メッセージ。 - diary
2006-11-15
# Javaスクールの危険について
承前。
なんとなくだけど、「Javaを教えるな。C言語を教えろ」という意見には賛成できないなぁ。というのも、Javaというのは自動車みたいなものだ。昔はなかったけどいまは使える便利な道具としての自動車。現代において、自動車を運転するスキルというのは十分必要だと誰もが認めるだろう。実はJavaもそういう道具の1つなのではないか。
たとえば自転車。自転車があれば、身の回りをスイスイ素早く走り回って、日常の用事をこなすことができる。自転車で移動できる距離は、自動車には遠く及ばないけれども、身近な場所を走って路地裏を駆け回るなら、小回りをきかせられる自転車が有利だ。
たとえば徒歩。徒歩は自転車よりもスピードが出ない。遠くまで行くこともできない。だけど家の中を歩き回りたいなら、やっぱり自分の足で歩くのが一番だ。山を登ったり、川を渡ったり、自転車にも自動車にも踏破できない場所を、徒歩でなら進むことができる。スピードを気にしなければ、徒歩の有効性は高い。いざというときにも使えるし、「歩くのが下手」というのでは話にならない。
そう。いくら時代が進んでも、歩く技術の重要性は変わらない。それは基本としてすべての人がそなえておくべきスキルと言えるだろう。コンピュータで言うならばアーキテクチャといったところだろうか。しかし、だからといって自動車の運転技術を学ぶ必要がないとはいえない。
現代においては、多くの人が自動車の運転(あるいはJavaやLLやVBAでのプログラミング)技術を使って、仕事や遊びにいかしている。徒歩(あるいはアセンブラ)にはそれなりの良さがあるし、いざとなったらそういった方法論も必要だろう。しかし、もっぱらいま、フロンティアが存在するのは自動車やJavaプログラミングの領域なんじゃないだろうか。
現代では、自動車を運転し自動車で移動するからこそ、徒歩にはなかった新たな問題にぶつかることが予想される。自動車がこれだけ普及した現在において、自動車の運転技術をないがしろにすることは、運転する人にとっても社会にとっても幸福なこととは言えないはずだ。
せっかく自動車があって、それをうまく運転したり、自動車を改良したりすることで新たな土地に出かけられるのに、そこをないがしろにするわけにはいかない。もちろん、「自動車が壊れたらどうするんだ」、「目的地に近付いたら徒歩で移動するんだろう?」、「遠くに移動する必要はない」という意見があるのも分かる。しかし、どちらかを捨てることが唯一の答なんだろうか。きっと違うよね。
なんとなくだけど、「Javaを教えるな。C言語を教えろ」という意見には賛成できないなぁ。というのも、Javaというのは自動車みたいなものだ。昔はなかったけどいまは使える便利な道具としての自動車。現代において、自動車を運転するスキルというのは十分必要だと誰もが認めるだろう。実はJavaもそういう道具の1つなのではないか。
たとえば自転車。自転車があれば、身の回りをスイスイ素早く走り回って、日常の用事をこなすことができる。自転車で移動できる距離は、自動車には遠く及ばないけれども、身近な場所を走って路地裏を駆け回るなら、小回りをきかせられる自転車が有利だ。
たとえば徒歩。徒歩は自転車よりもスピードが出ない。遠くまで行くこともできない。だけど家の中を歩き回りたいなら、やっぱり自分の足で歩くのが一番だ。山を登ったり、川を渡ったり、自転車にも自動車にも踏破できない場所を、徒歩でなら進むことができる。スピードを気にしなければ、徒歩の有効性は高い。いざというときにも使えるし、「歩くのが下手」というのでは話にならない。
そう。いくら時代が進んでも、歩く技術の重要性は変わらない。それは基本としてすべての人がそなえておくべきスキルと言えるだろう。コンピュータで言うならばアーキテクチャといったところだろうか。しかし、だからといって自動車の運転技術を学ぶ必要がないとはいえない。
現代においては、多くの人が自動車の運転(あるいはJavaやLLやVBAでのプログラミング)技術を使って、仕事や遊びにいかしている。徒歩(あるいはアセンブラ)にはそれなりの良さがあるし、いざとなったらそういった方法論も必要だろう。しかし、もっぱらいま、フロンティアが存在するのは自動車やJavaプログラミングの領域なんじゃないだろうか。
現代では、自動車を運転し自動車で移動するからこそ、徒歩にはなかった新たな問題にぶつかることが予想される。自動車がこれだけ普及した現在において、自動車の運転技術をないがしろにすることは、運転する人にとっても社会にとっても幸福なこととは言えないはずだ。
せっかく自動車があって、それをうまく運転したり、自動車を改良したりすることで新たな土地に出かけられるのに、そこをないがしろにするわけにはいかない。もちろん、「自動車が壊れたらどうするんだ」、「目的地に近付いたら徒歩で移動するんだろう?」、「遠くに移動する必要はない」という意見があるのも分かる。しかし、どちらかを捨てることが唯一の答なんだろうか。きっと違うよね。
2006-11-14
# スパム対策
Webサーバーへのアクセスログを見ると、案外高い頻度でスパムコメントが投稿されているみたい。いまはコメント本文に「NGワード」が含まれているとデータベースに反映しないようにしているのだけど、たまにすり抜けられちゃうんだよなぁ……。ということで、もっと精度の高くて実用的なスパムフィルタリングについて考えてみた。
アクセスログをよく見ると、スパマーは特定のIPアドレスから投稿しているらしいので、送信元IPアドレスでフィルタリングするようにしようかな。たとえば、「NGワード」を含むコメントを受信した場合、送信元IPアドレスを「NGホスト」として記録するの。また、「NGホスト」から投稿されたコメント本文の中に含まれるURLは、「NGワード」に記録してしまうと。
つまり、
「NGワードを投稿するホスト」→「NGホスト」として登録
「NGホストから投稿される文言」→「NGワード」として登録
という感じ。
こうしておくと、データベースが自動的に成長して面白そうだなぁ。ちとやってみようっと。
アクセスログをよく見ると、スパマーは特定のIPアドレスから投稿しているらしいので、送信元IPアドレスでフィルタリングするようにしようかな。たとえば、「NGワード」を含むコメントを受信した場合、送信元IPアドレスを「NGホスト」として記録するの。また、「NGホスト」から投稿されたコメント本文の中に含まれるURLは、「NGワード」に記録してしまうと。
