メッセージ。 - diary

2006-07-01

# IWAKIRIさんも、あいかわらず、かっこいいなぁ

 
 デブサミは、高々一年に2日のイベントで何が変るかと言われてしまうかもしれませんが、志的には、ものづくり大国日本、IT大国日本の礎になればと思ってやっています。気がつけば、次回は5回目のイベント。社内外の人たちに支えられてやれてこれた事を感謝するとともに、これからの5年を考えると、日本がこうなるといいなという気持ちだけでやっていたイベントを、実際にIT立国日本になっていくための仕掛をインプリできないかと思うようになりました。

かっこいいなぁ。陰ながら応援します。と書くと消極的か。じゃあ「なにかできることがあればやりたいです」。でも、ぼくじゃあまったく力不足だけど。

ぼくは、自分の力で、世界が変えられると信じたいのですよね。自分の力というのは、「ぼく」という意味じゃなくて、人間という意味で。運が良かったから助かるのじゃなくて、頑張ったから助かるという世界であってほしい。頑張る人を救える世界であってほしい。

ここで「頑張る」というのは、「嫌なことでも頑張る」じゃなくて、「好きなことを頑張る」ことね。好きなこと、信じることのために一生懸命やる人が、一番強い世界であってほしい。だからぼくは、IWAKIRIさんのような人を応援したくなる。何かを信じる人だという気がするから(気がする、ってところが弱い)。
2006-07-01 19:40:38 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 新山さん、本を出されたんですねー>『入門OpenSSH』

本屋に行ったら、新山さんの本を発見した。→入門OpenSSH
本出されたんですねー。おめでとうございます。文教堂書店に平積みされてましたよー。

# ここを見ることはないかもしれないけど。もしかして見たときのために。
2006-07-01 19:07:55 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 「いらんことしぃ」な人が好き

王様の耳はロバのみみー。

んー。やっぱりぼくは、一人遊びのできる女の人が好きなような気がする。
なんでそういう人が好きかというと、たぶん知的な感じがするから。

ちょっと話は飛ぶけど、たとえばぼくは、毎日会社に通うのに定期券を買わずにすませている。
たまに知人にそのことを発見されて、「どうして定期券を買わないんですか?」と
問われると恥ずかしい。定期券を買うのがまっとうな社会人だろうし、お金の節約にもなるだろうから、そうするのが当然だもんね。

そういうとき、親しくない人には「えへへ。ちょっと買うの忘れちゃって」みたいに
答えるようにしてるのだけど。親しい人にはこう答えるときがある。

「むかし、テレビか何かで見たんだけどね。
ヒットマンからしてみれば、一番狙いやすい獲物は、
毎日同じ時間、同じ場所を通るような、
ルーチンワークに沿った行動をする人らしいんだよ。
だからぼくも、ヒットマンに狙われないようにと思って……(定期を買わず、いつも適当なルートを通るようにしてるの)。」

ええと、本当に親しい人にだけ。これ言うのも、ちょっと恥ずかしいから。

それでね。なんだろう。もう本当に、こういうのは「いらんことしぃ」だなーと思う。
「いらんことしぃ」というのは、関西弁で「余計なこと、やらなくてもいいこと。またそれをする人」のことなんだけどね。

でもなんか、「いらんことしぃ」のほうが楽しいよねーとも思う。「親しい人」は、そういうことを分かってくれて、ぼくの話にニヤニヤしてくれる。そういう感じがいいなーと思うのです。

えーと、で、話を戻して、なんだっけ? そうそう。知的な感じがするというやつ。
や、ぼくが知的だと言ってるんじゃないよ。こういう遊びをしている人を見て、ああぼくなんかは、ヒヨッコだと思ったのです。

なんかこういう遊びって、人格を外から見てるようなところがあるよね。
誰も見ていないところで、いらんことをして、何が楽しいんだというか。
自分一人でいるときは、誰も楽しませる必要がないというか、
とくに変わったことをする気にならないのが、普通だと思う。

そして、たいくつになって、人は普通、外に出るのだろう。
自分でない何かから刺激を受けに出かけるものなんじゃないかなぁ。

でもなんか、一人遊びって、そこであえて出かけない感じがする。
自分の人格の中に人格を作って、そこから何かを生み出している感じ。
それがなにか、知的な感じがするのかなぁ。

これを言うと怒られる可能性大だけれど、
たまにさぁ。女の人と遊んでいると、退屈だなーと思っちゃうんだよねー。
はやく家に帰りたい、帰ってパソコンの電源を入れて、なんか作ったり
書いたりしたほうがマシだと思っちゃう。

