メッセージ。 - diary

2006-10-20

# 「これを読めばすべてわかるっていうブログはないんか?」

 
  私は新聞社や出版社、テレビ局などの40代、50代の社員を数多く知っているが、私のところにこんな風なことを聞いてくる人が少なくない。「佐々木君、これを読めばブログの世界のことがすべてわかるというブログはないのだろうか?」

うーん。たしかに、こういう意見は聞いたことあるなぁ……。「これを読めば○○のことがすべて分かる」というコンテンツが良いという価値観。よく分からないよなぁ。それを読んで、すべて分かったとして、その後どうしたいの?と思うのだけど。実際にそれを尋ねてみたことはないなぁ……。

なんなんだろうねぇ、これ。支配欲なのかなぁ。全部知りたいとか、網羅したいとか、ゲームのシナリオパスはすべて通らないと気がすまない、とかに共通したものを感じる。一度見始めたドラマは最終回まで見たいという感じ? うーんうーん。分からん。

まーもともと「面白さ」というのは理屈で説明しにくいものなので、こういう問題は宗教戦争になっちゃいがちなんだよなぁ……。メディア論についてちゃんと勉強すれば、こういうことも分かるようになるのかなぁ……。
2006-10-20 10:16:00 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 1

# 素直な感想と視点

ソーシャルハラスメントの話に、はてブのほうでいくつかコメントいただきました。そのなかで、いいなと思ったのがあるので、お返事というか感じることを書いてみますー。

 ・ 2006年10月20日 ELLEGARDEN ELLEGARDEN 性, 社会そんなにたいした映像には見えなかったのだが。

あーなんか、こういう素の感想ってすごく参考になります。ELLEGARDENさんがここをご覧になるか分からないですけど、ありがとうございました。

たいした映像には見えなかったのですねー。そっかー……。たしかに、ぼくの過剰反応なのかもしれないなぁ。女性からの怒りのコメントとかも、とくになかったしなぁ。むー。やー本当に参考になりました。もうちょっと考えてみたいと思います。
2006-10-20 01:08:38 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-10-19

# 第三者的スタンスを固持する男性について

 
 ・ 2006年10月19日 kmizusawa kmizusawa お作法, ジェンダー "頭がいいのはわかった。で、あなたは、そのことについてどう思っているのか" ああ、こう言いたくなる事あるなあ
 ・ 2006年10月18日 aozora21 aozora21 個人, 恋愛『なぜ男性の文章にどこまでも第三者的であろうとする態度が見られるのか?中略失礼?変に個人的な感情を交えず抑制的に書くのがカッコいいという美意識が、どこかにあるのだろうか。』同感(リンク先はむしろ逆)
 ・ 2006年10月18日 watapoco watapoco gender 件のMasaoさんは「どう思っているのか」を結構言うタイプだと思うけど、確かに第三者的スタンスを固持する男性は多い気がします。
 ・ 2006年10月18日 keijis keijis 男女客観性を重視する男の傾向は、一人前になりたいというのと遠くで繋がっている感じがします。かくいう私もずっとそういうパラドックスにとらわれていたから、気がつくとそういう事を言ってしまっていることが多い。

なんとなく男は、自分がどう思っているかなんて、表明することが許されないと思ってるんじゃないかなぁ。自分自身の意見なんて、まわりからは求められていないと考えているフシがあります。自分自身が承認される根拠がないと思っている。でも承認はされたい。承認は必要だ。だから承認されるために、有用な機能性(体が強いことや頭がいいこと、果ては社会的権威やお金まで)を身に着けようという圧力を内外から受けている気がします。

逆にね。女性というのは、自分で自分を承認する、永久機関のような器官が備わっているんじゃないかと、最近は思っています。フロイトとは逆の感じ。女性というのは、とくに女性的な女性というのは、自分が「手に持っている」機能をあまり気にしていないんじゃないかなぁと。自分がそこに存在を許される根拠について、男ほど気にしていないフシがある。「ここにいてもいいんだ」って、彼女らはハナから思ってる。

