メッセージ。 - diary

2006-07-31

# 今日も今日とて。

っていうか、美しいか醜いか、言ってる場合なのかなぁ。
ぼくは怖いよ。怖いとしか言いようがない。

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小飼さんが言うように、「違いがある」ことが「美しい」とか「美しくない」とかいう言葉を生じさせる。要は誰だって、自分の側が「美しい」自分でない側が「美しくない」と思いたい。

「自分の側」、つまり自己が「存在し」て、他者と「違う」というデジタルな考えが「美しさ」をもたらす。本当は、美しさなんて人それぞれで、どっちが美しいかは分からないのに、それを比べようとする。意味がない。(あ、「ない」というのもデジタルだ。)

だからさ。自己が存在しないと考えたら楽になれるんじゃないかなぁ。あるいは、自己の存在がいまよりも弱いと考えてみる。私はあなたで、あなたは私だと捉えればいい。「あなたがうれしければ、私もうれしい」、「私がうれしければ、あなたもうれしい」。実際それは、あながち間違いじゃないし。

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だから怖いんだってば。
思考やデジタルなものは、怖いものから目を背けるのには役立つけどさ。
でも、存在するんだよ。いくら逃げても追ってくる。空に浮かぶ月のように。
アスファルトを切り取る影のように。
逃げ切ることはできない。でも、だからといって、泣くのはやめて。悲しくなるから。

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軽い気持ちで何かを言いたくない。
分かったつもりになるのが、一番相手を傷付けることになると思うし、
それは自分を傷付ける行為でもある。

分かったつもりになって、分かったようなことを言って、
でも本当に、自分の心を分かることなんて、人間にはできないはずだ。
人は、自分の「怖い」という気持ちを「分かった」と思うことで安心したがる。

「暗闇の奥には何もいない。自分は知っている。だから大丈夫だ」。
そう思いたがっている。

本当はまだ怖いのに「分かった」と説明を付けて、解決したと思いたがる。
でもそうじゃない。怖さは消えない。言葉にしたところで、それはなくならない。
怖いときは怖いと言えばいいのに。

逃げまわっていても、いつかは追い付かれる。
追い付かれたとき、それまでは分かったつもりになっていたことが、
本当は全然分かっていなかったと分かる。

そのときのことを思うと、ぼくはもっと怖くなる。
分かったつもりになって、時間を浪費していたことを後悔すると思う。
だからいま、怖いと言う。怖いと感じたことを隠したくない。

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ん? なんの話だっけ?

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はー。しんどいなぁ。今月はなんとか峠を越えられた気がするけど。
来月また頑張らなきゃ。

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おやすみなさい。-- 2006/08/01(Tue) 05:14:01


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(予約)
2006-07-31 13:09:16 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-07-30

# あーもうちゅかれたよー(>_<)

仕事をしながら音楽を聞いていると、ちっとも音楽が頭に入ってこないことに気が付いた。いつもは、オザケンの音楽を聞くと、一曲いっきょくに「なんてすばらしい曲だ」と思うのに、仕事をしながらだとそれがない。

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それがどうしたメソッド。

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たまに突発的に、「mixiはもう本当にやめよう」と思う。なぜかというと、嫌われている気がするから。そこにいると、迷惑をかけている気になる。でもずるずると、いまもまだ居座っている。フンニャカフンニャカ。

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 小沢健二『強い気持ち・強い愛』
 
 空へと高く照らし出された高層ビルのすぐ下
 ほら あっという間の夜明けだよね
 美しい空 響きあう空 誰も見たことの無い日々を
 ギューッと胸に刻みたい
 ああ 街は深く僕らを抱く
 
 強い気持ち 強い愛 心をギュッとつなぐ
 幾つの悲しみも残らず捧げあう
 今のこの気持ち強く強く強く
 
 長い階段をのぼり 生きる日々が続く
 大きく深い川 君と僕は渡る
 涙がこぼれては ずっと頬を伝う
 冷たく強い風 君と僕は笑う
 今のこの気持ちほんとだよね

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シロクマの屑籠(汎適所属) - 人間行動のメカニズムへの接近は、「意味」を失わせるものではない。

あーなんか楽しそうだなぁ。参加したいのだけど、リソースが足りない(主に時間と気力)。

2006/07/31(Mon) 01:11:26時点では、crowserpentさんの言葉が強いけど、氏の論理にも乱暴なところがある気がするべさ。たとえば、

  「利益」の実体は何なのか、というのも問題です。「誰かのためになんとかしてあげたい」という気持ちも実は利己的なものなのだ、と言った際、その「利己的」とはどのレベルのものなのか? そこで想定されている利益とは、「好きな人のために何かをしてあげたという満足感」なのか、それとも「好きな人に何かをしてあげた結果、その相手や第3者がもたらしてくれる利益」なのでしょうか? 前者と後者とでは、「利己的」の意味合いは全く違ったものになってしまうでしょう。