つまり、
「NGワードを投稿するホスト」→「NGホスト」として登録
「NGホストから投稿される文言」→「NGワード」として登録
という感じ。
こうしておくと、データベースが自動的に成長して面白そうだなぁ。ちとやってみようっと。
2006-11-13
# プログラミング学習の難しさについて(?)
Javaスクールの危険 - The Joel on Software Translation Project
[あとで読む]。ちらっと見た感じ、ポインタと再帰、連結リスト、ハッシュテーブルといった単語が見えるなぁ……。プログラミングを理解するうえで、ぼくが苦労したところそのまんまだ。なぜ苦労したかについて、いつか書きたい。
[あとで読む]。ちらっと見た感じ、ポインタと再帰、連結リスト、ハッシュテーブルといった単語が見えるなぁ……。プログラミングを理解するうえで、ぼくが苦労したところそのまんまだ。なぜ苦労したかについて、いつか書きたい。
# 立派なもんだ
取材を受けて。|Tiara Girl編集長
「ブログを利用した口コミマーケティング」というのが業界で盛り上がっていて、テレビでも放送されたらしい。で、それを見た人が「けしからん」と押し掛け、当のブログを書いていた女子大生のサイトを炎上させたと。
上記リンクはその本人のサイトなんだけど、この対応はなかなか立派だよなぁ。堂に入っているというか、胴が据わっているというか。こういう対応ができるのなら、普通にアルファブロガーと言えるレベルじゃないかという気がする。
「ブログを利用した口コミマーケティング」というのが業界で盛り上がっていて、テレビでも放送されたらしい。で、それを見た人が「けしからん」と押し掛け、当のブログを書いていた女子大生のサイトを炎上させたと。
上記リンクはその本人のサイトなんだけど、この対応はなかなか立派だよなぁ。堂に入っているというか、胴が据わっているというか。こういう対応ができるのなら、普通にアルファブロガーと言えるレベルじゃないかという気がする。
# gauche_0.8.8-1_arm.ipkを作りました
Gauche 0.8.8がリリースされたので、Zaurus用にコンパイル・パッケージングしたipkファイルを公開します。→http://pikapika.to/~yf/download/gauche_0.8.8-1_arm.ipk
もし不具合などありましたらお知らせくださいませ。
もし不具合などありましたらお知らせくださいませ。
2006-11-12
# 表現について
たとえば、好きな人に「あなたが好きです」と言うことは、どうもなんか違う気がする。
好きなことは好きなんだけれども、それを伝える必要がないと感じてしまう。それに、自分が好きと伝えることで、何かが変わってしまうのは嫌だ。
何かが欲しいわけじゃない。いまのあなたや、あなたを取り巻く世界が好きなのであって、好きと伝えるとそれは変化してしまうかもしれない。
変化そのものを怖れるわけじゃない。自分が何かをするにせよ、しないにせよ、あなたやあなたを取り巻く世界は時間とともに変わってしまうわけだから。
ただその変化において、自分というものが必要以上に大きなファクターとなりたくない。望むのはあなたの世界のことであって、自分や、自分とその世界との関係ではない。
だから、何かを感じたとしても、それを表現することははばかられることだ。そういう状況においては、表現などというものをしないほうがいいのかもしれない。そう考えることはよくあって、実際に表現しないことも多い。
いや。正確に言えば、表現しないのではなくて、できないのかもしれないけれども。とにかく、表現というものにまつわるこの感じは難しい。それは本当に、罪深いもののように思われる。表現は祈りに近い。
好きなことは好きなんだけれども、それを伝える必要がないと感じてしまう。それに、自分が好きと伝えることで、何かが変わってしまうのは嫌だ。
何かが欲しいわけじゃない。いまのあなたや、あなたを取り巻く世界が好きなのであって、好きと伝えるとそれは変化してしまうかもしれない。
変化そのものを怖れるわけじゃない。自分が何かをするにせよ、しないにせよ、あなたやあなたを取り巻く世界は時間とともに変わってしまうわけだから。
ただその変化において、自分というものが必要以上に大きなファクターとなりたくない。望むのはあなたの世界のことであって、自分や、自分とその世界との関係ではない。
だから、何かを感じたとしても、それを表現することははばかられることだ。そういう状況においては、表現などというものをしないほうがいいのかもしれない。そう考えることはよくあって、実際に表現しないことも多い。
いや。正確に言えば、表現しないのではなくて、できないのかもしれないけれども。とにかく、表現というものにまつわるこの感じは難しい。それは本当に、罪深いもののように思われる。表現は祈りに近い。