはただなんとなくやっていて、それに対して囃されるほうが「期待したリアクション」を取ることで満足する。
たとえばぼくは、あるとき「ふじさわ」と書いた名前の「さ」の字が×に見えるということで、「ふじぺけ!」、「ふじぺけ!]とからかわれたときがあった。
これに対して、いちいち怒ったり嫌がったりして抗議すると、囃し立てた人間たちはますますその嫌がらせを続けた。「なにが面白いねん」と冷めた目で見返すほうが、被害の拡大を防げたように思う。
いま思うに、彼らはたぶん、強い者と弱い者の構図が欲しいだけだったんじゃないかな。そして、誰かに嫌がらせをして相手が嫌がるところを見ることで、その構図を作り出そうとしていたような気がする。
だとしたら、嫌がらせをされたとき、嫌がって見せるのが一番マズい対応なんじゃないかな。だって彼らは、「嫌がらせをする側とされる側」という構図を作りたいだけだから。一度嫌がらせをされる側に回ってしまうと、なかなかその構図から抜け出せない。
彼らは、嫌がらせゲームという序列を作る。そしてそれぞれが、序列の下位にいる者を押さえこんで、自分の序列を維持しようとする。序列の下位に位置づけられると、自分が嫌がらせをされてしまうからだ。
嫌がらせやいじめが嫌いなら、その序列で上位を目指すのではなく、「嫌がらせゲームには参加しない」という道を選ぶしかない。そのためにはまず、嫌がらせをされても嫌がらない態度が必要だと思う。彼らは自分に、「嫌がる」ことを望んでいる。嫌がって見せたら思う壷だ。
もしそういう態度をとっていても、しつこく嫌がらせゲームに誘う人間がいたら、ゲームの会場から一度離れたほうがいい。嫌がらせゲームはある一定の地域で行われる。ゲームの会場から離れてしまった人間は、参加を強制されない。クラスが変わったり、違う学校に進学したりすると、いじめが止むのはそのためだ。
逆に言えば、ゲーム会場を離れるだけで嫌がらせゲームから降りることができる。物理的に場所を移動するだけでよいのだ。「新しい場所でも、同じようなゲームをやっているのではないか」という危惧はよく分かるけれど、それはその場所に行ってみなければ分からない。
たしかにそのゲームは、どの地域でも見られるほど一般的なものであるけれども、でも「どこへ行っても同じ」というほど似通っているわけじゃない。街においしいラーメン屋さんと美味しくないラーメン屋さんがあるように、場所によって違っている。だから思い切って、別の場所へ行ってみるのは良いことだ。新しい場所が駄目なら、また別のところへ行けばいい。美味しいラーメン屋さんは、どこかにちゃんと存在している。
たとえばさ…。子供って、つまらない駄洒落みたいな囃し言葉でからかったりするでしょ?
あの駄洒落って、「どこが面白いの?」というのが多い。
で、当の本人たちもそれのどこが面白いのか分かっていない。囃すほうも囃されるほうも。
囃すほうはただなんとなくやっていて、それに対して囃されるほうが「期待したリアクション」を取ることで満足する。
たとえばぼくは、あるとき「ふじさわ」と書いた名前の「さ」の字が×に見えるということで、「ふじぺけ!」、「ふじぺけ!]とからかわれたときがあった。
これに対して、いちいち怒ったり嫌がったりして抗議すると、囃し立てた人間たちはますますその嫌がらせを続けた。「なにが面白いねん」と冷めた目で見返すほうが、被害の拡大を防げたように思う。
いま思うに、彼らはたぶん、強い者と弱い者の構図が欲しいだけだったんじゃないかな。そして、誰かに嫌がらせをして相手が嫌がるところを見ることで、その構図を作り出そうとしていたような気がする。
だとしたら、嫌がらせをされたとき、嫌がって見せるのが一番マズい対応なんじゃないかな。だって彼らは、「嫌がらせをする側とされる側」という構図を作りたいだけだから。一度嫌がらせをされる側に回ってしまうと、なかなかその構図から抜け出せない。
彼らは、嫌がらせゲームという序列を作る。そしてそれぞれが、序列の下位にいる者を押さえこんで、自分の序列を維持しようとする。序列の下位に位置づけられると、自分が嫌がらせをされてしまうからだ。
