メッセージ。 - diary

2006-07-24

# コンビニという標準API

コンビニってのは優れたシステムだな、と思う。たとえば、ぼくはコンビニをよく利用する一方で、街の食堂や雑貨店にはめったに行かない。なぜかと言うと、街のお店に行くのが怖いからなんだなぁ。

コンビニというのはどこにでもある。あるコンビニの使い方を覚えたら、別のコンビニに行っても不自由しない。標準化されたシステム。子供のころからコンビニを使っていたぼくにとって、それは「全国どこに行っても利用できる」魔法のシステムとなっている。

逆に、街のお店はそうじゃない。お店によってメニューやマナーは違うし、人間的なやり取りが要求される。地域のお店は、単に金銭と物品を交換するだけではない機能を担っていて、それらを利用することは、「地域の人間になる」ことを意味している。

横浜に引っ越してきてもう何年もたつけど、どうもぼくは地域のお店に行く気が起きない。それがなぜかと考えているのだけど、もしかしたら横浜の人間になる意思を、ぼくが持っていないせいかもしれない。どうもこの街に受け容れられている気がしないし、ぼくがこの街を受け容れる余裕もない。

この街には、知っている人がいない。好きな人がいないし、ぼくを好きでいてくれる人もいない。コンビニという標準APIさえあれば、ぼくの生活はこの街に接続しないでも継続させられる。異邦人のまま、この街にとどまることができる。それは、街という機能の可搬性を高める抽象化であり、人というリソースの可搬性を高める抽象化なのだろう。
2006-07-24 09:44:05 / ふじさわ / Comment: 4 / Trackback: 0

2006-07-22

# オープンソースの光と影

ふぅん。EasyEclipseかぁ……。
「光と影」っていうほど大袈裟な話じゃないけど、dieさんの視点は鋭いなぁと思ったのでメモ。
2006-07-22 17:33:53 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# 「完成された未完成品」

完成された未完成品であることが重要ではないかと思う
 自主的に何かやるたびに、経験不足を痛感する。何もやらなければ「そういうことはxxすれば良いだろう」と思えるのだが、いざ本当にやろうとすると簡単そうなことでも、いろいろな困難がつきまとう。xxがまったく通用しないことに気がつく。

状況はつねに不十分だ。現実的ということは、不十分ということ。生きるということは病を背負うということ。不十分さを直視し、それを生かすこと。完成された未完成品。アナログとはそういうもので、世界がアナログであるということ。

不十分さは嘆きの対象じゃないように思う。不十分であるということは喜ぶべきことなんじゃないのかな。ライオンに食べられるからといってシマウマがライオンを憎むなら、シマウマだって、草木から憎まれてしまう。そうやって、すべての生き物がすべての生き物を憎んで生きるのか。

(これじゃ分からんw。もうちょい書くこと)> 自分
2006-07-22 12:43:40 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-07-21

# 蝉の声が聞こえる

最近、仕事とコンピュータのことより、男女とか変なテーマばっかり書くようになってしまっている……。これに関連して気になる問題は2つ。

(1)面白いですか? 面白くないですよね?(質問調ですが、お返事を返されるとふじさわが悶死しますのでご遠慮ください。スミマセン)
(2)男女のようなテーマにあまり言及したくない
(3)フンガー。

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言及したくなければしなければいいじゃないか。
うん……。たしかに。でも、してしまうところが問題なんだ。

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ぼくは正しくない。間違ってる。
そこだけは誤解のないようにお願いしたいです。
 
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さぁて、今日は何を食べよっかなぁ〜☆
 
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次に引っ越すときは、子供の声が聞こえる家に住みたい気がする。
日曜日の午前中にふとんの中でまどろんでいるときや、
夕日が部屋を赤く染める時間に、遠く近く街の声が聞こえるような場所。

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人と人との間には、距離がある。
たいていその距離は遠すぎて、
手を伸ばしたときには間に合わない。
だからそのときのために、
声をかけて距離を確かめておくことには重大な意味がある。
たとえいまは、全然届かなくても。

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涼しい夜も、もうそろそろ終わりかな。
おやすみなさい。(2006/07/22(Sat) 00:53:47)
2006-07-21 14:19:11 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-07-20

# 記録の断片

外から見ると簡単そうだけど、いざ実装にとりかかってみると、
案外落とし穴に落ちてしまってうまくいかないことは多い。
むしろ、予想外の問題にぶつかることがほとんどだ。
だからやってみることが大事。予想するだけでなく実装してみること。

オタクがオタクたる所以は、実装に伴う困難を想像できていない
(あるいは実装に伴う困難を極端に嫌う)ことにあるような気がした。

問題の解決を目的とするならば、理論だけじゃなく実践も必要。
実践することによって理論は構築されていき、理論はまた実践に活かせる。
漸近的なアプローチの有効性について検討の余地があるなぁと思った。
……この記事を読んで。

