メッセージ。 - diary

2006-09-09

# あのときやっていれば症候群

むかしドラえもんで読んだんだったかな。たとえばのび太が未来に行って、大人になったのび太自身と会ったとする。大人ののび太はやっぱりのび太で、駄目なことに変わりがない。そして彼は、子供ののび太を指してこんなことを言うのだ。「やい! 子供ののび太! いまのうちに勉強しておいてよ。子供のぼくがしっかり勉強しなかったから、いまぼくが困ってるんだから。ああ、もしいま子供に戻れたら、一生懸命勉強するのに」って。

「もし子供に戻れたら、もっと勉強したのに」って人はよく言うけど、それは明らかに間違いだ。彼が本当に子供に戻れたとしても、きっと勉強などしない。ダラダラと遊んで暮らすしかないのだ。だって、現在の彼を見れば分かる。勉強する必要があるのなら、いまやればいいのだ。なのにいまやらず、「あのときやっていれば」とボヤいてばかりいる。では、いま何をやっているのか? 少しでも良くなるよう努力しているのか?

「あのときやっていれば」などとボヤいている人は、現在努力していない。いまというものを活用していない。だからこそ、子供時代を無駄にしたのだ。変わっていない。……逆に言えば、いまやるしかないのだ。「あのときやっていれば」と思うような良いアイデアがあるなら、いまからやっても遅くはない。いまやって遅いようなアイデアは、そもそもやる価値がない。ならば、そんなことボヤいている時間自体がもったいない。とにかくやるのです。変わるということはそういうことじゃないかな。
2006-09-09 13:15:35 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

2006-09-08

# 恋愛とか

要するに、人生において重要な問題とは何か?ということなんだよなぁ……。
「それは恋愛である」と言えるほど、ぼくは恋愛というものを知らない。恋愛であるとか、性的なものであるとか、そういうことが自分にとって重要で重要で仕方がないとは、ちょっと思えない。恋愛がそこに「ある」のかさえ分からない。
2006-09-08 10:47:58 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 恋愛とか

 
 私は恋愛というものにもイマイチ納得がいっていない。

ああ、非常に共感できる文章だなぁ。あと、こういう風な重さで言葉をつづれるのはうらやましいなぁと思った。……ってだけ書くのもナンなので、あれこれ書いてみようと試みるもうまくいかない。ううう。
2006-09-08 08:52:34 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-09-06

# 友達とか友情とか

http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20060902/1157165756

友情かぁ……。
たまに考えるテーマだけど、はっきり結論が出ないんだよな……。
なんとなく思うのは、「利害関係がないのにつながりあっている、
信頼関係を築けている人たち」って感じかなぁ……。

性欲とか恋愛感情とか、傷付いたとか傷付けられたとかは、
「そのときどきの(比較的小さな)利害関係」であって、
それは当然存在するけど。

それを乗り越えて何かを共有できているような精神性が、
友達とか友情というものなんじゃないかという気がしてる。

遠く離れてもたまに、
「あいついまごろどうしてるかなぁ」って思えるような関係。
2006-09-06 13:44:42 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-09-05

# ふと思ったこと

ふと思ったのだけど、子供を小学校へ入れるというのは重大な個人情報漏洩ではないだろうか。子供の名前と住所だけではなく、家族構成、性格や嗜好までも同級生や担任教師らに知られてしまう。
2006-09-05 14:36:11 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 「ご苦労様」の意味

 
 # どうでもいいけど,僕は,例えば配達のおじさんとかに,ついつい 「ご苦労様です」 って言っちゃうんだけど… これは,上の立場の人が,下の立場の人に向かっていう言葉らしい.僕的には,そんなニュアンスは無いんだけど… 世間的には,対等な立場ならば,「お疲れ様です」が正しいらしい.しっかし,そもそも上なのか下なのか対等なのかすらよーわからん.年下なので,むしろ僕の方が下だと思うんだけど,そういう場合にはどういえば… ? 

これねぇ、ぼくも前から何か言いたいと思っていたのだ。
個人的な意見なのだけど、本質的にはそこは、「ご苦労様です」でいいと思ってる。「ご苦労様です」というのは、「上の立場のものが、下の立場のものに向かっていう言葉」ではあるらしいので、

自分と配達のおじさんを比べたとき、自分は上の立場でないからその言葉遣いはNG

というのは分かるのだけど。

でも違う。全然違う。そこは、自分と配達のおじさんを比べるところじゃない。そこで、「自分と配達のおじさんを比べる」からNGになるのだ。なぜ、荷物を配達してくれたおじさんと、配達を受けた自分を比べる必要がある? そこに何らかの立場上の差があるのか? ない。同じだ。天の下に平等。配達をする人、配達を受ける人、それぞれの仕事がそこにあるだけだ。

荷物の配達というのは仕事だ。仕事というのは、天から与えられたもの。社会を動かすために必要なものだ。それは尊い。あなたも仕事をしているし、自分も仕事をしている。それぞれの役割をそれぞれ必要なときに果たして、この社会は回っている。当然、配達を受けるのも仕事だ。配達を受けるというのも、そこで出会いがあったということも、天から与えられた尊い機会だ。