それがなぜかというと、いろいろ理由はあるだろうけど、
知的な感じがないからのような気がする。なんつーのかなぁ。
一緒にいるとき、「いらんこと」をしない女の人が多い。
「なんでそんなことをいまやるねん?」ということがない。
それがなんか、面白くないのかなぁ。

……いや、これはまずいまずいまずい! 嘘です!
そういう女の人が多いかどうか、ぼくは知らない。
知らないのだけど、ぼくは男と遊ぶときがほとんどないので、
女の人と遊ぶことが多いので、そういう印象を受けるというか。
いや、これもまずいか。まずい? どうしよう……。

そうだ。これは、王様の耳は、ろばのみみ、だった。
だから、ええと、ゴメンナサイ……。
2006-07-01 14:07:52 / ふじさわ / Comment: 1 / Trackback: 0

2006-06-29

# 肯定すべきもの

一月前に書いて、保留になっていた文章を載せてみる。
ちょびっとだけ改稿した。

日曜日、会社に行こうと電車に乗っていて、ちょっと
気になるできごとがあった。
ぼくはいつものとおり、ドアの側、車窓から景色が
見える位置に立っていた。
目の前には、小学生ぐらいの男の子と、
そのお父さんらしい親子連れ。

列車が多摩川の橋を渡るころ、男の子が
河川敷を指差してお父さんに何か言ったようだった。
河川敷には、青いビニールシートで作られたいくつもの家。
ホームレスの人たちが住んでいるのだ。
子供がぼそぼそ何か言うと、
お父さんは「お前もあそこに住むか」と返した。
はにかむように笑い、「いやだ」と言う男の子。

ああ、珍しいものを見たなぁと思った。
電車の中とはいえ、公共の場所。そこでそういう話題を
口にするのは憚られる。
人の目を気にするなら、お父さんはもうちょっと気の利いた
返事を返すこともできただろう。
たとえば、「そんなことを言ってはいけない」とか
適当な冗談で返すとか。

でも、彼はそうしなかった。
一瞬のできごとで機転が利かなかったのかもしれない。
周りにあまり人がいないから、「まぁいいか」と思ったのかもしれない。
ただなんとなく、もしかして彼は、家の中にいるときのように
くつろいだ気持ちで返事をしたのではないだろうかという気がする。

ホームレスの人を指して、「そういう風になりたくない」という
意思を示すということ。自分たちの暮らしが肯定すべきもので、
はみ出した人たちの暮らしが否定すべきものであるという価値観を
示すこと。

それは、正しいのか間違っているのかがよく分からない。
もしそれを、ホームレスやその家族の人が聞いていたら嫌な思いを
しただろうと思う。だから、そういうことを言ってはいけない。

そう。言ってはいけないのだろう。でも、心の中でそう思って
しまうすらも許されないのかな? それは間違ってるのかな?
誰もがみな平等で肯定されるべき存在で、区別なく扱うべきなのかな。

そういう風に、人やものを区別しないで扱えればいいなぁと思う
けれども、人間にはそれは難しいような気もする。

たとえば最近、日本人の人たちはワールドカップに熱狂していた
みたいだけど、日本のチームを応援して、それ以外のチームを
応援しないと区別していることは、正しいのか間違っているのか。

もしブラジルの人やほかの国の人たちが目の前にいたら、応援の
仕方は変わってくるんじゃないだろうか。でも、正しいことを
しているのなら、なぜ変える必要があるの? 変えるということは
間違っているということなの? もしそれが間違っているのだと
するならば、すべての応援というものが間違っていることになる
気がする。

ホームレスの人たちの暮らしを、自分たちの暮らしと区別すること。
自分の住んでいる場所を、違う人たちが住んでいる場所と区別すること。
どちらかを好きであり、どちらかを好きでないと色分けすること。

その逆を考えてみる。区別しないってことはどういうことだろう。
なにも好きにならないってことなのかな?
2006-06-29 15:31:53 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# あと2日で6月も終わりかぁ……

「都内で開かれたセミナー」という文章を読んで、「脳内で開かれたセミナー」と空目してしまう今日このごろ、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

あーもう本当に仕事が佳境です。今月はヤバい。かなりヤバい!
つーことで、いろいろ余裕なっしんぐ。ここに書きたいことが頭に浮かべど、体裁を整えるだけの余裕がないのです。なぜなら、ふじさわ、文章下手っぴ。これでもいつも、推敲にすごい時間かけてるんですよ。推敲しないと、意味不明な文章ばかり生産してしまうのです。

それで、書く余裕がないのだけど、書きたいので、ここ一日ぐらいで思ったことを箇条書きにしてみます。

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子供の安全って言うけど。過保護はよくないと思うんだな。「可愛い子には旅をさせろ」って言うでしょう? この世界で生きるってことは、汚い空気を吸って、危い橋を渡って、あてどなく歩くということでもあるのじゃないかな。お父さんお母さんは、キケンを避けたくなるのも分かるけど。

だけど知らないモノを何でもかんでも「キケン」に分類して、身を縮こませるのは、逆に良くないんじゃないかな。「心配しなくても、この世界は豊かで優しい」。子供がいつか一人で旅するとき、そう思えなくては可哀想でしょう?

