メッセージ。 - diary

2006-10-15

# 昨日はオフ会でした

昨日は久しぶりの飲み会。純粋に、オフ会っぽいオフ会って久しぶりだったなぁ。普段は技術系の集まりで飲むことが多いのだけど、それとはまた、だいぶ違った雰囲気。

日記つながりのオフ会って、繊細な人が集まりがちという気がするけど、なかでも昨日のは雰囲気がよかった。みんなニコニコニコニコしててね。言葉少なに、ニッコリとうなずいてくれる人が多かった。

本当に、笑顔が温かい感じでね。言葉では伝えにくいものを、伝える方法を知っている人たちなんだと思う。それで、実際話してみても、思いのほか哲学的なテーマで盛り上がったりして。

考えすぎたり、感じすぎたりする優しい人たちが集まっていたような気がする。ああいう人が集まるのだから、幹事さんの人徳だよなぁ……。
2006-10-15 22:53:47 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-10-13

# 「いけないの?」という根源的な問い

はてなブックマークのほうで、根源的な質問をされている方がいて、非常に興味をそそられました。なんとなく思ってることしか書けませんが、お返事したいと思います。

 2006年10月12日 walkinglint メモ いけないの? > 今回の記事は、私怨から書かれたもののように、ぼくからは見えてしまいます。

いけないとは思わないです。ただ、コメントにも書いたように、公共のサイトに私怨混じりの意見を書くのは、あまり好ましく感じないんですよね。なんか、他人の褌で土俵に立つみたいで。「私怨で書いてますよ」ということが明確に表明されているとまだ良いのですが、あの記事はそういう感じでもなくって、こう、偏りがあるのにそれを隠そうとしているように感じてしまったのです。

そうすると、「読んだ人が、誤解しないかなぁ」と思っちゃうんですよね。それで、「誤解したらいけないから、何か忠告しなきゃ」と、いてもたってもいられなくなってしまうように感じました。なんといいますか、人間は、他人に対して「こう思ってほしい」と欲望してしまうんですね。

たとえば、はてなブックマークでつまらない記事がホットエントリーに入っていて、みなから絶賛されていた場合。「なにをこんなつまらんことでみんな騒いどるんじゃい。このエントリはこれこれこういう理由で間違っとる!」といちゃもんを付けたくなることって、ありませんか?

それがもし、ホットエントリーに入っておらず、どこかの零細ブログで細々とつづられていた文章だったとしたら、きっとそんな風には思わない気がするんです。「つまらんこと書いてる人がいるな。でもどうでもよろ」と。ぼくはそういう風に思っちゃうときがあります。

このときぼくは、はてなブックマークを見ている人に対して「間違ってる。こっちが正しいから正しい方を向いてほしい。こう考えてほしい」と欲望しているわけです。「つまらん」とか「これは間違っとる」と思ったエントリに対して反論するのは、それを書いた人やエントリを否定したいとかではなくて、それを見る人の思考をコントロールしたいという欲望が少なからずあります。

一方でぼくの中には、こういう感情を意識していて、流されたくないなと思う自分もいます。ですから、一時の感情で敵対的な意見を書くのではなく、できるだけ元記事を書いた人の視点に立って、書いた人の味方として、語りかけるように意見を書きたいなぁと思っとります。で、そういった視点に立ったとしても、「私怨で書いた文章は、必ずしもエントリ主さんの利益にはならないよ」と思ったのですよね。

ああいう風に私怨が表面ににじみ出てるような文章を書いても、SEやプログラマの皆さんは、味方になってくれないような気がするのです。もっと冷静に、自制を効かせて、公共の益に訴えるような意見を表明しなければ、優秀で冷静で味方に付けて頼もしいような人たちからはそっぽを向かれてしまうんじゃないかと。

ああいう煽りで共感してくれるのは、どっちかと言えば若くて未熟な人だと思うのですよね。でも、若くて未熟な人に訴えても、あまり現実は変わらない気がするんです。もっと大人の人。現実を変えられる人を動かさなきゃって。間違っているかもしれないですけど、ぼくはそういう風に考えるタイプなんですね。それで、そういう風に考えた結果、あの文章はああいう締めになりました。ですから、「いけない」という感じではないですね。
2006-10-13 23:57:13 / ふじさわ / Comment: 11 / Trackback: 0

