メッセージ。 - diary

2006-10-28

# 「だまされたと思って」

子供のころからそうなんだけけど、「だまされたと思って○○しろ」の意味が分からないんだよなぁ……。だまされたと思ったら、腹が立ってそれ以上その人の言うことを聞かないっすよ。

それともアレなのかなぁ。「催眠術にかかったように、何も考えずに○○してみろ」ということなのかなぁ。言いたいことは分かるけど、説得力がないしなぁ。「悪いことは言わないから」のほうがまだマシというかそれでも嫌だけど。

「だまされたと思って」と言われても、「じゃあやってみようかな」と思えなさすぎる。全然心を動かされないいんだよなぁ。なんなんだろう。
2006-10-28 18:00:58 / ふじさわ / Comment: 6 / Trackback: 0

# 訪問したページを全て記録して検索(2)

訪問したページを全て記録して検索が案外好評だったので、改良と不具合修正をしてみました。→http://pikapika.to/~yf/source/cproxy-0.02.scm

改良点
・データの保存形式を変更しました。いままではHTTPヘッダーとコンテンツをくっつけて保存していたのが、ヘッダを除いたファイル本体のみ保存するようにしました。
・保存先はYYYY-MM-DD形式のディレクトリ下に、取得したURIをファイル名として保存します。これによって、ファイルブラウザからのアクセス性と閲覧性が向上し、プロキシ動作のレスポンスも向上しています。
・デバッグメッセージというか、アクセスログを適当に標準出力に吐き出していたのを止めました。
・過去ログ閲覧/検索画面が分かりにくかったので、文言を変更するなどしました。

不具合修正
・過去ログの検索で不具合があり、実際には検索できなかったのを修正しました。
2006-10-28 02:58:00 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# うわー。今週のヤングジャンプは表紙が強いっすね〜

川村ゆきえたんえっちぃよハァハァって、手に取ってみたら巻頭グラビアで「こんにちは!藤森沙紀です!」って、なんでやねん!
2006-10-28 01:33:29 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-10-27

# [目からウロコ]

 
 極めつけに「アンタ、一生、その男を養うつもりなの」。
 
 ‥‥つーかさ、自分はずっと夫に養ってもらってるよね。それを不思議だとは思ってないでしょ。専業主婦は人として恥ずかしいからなんでもいいから働けって言われたことがあるんだろうか。

目からウロコでした。言われてみえばたしかになぁ。女が男を養うのだって、別に変なことじゃないかー。なるほどなぁ。
2006-10-27 23:34:07 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 仕事をしていて密かに思っていること

あー。

紙メディアには紙メディアなりの流儀があって、それを知っていて損はないのになぁと思うのですが……。

たとえば、紙のメディアってのはああ見えて、結構日本語表現に気を使っています。文法的におかしな表現をしていないかとか、新語を濫造していないかとか。見えないところで気を使っている部分が多いのですよね。

日本語表現を間違えていると、それを読んだ人が「こんな書き方していいんだ」と考えたりしますし、新語を濫用していると、ついていけない人がでてきます(ご老人とかとくに)。

そういうことがないように、紙メディアの編集者などは普段とても気を使っているのです。たとえば、新聞社や出版社には校正セクションというのがありまして、一日中ゲラを読んで表現の間違いがないか、意味不明瞭なところがないかをチェックしている人たちがいます。

彼らは本当に、一般紙から専門書レベルの文章まで、ありとあらゆるものを「読むプロ」です。「こんな専門家向けの文章、読んでたら絶対寝ちゃうよ」という文章を読んで、間違いを正確に指摘できる彼らを、ぼくは本当にすごいと思います。

紙のメディアに載るということは、いただいた原稿や素材に、メディア側で手を入れてしまうという負の側面も当然あります。ただそれは、間違った表現を直したり、いたずらに読者や作者を傷付けることがないよう手直ししたりするという正の側面もあるのですよね。

そういった側面は、メディアとしてあながち間違っていないように、ぼくは思います。紙のメディアは、ある程度読者の模範となるべき役割を担っている部分がありますし、たくさんの人に理解してもらえるものを作る必要がありますから(それは、日本語表現という意味と、内容面の両方においてです)。

メディアの仕事のクオリティは、各媒体やそこで働いている人の能力による部分も大きいですけど、メディアの裏側には、上でご紹介した校正セクションの人たちのようなプロがいることを、心の片隅に置いていてもらえればなぁと思うのです。

これから既存のメディアは衰退して、インターネットに取ってかわられる部分が少なからずあるでしょう。いまネットで活躍している人たちは、間違いなくその最前線を走り、既存メディアを叩き壊す人たちです。だからこそ、最前線を走る人たちには、既存のメディアの負の側面と、正の側面を知ってもらいたい。

既存メディアには悪いところもあるけど、良いところもある。それらを知って、新しいネットメディアを作るうえでの踏み台としてほしいなぁと思います。
2006-10-27 14:04:24 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# マスコミの報道の仕方について

日本のマスコミは右へならえ傾向が強すぎて、それが問題なんじゃないだろうか。最近の医療事故の報道もそうだし、マンションの耐震偽装問題、三菱自動車炎上問題なんかも同じだけど、ある一社が報道すると、ほかのメディアもこぞって報道するようになる。