嫌がらせやいじめが嫌いなら、その序列で上位を目指すのではなく、「嫌がらせゲームには参加しない」という道を選ぶしかない。そのためにはまず、嫌がらせをされても嫌がらない態度が必要だと思う。彼らは自分に、「嫌がる」ことを望んでいる。嫌がって見せたら思う壷だ。
もしそういう態度をとっていても、しつこく嫌がらせゲームに誘う人間がいたら、ゲームの会場から一度離れたほうがいい。嫌がらせゲームはある一定の地域で行われる。ゲームの会場から離れてしまった人間は、参加を強制されない。クラスが変わったり、違う学校に進学したりすると、いじめが止むのはそのためだ。
逆に言えば、ゲーム会場を離れるだけで嫌がらせゲームから降りることができる。物理的に場所を移動するだけでよいのだ。「新しい場所でも、同じようなゲームをやっているのではないか」という危惧はよく分かるけれど、それはその場所に行ってみなければ分からない。
たしかにそのゲームは、どの地域でも見られるほど一般的なものであるけれども、でも「どこへ行っても同じ」というほど似通っているわけじゃない。街においしいラーメン屋さんと美味しくないラーメン屋さんがあるように、場所によって違っている。だから思い切って、別の場所へ行ってみるのは良いことだ。新しい場所が駄目なら、また別のところへ行けばいい。美味しいラーメン屋さんは、どこかにちゃんと存在している。
2006-11-24
# 創作意欲とお金
政府の知的財産戦略本部(本部長・安倍首相)は、音楽や映像を違法コピーした「海賊版」をインターネット上からダウンロードすることを全面的に禁止する著作権法改正に着手する。27日に開く知財本部コンテンツ専門調査会に事務局案を提案。罰則も設け、08年通常国会に提出をめざしている改正案に盛り込む。海外でも人気が高い日本のマンガやアニメなどの権利保護を強め、コンテンツ産業の育成を促す狙いがある。
ええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!???
やめてよ。あったまおかしいんじゃないの? 『コモンズ』とか読んでる? 読んでみてよ。
政府は「世界トップクラスのコンテンツ大国を実現する」との方針を掲げ、アニメや映画、ゲーム、音楽、出版などのコンテンツ産業の市場規模を、2010年までに15兆円にしたいとの目標を04年に設定している。知財本部は、現状を放置すれば正規のコンテンツの買い手が減り、正当な利益を得られない制作者が創作意欲を失いかねないと判断。海賊版のダウンロードが違法であることを明確にすることでその流通を減らし、コンテンツ産業を成長分野に育てたい考えだ。
制作者は、お金のためにコンテンツ作ってるわけじゃないと思うんだけど。彼らは、どんなに貧乏だって創作を続ける。海賊版が流通して儲けが減るなんてちっぽけなことで、創作意欲は削がれない。だって、海賊版を見る人たちは、作品を楽しんでくれるだろうから。作品が誰かに愛されているなら、制作者は喜んでものを作る。「産業にするから」と言って、作品を愛してもくれない人の手に渡るよりはよっぽどマシだ。
2006-11-23
# お洒落かぁ
それより、背筋を伸ばすほうがイイと思う。
服装なんて普通で、でも背筋が伸びてる人のほうが、凛としてて格好いい。
なんていうのかねぇ……。間というか、呼吸というか。
人間には、その人らしさや、味のような良さがある。
「あの人には雰囲気がある」って言うよね。ああいう感じ。
人間の印象って、服装とか顔だけじゃなくて、背筋とか呼吸とか、
食べ方とか歩き方とか、そういうとこに如実に出てくる。
一つ一つの呼吸や、歩みをおろそかにしないというのは、
実は難しいことだ。そこにconcentrateできるというのは、
立派なことだと思うのです。
服装なんて普通で、でも背筋が伸びてる人のほうが、凛としてて格好いい。
なんていうのかねぇ……。間というか、呼吸というか。
人間には、その人らしさや、味のような良さがある。
「あの人には雰囲気がある」って言うよね。ああいう感じ。
