メッセージ。 - diary

2019-07-22

# にゃー

「皆を巻き込み皆の合意を得ながら進めたほうがいい(そのほうがメンバーのオーナーシップが上がる)」という人は、結局のところ皆がどうとかではなく自分が外されるのが嫌なだけのではないか。本質的な対話や議論が忌憚なくできるチームならまだしも、そうでないメンバーで皆でやってたら効率が滅茶苦茶下がるし、最大公約数的なつまらないものになるリスクが上がる。他の人間の意見を無視するわけではないけど、独立したアーキテクトやアーティストがたたき台を作らなければ、コンセプトや哲学がないプロダクトになってしまい、冒険やチャレンジができない。
2019-07-22 09:11:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-07-19

# にゃー

自信がないことを悪くいい頭ごなしに否定する人がいるけど、科学的態度としてはむしろ「自分を信じない」ほうが正しいように思う。突き詰めていえば、自分を簡単に信じる人なんて信用できない。議論ができない。真実を追求できない。

ただ、現実的にはこんな議論ができる人ってのは限られていて、「自信を持って言い切らないのは不誠実」などという宗派の人も社会の中には非常に多い。むしろ科学派のほうが圧倒的マイノリティという状況で、しかしエンジニアやデザイナは仕事をしなければならないという恐ろしい世界がここってこと。

それでも地球は回っているという話。かもしれない。
2019-07-19 08:42:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-07-12

# にゃー

考えてみれば、大人になるってことはある意味で命を投げ打って死ぬってことと同義なのかもしれないな。たとえば蝉は、長い年月を幼虫として土の中で過ごすが、地中から出てきて大人になると、たった数週間かそこらで死んでしまう。じゃあ、いったい何のために大人なんかになるのか。
2019-07-12 09:24:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# にゃー

ある職種の人に仕事のことをヒアリングする機会があったんだけど、その人は「お客さんから問い合わせが来るのが一番めんどくさい」と言っていた。その後なぜそれがめんどくさいのか具合的に聞いていたんだけど、ふと「でも、お客さんから問い合わせが来て頼りにされたり、問題解決を提供できたりすると、やりがいを感じないんですか?」と尋ねてみた。そしたらその人はちょっと困惑したような感じで「やりがいなんてないですよ」と言っていた。「この仕事にはやりがいなんてない」と言っているように聞こえた。それ以上は追求しなかったけど。「やりがいなんてない世界」ってのが、この宇宙にはあるのかもしれないと感じた。
2019-07-12 08:51:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-07-09

# にゃー

HaskellのNetwork.Curlでめっちゃハマった。セッションCookieが保存されたりされなかったりという現象が出て、サーバー側の仕様が正確に分からずブラックボックスという条件なので、どこで何が起こってるのかさっぱり分からん状況。いったんは要件を実装に落とすことそのものを諦めたんだけど、Network.Wreqに切り替えることであっさり解決。Network.Curlに不具合があると思うんだけど、デバッグする時間が取れないんだよなー。とりあえず、今後Network.Curlは使わないようにしよう…。
2019-07-09 09:16:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-07-08

# にゃー

「宇宙人は存在するか?」という設問に対して、最近のぼくの考えはこう。まず、「宇宙人」と「存在」の定義が曖昧で、とくに「存在するか」という部分について、正直なところぼくには答えられない。世界が「存在」するか、自分が「存在」するか、あなたが「存在」するか、ぼくには分からない。なにが「存在」し、何が「存在」しないのかも、皆目見当がつかない。それが答え。

そうすると、「いやいや、それはいいんだよ。普通それは当然私もあなたも世界も存在するという前提で話をしてるんだよ」となるだろう。そうした場合、ぼくの答えは「宇宙人は存在する」となる。だって、ぼくやあなたは存在してるんでしょう?ぼくやあなたは、宇宙人だよね?だったら、もう自明だよね。

そうすると、「いやいや、それはいいんだよ。普通それは、『我々以外の天体に生命が存在するか』という議論をしているんだよ」となる。そうした場合のぼくの答えとしては、「我々」がこの「宇宙」に「存在」している以上、それは存在しうるものであり、他の天体に生命が存在するかどうかは確率の問題である。確率の問題であふのであれば、この宇宙は相当広いことであるし、確率はゼロではない。つまり「存在する可能性がある」「存在しないとは断言できない」となる。

あるいは、ぼくらの持っている宇宙のモデルが、実際とは全然違って、本当は宇宙というものが存在しなかったり、存在の仕方が違うのかもしれない。そうした場合は、やはり設問に答えるにあたって、「宇宙」や「宇宙人」、「存在」の定義が合わないことには話が進まないことになると思う。

いずれにせよ、よくある前提に立ったときには、「宇宙人が存在するかしないか」という設問にはあまり意味がないだろう。それともこの質問は、宇宙人に会えると思うか?という問いなんだろうか。
2019-07-08 09:11:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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