メッセージ。 - diary

2006-06-27

# 偽善

男女問題は難しい……という話に関連して、バッドニュースとグッドニュースを1件ずついただきました。1件は「私もデートレイプされたことがある。たぶんほかにも、そういう人はいっぱいいるだろう」というもの。もう一件は、「危なかったけど難を逃れた」というもの。

なんだろ。……ぼくがいままで見てきた世界は、なんだったんだろうなぁと思った。こんなに狂った現実に中にあって、女性たちの目に映る世界は、どんな感じに見えるんだろう。今日は本当は、もっと明るく希望のある話を書く気分だったのだけど、そんなものは誰かを傷付けるだけのような気がしてやめた。ぼくは何も分かってなんかいやしない。くそったれ。
2006-06-27 22:35:24 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 私信とか

あうーん。お休みされるんですね……。けっこうぼくは、癒されたような気がしたので、ちょっと残念です。でもゆっくり休んでくださいね。と、ここに書いて届くか分からないけど一応。

たぶん、あなたは、誰も傷付けてないです。ただ、ちょっとみんな、びっくりしちゃったんだと思う。悲しくて、何かしたくて、でも何もできないもどかしさが、痛かったんじゃないかな。それで、「痛いよ、痛いよ」って泣いちゃった。ただ、それだけなんじゃないかな。

それは、傷付けたことにならないと、ぼくは思います。だって、日々暮らすってことは、それなりに痛いことだから。大事なのは、痛みを乗り越えてその先へ進むこと、それでも楽しいと思えること、そのための勇気。あなたの勇気は、ちゃんとみんなに届いてると思いますよ。
2006-06-27 13:17:06 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-06-26

# リクスー好きのリクツ

ぼくがリクルートスーツ姿のお姉さんを好きな理由は、その緊張感にあるのではないかという気がします! 不慣れな姿で不慣れな街をゆく、その不安さ。何ものにも支えられぬ、我が身一つでジャングルをゆく凛とした精神。

普段、女性を見ていても、そういった生の心は感じられないのですよね。ミニスカートの女子高生や、流行の洋服を身にまとう女性たちは、女という同族の価値観で心をガードしています。自分の現身を、流行や同調、化粧といった隠れ蓑で隠してしまっています。

そこで彼女らは、自らの価値観や心を隠して安心している。あくまで自分ではなく、女としてそこに存在している。彼女らは、自らが何者であるかを問わない。ただ女であろうとしている。それが、ぼくにはどうにもつまらないのです。

一方で、リクルートスーツ姿のお姉さんたちは、女という隠れ蓑を剥がれた存在です。無個性なスーツは、彼女らに「女ではない何か」としての存在性を求めます。そのとき彼女らは、同族の中に個性を埋没する術を奪われ、自らの心と必死に会話しているのです。

ぼくはそれを美しいと感じます。そのあやうさ、はかなさ、そして強さ。それは人間の美しさです。

# オチヲ思イツキマセンデシタ。
2006-06-26 23:40:37 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# コンビニのお姉さんの話

あー。いつも行くコンビニのお姉さんから、ついに声をかけられてしまった (><)

「いつも、お仕事なんですか?」(^-^)

「……はい。」(..*)

「……」(*..)

ぼくはワンパターンな人間で、これでもかってぐらい同じ店ばかり行く。それは、新しい店に行くのが怖いからだ。知らないお店に入って、知らない店内を歩いて、知らない人の顔を見るのが怖い。ぼくは絶対、自然に振る舞えない。だからいつも同じ店に行くのだ。

でも、同じ店にばかり行っていることを悟られたくないとも思っている。だって、恥ずかしいから。行動範囲が狭いってことは、格好悪いってことだ。だから少ないお店のレパートリーをできるだけやりくりして、お店の人に顔を覚えられないようにしている。とくに女性の店員さんには。なのに!!!