# ロングテールについてグダグダと。

 
 ロングテール理論で儲かるのは小売りみたいな中間業であって、テール部分の商品を作っている人たちが儲かる訳ではないのではないか。

最近ボーッと考えていることに似ている気がする……(ボーッ)。

ロングテールでニッチなコンテンツが売れると言うけれども。でもニッチなお店、つまり街の書店なんかは全然儲かっていないし、むしろ圧迫されているような気がするんだよなぁ……。

その、なんていうのかなぁ。「ロングテール」の意味論を考えると、「小粒だけどピリリと辛い、個性的で多様なものが生き延びられる」というイメージがあるけど、街のお店については全然そうなっていないなぁ、と。

ぼくは「ロングテール」というものを勘違いしているのかなぁ。「個性的な媒体」じゃなくて、「個性的なコンテンツ」が生き残る、ということなのかな? で、逆に媒体は大きな一つだけが生き残るようになる、と。そういうことなのかなぁ……。よく分からない。

あと、なんだろう。加野瀬さんは「ロングテール理論って小売りは儲かるけどテール部分の商品供給者は儲からないのでは」と書かれているけど、本当は小売りも儲からないような気がする。だって、儲かっているのはAmazonばっかりで、ほかの小売りは全般的に負けているだろうから。

Amazonにしたって、ロングテール商品を売るためには、倉庫を用意したりとそれなりのコストが必要なわけで、ニッチな商品が売れたとしても、案外そのコストと相殺されてしまうんじゃないか? だとしたら、Amazonの儲けは、やっぱりテールじゃなく頭から胴体の部分で出ていて、頭や胴体が大きくなったのは、以前はほかの書店を利用していた一部のユーザーというパイを奪ってしまったからじゃなかろうか。

なんとなく、市場全体で富の総量は増えていない気がするんだよなぁ……。このご時世、ロングテールの本は買えるけど、ロングテールの書店を楽しむことはできなくなりつつあるのかなぁ、と。ボーッと妄想。まとまらない。もうちょっと考えないかんな。
2006-10-13 23:09:30 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 「Linux World」と「Java World」が休刊

f/x [エフエックス] ITメディア・タンク - IDGジャパン「Linux World」「Java World」休刊

スラッシュドット ジャパンに載るのを待っていたのだけど、なかなか載らないなぁ。ということで、ここでageてみる。Java Worldが休刊かぁ……。いま一番メジャーな言語で、初級プログラマもターゲットにできるため、ユーザーの裾野が広いと思われるのになぁ。
2006-10-13 22:06:18 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 問題と当事者

わー。すごく素敵な方を見つけた。うれしいなぁ。

 
  児童虐待があれば「児童相談所の介入が遅れたんじゃないのか」、「学校の先生が気が付いてたらよかったんじゃないのか」「親がきちがいなんしゃないのか」。
  そんなふうにすぐ犯人探しをはじめる言説状況を見ていて、それも違うと思う。そういうのにふきあがってるだけ人みてても、私はとても冷めてしまいます。
 
  人間関係や家族関係ってそんな単純じゃないはずです。
  他人におせっかい焼くのも大変気を遣うことです。
  
  でもね、私は、その男の子と親を何とか救おう、何とか力になってあげよう、何とか理解しようとする気持ちがある世界のほうが、ずっと生きやすい世界ではないかと思います。

これは本当にそのとおりだと思う。なんというのかなぁ。テレビのワイドショーでもそうだけど、なにか事件があったとき、人間はすぐ犯人探し・原因探しをしてしまう。「あの家はあそこがおかしかった」とか、「普通に見えていたのに」とか。でもなんか、それって違うと思う。どこの家にだって問題はあるし、誰の心の中にも孤独や闇はある。だから原因はどこにだってあるし、誰だっていつ犯罪の崖から落ちるか分からないんだ。それは他人事ではない。

他人事ではないんだ。でも、まさにその事実を人間は嫌う。「あの家はあそこがおかしかった」とか、「普通に見えていたのに」とか言って、「自分とは違う」と思うことで安心したがる。「だから自分は大丈夫だ」って。線を引いて、事件を自分とは違う側に置いて、それで関係ないように思いたがる。でも、それで問題解決すんの? しないよね。事件を予防できるの? できないよね?

