メッセージ。 - diary

2006-07-11

# あああああ

あーあーあー。知らん知らん。わしゃ知らん!

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自分の文章って、どうしてこう嫌らしいんだろう。
……と書いた文章がまた嫌らしくて嫌になる。うううう。

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まぁいっか。みんな元気そうだし、今日はいい日だった。
おやすみなさい。
2006-07-11 21:24:05 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# インタビューとか取材とか

最近、記者さんが体験したことと、私の体験 - きょこ コーリング [ITmedia オルタナティブ・ブログ]

取材とかについていろいろ意見が載っていて興味深いなぁ。

これを読んでいて1つ思い出したのだけど、インタビューって本当に難しいんですよね。
だって、ほとんど初めて会うような人と、1時間やそこら話して、相手の感じていること、考えていることを幾許かにまとめなきゃいけないんですよ。しかもそれを何万人、何十万人もの人が視聴するなんて! 想像できます?

無理ですよ。初めて会う人のことを1時間ぐらいで理解するなんて。まずは相手が気を許してくれない。どこの馬の骨とも知らない相手に、心を開いて話せる人なんていないですから。当たり障りのないことを話そうとするのが普通です。でも、記者のほうはその話を面白くまとめなきゃいけない。ほかの媒体に載っていない新しい話、ほかの媒体では見られない面白い切り口。

そのために、事前に勉強するわけですね。取材対象者の所属している業界や、同業他社との関係、顧客からの評価、最新の動向や新製品など。それで当日は一発勝負。対象を笑わせて、泣かせて、共感させて、少しでも面白い話を引き出す。そして読者に、きちんと伝える。

でもねぇ。これ、すごいコストだと思いません? マスメディアとか記者とか言っても、普通の人間ですから。調べ物といっても普通にネットサーフィンとかして調べるだけですよ。笑わせたり泣かせたりも、特別な訓練を受けているわけでもなんでもない。現状を分析する能力だって、小中高で習ったことだけがベース。すべて手弁当です。

経験のない人がマスメディアに幻想を抱くのは仕方ないと思いますけど、実態はたいしたことないです。いや、嘘です。たいしたことはあるっていうか、そんな簡単なものじゃない。もっと肚の底で自問しなければ見えない問題。それは結局、目の前にいる人間の能力、世界の価値をどう見積もるかという問題です。

そこにあるのは、ただコミュニケーションです。属人性がすごく高くって、場にいる人間の能力とセンスと運がすべて。1時間で相手のことなんて理解できないと書きましたけど、それは相手だけが悪いわけじゃない。自分だけが悪いわけでもない。能力と、センスと、巡り合わせと、意思です。

でも逆に、たった1時間のインタビューなのに、泣けてくるほどいいモノになることがあるんですよね。人間って、本当にすごいと思う瞬間です。
2006-07-11 14:52:52 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# リンク仕返し

あろはたんからコメントをいただけたので、リンク貼り返しときます。いつもながら、迷走っぷりが面白いなぁ。可愛らしいし、好きです、あろはたん☆(おえー

まぁキモオタはこれくらいにしておいて。でもねぇ。本当に、あろはさんは優しいなと思います。誰かのことを、自分のことのように怒って動揺してしまったり、「自分は同じことしていないかな?」って振り返ったり。シンプルだけど、優しさってそういうものだとぼくは思います。
2006-07-11 04:36:47 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-07-10

# クールな問題は停止しない

あー。ミスって投稿してしまった。消します。すみません。
2006-07-10 17:42:38 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# プロジェクトが成功する、生き残るためには

 
 ほんとのギャップは分析と実装との間なんかじゃなくって、
 (顧客の) ビジネスとシステムとの間にあるわけです。
 それを『分析』とか『実装』とかいう言葉で表現するのは、
 問題のすり替え、あるいは矮小化というものでしょう。
 
 (中略)
 
 ちょっと話がそれましたけど、結局、プロジェクトが
 成功する、生き残るためには、顧客のビジネスが成功
 しないとダメなんです。受注だって、そんなに
 変わんないはずですよ。次の仕事来なくなっちゃいますから。
 大手はしらんけど。だから、システムがビジネスの価値を
 生み出すかどうか、生み出しているかどうかを常に
 気にしてないとダメなんです。そのためにどうするか、
 そこを考えるのが本当のプロセスなんじゃないでしょうか。

そう! 本当にそう思います!
でも、ちくしょう。これを分かってくれる人は、
いったいどこにいるんだ。ほとんどいないような気さえする。
それがぼくはくやしい。

# 7/11追記。リンクURIを間違っていたので直しました。てへっ。
2006-07-10 13:36:07 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# 「きみは人のために死ねるか?」