そう考えたとき、「ご苦労様」という言葉が出てくるのは当然のことだ。「ご苦労様」と言っているのは自分じゃない。「ご苦労様」という言葉には、社会の一員として、社会を代弁するものとして、「今日も仕事をしてくれてありがとう」と言いたくなる気持ちが存在する。あなたも私も、天や社会から授かった仕事を受けるものとして、存在している。天や社会を代弁して何かを言う権利が存在する。

自分と社会を同化する精神。自分は社会を支える一員であるし、社会は自分を支えてくれていると考えるメンタリティ。社会というものの存在意義を真に理解しているならば、「ご苦労様」という言葉が出てくるのは自然なことだ。自然にその言葉を言いたくなるあろはたんは、「優しい」。ぼくの定義する「優しさ」というものはそういうことだ。

世間的には、対等な立場ならば「お疲れ様です」が正しいらしいけど、馬鹿げたことだ。世間は何も理解していない。
2006-09-05 10:09:35 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-09-04

# プログラミングしていてモヤモヤーッとたまに感じること

最近は、辞書作りに凝っていたりするふじさわです。
たとえば、日々増えていくファイルの一覧を作って、後で検索しやすくしたり、スパムメールを受け取ったら、そこに含まれるURLをブラックリストに追加したりということをしたいなぁと思いまして。

それでまぁ、辞書だ辞書、自分オリジナルの辞書を作って、ぬか床みたいに大事に育てていくのがこれからのビジネスなのだこれはSBSのタグと等価であり、より抽象化されたメソッドだなどと頑張っているわけです。で、何はともあれ辞書を作るべくデータをファイルに保存するのですが。

簡単なツールを作ってそういう作業をラクにしようとして、いろいろ作ったりしています。で、ここからが本題。辞書のフォーマットは、エディタで編集しやすいよう、1行に1項目ということにしようと思っとります。で、辞書なので、重複する行はないようにしたいわけですね。そこをツールでなんとかすると。

具体的には、add-dict.scmみたいなスクリプトを書いて、「あ、この単語は辞書に登録しよう」と思ったときに「$HOME/tools/gauche/add-dict.scm なにか適当な単語」と実行すると、

(1)エディタが起動して辞書ファイルを開き
(2)ユーザーがファイルのどこかに「なにか適当な単語」を追記する
(3)エディタが終了したことをスクリプトガ検知して、編集されたファイルを重複行がないよう適当にソートして保存しなおしてくれる

というエディタのラッパーを作ろうとしています。まぁこのへんは技術的に何も難しいことではないのですが、めんどくさいなぁと思うところもあります。(3)のところなんですが、「1行1項目の辞書としてファイルを開いて、ソートして重複行を取り除いて保存」という操作ぐらいは、プログラミング言語の標準ライブラリとして提供されていてほしいな、と。

あ、これってCPANみたいな仕組みが欲しいって言っているのかな。

たとえばGaucheを使っていると、マニュアルの質がとても高くて、使える関数の一覧をながめて欲しい機能を見付けてくるのがすごくラクなんですよね。なんというか、安心感がある。それはマニュアルの質が高いだけではなくて、Gaucheで提供している関数が、十分に洗練されていて、ちゃんとメンテされていて、長く使えるものだと分かっているという側面が大きいのだろうなと感じます。

逆に、自分で作るライブラリ関数、たとえば前述したような辞書をゴニョゴニョする関数なんかは、どうにも寿命が短い。何か月か使っていると飽きて「もっといいやり方があるはずだ」と思ってしまうし、しばらく使わないと使い方を忘れてしまう。そうやって、使いもしない中途半端なライブラリが、死屍累々と$HOME/tools/gaucheの下にたまっていってしまうのです。

この原因の1つには、ドキュメントを書かないのがいけないのかなと思うんですよね。自分で作ったライブラリ関数のAPIを、それこそGaucheのマニュアルに似せてちゃんと管理するというのはすごく重要な気がします。ドキュメントがあれば、後でまた「こんな機能が欲しい」と思ったときに探せますし、一覧になっているからこそ、そういうことができるわけで。逆にそうでないと、せっかく作るスクリプトの寿命が、とても短かくなってしまいます。また、「辞書をゴニョゴニョする」というような、ちょっと高いレイヤのライブラリというのも、いつまでたっても生まれない気がするんですよね。

ということで、

(1)もうちょっと高いレイヤのライブラリ関数がほしいなぁ〜。Perlのように何も考えずに使えるような、人間を堕落させるようなやつ
(2)ドキュメント重要。簡単にドキュメントを一元管理できるようなフレームワークとかあったらいいかなぁ
(3)やっぱりGaucheForgeみたいなのがあるとうれしいのかなぁ……
(4)さぁてとりあえず辞書スクリプトの続きを書くかなぁ

などと思ったのでした。
2006-09-04 09:15:08 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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