だったらまずは、お父さんお母さんが、「心配しなくても、この世界は豊かで優しい」と思えることが大事なんじゃないかな。この世界はそんなに怖くないよ。変な人もいるけど、変な人だって一生懸命生きてる。こちらが何もしなければ、悪さなんてしないんじゃないかなぁ。

# こういうこと言うと、「子供のいないあなたには分からない」と返されるかなぁ。前はそうだったよね……。でも、こう返されるのは案外悲しいから、やめてほしかったりするのですwww。まぁ、無責任なこと言うぼくが悪いのかもしれんけど。

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あろはたんがあいかわらず面白かったのでリンク。

http://alohakun.blog7.fc2.com/blog-entry-349.html

JJ 8月号は、ぼくもかねがね突っ込みたいと思っていたのだったw。

「愛され」って最近流行ってるみたいだけど、たしかに可愛いフレーズだけど、女の人に本気でそういう価値観を持ってほしくないなぁ。だって、「愛されること」ばっかり求める人って嫌だよ。もらうことばかり考えるのって卑しい。愛されたければ、それに見合うものをあげなくちゃ。そうしないと、いつかすべて失っちゃうよ。愛されるのもいいけど、愛することも楽しい。そう思える女の子のほうが、ぼくは好きだなぁ。

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ムカっとくるとき。ぼくよりちょっと若い人が、修士を取りに大学に通っていた。それでこのほど、無事単位を取得して修了できたという。

ふ「よかったですねー。修了おめでとうございます」

若「いやぁ、これでぼくもふじさわさんと同じですよ」

ふ「ああそっか、そうですねぇ。それにしても、これでやっと仕事に本格復帰ですね」

若「復帰はしますけど、博士のコースに通ってるので、まだまだしんどいですねー」

ふ「は?」

ぼくはねーあんまり学歴気にしてないんすよ。いや、気にはしてるけど、大した学歴じゃないので、別にもうどうでもいいと思ってる。でもですね、「これでふじさわさんと同じですよ」みたいに言われたら、ああそういう価値観の人なんだーと思うじゃないですか。

そうしたらですね、そういう価値観の人と話がしやすいよう、ぼくもそういう価値観モードになっちゃうんですよ。で、そういう価値観モードに引き付けられたうえで、「博士取るつもりです」って言われたら、ムカっと来ますよ。そりゃあ。そういう価値観モードでは、それはムカっとくる言葉です。

自分のコンプレックスをカタルシスさせるのに、ぼくという人間を使わんとってくれって話ですな。プンプン。

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「暗い世界の向こうで」というコメントは、さすがに暗すぎたww。ごめんなさいごめんなさい。読んでる人が、もっと楽しい気分になれることを書かなくちゃね。そう思っとるんだけどねー……。まぁいきなりヘビーなのはやめましょうということで。以後気をつけます。

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「箇条書きにしてみます」と言っておいて、箇条書きになっていない。しかもこれ書くに、やっぱりけっこう時間使っちゃったような?
2006-06-29 02:50:49 / ふじさわ / Comment: 7 / Trackback: 0

2006-06-27

# 偽善

男女問題は難しい……という話に関連して、バッドニュースとグッドニュースを1件ずついただきました。1件は「私もデートレイプされたことがある。たぶんほかにも、そういう人はいっぱいいるだろう」というもの。もう一件は、「危なかったけど難を逃れた」というもの。

なんだろ。……ぼくがいままで見てきた世界は、なんだったんだろうなぁと思った。こんなに狂った現実に中にあって、女性たちの目に映る世界は、どんな感じに見えるんだろう。今日は本当は、もっと明るく希望のある話を書く気分だったのだけど、そんなものは誰かを傷付けるだけのような気がしてやめた。ぼくは何も分かってなんかいやしない。くそったれ。
2006-06-27 22:35:24 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 私信とか

あうーん。お休みされるんですね……。けっこうぼくは、癒されたような気がしたので、ちょっと残念です。でもゆっくり休んでくださいね。と、ここに書いて届くか分からないけど一応。

