メッセージ。 - diary

2006-12-06

# 今日はため息ばっかり

はぁ〜あ〜。ぼくは心が弱いなぁ。
どうも、人の意に沿わないことをするのが苦手みたい。
気が付くとため息をつたり、ひとりごとを言ってたり。
2006-12-06 23:29:05 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-12-05

# あうぅ……

「静かな場所で……」とか言いながら、結局半日ヨドバシカメラを徘徊してしまった。orz
しかも買ったのはLANケーブル1本……。
2006-12-05 20:55:57 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# ええい、今日は、お休みだ

静かな場所でじっくり考える。
2006-12-05 13:16:52 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# ぼんやり天井を見上げながら

子供のころ、母親に尋いてみた。
「どうしてこの部屋は蛍光灯に変えないの?」
母親は、ちょっと困ったような顔をして答えた。「お父さんが、蛍光灯、嫌いなのよ」
「でも、蛍光灯のほうが電気代も安いし、白い光で綺麗なのに」
そんな風にぼくは思い、訳の分からない父親の好みを疎ましく思ったものだった。
でも、あれから何年も何年も時間がすぎて、少しだけぼくは変わったようだ。
悔やしいけれど、白熱灯にもたしかに良さがある。あのころのぼくには、見えなかったものがある。
2006-12-05 11:48:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-12-04

# 我慢できないほどの

なんだろう。

ときに人間には、我慢できないほどの痛みや苦しさが、降ってくるものだと思う。
そういう痛みや苦しさを感じたときに、論理的(倫理的)じゃない行動をしてしまうのは、仕方がないことじゃないかなぁ。

もちろん。どんなに自分が苦しくても、誰かに迷惑をかけたり、傷付けたりはしないほうがいい。
でもさ。我慢できないほどの痛みや苦しさなんだよ? どうすればいい?

黙って堪えて、抑え込めばいい?
誰もいないところで大声を上げて、ただ時間が過ぎて嵐が去るまで泣けばいい?

それでもいいけどさ。
でも、もし。ぼくの好きな人が、ぼくの知らないところでそうやって苦しんでいるのだとしたら、嫌だな。
ぼくはなにもしてあげられないだろうけど、なにかをしてあげたいと思ってしまう。

だからさ。声を聞かせてくれるってのは有り難い。
しんどいときに、「しんどい」って言ってくれたら、駆け付けることができる。
そばにいても、なにもできないんだけどさ。それでもね。
なにかしたいじゃん? なにかせずにはいられない。

そのときには、痛みや苦しさを、ぼくにぶつけてくれていい。傷付けてくれていい。
それであなたの苦しさが、少しでも晴れるならうれしい。
ぼくがそこにいる理由があるってものだ。

だから本当に、声を聞かせてくれるってのは有り難い。
2006-12-04 10:07:25 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-12-03

# 今月っていうか、11月の仕事終わり

ぷわー。今月の仕事が終わりましたー。みなさんおつかれさま。これでとりあえず、終わりです。今月も楽しかったです☆
2006-12-03 21:44:20 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# なぜか惹かれてしまうのです

 
 女「男は女に○○すべきだよ」
 男「いや、男が女に○○するのは適切じゃない」
 女「わたしのことを愛していないの?」
 男「それとこれとは話が違う」
 女「いつもそうやって逃げるのね」
 男「そういうわけじゃ……」
 女「わたしのこと、すき?」
 男「え……あ……ああ、うん」
 女「よかった! じゃあ○○してくれるわよね! わたし嬉しい!」

あー。こういう風に奔放に振る舞われると、なんでか男ってドキドキしちゃうんですよね。理不尽なところがたまらなくよいです……。なんつーのかなぁ。峰不二子的魅力というか。

そういう、女の人の理不尽さを前にしたら、男なんて、猫じゃらしで遊ばれる猫のようなものです。なんだかなんだ言って、案外好きなんですよね。結局あの話題も、みんな怒っているように見えるけど、すごく盛り上がってますから。みんな女が好きすぎる!と思います。

にゃー!
2006-12-03 18:13:54 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-12-02

# でも優しくもある

wHite_caKe - 時折、世界は残酷で

いいお話だなぁ……。「おれなんかのことを」って、なかなか言えるもんじゃないよ。すっごく素敵なお父さん。好きな人とその家族に、こうやって思い出してもらえるんだから、その人はそれなりに幸せだったんじゃないかなぁ。いい供養だと思う。本当にいい供養だと思う。
2006-12-02 19:22:14 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# なんとなく

えー? ぼくは結構、michyさんのことは好きなんだけどなぁ……。

人間は、ちょっとぐらい間違ったことを言ったっていいと思うし、暗いトンネルの中を歩いているような、ひどい気分のときだってあるじゃん。そういうときにさぁ、誰かにあたり散らしたくなるのは分かる。自分が自分を制御できなくって、つらくって、どうしようもないときはぼくにだってあるから。