それは別に悪いことじゃなくてね。たとえば、子供を育てるうえでは、そういう器官は有効に働くと思うのです。ある種の母親は子供を無条件に愛しますから。子供という、実効的な機能をほとんど持たない、悪く言ったら足手まといの存在を、理由なく愛せる。そういう母親は、子供の機能を愛しているわけじゃない。子供に未来があるからとか、将来役立つからとかでさえない。なんの理由もなく、「可愛いから」とか「自分の子だから」とか、トートロジーの根源近くで子供を愛せる。そういうところはある気がします。

# 地雷を踏まないか心配だなぁ……。
2006-10-19 13:53:51 / ふじさわ / Comment: 6 / Trackback: 0

# 昨日書いたソーシャルハラスメントの話、

昨日書いたソーシャルハラスメントの話、だんだん自信がなくなってきた。女の人がよく言う「自分より大きなものから、抗えない強い力で抑えこまれる恐怖」というものの実感がすっぽり抜けてる。
2006-10-19 13:25:55 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 今日は面白い犬猫動画が多いなぁ

YouTube - Cat from Hell

すっ、すごい迫力です。こんな怒ってるひと見たことない。ひどすぎてちょっと笑っちゃうんだけど、こんな怒るってどういうことだろうなぁ。どういうシチュエーションなんだろう……。

YouTube - Stupid Cat

これは漫画みたい。猫カワイソス……。(´?ω?`)

YouTube - a funny dog

なにこれ? このワンちゃん、笑わせようと思って、わざとやってるんだよねぇ……。だとしたらすごいと思うんだけど。
2006-10-19 11:34:36 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 思いつきで適当なことを書いてみます

先日、オフ会に参加したのですけど、なんかそのとき「思いのほか匿名の人が多いなー」と感じました。まぁ匿名と言っても、皆さんハンドル持ちなので、カテゴライズするなら「顕名」と表現するほうが適切なのかもしれないですけど。「ブログは書いてないけど、コメントはする」という温度感の人が多かったかな。

ぼくは匿名が悪いと思いませんし、参加していた人たちも、みんないい人だなーと感じました。でも、なんかちょっと、はかないなーと思うところもあるんですよね。やっぱり、匿名とかコメントだけの人って、次にいつアクセスできるか、分からないところがあるじゃないですかぁ。

日記書きの人にしても、突然サイトを閉鎖されたら、もう本当に、二度と会えなくなっちゃう可能性があるわけで。それって、ぼくはしんどいように感じるほうです。「好きな人に会えなくなるなら、死ぬのと変わらない」と考えてるぐらいで。会えなくなるとしても、せめて元気にやってるかとか、ぼくは知りたいと思っちゃいます。

逆に言うとね。会えなくなる不安がある相手は、好きになるのが怖く感じます。「この人を好きになって、もし会えなくなったらどうしよう」と。あ。えーと。恋愛とか関係なく、全般的にという話ですよ。……で、それでも普段、「この人はなんとなく好き。いなくならないといいな」なんて思いながら、お付き合いさせていただいてる人とかいますけど。

それで、ここからちょっと各論ですが、人気もののブロガーさんとかは、コメント欄にいっぱい人が集まったりしてて、どう感じてるのかなーと思うんですよね。知らない人や、半分通りがかりの人からコメントをいただいて、それぞれにお返事をして、疲れないのかなーと。ブロガーさんにとっては、そういう関係って相手を好きになることができないと思いますし、その結果として伝えたいことが生まれなくて、しんどいんじゃないかなぁって。

半分匿名の人が次から次に現れて、人気もののブロガーさんに声をかけているのを見ると、ぼくもそのブロガーさんの一ファンとして、「大丈夫かな。疲れたりしないのかな」と心配になります。かといって、ぼくが声をかけると、またそれはそれで、その人にとって「声をかける半匿名の人」が1人増えるだけなんで、できないんですけどね(苦笑)。あ、あと、本当のところ、その人がどう感じているかなんて、ぼくには分からないというのもあります。