「意味合い」が「違う」とは何なのか、が未定義なんですな。意味合いの等価性というものが、どこかで科学的に定義されてるんでしょか? ぼくは不勉強なので(本当に不勉強なので)知らないですが。

ただ、ぼくの考えるところによると、意味というのはアナログなもので、「xとyの意味は等価」という式を満たすxとyは、この世界に存在しないです。(ただし、「この世界」と「意味」と「存在」は未定義)。

意味合いが同じである二物は存在しないので、それが「同じか違うか」を論じることには意味がなく、やるとすれば「どれくらい同じか、どれくらい違うか」が論点になるでしょうね。で、「意味合いが全く違う」というのは、どれくらい違うと言ってるんでしょう。

それを定量的あるいは定性的に表現できなければ、科学的じゃないと思うすんよね。まぁ、「この世界」と「意味」と「存在」が未定義なので、ぼくのこの意見も科学的じゃないんですけど。

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2006/07/31(Mon) 05:10:44

ふぅ。こんな時間か。おやすみなさい。orz
2006-07-30 19:16:59 / ふじさわ / Comment: 5 / Trackback: 0

# 「右の頬を打たれたら…」の謎

平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女/Tech総研:「右の頬を打たれたら…」の謎

こんな重要な解釈上の誤謬がどうして訂正されず、元の文章のみがいまほど広まっているのか。……腐ってやがる。
2006-07-30 15:11:50 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-07-28

# 「多くの人間はアナログの世界に生きてはいない」

あろはたんの日記経由ですばらしい言葉を見つけた。

 
 多くの人間はアナログの世界に生きてはいない。
 彼らは言葉と言うデジタル情報の世界の中だけで生きている。
 彼らは誰かが言葉にしなかった事柄を知覚することは出来ないし、
 誰かが手順を言葉にしなければ何かをすることが出来ない。
 
 彼らは言葉になった手順を行うだけで、
 行動と結果の関係を理解していない。
 実は彼らには行動の背後にあるべき欲望すらない。
 彼らは誰かが言葉にした欲望のテンプレートを自分の欲望だと思っている。

ムッハー。まさしく慧眼!!!!
2006-07-28 18:10:33 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 近代よ、死んでしまうとはなにごとだ

日本語の話言葉で、主語はほとんど使われない。
「私が」、「あなたが」ということは、会話において意識されない。

それはもともとは、「私」や「あなた」というものが、
「何かを決めている」わけでないという基本的自然観に則ったものだ。
「私が」、「あなたが」、「I Think so」、「I did」、
そういうものじゃない意識の有り様。

「私」の行動は、いま感じているこの感情や感覚は、
私だけが形作っているものではないという感覚。
状況や、歴史的なもの、無数の選択の積み重ね、
人々や動物たち、植物たちの生きた証、大きなコンテキスト。
そういうものが「私」に影響を与え、支配している。
そういうものの存在性に耳を澄ませる。

それは、前近代的だ。東洋的な、あるいはアラブ的な、
アフリカ的な。近代以前の自然観はそういうものだったろう。
西洋思想は、「1つの絶対的な真実や善が存在し、
すべての人間はそれを知覚できる」という
哲学に基づいているという文章を読んだ。
資本主義や、共産主義もその文脈から生まれてきたと。

そのような理想論を最も追究したはずの共産主義は失敗した。
あるいはそもそも、実現しなかった。
それは、共産主義の敗北だったのか?
資本主義が勝ったということなのか?

なんとなく、ぼくは、違うような気がする。
敗北したのは、もしかしたら「近代」なんじゃないだろうか?
「1つの絶対的な真実や善が存在し、すべての人間はそれを知覚できる」と
いう理想論。それこそが敗北したのではないか。
「自覚的であれ」という教えを、
すべての人間が習得できるわけではない。
あるいは、すべての人間は、完全に自覚的な人間であることはない。

エコロジーやインターネットの台頭、ポストモダン(近代の後)という考え方を
見ていると、ぼくにはどうもポストモダンというものが、中世的に感じられてしかたない。
ポストモダンと中世とは、いったいどう違うのか。違いなどないってこと?
2006-07-28 13:38:01 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 「優しさ」と「親切」、ぼくの場合