……はぁ。あのコンビニの店員さんには、顔覚えられてそうな気がしたんだよなぁ。小さくて可愛らしい女の人でさ。いつも前髪を結わえて、おでこが見えるようにしてるの。あそこのコンビニの店員さんは、みなとても感じの良い接客で、いいお店なのだ。

「ありがとうございました」

「またお越しくださいませー♪」「またお越しくださいませー♪」

って、店員さんどうしで声を合わせて挨拶したり。可愛い。

その人がレジにいるときは、できるだけタイミングをずらして別のレジを使うようにしてたのに……。あのぶんじゃこの微妙な工作活動もバレてたかな……。恥ずかし。
2006-06-26 20:54:32 / ふじさわ / Comment: 6 / Trackback: 0

# 心身脱落まで行けるといいなぁ、みたいな

あーだめだ。仕事がそろそろ佳境なのだけど、気ばかり焦って前へ進まない。
おまけに、(ここに)書きたいこともうまく表現できないし。さらに新しく書きたいことが出てくる。グダグダ、ウダウダ。と前置きしておいて。昨日の日記のリンク先で1つ感じた違和感。

 
 > 2006年06月24日 ittuan 『レイプ=妊娠させられることへの恐怖なのではないかと直感的に思った。』
 
 これは、はっきり言って違うと思います。男性だったら、自分より大きく力の強い男性にレイプ目的で襲われることを想像してみてください。無理やり服を脱がされ、性器をさらけだされ、(ま、男性でしたら排泄器官に)挿入される。しかも自分がそのような目にあっている間、暴力を振るっている当人は快感を感じている訳です。男性なので妊娠への恐怖は全くないのにも関わらず、恐らく、単に暴力を振るわれる以上の恐怖と嫌悪を感じると思うのですが。

これがぼくには良く分からない。その状況を想像してみるのだけど、恐怖と嫌悪を感じそうにないのです。なんでだろう…(´・_・`)…。

なんつーのかなぁ。自分を攻撃して暴力を振るって、喜んでいる人を見たとしても、悔やしいと思わないし怖いとも思わない気がする。同じ土俵に乗れないというか、乗りたくないというか、乗るつもりがないというか、スイッチが入らない気がする。

最近暴力というものを身近に感じたことがないので、なにかが鈍っているだけなのかもしれないけど。もしかしたら、そうなったときぼくは、「こういうことで喜びを感じる生き物がいるんだなぁ」みたいな感じで傍観してしまうかもしれない。なんというか、インタラクションする気が起きない。感情移入しない。

たとえば、「無理やり服を脱がされ」と言うけど、「服」という概念を自分が理解していなければ、それを「脱がされ」たとしても、なにも思わない。「あ、体についているなにかヒラヒラが取れた」みたいな感じ。暴力を振るわれたら痛いだろうけど。でも、「痛い」ということが何か恐怖や嫌悪につながるかどうか、よく分からない。

というようなことを思ったので、書きたくなったので、書いた。
2006-06-26 13:50:20 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# 男女問題は難しい……

 
 かように、親しい男性が二人きりのときどういう風になるのか見極めるのは難しい*3。それに、それが親しかった人ほど、尊敬していた人程、いざ襲われたようなとき、見知らぬ人によるレイプに対峙するときのように対峙するのは、難しくなると思います。
 
 ほんと、レイプというと言いすぎかもしれないなので、「お互いの了承を得ていないセックス」と言いますが、これは、実はとても頻繁になされているのではないかと思います。

この人は、事件の原因を「性の存在」に置いていないところが潔いと思う。こういうのは、「男が悪い」となりがちだと思うから。そうなっていないことは、とてもとても良いと思う。

でも、個人的な希望を言えば、理想論かもしれないけど、そのときに戦ってほしかった。もちろん、この件では男が悪い。だけどそれと同じか、ちょっと少ないぐらい、あきらめてしまう女も悪いと思う。

「そのとき」に、戦う意志を失ったのは悲しいことだ。もしぼくがそんな目に合ったら、同じ結果になっただろうと思う。ぼくはそんなに強い人間じゃないし、ほかの多くの人もきっとそうだ。すごく傷付くだろうと思う。

ただね。この人の思考課程を振り返れば、一番フェアなのは、「功利を検討して結局そちらに利があると判断したのね」という解釈なんじゃないかな。そのとき、戦うという選択もできたはずだ。「なのにそうしなかっただけ」なんじゃないのだろうか……。