……。あーなんか、そういうことを書くつもりじゃなかったなぁ。もっと思い付きのネタを書くつもりだったのでした。そんな感じで最近は、匿名ってなんだろうなって、つらつらと考えていて、「江戸時代で言うと、匿名って農民?」と思い付いちゃったのです。農民が悪いとか身分が低いとか、そういう話じゃなくて、たしかに農民は、名字がなかったりして匿名性が高かったよなぁと。

逆に武士の人とかは名前を持っていたわけですよね。また、商人も一応屋号が名字の役割を果たしていたんじゃないかなぁと考えたり。匿名が悪いとか、つまらないとか言うつもりはないですけど、ネットワークの中で、ある特定の機能を担う人には、識別子としての名前があるほうが、一応自然なのかなぁと思ったり。なんか構造が似てる気がしました。しました。……オチとかはありません。すみません。おやすみなさい。
2006-10-19 01:09:24 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-10-18

# 甘言より諫言を選ぶ

void GraphicWizardsLair( void ); // 正論だけど自らのマイナスになる意見は「プロらしくない」のでblogに書かない方が良い。……ってのも正論だけど、blogってそういうのが書いてあるから面白い

otsuneさんに一票。小飼さんの意見には同意できないな。だって、言いにくいことを言ってくれる人って大事じゃないの? そういう人のほうが、稀有で価値があるんじゃないの? とくにこの税理士の花村さんは、誰かを見下しているわけじゃないと思うし。クライアントのことを想うからこそ、諫言してるんじゃないの? そこは注意深く、本当に注意深く見分けなきゃいけないポイントだ。ぼくは花村さんのような人こそ、信頼できるし仕事を頼みたいと感じる。

# すんません。分かりにくかったのでちょっと書き換えました。m(_ _)m -- 2006/10/18(Wed) 20:09:40
2006-10-18 12:30:50 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 痴漢の本質はソーシャルハラスメントではないか

# このエントリ、読むと腹が立つかもしれません。気持ちに余裕のあるときに読んでくださいませ。あと、リンク先の動画は、見ると気分が悪くなるので、見ないほうがいいです。

YouTube - 小野真弓

なにこれ? 女の子嫌がってるやん! 男はなんでこんなことするの?(怒) また、女も女で、こういうときは怒っていいと思う。第三者もいるんだし、泥縄になるまで殴りあいの喧嘩をしたらいい。あるいは、こんなくだらない仕事は即座にボイコットすべきだ。

なんつーのかなぁ。こういう行為は公開痴漢だし、ソーシャルハラスメントだなと思った。多くの人は、公共の場で「求められている振る舞い」をしようと努めている。テレビに出ている女の子は、「テレビに出ている女の子として」怒った顔や、取り乱した顔を見せないよう求められていると感じるだろうし、番組を良いものにしようと司会の仕事に務めるべきだと考えているだろう。それは、満員の通勤電車に乗る女性が、ほかのサラリーマンと同じように、他者に迷惑をかけないよう静かに我慢しながら、その時間を過ごすよう求められていると感じるのと同じ構図だ。

だけど世の中には、そういった社会的な義務遂行意識に対して、挑戦しようとする人間がいる。公共の場で「求められている振る舞い」をしようと努めている人に対して、その振る舞いが遂行できないよう実力を行使する人間だ。そういった障害に対面したとき、女性の多くは「求められている振る舞い」を継続すべきという抑圧的な超自我をはね除けられず、パニック状態になる。「求められている振る舞い」を優先してしまって、嫌なことをされても嫌だと言えなくなる。それは苦しいことだ。

逆に痴漢は、そういった社会的な義務遂行意識を利用していて、そこが卑劣だ。社会的な義務遂行意識そのものは、男も女も持つものといえる。でも、男性が感じる義務遂行意識は、ある程度日常の中で局所化しており、攻撃されにくい。たとえば「男らしくあること」とは、仕事ができることであり、社会的機能を実行する能力であり、理性的なことだろう。程度の差こそあれ、男性は無意識下でこういった「義務」を遂行するよう求められていると感じている。多くの男性は、仕事ができないことや、社会的機能を実行する能力がないこと、理性的でないことを公衆の面前で証明されると、腹が立つだろう。女性が痴漢を嫌うのもそれと同じだ。