「日本の医療はこんなにひどい」とか、「マンション販売の黒い実態」とか。多くのメディアが、同時に同じ話題を扱うので、関係者は袋叩き状態になることが多い。それは、いじめとほとんど変わらない。なんでかなぁと考えてみるに、どのメディアも「右へならえ」をしているのが問題のような気がしてきた。

つまり、ある問題を発見したとき、それを率先して報道するのを皆怖がっているのではないか。「これが問題だ」と声を上げて、間違っていたら責任が自分に来る。また、世論が自分に味方してくれなければ、批判した相手につぶされてしまう。マスコミはそれを怖がっているような気がする。

だから、どこも二番手を演じるのではないか。先頭に立つ者がいれば、二番手以降を走る自分は矢面に立たずにすむ。そうやって、二番手以降のプレイヤーが増えていき、ある程度一対多の構図になればしめたものだ。ある一人のターゲットをたくさんのメディアで攻撃すれば、それぞれのメディアは半匿名の立場に立つことができる。

「これだけたくさんの人間が石を投げていれば、自分のところに反撃の手は及ばないだろう」というムードが、そのときのマスメディアを支配しているように感じられる。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というやつだ。この社会では、マスメディアでさえ匿名でしか意見しないという現実がそこにある。

奇異に感じるのは、これをマスメディアというcelebrityが行っていることだ。本来、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というのは、庶民が持つ感覚であり、搾取される側が陥りがちなメンタリティだ。それを、マスメディアが率先して行っているというこの矛盾。celebrityが子供のいじめと何ら変わらないメンタリティで駆動している(ように見える)というのは、危険な感じがする。
2006-10-27 10:45:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 日々

影絵:奥山清行の課外授業「デザインは大切な人のために」 - livedoor Blog(ブログ)

NHKの「課外授業ようこそ先輩」、一度見てみたいんだよなぁ……。ということで、重い腰を上げて録画予約した。



影絵:NNNドキュメント「子供たちの心が見えない」 - livedoor Blog(ブログ)

子供たちの心、かぁ……。この文章を読む限り、ぼくらのころとそんなに変わっていないような気がした。

 「どんな先生ならいいの?」という女性スタッフの質問に、女の子はふざけた声で「超イケメン」と答える。

というのは、「誰が来てもダメだよ」っていう諦めのように聞こえる。「誰も私を救えない」というか。でもそれは、裏を返せば、「救ってほしい」という自意識の表れの気がするんだよなぁ。
2006-10-27 09:13:12 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 5年後、10年後

 
 俺はこの先、すごく都合のいい嫁さんが向こうから全部お膳立てして求婚でもしてくれない限り結婚する気ないんで、おそらく一生独り身。普通の老後とか諦めてます。この仕事が何歳まで続けられるものなのかまったく分からんし、要するにノー・フューチャーなわけです。ボケたり寝たきりになったりしたらどうにもならない。
 
 そういうところをあんまり考えずに今生き甲斐になるようなことだけ追いかけて生きている以上、どうなろうが覚悟は出来ている。何か望むとするならば、せめて親が生きてる間はちゃんと稼いで生計を立てて、あまり心配しないで済むようにしてあげたい、ってくらいかな。
 
 最後は別に無縁仏でもいいや。とりあえず暮らしていける程度のお金は欲しい。あとネット環境だけは欲しいなあ。なんらかの創作活動が続けられればいい。
 
 アカギに言わせれば、ギャンブルしているとき以外の日常生活も女もなにもかも、とどのつまりは「休憩」なんだそうで。俺もそんな生き方が理想です。日常的な幸福なんて要りません。創作をするための肉体が維持できればそれでいい。世間が何を言おうが知ったことか。もともと(狭い業界内評価を除いて)世間に褒めてもらったことなんて今までなかったしね。

こういう感じ方はいいなぁ。好きな感じです。
2006-10-27 08:45:19 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-10-26

# ちょっと低調

ふと突然、「面白いことを書きたい」と思ったのだけど、自分にはその能力がないと思い出して落ち込み中っす。

……なんだろう。ちょっとアクセスログを見ていて、「あーこんなページを見てくださる人がいるんだなぁ」という感じで、昔自分が書いたものを読み返してみたのだ。

そこに書いてあることが面白くなくってね。申し訳ない気になって。たまには面白いことを書きたいなぁと。でも、書けないんすよねぇ……。

あの、一応ぼく、大阪出身なので、本当はもっと面白くなきゃいけないはずなんですけど……。でも全然ダメな子で、面白いことを言ったり書いたりできないのです。

大阪の人間としては、これはめちゃめちゃ恥ずかしいことです。非モテに近い屈辱感。あにゃー。
2006-10-26 23:32:38 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-10-25

# それなんて人狼BBS?

「誤解なんてよくあることだよ。大丈夫だよ。元気出しなよ」と慰めていた人が、誤解の張本人だった件。
2006-10-25 16:07:57 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-10-24

# 人間は、誤解を避けるために生きてるんじゃない、とか

うーん。どんなに気を付けていても、誤解ってのは生じるものなんだと思う。しょうがないんじゃないかな。たしかに、何も言わないこと、誰ともかかわらないことで、誤解を最小限に抑えながら生きることもできるだろうけど。

でもさ。誤解がなければいいというもんでもないから。「誤解ゼロ」のために、ぼくらは生きているわけじゃない。誤解したり、されたりするとしんどいけど、気にしすぎないほうがいいと思う。
2006-10-24 21:59:36 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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