責めるつもりはまったくない。ただ、もう、こういうのはしょうがないような気がするんだ。この程度は、このご時世、交通事故だと思うしかないんじゃないだろうか。たとえばぼくは、いま思い返せばうんざりするような女の子と、悪い付き合いをしたことがある。それと、今回の件とどう違うのか。

「可愛らしい女の子だな」と思って付き合ったら、とんでもない目にあった。とにかくすごい嫌な日々だった。だけど、そんな結果になったのは、どちらが悪いのかなんて言えないでしょう? いずれにせよあの日々は、ぼくの選択によって始まったものだったし、ぼくの選択によって終わったものでもあるのだから。

もうしょうがないと思うしかないよ。人間は間違いを犯すものだし、どんなに注意深い人も、詐欺に騙されるときはあるものだ。「お互いの了承を得ていないセックス」は、確かに悲しいものだ。もう二度といやな経験だろう。ならば、どうすればいい? どうすればいい? ……強くなるしか、ないんじゃないのかな。
2006-06-26 00:43:57 / ふじさわ / Comment: 5 / Trackback: 0

2006-06-25

# LL Ringのチケットは明日発売ですよー

LL Ringのチケット発売方法が公開されましたねー。明日から発売かぁ。去年チケットが取れなかったので、今年は(行くかどうか分からないけど)とにかくチケットだけ早急に取ろうと思っとります。

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いつか、発表者の側に回れるとうれしいのだけどなぁ。我が身では、どうにも修行が足りないと思ってしまうっす。

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greanteaさんは行かれないんでしたよね……。一度お会いしたいのだけど、なかなか機会がないなぁ。

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おおっ!!!! 今年はShiroさんが発表されるのですか? すごい!

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あ。と思ったら「ハワイから生中継予定!」だった……。
2006-06-25 14:46:33 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-06-24

# 男と女はなぜこんなにも違うのか!?

たまに女の子と街を歩いていると、
「つかれたね喫茶店でも入ろうか」てなことになります。
それで喫茶店を探すことになるのですが、
女子の人はなぜああもお店を見つけるのが早いのですかっ!?

ぼくが遠目に、
「あれ? あのお店……
しー、おー、えふ、えふ、いー、いー、あっ!喫茶t」
って思う「しー」の間隙で、
「あった! あそこにしようっか?」とか言われます。

はっきり言って、男と女は、
日本人とニカウさんぐらいの違いがあります。
性差ってたしかに存在します! 恐ろしいです!
2006-06-24 22:45:48 / ふじさわ / Comment: 7 / Trackback: 0

# バッドなものをバッドじゃなくしていくこと

http://nnri.dip.jp/~yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=1290#Commentの続き。

 結局人間は、媒体の都合に合わせる以上のことができないッ!

と書いたんですけど、でもそこで諦めない、歩みを止めないのが科学なんだと思います。
この世界という媒体の都合について研究すること。この媒体はいったい何なのかを知りたいと思うこと。

たとえば、天動説はバッドノウハウでした。その後、これを改良した地動説とニュートン力学が登場し「天動説はバッドだったねぇ」と皆で言い当ったのです。しかしそのニュートン力学さえバッドノウハウでした。ニュートン力学よりgoodな相対性理論が発見されたのです。

しかし、相対性理論とて万能ではありません。いずれきっと相対性理論もバッドノウハウ側に行くことになるでしょう。では、「相対性理論は無駄だったか?」と言うと、決してそうではありません。ニュートン力学も有用だった。天動説でさえ、きっとその時代では有用だったんです。

バッドなノウハウを、ちょっとずつバッドじゃなくしていくこと。これが科学であり「人間」(あるいは西洋科学)のこれまでの指針だったとぼくは思います。だから、歩みを進めること自体がバッドとは考えない。いや、考えなくもないですけど(どっちやねん)。でも「歩みを進めること自体がバッドノウハウ」かどうかは、もっと考える余地があると思います。

 
 というわけで、バッドノウハウなのは「半角スペースを入れるべき」とか「半角スペースを入れるべきではない」という構え方であって、入れたり入れなかったりのそれ自体はグッドでもバッドでもないと思うのだがどうだろう?