女性が社会から求められている義務遂行は、日常のいろんなところに顔を出している。「女性の仕事は恋愛だ」というのは差別的意識を感じるし極論だと思うけど、社会にそういう雰囲気があるのは事実だと思う。要するに、「恋愛する能力があること」に対して義務感を感じていると思うのだ(それが良いか悪いかは別として)。だから多くの女性は、公衆の面前で性的醜態をさらすことを嫌がるし、教えられたように貞淑であろうと務める。痴漢というのは、そういった社会的義務遂行意識を悪用する行為といえる。それは社会的義務自体を否定する行為だ。だから社会人にとってそれは(ある程度以上)卑劣だ。社会的義務遂行意識の強い人ほどその被害に苦しむ。痴漢の本質は、ソーシャルハラスメントなんじゃないだろうか。

逆に言えば、社会的義務遂行意識なんて捨ててしまわなければ、痴漢とは戦えない。ソーシャルハラスメントと戦えない人は、真面目すぎるんだろう。真面目なのはいいことだ。いや、真面目な人は、ぼくは好きだ。でもね。たまには、痴漢と戦ってほしいと思う。嫌なことは嫌だと言っていいと思う。そうでないと、つらすぎるもん。いや、これは脱線か。とにかくもう、なんつーか、こういう嫌なことは避けられないもんか。
2006-10-18 10:25:49 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# 「それでも構わない」か……

東京から下る最終の電車。女の人の細い声が、なぜだか耳に染み込んできた。
「それでも構わない」。自分では、言ったことがないし、言われたことのない言葉だな……。
2006-10-18 01:44:50 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-10-15

# 昨日はオフ会でした

昨日は久しぶりの飲み会。純粋に、オフ会っぽいオフ会って久しぶりだったなぁ。普段は技術系の集まりで飲むことが多いのだけど、それとはまた、だいぶ違った雰囲気。

日記つながりのオフ会って、繊細な人が集まりがちという気がするけど、なかでも昨日のは雰囲気がよかった。みんなニコニコニコニコしててね。言葉少なに、ニッコリとうなずいてくれる人が多かった。

本当に、笑顔が温かい感じでね。言葉では伝えにくいものを、伝える方法を知っている人たちなんだと思う。それで、実際話してみても、思いのほか哲学的なテーマで盛り上がったりして。

考えすぎたり、感じすぎたりする優しい人たちが集まっていたような気がする。ああいう人が集まるのだから、幹事さんの人徳だよなぁ……。
2006-10-15 22:53:47 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-10-13

# 「いけないの?」という根源的な問い

はてなブックマークのほうで、根源的な質問をされている方がいて、非常に興味をそそられました。なんとなく思ってることしか書けませんが、お返事したいと思います。

 2006年10月12日 walkinglint メモ いけないの? > 今回の記事は、私怨から書かれたもののように、ぼくからは見えてしまいます。

いけないとは思わないです。ただ、コメントにも書いたように、公共のサイトに私怨混じりの意見を書くのは、あまり好ましく感じないんですよね。なんか、他人の褌で土俵に立つみたいで。「私怨で書いてますよ」ということが明確に表明されているとまだ良いのですが、あの記事はそういう感じでもなくって、こう、偏りがあるのにそれを隠そうとしているように感じてしまったのです。

そうすると、「読んだ人が、誤解しないかなぁ」と思っちゃうんですよね。それで、「誤解したらいけないから、何か忠告しなきゃ」と、いてもたってもいられなくなってしまうように感じました。なんといいますか、人間は、他人に対して「こう思ってほしい」と欲望してしまうんですね。

たとえば、はてなブックマークでつまらない記事がホットエントリーに入っていて、みなから絶賛されていた場合。「なにをこんなつまらんことでみんな騒いどるんじゃい。このエントリはこれこれこういう理由で間違っとる!」といちゃもんを付けたくなることって、ありませんか?