「優しい人」と「親切な人」とはどう違うのか。
「そういう人」や行為を見つけた場合、それを「優しい」と感じるときと
「親切だ」と感じるときがあるのはなぜか、という話。

とくに、異性に対して。


……。んー。相手が望むものを与えるのが、「優しさ」だと、ぼくは思わない。

かなぁと、ふと思った。(あ。思ったと思ったメソッドだ。)

# ちなみに、これは非常に興味深いテーマだよ。よくこんなの思い付いたね。>Aさん
2006-07-28 12:08:42 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# にゃー。

たまに自分は、猫なんじゃないかと思う。
人間のつもりで、人間のフリをして皆と一緒に生活しているけど。

でもぼくは本当は猫で、ぼくの言葉は皆には届いていなくて。

ぼくは皆と同じように食卓につき、同じようにテレビを見、
同じようにおやすみと言い合って、夜眠ったりもするけど。
でも、その瞬間でさえ、ぼくは、何かを勘違いしているのかもしれない。

皆の目には、滑稽な猫、自分を人間だと思っている
一匹の猫が映っているのかもしれない。

ぼくには、あなたの言葉がうまく理解できない。
ぼくは、あなたに、うまく声をかけられない。
ぼくは、何も知らない。
ぼくは、……なぜここにいるの?
2006-07-28 02:16:07 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-07-27

# なんとなく、技術と人について

ふとなんとなく、アメリカでは「技術が未来を作る」とでもいうようなイメージがあるなぁと思った。

一方で日本は、「技術が社会にかしずいている」イメージ。技術は人を追い越さない。いつでも人についてくるだけ。どれだけ素晴らしい技術を使えても、政治という風が吹けば壊れてしまう感じ。

あれかなぁ。「法定速度+10km/hまではスピード違反にならない」というのも似ているかもしれない。ルールがきちんと決まっているのに、運用のほうが優先される風土。ルールのようなものを誰も信じていない社会。すべてが相対化している。

だからこそ日本のほうが、複雑で多元的なものを受け入れられるという面も持つのだろう。成熟しているってことなのかなぁ。
2006-07-27 21:00:16 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 「お金を払わない人はいないのと同じ」

 
 確かにDVDは高いけど、もっと安い関連商品にはみんな積極的にお金を落として欲しい。お金を払わない人はいないのと同じなのだ。だんだん市場がそちらを向かなくなっていく。それが俺にはとても怖い。

鋭い言葉。エコシステムなんだよね。買うということは、作るということ。自分が好きなものに投資すれば、市場が育ち自分に返ってくる。何かを買うとお金が減るけど、それは嫌なことじゃなく、むしろ好ましいこと(お金の使い方がうまいならば)。あとでもうちょい考え。
2006-07-27 12:29:56 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-07-26

# 久しぶりの青空

すっきりと気持ちよく晴れましたねー☆
梅雨明けかしら。

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互換性の話。

最近思うのだけど、一番互換性の高いプログラムは、「データ」なんだよなぁ……。
プログラムってのは要するに、いろんな入力、いろんな環境を受け取って、
「ある評価軸」にそって期待した結果を出力する機械。

たとえば自販機は、10円玉や100円玉を受け取って、ジュースを出力する。
機械に投入される10円玉や100円玉は、たまに5円玉や1000円札だったりするし、
ジュースの種類もときおり変わる。釣り銭を切らすときもあるだろうし、
硬貨のデザインが変わることもあるだろう。

自販機に組み込まれているプログラムは、こういった変化を吸収して、
飲み物を提供するように作られている。
だけど、ユーザーが欲しいものは結局単なる「飲み物」だ。
極論すれば、飲み物さえそこに置いてあれば、プログラムなんか必要ない。

入力と出力の種類が少なければ、、プログラムは単純に作れる。
そして、入出力のエントロピーを十分少なく抑えて良いならば、
つまり、十分の精度で未来を予測、または規定できるならば、
プログラムはデータと等しくなる。

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マシンのセットアップで半日潰れた。悲しい。(>_<)
「コンプライアンスの遵守!」とかいうお達しが上から降ってきたのだ。
「できるだけマシンをクリーンな状態にしろ。チェックするからな!」とのこと。
うぐぅ。

おいらのマシンは、ライセンスクリーンなソフトばかりのはずだけど、
私物がいくつか入っていてそれの扱いがグレーなのだよなぁ……。
つーわけで、煙幕も兼ねてクリーンなWindows環境を用意。(ぉ

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鈴木哲哉さんという人が『古典電脳物語』という本を出されているのだけど、これ、すごい本っす!
なんと、往年のCPU、8080を秋葉原で買ってきて、マイコンを作っちゃおうというストーリー。
ビル・ゲイツさんやスティーブ・ウォズニアックさん、それに数々のハッカーたちが辿った
マイコン製作という道筋を、追いかけてみようという試みなんですね。

川合さんの『OS自作入門』に近い感じなんですけど、この本はもっとストイックで。
マニュアルと首っぴきで回路の配置と接続を図に起こし、半田付け。
アセンブラでTiny BASICを作ったりするんすよ。すごいすごい!