誰もがみな、嫌なことから目をそらして生きている。なにかあっても他人事だと考え、自分は安全だから、悪いことをしていないから、あんな変態とは違うから、あんな馬鹿ではないから、犬や猿とは違うから、そうやって見たくないものから目をそらし、見たいものだけを見て生きている。でも全然違うと思う。人間は誰だって安全な場所になんていないし、悪いことをしているし、変態だし馬鹿だし、犬や猿と基本的に同じ。

生きるということは病むということ。誰もがみな、不自由で足りない。それは悲しい。だけどすばらしくもある。あなたの病が、もしつらくて悲しいのなら、きっと隣にいる人もそうなんだ。あなたの病が、つらくて悲しくて、誰かに慰めてほしいのなら、隣にいる人を慰めてあげてほしい。それができるんだから、いいでしょ? この病も悪くないと思えるでしょ? この病は、死ぬまで治らない。あなたも、あなたのお父さんお母さんも、子供も、友達も、その当事者だ。ねぇ……、当事者って、悪くないよ。けっこう楽しいよ。
2006-10-13 10:26:11 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 信号待ち

歩いているとき、車に乗っているとき、自転車を引いているとき、友達といるとき。
いろんなシチュエーションで、ぼくらは信号に遭遇する。赤・黄・青。単純なルールで、ぼくらの人生を左右する信号。人は一生のうち、何回赤信号で立ち止まるのだろう。犬や猫は、どんな思いであの赤色を見上げるのだろう。

信号が青に変わるのを待つとき、ぼくは心の中でライバルを思う。彼のスタートダッシュはどんなだろうか? 彼女はスタート後、どのラインを通るだろうか。ぼくはできるだけ、パッと脚を出したいと思う。青に変わった瞬間、獲物に遅いかかり急降下するタカのように、脚を踏み出したいとぼくは思う。

別に、目的地に早く着く必要はないのだ。それに、勝負する必要もないのだ。ただ、スタートダッシュ。赤が青に変わる瞬間。その瞬間を捉えたいと思う。その瞬間を意識していたいと思う。息を止めて。
2006-10-13 00:35:14 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-10-12

# ブファッ!

2006-10-12 23:36:51 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 職場におばちゃんを導入するのはどうか

SI業界の問題で、「そもそも、コミュニケーションコストが高すぎるんだよなぁ……」と考えていてフト思い付いたんですけど、職場におばちゃんを導入するのはどうでしょう? なんかトラブルがあったときに、「大丈夫。あんたいい仕事してた。あたしゃ見てたよ」とか、「間に合わないんだからしょうがないわよ。あたしが一緒に謝りに行ってあげる」とか言ってくれるの。

こういうおばちゃんがいれば、トラブルとか吹っ飛んじゃうし、細かいことはどうでもよくなって全体としての生産性も上がる気がするんだよなぁ。やっぱり、職場に毒男ばっかりってのはバランスが悪くって、有象無象の悪影響が出ているんじゃないかなぁと思ったり。ソフトの仕様を考えたり打ち合わせしたりするんでも、おばちゃんの(ある意味)無垢なパワーは非常に強力なツールとなる気がする。
2006-10-12 14:00:54 / ふじさわ / Comment: 5 / Trackback: 0

# SI業界と多重請け負い

MyNewsJapan NTTデータが偽装請負 直接指示どころか下請け富士ソフト社員を奴隷扱い、指摘後も対応せず

奴隷扱いをうけた飛田さんは可哀想だと思うけど、SI業界ではこのくらいの扱いが普通なんですよね。むしろ、このような形で抗議するのは、業界ではモラルに反するようにさえ感じてしまいます。

なんというか、「道路を制限速度ちょうどで走る人は迷惑」みたいな、そんな感じ。この国では、法律よりも運用が優先されていて、ここで挙げられている多重請け負いも、一般的なIT業界の運用や慣習からそう外れているわけじゃないんですよね。

だから、批判されたNTTデータの人も富士ソフトの人も、「はぁ? じゃあどうすりゃいいのよ」って感じだと思いますよ。「みんなそうしてるし、そうするのが暗黙の了解事項だったはず」って。とくに富士ソフトABCなんて、この業界では劣悪な労働環境で有名な会社です。(記事では「ABC」を省略してるけど、富士ソフトABCですよね?)