それがもし、ホットエントリーに入っておらず、どこかの零細ブログで細々とつづられていた文章だったとしたら、きっとそんな風には思わない気がするんです。「つまらんこと書いてる人がいるな。でもどうでもよろ」と。ぼくはそういう風に思っちゃうときがあります。

このときぼくは、はてなブックマークを見ている人に対して「間違ってる。こっちが正しいから正しい方を向いてほしい。こう考えてほしい」と欲望しているわけです。「つまらん」とか「これは間違っとる」と思ったエントリに対して反論するのは、それを書いた人やエントリを否定したいとかではなくて、それを見る人の思考をコントロールしたいという欲望が少なからずあります。

一方でぼくの中には、こういう感情を意識していて、流されたくないなと思う自分もいます。ですから、一時の感情で敵対的な意見を書くのではなく、できるだけ元記事を書いた人の視点に立って、書いた人の味方として、語りかけるように意見を書きたいなぁと思っとります。で、そういった視点に立ったとしても、「私怨で書いた文章は、必ずしもエントリ主さんの利益にはならないよ」と思ったのですよね。

ああいう風に私怨が表面ににじみ出てるような文章を書いても、SEやプログラマの皆さんは、味方になってくれないような気がするのです。もっと冷静に、自制を効かせて、公共の益に訴えるような意見を表明しなければ、優秀で冷静で味方に付けて頼もしいような人たちからはそっぽを向かれてしまうんじゃないかと。

ああいう煽りで共感してくれるのは、どっちかと言えば若くて未熟な人だと思うのですよね。でも、若くて未熟な人に訴えても、あまり現実は変わらない気がするんです。もっと大人の人。現実を変えられる人を動かさなきゃって。間違っているかもしれないですけど、ぼくはそういう風に考えるタイプなんですね。それで、そういう風に考えた結果、あの文章はああいう締めになりました。ですから、「いけない」という感じではないですね。
2006-10-13 23:57:13 / ふじさわ / Comment: 11 / Trackback: 0

# ロングテールについてグダグダと。

 
 ロングテール理論で儲かるのは小売りみたいな中間業であって、テール部分の商品を作っている人たちが儲かる訳ではないのではないか。

最近ボーッと考えていることに似ている気がする……(ボーッ)。

ロングテールでニッチなコンテンツが売れると言うけれども。でもニッチなお店、つまり街の書店なんかは全然儲かっていないし、むしろ圧迫されているような気がするんだよなぁ……。

その、なんていうのかなぁ。「ロングテール」の意味論を考えると、「小粒だけどピリリと辛い、個性的で多様なものが生き延びられる」というイメージがあるけど、街のお店については全然そうなっていないなぁ、と。

ぼくは「ロングテール」というものを勘違いしているのかなぁ。「個性的な媒体」じゃなくて、「個性的なコンテンツ」が生き残る、ということなのかな? で、逆に媒体は大きな一つだけが生き残るようになる、と。そういうことなのかなぁ……。よく分からない。

あと、なんだろう。加野瀬さんは「ロングテール理論って小売りは儲かるけどテール部分の商品供給者は儲からないのでは」と書かれているけど、本当は小売りも儲からないような気がする。だって、儲かっているのはAmazonばっかりで、ほかの小売りは全般的に負けているだろうから。

Amazonにしたって、ロングテール商品を売るためには、倉庫を用意したりとそれなりのコストが必要なわけで、ニッチな商品が売れたとしても、案外そのコストと相殺されてしまうんじゃないか? だとしたら、Amazonの儲けは、やっぱりテールじゃなく頭から胴体の部分で出ていて、頭や胴体が大きくなったのは、以前はほかの書店を利用していた一部のユーザーというパイを奪ってしまったからじゃなかろうか。

なんとなく、市場全体で富の総量は増えていない気がするんだよなぁ……。このご時世、ロングテールの本は買えるけど、ロングテールの書店を楽しむことはできなくなりつつあるのかなぁ、と。ボーッと妄想。まとまらない。もうちょっと考えないかんな。
2006-10-13 23:09:30 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 「Linux World」と「Java World」が休刊

f/x [エフエックス] ITメディア・タンク - IDGジャパン「Linux World」「Java World」休刊

スラッシュドット ジャパンに載るのを待っていたのだけど、なかなか載らないなぁ。ということで、ここでageてみる。Java Worldが休刊かぁ……。いま一番メジャーな言語で、初級プログラマもターゲットにできるため、ユーザーの裾野が広いと思われるのになぁ。
2006-10-13 22:06:18 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 問題と当事者

