メッセージ。 - diary
2006-11-10
# ニュースなんてどこが面白いんだ
http://jm.vis.ne.jp/sbox/index.cgi?StoreRoom%2f2006%2f11#ID08
子供のころ、テレビを観ようとしてよく悔やしい目にあった。父親が、「ニュースを観たい」といってチャンネルを替えてしまうのだ。「ニュースなんてどこが面白いんだ」。それは、ぼくの悔やしまぎれの言葉であり、また率直な感想でもあった。
子供のころ、テレビを観ようとしてよく悔やしい目にあった。父親が、「ニュースを観たい」といってチャンネルを替えてしまうのだ。「ニュースなんてどこが面白いんだ」。それは、ぼくの悔やしまぎれの言葉であり、また率直な感想でもあった。
2006-11-09
# 続 0.999...は1か
先日話題になった0.999...は1かについて、なるほどと感じるコメントをいただいたのでリンク。
頭の中のモヤモヤっとしがちなところが、数学の外にいる人間でも分かるような、うまい言葉になっていると感じました。ちょっと分かったような気がします。
それなりに数学を勉強して経験していくと、そのうち、そう考えざるを得なくなるってこと。
頭の中のモヤモヤっとしがちなところが、数学の外にいる人間でも分かるような、うまい言葉になっていると感じました。ちょっと分かったような気がします。
2006-11-08
# 自己愛とか
自己愛は、そりゃあるさ。あっていいものじゃないかと思う。ただ、なんつーのかな。
ほかの人にだっていいところがある。あの人はすごい。すごい賢いとか、すごい鋭いとか。すごい優しいとか、勇気があるとか、ある分野ですごい積み重ねを持ってるとか。自分は持っていないものを、他者の中に見つけることがある。
そういった、「自分は持っていないもの」を、単に好きでいればいいだけじゃないのかなぁ。自分のことも好きだけど、ほかのあの人のことも、この人のことも好き。自己を愛するのと同じだけ他者を愛することができるなら、総体として「自己愛が強すぎる」という状態にはならないと思う。
それでいいんじゃないの? よく知らんけど。そのほうが楽しいように思うべさ。
ほかの人にだっていいところがある。あの人はすごい。すごい賢いとか、すごい鋭いとか。すごい優しいとか、勇気があるとか、ある分野ですごい積み重ねを持ってるとか。自分は持っていないものを、他者の中に見つけることがある。
そういった、「自分は持っていないもの」を、単に好きでいればいいだけじゃないのかなぁ。自分のことも好きだけど、ほかのあの人のことも、この人のことも好き。自己を愛するのと同じだけ他者を愛することができるなら、総体として「自己愛が強すぎる」という状態にはならないと思う。
それでいいんじゃないの? よく知らんけど。そのほうが楽しいように思うべさ。
2006-11-06
# どうでもいい話の扱い
んー。たとえば新山さんの日記なんかを読んでいると、「どうでもいいけど」という書き出しを目にすることが多い(本人もそれを自覚していてパロディにしているフシがある)。
で、その背景にあるメンタリティは、明らかに「世間一般にはきっとどうでもいいことでしょうが」だと思うんだよなぁ。「このような文章を読んでも役には立たないでしょうけど、個人的には面白いと思ったので書きますよ」という感じ。そこには、「すみませんが」とか「でも何か価値があるかもしれない」というニュアンスを含んでいる。
役に立たない文章でお目汚しをして申し訳ないとか、あなたの時間を奪ってしまって申し訳ないとか、面白い文章を書く人の中に、そういうメンタリティを持つ人がいる。ぼくはそういう人の文章が好きだし、そういう人の「どうでもいいけど」は美しいと思う。
「どうでもいいけど」をまったく別の方法で使う人もいるというのは想像にかたくなかったけど。んー。「本当は「どうでもよくない」けど、読んでいただく価値があるかとためらう」もこのリストに含まれていてほしいものだ。
で、その背景にあるメンタリティは、明らかに「世間一般にはきっとどうでもいいことでしょうが」だと思うんだよなぁ。「このような文章を読んでも役には立たないでしょうけど、個人的には面白いと思ったので書きますよ」という感じ。そこには、「すみませんが」とか「でも何か価値があるかもしれない」というニュアンスを含んでいる。
役に立たない文章でお目汚しをして申し訳ないとか、あなたの時間を奪ってしまって申し訳ないとか、面白い文章を書く人の中に、そういうメンタリティを持つ人がいる。ぼくはそういう人の文章が好きだし、そういう人の「どうでもいいけど」は美しいと思う。
「どうでもいいけど」をまったく別の方法で使う人もいるというのは想像にかたくなかったけど。んー。「本当は「どうでもよくない」けど、読んでいただく価値があるかとためらう」もこのリストに含まれていてほしいものだ。
・本当は「どうでもよくない」のに、興味があると思われるのは悔しいので「どうでもよい」と言ってしまう。(意識、無意識纏めて)・本当に「どうでもよい」が、何らかの意図を持って話題にあげる。・中身については「どうでもよい」が、その中身によって起こる現象や状態や影響について興味があり分析を加える。