メッセージ。 - diary

2006-08-04

# 素敵な森のパン屋さん

 
 みんなに喜ばれる,素敵な森のパン屋さんになりたいなぁ… ケーキを焼いたり,クッキーを焼いたり.お客さんはクマさんウサギさんとか.

テラカワユスwwww。
2006-08-04 08:26:28 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

2006-08-03

# 暮れなずむ空の下で

計算機を使うのは、真っ暗になった部屋の中で物を探すときの感覚に似ている。
暗闇の中で、どこに何があるかは手探りでないと分からない。
あるものに手を触れたら、そこにあるものの感触からそれが何かを類推し、
さらに別の場所に手を伸ばす。

「机があるな、ということは右側にドアがあるはずだ。
ドアノブがこの高さにあって、ドアの向こう、数歩進んだところに
トイレがある。アイテッ。そうか、ここにはゴミ箱を置いてたっけ」

暗闇の中で、人は記憶を頼りに、見えないものの配置や自分との距離を割り出す。
記憶がなければ、それはのっぺりとした稠密空間で、どちらに向かってどれだけ
進めば良いか見当も付かない。

暗闇の中では、ほんの数歩先に何があるかも分からず、
ちょっと雑な動きをするだけで惨事を引き起こす。
そこをスイスイと動けるようになるためには、
稠密空間と自分の身体の動きとを関連づけ、
稠密をあつかえるだけの距離感覚を体で理解する必要がある。

それは型だ。武道や舞踊における型の概念。
型を覚えることで、やっと人間はその空間を自由に歩きまわることができる。
ただし、記憶にない場所に連れ出されると、自由はすぐさま失われる。

計算機が人を驚かせとまどわせるのは、その空間性のゆえではないか。
いままで人は、海も空も、砂漠も氷原も踏破してきた。
それらはすべて、視界の利く範囲だった。
そして今回、人類は視覚の届かない範囲、夜の世界に足を踏み入れた。

それは、もしかしたら思った以上に大きな転換なのかもしれない。
2006-08-03 18:00:41 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 今月(つーか先月)の仕事終わり。つかれた

仕事で毎月、同じような内容のメールを、違う人に送るということをしているのだけど。
メールの内容をテンプレート化すべきかどうか悩む。
テンプレート化したほうが、業務としては効率化するはずだけど、やりたくないんだよねー。
どうしたもんかね。こういうの。

こういう悩みは、ゼロックスコピーができてから生まれたのかなぁ。
でも、年賀の挨拶を書状ですませるかという問題も同じか。

効率化の効果がある程度高いならば、使える時間が増える。
すると、余った時間をほかの作業に振り分けられる。
それはぼく自身のためではなく、
相手の人のためにもなるという考え方もあるんだよなぁ。

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会社のメールを、家のアドレス宛てに転送したらダメなんだって。
んー。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

そんなこと言ってたら、仕事できなくなっちゃわない?

「転送するかどうか」がクリティカルパスではないよね?

おれら、ガキの使いじゃないんだから、さ。

もろもろ分かってるつもりで、なんかありゃ泥もかぶるし、首切ってもらって構わんから、
メールの転送ぐらいやらせてほしす。

っつーかあれか。なんかあったとき、最低限そういうルールを敷いてチェック体制も作ってましたっていう格好が必要なのか。

そうかそうか。sshを通せってことな? 6月にリリースされたOpenSSH 4.3でVPNがサポートされたことだし、よかったねって。そういうことね? 了解!
2006-08-03 15:58:57 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-08-02

# 失敗するのもまた楽し

 こういうプロジェクトの問題は、失敗することではない。ITの世界で、プロジェクトが失敗するのは当たり前である。問題は、このように失敗を隠蔽してしまうため、その教訓が生かされないことだ。日の丸検索エンジンとよく似ている「シグマ計画」も、多くのエンジニアのトラウマになったが、その事後評価はおろか、痕跡さえウェブには残っていない。

たしかに、失敗するのは当たり前なんだよね。仕事なんかをやっててもそうだけど、日々の単純労働から複雑なプロジェクトまで、普通にうまくいくケースのほうが少ない。たとえば、「朝から会議があったのに忘れてて寝坊した」とか、「ある人に仕事を頼んでいたのに、期日までに結果をもらえなかった」とか。うまくいかないと困るけど、個人的にはもうしょうがないと思っている。

たとえば、人と話をしていても、「この人はクセがなくて、鋭い洞察ができて、しかも常識人だな」みたいなことはほとんどない。たいていの人は、クセがあってちょっと足りなくて(あるいはちょっと過剰で)、普通じゃない。

話をしていてもストレートに意味が伝わらなかったり、どこかでミスがある。彼らが普通じゃないのだから、プロジェクトの成否だって、同程度に、「普通に思ったとおりの結果になる」ことはない。