わー。すごく素敵な方を見つけた。うれしいなぁ。

 
  児童虐待があれば「児童相談所の介入が遅れたんじゃないのか」、「学校の先生が気が付いてたらよかったんじゃないのか」「親がきちがいなんしゃないのか」。
  そんなふうにすぐ犯人探しをはじめる言説状況を見ていて、それも違うと思う。そういうのにふきあがってるだけ人みてても、私はとても冷めてしまいます。
 
  人間関係や家族関係ってそんな単純じゃないはずです。
  他人におせっかい焼くのも大変気を遣うことです。
  
  でもね、私は、その男の子と親を何とか救おう、何とか力になってあげよう、何とか理解しようとする気持ちがある世界のほうが、ずっと生きやすい世界ではないかと思います。

これは本当にそのとおりだと思う。なんというのかなぁ。テレビのワイドショーでもそうだけど、なにか事件があったとき、人間はすぐ犯人探し・原因探しをしてしまう。「あの家はあそこがおかしかった」とか、「普通に見えていたのに」とか。でもなんか、それって違うと思う。どこの家にだって問題はあるし、誰の心の中にも孤独や闇はある。だから原因はどこにだってあるし、誰だっていつ犯罪の崖から落ちるか分からないんだ。それは他人事ではない。

他人事ではないんだ。でも、まさにその事実を人間は嫌う。「あの家はあそこがおかしかった」とか、「普通に見えていたのに」とか言って、「自分とは違う」と思うことで安心したがる。「だから自分は大丈夫だ」って。線を引いて、事件を自分とは違う側に置いて、それで関係ないように思いたがる。でも、それで問題解決すんの? しないよね。事件を予防できるの? できないよね?

誰もがみな、嫌なことから目をそらして生きている。なにかあっても他人事だと考え、自分は安全だから、悪いことをしていないから、あんな変態とは違うから、あんな馬鹿ではないから、犬や猿とは違うから、そうやって見たくないものから目をそらし、見たいものだけを見て生きている。でも全然違うと思う。人間は誰だって安全な場所になんていないし、悪いことをしているし、変態だし馬鹿だし、犬や猿と基本的に同じ。

生きるということは病むということ。誰もがみな、不自由で足りない。それは悲しい。だけどすばらしくもある。あなたの病が、もしつらくて悲しいのなら、きっと隣にいる人もそうなんだ。あなたの病が、つらくて悲しくて、誰かに慰めてほしいのなら、隣にいる人を慰めてあげてほしい。それができるんだから、いいでしょ? この病も悪くないと思えるでしょ? この病は、死ぬまで治らない。あなたも、あなたのお父さんお母さんも、子供も、友達も、その当事者だ。ねぇ……、当事者って、悪くないよ。けっこう楽しいよ。
2006-10-13 10:26:11 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 信号待ち

歩いているとき、車に乗っているとき、自転車を引いているとき、友達といるとき。
いろんなシチュエーションで、ぼくらは信号に遭遇する。赤・黄・青。単純なルールで、ぼくらの人生を左右する信号。人は一生のうち、何回赤信号で立ち止まるのだろう。犬や猫は、どんな思いであの赤色を見上げるのだろう。

信号が青に変わるのを待つとき、ぼくは心の中でライバルを思う。彼のスタートダッシュはどんなだろうか? 彼女はスタート後、どのラインを通るだろうか。ぼくはできるだけ、パッと脚を出したいと思う。青に変わった瞬間、獲物に遅いかかり急降下するタカのように、脚を踏み出したいとぼくは思う。

別に、目的地に早く着く必要はないのだ。それに、勝負する必要もないのだ。ただ、スタートダッシュ。赤が青に変わる瞬間。その瞬間を捉えたいと思う。その瞬間を意識していたいと思う。息を止めて。
2006-10-13 00:35:14 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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