すごいなぁと思うのは、一人称が「ぼく」ってところ。
それも、「ぼく」は仮想のレイヤではなく、自らの試行錯誤や
それに伴う喜びと苦労をありのまま見せる、現在進行形の人間として描写しているの。
そんな技術書、見たことないよ。すごい。
小説を読んでるみたいに面白く感じるんだけど、事実なんだもんなぁ。

つーことで、ちょっと褒めすぎた気もするけどw、値段分(2400円ぐらい)の
価値はあると思います。書店で見かけたら、ちょっと立ち読みしてみてくださいー☆

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ふわ〜。眠い。今月ももう月末かぁ。
ここ一週間が山場だなぁ……。
おやすみなさい。(2006/07/27(Thu) 00:37:35)
2006-07-26 12:58:12 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# 昨日のつづき

昨日の続き。

何度も同じこと書いちゃってますけど、
日本の加工貿易って、もう終わってるのかなぁと思うんですよね。
車も家電も、飽和してしまって、日本やアメリカや、欧州の人は
そういうものを欲しがならなくなっている気がします。

また、中国や韓国など労働力を安価に調達できる国が
製造に進出してきて、日本の製品はずいぶん割高になっています。
日本の製品を買うのなら、中国製や韓国製で十分という人も
多いでしょう(とくにいま羽振りのよい国の人たちにとっては)。

とにかく、加工貿易というのはだいぶ神通力を失っているはずだと。
そうしたなかで、日本はいったいどうやって外貨を稼いでいるのか、
ぼくにはうまくイメージできないんですよね……。
食料は、バブルのころとそう変わらない割合で輸入しているはずで、
そのための代金をどうやって支払っているのか。

大学のとき、もう10年ほども前ですけど、お酒の席で
先生が言っていたことを思い出します。「円は高すぎる」。

日本人を一人、一カ月養おうとしたら、ほかの国の人を
何人も養うことができるんですよね。だから日本人が作ったものは、
ほかの国の人が作ったものより、高く売らざるを得ない。
それだけのコストがかかっているからですね。

でも、上のほうで書いたように、いまどき高い日本の製品を
欲しがって買ってくれる人はそう多くない。車も家電製品も、
いまの価格では買ってもらいにくいです。
じゃあ価格を下げるべきなんですけど、それはなかなかできない。
なぜかというと、依然円が高いからです。

バブルのころと比べてみても、円はそれほど下がっていない。
それはなぜなんでしょう? 不勉強もあってよく分からないです。

とにかく、円はまだ高すぎるような気がします。
円が高いということは、日本人の労働や日本人が作るものに、
それなりの高い価値があるということですけど、本当なんでしょうか?
いまのように子供が減って、産業の面でも明るい要素が減っていて、
目標や将来の希望が見えにくいこの国に、どれくらいの価値があるのか。

長引く不況を背景に、少子化やワーキングプアなどの問題が
たくさん出てきていますけど、ぼくはこれは、円が高すぎることにも
一因があると考えています。円が高いせいで、日本にはいま
外貨が入ってきていない。にもかかわらず、円の水準も物価の水準も
大きく変動しておらず、日本人の生活レベルはそう下がっていない。

収入が減っているのに、昔と同じように贅沢な生活をしていたら、
そりゃあ歪みがでてきますよ。お金がないのに、お金があるフリを
していることが問題だと思います。非正規雇用者やワーキングプアの
人が増えるのは当然です。実質的に下がっている円の価値を
額面上は昔と変わっていないことにして、その皺寄せが出ているのでは
ないでしょうか。

たとえば、いま、子供が減ってきています。工業製品も売れなくなって
きています。大量生産、大量消費は、割りに合わなくなってきている。
ならば、その時代にあった生活様式に転換できないでしょうか。
具体的には、拡大を前提としない生活、自給をベースとした身の丈に
合った生活です。
2006-07-26 00:21:21 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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