人間の印象って、服装とか顔だけじゃなくて、背筋とか呼吸とか、
食べ方とか歩き方とか、そういうとこに如実に出てくる。
一つ一つの呼吸や、歩みをおろそかにしないというのは、
実は難しいことだ。そこにconcentrateできるというのは、
立派なことだと思うのです。
2006-11-22
# 今日の空目
# プロ指向は冷えつつあるのかなぁと
最近、メディアについていろんな人と話をしていて、どうも根本的なところで温度感が違うなぁと思ったことがあるのでメモ。
ぼくの最近の感覚では、時代を覆う雰囲気として、いまはプロ指向みたいなものが非常に薄れているように感じる。たとえば漫画は、コミックマーケットが非常に大きくなっていて、わざわざプロの漫画家にならなくても描く楽しみが得られる。
プロの漫画家でさえ、コミケに出品したほうが儲かるとか楽しいとかいう話を何年も前から聞いている。アマチュアならなおさら、そこに出品するモチベーションも上がるだろう。なにも全員が全員、プロになりたいわけじゃないのだ。
コミケに行けば、気の合う仲間と遊ぶことができる。そこには、ものづくりにのめり込む人や、作品と真剣に付き合う人たちがいる。商売として作品を作るようになったら、妥協をしなければいけないし、ものづくりが単なる孤独な作業になってしまう部分も多い。
音楽についてもそうだろう。プロでなくても、仲間とバンドを楽しむことができるし、自分のやりたい音楽を追究できる。商業メディアに乗れば、お金は儲かるかもしれないけど、いいことばっかりじゃないのは皆薄々感じている。プロとして音楽をやることに、こだわる必要性が感じられない。
プログラマについても同じことが言える。1つの会社にずっといて、名もない職業エンジニアをやっているなら、オープンソースのソフトウェアを公開して、仲間と切磋琢磨しながらものづくりをしたいと多くの人が思うだろう。もし仮に、わき目もふらずに職業エンジニアの道を突き進んだとして、いったい何が待っているというのか。
自分としては、こういう感覚が普通なのかなぁと思っているのだけれど。たまに人と話していると、メディアの求心力とか、昔ながらのプロ指向ヒエラルキーがまだ有効だと思っている人と出会って違和感を感じる。
そういうのが完全になくなったとは思わないけど、どうなんだろうねぇ……。
ぼくの最近の感覚では、時代を覆う雰囲気として、いまはプロ指向みたいなものが非常に薄れているように感じる。たとえば漫画は、コミックマーケットが非常に大きくなっていて、わざわざプロの漫画家にならなくても描く楽しみが得られる。
プロの漫画家でさえ、コミケに出品したほうが儲かるとか楽しいとかいう話を何年も前から聞いている。アマチュアならなおさら、そこに出品するモチベーションも上がるだろう。なにも全員が全員、プロになりたいわけじゃないのだ。
コミケに行けば、気の合う仲間と遊ぶことができる。そこには、ものづくりにのめり込む人や、作品と真剣に付き合う人たちがいる。商売として作品を作るようになったら、妥協をしなければいけないし、ものづくりが単なる孤独な作業になってしまう部分も多い。
音楽についてもそうだろう。プロでなくても、仲間とバンドを楽しむことができるし、自分のやりたい音楽を追究できる。商業メディアに乗れば、お金は儲かるかもしれないけど、いいことばっかりじゃないのは皆薄々感じている。プロとして音楽をやることに、こだわる必要性が感じられない。
プログラマについても同じことが言える。1つの会社にずっといて、名もない職業エンジニアをやっているなら、オープンソースのソフトウェアを公開して、仲間と切磋琢磨しながらものづくりをしたいと多くの人が思うだろう。もし仮に、わき目もふらずに職業エンジニアの道を突き進んだとして、いったい何が待っているというのか。
自分としては、こういう感覚が普通なのかなぁと思っているのだけれど。たまに人と話していると、メディアの求心力とか、昔ながらのプロ指向ヒエラルキーがまだ有効だと思っている人と出会って違和感を感じる。
そういうのが完全になくなったとは思わないけど、どうなんだろうねぇ……。