メッセージ。 - diary

2006-09-12

# 今日はお休み

今日は会社をお休みにしてしまった。雨がふっているし、夏休みもロクに取らなかったし、ここ数日急ぎの仕事はないし、いいかなぁと思って。
家にいたってやることはないのだけど。でももう最近は、日々に追われて疲れてしまった。今日はできるだけ、なにもしないで過ごそうっと。
2006-09-12 12:31:19 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 好きだった人を否定するのイクナイと思う

その昔、女の先輩たちが飲んでいるところに合流してしまって、気まずい思いをしたことがあったなぁ。女ばかり5〜6人の中に男が1人。最初は気づかなかったんだけど、先輩たちの1人が失恋したみたいで、彼女をなぐさめるためにその飲み会は開かれていたようだった。

「場違いなところに来ちゃったな」。そう思ったときは後の祭で、ぼくは、猫の置物かなにかに徹するしかなかった。そこで目にしたのは、「彼のあの行為が信じられない」とか、「彼がああしてくれたのはなぜだったんだろう?」とか、主に彼を否定することでやりきれなさを浄化する慰めの儀式。

つらかったなぁ。振られた女の人の気持ちなんて分かれやしないけど。でも、そういう慰め方は、しんどくなるばっかりじゃないかと思った。好きだった男を否定することで、彼女は救われるんだろうか。すっぱいブドウだったと言って納得できるんだろうか。

ぼくはそうは思わない。そうやって、好きだった人を否定するのは、止血の効果があるだろうけど。でも止血以上のものではないと思う。きっと、好きだったのは確かなんだよ。好きで、確かに彼はいい男だった。そう思わないことには、その人を好きだった自分や、彼と一緒に過ごした時間さえ否定してしまうことになる。

それはあまりにも悲しいし、実際のところ、そんなことは不可能だ。彼と一緒に過ごした時間は楽しかったし、いいものだった。だからこそ、いま苦しんでいるのだ。いまも彼が好きなのだ。いくらみんなで否定しても、彼を好きな気持ちは、消せるものではない。

彼女も、まわりの女の人たちも、その男を悪く言っていたけど。でも、そうすることで傷付くのは、結局彼女自身なんじゃないかなぁと、ぼんやり思った。そういう時期は、自分自身を傷付けたくなるのかもしれないけど。でも。……まぁいずれにせよ、ぼくは猫の置物以上の働きはできなかったのだけどね。
2006-09-12 09:15:55 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-09-11

# なぜ人は結婚するのか

 
 私たちの関係は、健やかなるときしか続かない。それじゃ嫌なのに。駄目なのに。
 
 病めるとき、貧しきときこそ、傍にいなければならないのに。そう思えるひとだから、一緒にいることを選んだのだろう?

正直言って、うらやましいな。こんな風に思ってくれる人がいたり、自分がこんな風に思えたりするっていうのは……。どうしてこんないい人と、別れる男がいるんだろうなぁ。
2006-09-11 19:46:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-09-10

# 快適な仕事場について

よかったですね。最近思うのだけど、快適に仕事できるかどうかって、人間関係がキーファクターになるような気がします。就職する時点で、職場にいる人と自分とのあいだに、居心地の良さを感じられるぐらいが理想的なのかなって。だから、ちょっとインフォーマルな感じで声をかけてもらえて、それを受ける気になれるというのは、よいはじまりのように思います。
2006-09-10 13:40:31 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-09-09

# あのときやっていれば症候群

むかしドラえもんで読んだんだったかな。たとえばのび太が未来に行って、大人になったのび太自身と会ったとする。大人ののび太はやっぱりのび太で、駄目なことに変わりがない。そして彼は、子供ののび太を指してこんなことを言うのだ。「やい! 子供ののび太! いまのうちに勉強しておいてよ。子供のぼくがしっかり勉強しなかったから、いまぼくが困ってるんだから。ああ、もしいま子供に戻れたら、一生懸命勉強するのに」って。

「もし子供に戻れたら、もっと勉強したのに」って人はよく言うけど、それは明らかに間違いだ。彼が本当に子供に戻れたとしても、きっと勉強などしない。ダラダラと遊んで暮らすしかないのだ。だって、現在の彼を見れば分かる。勉強する必要があるのなら、いまやればいいのだ。なのにいまやらず、「あのときやっていれば」とボヤいてばかりいる。では、いま何をやっているのか? 少しでも良くなるよう努力しているのか?

「あのときやっていれば」などとボヤいている人は、現在努力していない。いまというものを活用していない。だからこそ、子供時代を無駄にしたのだ。変わっていない。……逆に言えば、いまやるしかないのだ。「あのときやっていれば」と思うような良いアイデアがあるなら、いまからやっても遅くはない。いまやって遅いようなアイデアは、そもそもやる価値がない。ならば、そんなことボヤいている時間自体がもったいない。とにかくやるのです。変わるということはそういうことじゃないかな。
2006-09-09 13:15:35 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

2006-09-08

# 恋愛とか

要するに、人生において重要な問題とは何か?ということなんだよなぁ……。
「それは恋愛である」と言えるほど、ぼくは恋愛というものを知らない。恋愛であるとか、性的なものであるとか、そういうことが自分にとって重要で重要で仕方がないとは、ちょっと思えない。恋愛がそこに「ある」のかさえ分からない。
2006-09-08 10:47:58 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 恋愛とか

 
 私は恋愛というものにもイマイチ納得がいっていない。

ああ、非常に共感できる文章だなぁ。あと、こういう風な重さで言葉をつづれるのはうらやましいなぁと思った。……ってだけ書くのもナンなので、あれこれ書いてみようと試みるもうまくいかない。ううう。
2006-09-08 08:52:34 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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