2005年07月09のmixi日記から抜粋、一部改稿。

「きみは人のために死ねるか?」という問いがあった。

「『人』に自分を含めていい?」という答えがあった。

「自分のために死ぬの?」

「そう。」
2006-07-10 11:48:38 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-07-09

# 好きと嫌い

ある人が言いました。

「コンパイラなんて、要するに文字列を置換しているだけだ。」

そりゃそうだけど……。そういうことを言う人、ぼくは嫌いです。
2006-07-09 11:45:34 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-07-07

# [技術メモ] bashで日本語入力

最近、Debian GNU/Linuxを使ってみてるんだけど、たまに細かな問題に遭遇する。今回は、「bashで日本語入力できない」というものだった。

状況は、「WindowsからPuttyで接続した状態で、WindowsのIMEからかなの入力、およびWindowsレベルからPuttyへのコピー&ペーストができない」というもの。「zshを起ち上げたり、w3mを起動ていると問題が発生しない」ことから、問題はbashだと切り分けた。

それで、「bash 日本語入力 Debian」などと検索したのだけど、結局原因は分からなかった。/etc/inputrcか$HOME/.inputrcにいくつかオプションを書けば(「8ビット目を透過的に扱う」という設定をすれば)、日本語自体は入力できるようになる。でも、「1文字削除するのにBackSpaceを2回押さなければいけない」というところまでしかいけなかった。

で、まぁ最終的にgnu.orgからbashの最新版をダウンロードしてきて、「./configure --enable-multibyte && make && sudo make install」で問題解決したのだけど。

Debianの人ってどうやってるの?と思った。Debianのパッケージシステムは便利だ。そのすごさには舌を巻く。メンテしてくださってる多くの方には頭が下がる。でも、良いシステムであるからこそ、そうやってmakeしなければいけない状況に罪悪感を感じる。苦しい。

あと、「bashで日本語入力できない」という問題は、実はZaurusでも起こっていて、いままで困ってた(一時的にzshを起動してしのいでいた)。のだけれども、/home/zaurus/.inputrcファイルを作って次の記述を入れることで解決した。やった!

set kanji-code eucjp
set convert-meta off
set meta-flag on
set output-meta on
set input-meta on

# これだけじゃなくて、bashのバージョンを3.0系に上げる必要があるかもしれないです。
2006-07-07 13:39:08 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 「大事なのは笑うこと」

2006-07-07 00:20:14 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-07-06

# 人よ、道化師になれ

テレビ出演の話が来たのに、蓋を開けてみればナンジャコリャだったという話。はてなブックマークでも怒りの声多数

あのねぇ、大野さん。あえて小言をいわせてもらいますけど。それ、お昼の番組で、しかも中部ローカルの番組なんでしょう? 何を期待してるんでしょうか? 本当にお昼の番組見たことあるの??? ジェンダー論みたいなものを、学術的観点で真面目に論じてる番組ってあるの??? 民放で? その時間?? ないですよね。

もしそんな枠に期待しているんだとしたら、それは少女すぎる気がします。あるいは少なくとも学者すぎます。まず、そんな枠の制作費というのは本当に少なくて、毎日きちんとしたモノを作るのは無理ってもんです。だからあんな、奥様のガス抜きみたいな、毒にも薬にもならない番組ばっかり垂れ流してるんですよ。それに、視聴者も高尚なものは求めていない。求めてる人は、NHK見るなり文化活動するなりしてます。

「自分自身もジェンダー論も極めてぞんざいな扱いを受けたのだ」って、そりゃそういうもんですよ。面白くなきゃ、テレビとしては使えないのです。ぞんざいな扱いを受けたくなければ、面白いネタを提供しないと。あなたにそういう観点ありますか? 局の人間の立場を考えて、少ない制作費で面白い番組が作れるように協力できますか?(面白いってのは、テレビの前でくすぶってる主婦が、バカ笑いできるという意味です)

もしそうやって前向きに協力できるのなら、次第にぞんざいな扱いを受けなくなるでしょう。そして、そういった苦しい状況の中で、ただ面白いだけじゃなく、少しでもジェンダーの問題を理解してもらえるエッセンスを加えるのが本当の仕事です。それが現実を変えるということです。

テレビに裏切られた、誰もジェンダー論なんて気にしていないって言いますけど。当たり前ですよ。相手に興味を持ってもらいたければ、笑わせないと。まず「面白い」って思わせないと。相手に変わってもらいたいなら、相手をまず愛すること。相手を憎んでしまっては、どちらも変われない。文句なんか言っていてはいけない。相手の立場を認めて、許して、ともに歩いていく意思を持たないと。
2006-07-06 08:33:21 / ふじさわ / Comment: 10 / Trackback: 0
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