# 2006-10-12追記。「富士ソフトABC」は、2006年7月1日に社名を変更して「富士ソフト」になったようです。

また、直接の雇用主である富士ソフトABCに訴えるべきことを、NTTデータが悪いとしてネットに直訴するなんてのも変です。他者に法令を遵守すべきと言うなら、まず自分がそうしなければ。富士ソフトABCの社員として働いているんだから、労働環境に問題があるなら、富士ソフトABCに苦情を言うべき。聞き入れられないなら富士ソフトABCと戦うべきです。なのにそうしないで、こんなところでNTTデータの名前を出したら、名誉毀損が目的と取らざるを得ません。こんな戦い方はやめたほうがいいです。

たしかに、この記事に書かれているT氏の行動は、人間としてどうかと思います。また、NTTデータや富士ソフトABCは法令違反をしていて悪いのかもしれません。でも、本当に悪いのはその二者だけではないのです。業界全体が、ゼネコン構造になっていて法令違反など常態になっているのです。どこでもやっている。だから悪いのは、法令違反を強制しているゼネコン構造か、あるいは多重請け負いを禁止している法律が現実にそぐわないことのはずなんです。どうせやるなら、そっちを問題にしましょうよ。そうでないと、何の解決にもならない。

今回の記事は、私怨から書かれたもののように、ぼくからは見えてしまいます。
2006-10-12 01:22:55 / ふじさわ / Comment: 8 / Trackback: 0

2006-10-11

# 喋りすぎ

あー。しまったなぁ。今日はごちゃごちゃ喋りすぎた。

喋るのはとても楽しかったけど、自分の言いたいことを言っただけなんじゃないかと自己嫌悪。分かったようなことを言って、ぼくはどれだけ分かっているのか。分かってなんかいないはずだ。ぼくなんかの言うことを、黙って聞いてくれるなんて優しい人たちだ。

言うだけなら誰でもできる。まさしく、ぼくが指摘した罠に、自分がはまってしまっているようで嫌だ。言うだけじゃなくて、やらなきゃいけない。本当にやる気なら、問題がどこにあるかだけじゃなくて、どこに進むべきか、道を指し示さなきゃいけない。

大事なのは、当事者意識をもって問題に取り組むこと。「彼のためにやっているから」とか、「彼がこうしないと嫌がるから」と言い訳しながらやっても、結果は出ない。自分のためにやらなきゃいけない。自分も、チームの仲間も。それがないから失敗するんだ。
2006-10-11 22:25:48 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 数値化できない仕事

http://www.jitu.org/~tko/cgi-bin/bakagaiku.rb?bakaid=200610101

いや、格好いいと思いますよ。いつも、格好いいなぁと思いながら拝見しています。

たしかに、数値化できる部分の価値は低いです。自動化できるってことですからね。それはイコール、計算機でもできるってことで。計算機の価格が下がってきた現在では、わざわざそれを人間がやるのって、非効率なんですよね。

そんなの、人間がやるべきじゃない。絶対人間がやるべきじゃない。そう考える人のほうが、計算機技術者として純粋だと思います。また、そう考えて人間にしかできない仕事に取り組む人のほうが、人間として魅力的だと思います。
2006-10-11 00:15:46 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-10-10

# さて、どうしましょうね。

どーでもいいことですけど、いまの会社を辞めようかと思っとります。
辞めて何かあてがあるわけじゃないので、プータローをすることになりそうですけど。

生活力は、どっちかと言えばないほうなので、数年後には野垂れ死ぬかもしれません。でもまぁ、それも一興ですかね。いまの場所で、無目的に働き続けるよりは、パーッと何もかも捨てて、好きにやってみたい気がします。

この年になると、我慢ができなくなってくるのかもしれないですね。なんかもー適当でいいやーって気分。やりたいことをやりたいし、しょうもないことで我慢したくないです。もう散々我慢したもの。うまいものを食べて、面白い仕事だけして生きてみたいなぁ。
2006-10-10 22:08:56 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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