今回の問題に対して、「半角スペースを入れるべき」か「半角スペースを入れるべきではない」か構えるのは、ぼくも「バッド」だと思います。だけど、

「半角スペースを入れたほうがよい」か「半角スペースを入れないほうがよい」かと構えたとしたらどうでしょう? ぼくはそれは、バッドではないと考えます。なぜならそれは、科学的だからです。

上記科学の議論で述べたとおり、すべての媒体には特性というものが存在します。アルファベット前後の空白を計算機が自動的に処理してくれればそれが最高ですが、不可能です。計算機は人間の意図を理解できないから。ある程度媒体(この場合計算機)の特性に合わせるしかない。つまり、「入れたり入れなかったりのそれ自体」に、グッドかバッドかの違いは、存在すると考えます。
2006-06-24 14:27:49 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# それでも愛は勝つ、だと?

そういや昔、大江千里さんが『愛は勝つ』とかいう曲を歌っていて、あれもムカついたんだよなー。
「それでも愛は勝つ〜♪」とか言ってさ。バカじゃないの?
当時男子校中学生だったぼくは(←この時点で負け犬です)、
「おいらは負けですか…(´・_・`)…」と憎々しく感じたべさ。

フッ。ならば受けよう! あの瞬間から、愛こそが我が敵となったのだ!

愛が勝つ? 誰に? どうやって勝つというのだ? 誰が愛なぞ持っているというのだ!
あんな曲が流行して、街中に流れているのを聞いて、俺はこの社会に絶望したぞ!
あの無意味な、根拠のない「愛は勝つ」の連呼。その空虚!

……本当に気付かんのか?
勝てないからこそ、「愛は勝つ」と威嚇せねばならぬ非力にッ! 連呼しかできぬ無力にッ!
脆弱すぎる! 人間は脆弱すぎるのだ!
2006-06-24 00:44:16 / ふじさわ / Comment: 4 / Trackback: 0

# どうせ負け犬ですよーだ。

昨日たまたまテレビを見てたら、お菓子作りの料理人が対決していた。

片方は、日本語ペラペラのフランス人パティシエ。可愛い日本人の奥さんがいて、豪華な自宅に住んでかっこいい車に乗っているハンサムガイ。もう一方は、家なし妻なし車なしの、30代ぐらいの日本人毒男(毒男は言いすぎか……)。

お菓子は両方おいしそうだったけど、結局勝ったのはフランスのハンサム野郎だった。まぁ、勝負自体は接戦で見事だったと思う。ただ、勝敗を決した理由について、審査員のタレント(たしか若い女性だったような……)が言ったコメントが気になったんだよねー。

「守るものがある人は強いですね」

もうね、ショボーンですよ…(´・_・`)…。あれはひどかった。打ちひしがれました。
2006-06-24 00:00:03 / ふじさわ / Comment: 3 / Trackback: 0

2006-06-22

# 恋愛の話って、そんなに面白いかなぁ?

なんでもかんでも恋愛というものに原因を求めたり、
性という文脈で解釈しようとする考え方には、
あまり共感できないんだよねぇ……。

たとえば、中村うさぎさんが、40歳とかになってなお、

「女としての価値が下落したことを実感した。
傷付けられた。
だからそれを再確認したい。」

とか言ってるのはさぁ。「はぁ?」って感じちゃう。
だって、40歳になったら、誰だって性的価値が低下
するもんなんじゃないの? 男も女も。

どうしてそんなに、性的存在としての自己に
アイデンティティを見出そうとするの?
恋愛や性という文脈で世界を語ろうとするの?

そうじゃないんじゃないの?
あなたは性的存在である前に、
人間だし生物だし何かだよね!?
なんで女や、男としてしか土俵に立たないの?
人間として、あるいは生きものとして、
この世界を見てみなよ。
悪くないよ。悪くないと思うよ。

性なんてどうだっていい。
どうせ子供のころ、ぼくらには性なんてなかったんだし。
歳を取ったらまた失うんだ。

恋愛や性がなくたって、ぼくらは存在していたし、
これからも存在してゆく。生きてゆく。
2006-06-22 01:03:36 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 1
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