苦しんでいる人に、つらくあたるのはやめようよ。そりゃあ、八つ当たりされたり、無茶なことを言われたら嫌な気分になることもあるだろうけど。

でも、「しんどいよぅ」って声をかけて、八つ当たりしてくれるってのは、うれしいことだとぼくは思うな。だって、信頼してくれてるから、八つ当たりしてくれてるんだもん。人間は本当にしんどいとき、嫌いな人に声をかけたりはしない。たとえ八つ当たりするためだとしても、嫌いな人に声をかけたりはしない。

本当は、「しんどいよぅ」って言うのは、勇気のいることなんだよ。それは弱味を見せるということだから。「しんどいよぅ」って声をかけてくる人には、逆に自分がしんどいとき、頼ることができる。そんなありがたいことありまへんで。
2006-12-02 18:11:24 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 論理的に正しいことが正しいことであるとは限らない

あとは、これ。

法務だけど理系女子の綴るblog: 「男は女にやさしくすべき」と考える不幸へのコメント -「病院に行け」の怖さと、スルー力より議論力の重要性と、「優しさ」意味-
 「女性に月経がある」ということは、女性の人格形成にも多大な影響を及ぼしていると思いますので、その点も含めて配慮して欲しい

こういう意見を読んだら、ぼくはこういう風に考えてしまう。「男性に月経がないということは、男性の人格形成にも多大な影響を及ぼしていると思いますので、その点も含めて配慮して欲しい」。

でも、これって変でしょう? 男性に月経がないから、男性の人格形成に影響を及ぼしているという前半は、論理としては正しい。だけどそれは、後半の男性には配慮が必要という論拠にはならない。月経があるかないかは、男性と女性の人格に何らかの傾向をもたらす可能性がある。そこまではいいけど、この論理では、配慮が必要なのは男性なのか女性なのかまでは分からない。

配慮が必要ってことは、つまり配慮されるべき性のほうに、何らかの不足があるということでしょう? で、その配慮されるべき性は女性だと。それって真実なのかなぁ? 女性の人格には、傾向として何かの問題があるってこと? 逆の可能性だってあると思うんだけど。月経のある女性のほうが正常な人格傾向があって、月経のない男性はどこか異常で不足な可能性だってある。(詭弁だって? まぁね。この指摘にはあとで(気が向いたら)答えます)

それともあれかなぁ? どちらかに不足があるわけじゃなくて、この文脈では、「月経が存在するか否かで、男性と女性の人格には差異があると予想される。つまり、男性と女性は違う。だから、分かろうと努力しなければ、お互いに分かりあえない。男性は女性に配慮しようね(女性は男性に配慮するから)」という意見なの? 違うよね?

えーと、頭を冷やして……。月経があるということは、しんどくて嫌なことなんだと思う。ぼくには分かれないし、分かりたくもないかもしれない。(あれ? でも、「分かりたくない」と男に思わせるようじゃ、こういう意見はストラテジーとして失敗してるんじゃないかな? や、まぁそれはいいとして、)そのしんどさは、やっぱり言葉では伝えにくいもののような気がする。

とくに、こういうインターネット上で、多くの人に対して「だから女の子には優しく☆」と言うのは、ちょっと違うんじゃないかな。「女の子に優しく☆」じゃなくて、「私に優しく☆」のほうが、誠実で本当だと思う。「女の子に優しく☆」とプロパガンダを広めることは、本質的じゃないアプローチだ。世の男どもが女の子たち全般に優しくしたところで、問題は解決しない。

女の子がみな、それほど重い生理に苦しんでいるわけじゃない。世の男は全員、その程度重い生理を想定して女の子に優しくせよと言うのなら、男たちにかかる負担はどこかに軋轢を生む。それが何につながるかを考えたら、「女は女らしく、男の庇護(支配)下に置かれるべきだ」という方向に行きがちなんじゃないかな。

でも、それって嫌だよね? ぼくだって嫌だ。つまらない。何か言いたくなるのは、気持ちとしては分かる。だから言うなとは言わないし、好き勝手に自分の思うことを言えばいいと思う。だけどね。そうやって紡いだ自分の言葉が、自分を傷付けることもあるからね(いろんな意味で)。たとえ言葉に出さなくても、思考として結実させた時点で、それは自分を傷付ける。気を付けてほしいなって思うのです。

とにかく。「女の人は犠牲を払っている。だから男も相応の犠牲を払いなさい」、これはやめよう。ぜったいにやめたほうがいい。なんとなくそう思うです。

※ 2006/12/02(Sat) 13:03:45追記:ごっ、ごめんなさい。タイトルの「論理的に正しいことが正しいことであるとは限らない」ですけど、内容とはあまり関係のない文言です。この日記システムでは、まず本文を書いて最後にタイトルを入れるんですけど、タイトルを付ける時点で、自分の中で、「この文章は論理的であるかもしれないけど、実際に苦しんでいる人の救いにはならない(だろう)。また、誰かを傷付けてしまうかもしれない。ごめんなさい」という気持ちになったので、自暴自棄なタイトルを付けてしまいました。
2006-12-02 01:10:11 / ふじさわ / Comment: 3 / Trackback: 1
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