でも、それでいいんだと思う。衣類の染み抜きをするように、人間からクセを抜くというのは不可能だから。逆に、「クセはあるけどそれをうまく生かすのが面白い」と考えたほうがいい。たまに失敗するのも、愛嬌だと思ったほうがいい。だってそれで、十分楽しいじゃん? 十分役立つじゃん? そう思うのだよね。あと、人というのは、予想外にダメなこともあるけど、予想外に素晴らしかったり、優しかったりすることもある。それがいいんだよね。

……何を言いたかったんだっけ? あ、そうそう。失敗を隠すという話。こういうのは、マスメディアにもあるような気がして、書いておこうと思ったんだった……。メディアの現場に触れて思ったことがあるのだけど、どうも彼らは、「良いことしか書かない」というのがポリシーのようなんだなぁ。

たとえばパソコン雑誌とかにしても、「こうしたら、こんなことができる」みたいなことを書いて、それによる弊害とか、うまくいかない条件とかは書かない。「やってみたけどうまくいかなかった」というのは記事にならない。「そんなことを載せてもしょうがないから」というような根拠でそうしているみたい。悪意があるとかじゃなく。

それがなんか違和感なんだよね。「良いことしか書かない」というスタンスは、本当に読者や視聴者のためになっているのか疑問なんだなぁ。「良いことしか書かない」というのは「結果しか伝えない」ということでもあるし、言いっぱなし、書きっぱなしになりやすい。本当は、結果に付随して過程があるはずで、たくさんの失敗があってこそ良い結果が出ているはずだと思う。

そうした失敗を、どんな風に乗り越えたのか、何を思って諦めずに頑張ったのか、そういうところまで伝えたほうが、面白かったり役に立ったりするような気がするんだよなぁ……。

どんなに不味いラーメン屋だって、「こんなにも不味い」と言って笑うことができる。どんなにダメな、のび太のような人間だって、「あんなにダメなやつも頑張ってるんだ」と人を慰めることができる。ダメな人間だって、そのことを笑い飛ばせるなら、ダメであることが価値になる。ダメであればあるほど、人の役に立てる。それは、うれしいこと。素晴らしいことだよね。だから、笑い飛ばすんだ。ぼくらは笑いながらゆくんだ。
2006-08-02 15:34:55 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-08-01

# ダラダラの日々

PICによる電子工作かぁ〜。楽しそうだなぁ。
やってみたくなってきちゃった。

せっかく秋葉原も近くにあることだし、やってみるかなぁ。
2006-08-01 19:07:25 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-07-31

# 今日も今日とて。

っていうか、美しいか醜いか、言ってる場合なのかなぁ。
ぼくは怖いよ。怖いとしか言いようがない。

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小飼さんが言うように、「違いがある」ことが「美しい」とか「美しくない」とかいう言葉を生じさせる。要は誰だって、自分の側が「美しい」自分でない側が「美しくない」と思いたい。

「自分の側」、つまり自己が「存在し」て、他者と「違う」というデジタルな考えが「美しさ」をもたらす。本当は、美しさなんて人それぞれで、どっちが美しいかは分からないのに、それを比べようとする。意味がない。(あ、「ない」というのもデジタルだ。)

だからさ。自己が存在しないと考えたら楽になれるんじゃないかなぁ。あるいは、自己の存在がいまよりも弱いと考えてみる。私はあなたで、あなたは私だと捉えればいい。「あなたがうれしければ、私もうれしい」、「私がうれしければ、あなたもうれしい」。実際それは、あながち間違いじゃないし。

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だから怖いんだってば。
思考やデジタルなものは、怖いものから目を背けるのには役立つけどさ。
でも、存在するんだよ。いくら逃げても追ってくる。空に浮かぶ月のように。
アスファルトを切り取る影のように。
逃げ切ることはできない。でも、だからといって、泣くのはやめて。悲しくなるから。

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軽い気持ちで何かを言いたくない。
分かったつもりになるのが、一番相手を傷付けることになると思うし、
それは自分を傷付ける行為でもある。

分かったつもりになって、分かったようなことを言って、
でも本当に、自分の心を分かることなんて、人間にはできないはずだ。
人は、自分の「怖い」という気持ちを「分かった」と思うことで安心したがる。

「暗闇の奥には何もいない。自分は知っている。だから大丈夫だ」。
そう思いたがっている。

本当はまだ怖いのに「分かった」と説明を付けて、解決したと思いたがる。
でもそうじゃない。怖さは消えない。言葉にしたところで、それはなくならない。
怖いときは怖いと言えばいいのに。

逃げまわっていても、いつかは追い付かれる。
追い付かれたとき、それまでは分かったつもりになっていたことが、
本当は全然分かっていなかったと分かる。

そのときのことを思うと、ぼくはもっと怖くなる。
分かったつもりになって、時間を浪費していたことを後悔すると思う。
だからいま、怖いと言う。怖いと感じたことを隠したくない。

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ん? なんの話だっけ?

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はー。しんどいなぁ。今月はなんとか峠を越えられた気がするけど。
来月また頑張らなきゃ。

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おやすみなさい。-- 2006/08/01(Tue) 05:14:01


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(予約)
2006-07-31 13:09:16 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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