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ものづくりをしている人間どうしなら、分野は違っても「実装に伴う予想外の問題」についての
感覚を共有できるのかなぁ。(こういう感覚がある程度普遍性を持つとして)

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公開していた日記を1件、保留状態にしました。スミマセン。

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「あなたのパソコン」、「わたしのパソコン」という意味での「マシン」。
つまりパソコンのインスタンスであるところの「マシン」という表現は、
すっかり定着したなぁ……。

初めて聞いたときは、「大人がそんな言葉使っていいの!?」と思ったものだ。

パソコン一般のクラスを指し示す「パソコン」という表現ではなく、
インスタンスを指し示す言葉が必要だったというのはなんとなく理解できるけど、
なぜかはちゃんと調べておく価値があるかもしれないなぁとふと思った。

こんなに明確に、クラスとインスタンスを使い分けたくなる概念は
ほかにあるのかなぁ。「人間」と「ぼく/わたし」の関係なんかはそうだけど。

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あれー? なんか違うような気がしてきた。
マシンというのは、「パソコンのインスタンス」ではなくて、
「手元にある具体的な処理系」という意味なのかなぁ。
つまり、PCかもしれないしワークステーションかもしれないしPDAかも
しれないけど、とにかくそこにある処理系という意味での「マシン」なのかな?

もうちょい考え。

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子供の心配をするのが、親に課せられた一番の試練、か……。

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2006/07/21(Fri) 00:01:04。おやすみなさい。
2006-07-20 12:20:53 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 友達

ぼくは男の友達が少ない。
ほとんど外で遊ばないからだろうか。
お酒を飲みに行ったり、街をブラついたりするときは
たいてい女の子とだ。

お酒がそもそも好きじゃないというのは理由の1つかな。
男友達とお酒をともにするのもたまにはいいけど、
話があまり合わない。
男とじかに話していても、なかなか核心に向かわないような気がする。

それに、男は誘いにくい。
「飲もうよ」とか、「服でも買いに行こうよ」とか、
「河原でバーベキューをやろう」とか、
普通はそういう風に誘うものなのだろうけど、
どうも照れくさいし面倒くさい。

ぼくは、「彼がぼくから誘われる必然性」を用意できない。
女の子相手なら、「なんとなく好きだから」ですませられるのに。

男と女というのは、誘う口実としては簡単でいい。
男と男のあいだでは、口実を見つけるのが難しい。
ん? 口実? 誘うことが目的ってこと? んー……。

まぁ、たまにお酒を飲みたいとか、街の風に吹かれたいとか、
そう思うことはぼくにもあって。
そういう時間を、誰かと共有するのは悪くない、って感じかなぁ。
誘う口実として、「男と女」というのはうまく機能するけど、
その先の時間、別に相手が女である必要はないと思う。……たぶん。

なんだろうなぁ。
生きるのも、長くなると、理由が必要になってくるってことかな。
ぼくにとっては、男であるとか、女であるとかは、手っ取り早い理由の1つ。
2006-07-20 09:16:55 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-07-19

# 素晴らしい文章

等価変換な日々経由、ひら - 思考に敬意を
 自分があの年齢になったら果たして新しいものにチャレンジするだろうか。若い人が出入りするパソコン教室にわざわざ出向くだろうか。

これはたしかにすばらしい文章、すばらしい思考だと思う。
というか、好きな思考だなぁ。
2006-07-19 20:52:12 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# ジュースを買うとき

ぼくがいつも行く会社の建物には、休憩室がある。
そこには自動販売機があって、ぼくは毎日たくさんのジュースを買う。
ジュースを買って飲むのが好きなのだ。

でもジュースを買うための自動販売機と一緒に、そこには
大きなテーブルがあって、皆がそこで煙草を吸うことになっている。
テーブルの真ん中は少し盛り上がっていて、そこから煙を吸う
不思議な装置が付いているのだった。自動販売機はその奥にあって道がせまい。

ぼくはジュースを買おうとすると、そのテーブルの周りに人がいるとき、
邪魔でしょうがない。人が一人のときはいいけど、何人かいて
お互いに話をしたり、じっと宙をながめるようにして煙草が灰になるのを
待っているような人たちと、壁の間をぼくは通らねばならない。

最近は、小さくて可愛らしい、見たことのない女の人までいる。
ぼくがジュースを買おうとすると、その人は小さい のに十分邪魔で、
ぼくが壁の間をすり抜けようとしても少しもどいてくれない。
ぼくは壁をスースー言わせながら、自動販売機を目指す。
それがなぜだか恥ずかしい。スースー壁を言わせなければいけないのは、
ぼくだけのせいではないはずなのに。

その可愛らしい小さな女の人は美人だけれど、ぼくは嫌いだ。
なぜなら、その人の近くにいくと緊張するから。ぼくが壁をスースー
言わせなければいけないのは、彼女がどいてくれなくて、近くを
通らなければいけなくて、その結果、なぜだかとてもバツが悪くなるからだ。
2006-07-19 20:27:37 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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