たぶん、あなたは、誰も傷付けてないです。ただ、ちょっとみんな、びっくりしちゃったんだと思う。悲しくて、何かしたくて、でも何もできないもどかしさが、痛かったんじゃないかな。それで、「痛いよ、痛いよ」って泣いちゃった。ただ、それだけなんじゃないかな。

それは、傷付けたことにならないと、ぼくは思います。だって、日々暮らすってことは、それなりに痛いことだから。大事なのは、痛みを乗り越えてその先へ進むこと、それでも楽しいと思えること、そのための勇気。あなたの勇気は、ちゃんとみんなに届いてると思いますよ。
2006-06-27 13:17:06 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-06-26

# リクスー好きのリクツ

ぼくがリクルートスーツ姿のお姉さんを好きな理由は、その緊張感にあるのではないかという気がします! 不慣れな姿で不慣れな街をゆく、その不安さ。何ものにも支えられぬ、我が身一つでジャングルをゆく凛とした精神。

普段、女性を見ていても、そういった生の心は感じられないのですよね。ミニスカートの女子高生や、流行の洋服を身にまとう女性たちは、女という同族の価値観で心をガードしています。自分の現身を、流行や同調、化粧といった隠れ蓑で隠してしまっています。

そこで彼女らは、自らの価値観や心を隠して安心している。あくまで自分ではなく、女としてそこに存在している。彼女らは、自らが何者であるかを問わない。ただ女であろうとしている。それが、ぼくにはどうにもつまらないのです。

一方で、リクルートスーツ姿のお姉さんたちは、女という隠れ蓑を剥がれた存在です。無個性なスーツは、彼女らに「女ではない何か」としての存在性を求めます。そのとき彼女らは、同族の中に個性を埋没する術を奪われ、自らの心と必死に会話しているのです。

ぼくはそれを美しいと感じます。そのあやうさ、はかなさ、そして強さ。それは人間の美しさです。

# オチヲ思イツキマセンデシタ。
2006-06-26 23:40:37 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# コンビニのお姉さんの話

あー。いつも行くコンビニのお姉さんから、ついに声をかけられてしまった (><)

「いつも、お仕事なんですか?」(^-^)

「……はい。」(..*)

「……」(*..)

ぼくはワンパターンな人間で、これでもかってぐらい同じ店ばかり行く。それは、新しい店に行くのが怖いからだ。知らないお店に入って、知らない店内を歩いて、知らない人の顔を見るのが怖い。ぼくは絶対、自然に振る舞えない。だからいつも同じ店に行くのだ。

でも、同じ店にばかり行っていることを悟られたくないとも思っている。だって、恥ずかしいから。行動範囲が狭いってことは、格好悪いってことだ。だから少ないお店のレパートリーをできるだけやりくりして、お店の人に顔を覚えられないようにしている。とくに女性の店員さんには。なのに!!!

……はぁ。あのコンビニの店員さんには、顔覚えられてそうな気がしたんだよなぁ。小さくて可愛らしい女の人でさ。いつも前髪を結わえて、おでこが見えるようにしてるの。あそこのコンビニの店員さんは、みなとても感じの良い接客で、いいお店なのだ。

「ありがとうございました」

「またお越しくださいませー♪」「またお越しくださいませー♪」

って、店員さんどうしで声を合わせて挨拶したり。可愛い。

その人がレジにいるときは、できるだけタイミングをずらして別のレジを使うようにしてたのに……。あのぶんじゃこの微妙な工作活動もバレてたかな……。恥ずかし。
2006-06-26 20:54:32 / ふじさわ / Comment: 6 / Trackback: 0

# 心身脱落まで行けるといいなぁ、みたいな

あーだめだ。仕事がそろそろ佳境なのだけど、気ばかり焦って前へ進まない。
おまけに、(ここに)書きたいこともうまく表現できないし。さらに新しく書きたいことが出てくる。グダグダ、ウダウダ。と前置きしておいて。昨日の日記のリンク先で1つ感じた違和感。

 
 > 2006年06月24日 ittuan 『レイプ=妊娠させられることへの恐怖なのではないかと直感的に思った。』
 
 これは、はっきり言って違うと思います。男性だったら、自分より大きく力の強い男性にレイプ目的で襲われることを想像してみてください。無理やり服を脱がされ、性器をさらけだされ、(ま、男性でしたら排泄器官に)挿入される。しかも自分がそのような目にあっている間、暴力を振るっている当人は快感を感じている訳です。男性なので妊娠への恐怖は全くないのにも関わらず、恐らく、単に暴力を振るわれる以上の恐怖と嫌悪を感じると思うのですが。

これがぼくには良く分からない。その状況を想像してみるのだけど、恐怖と嫌悪を感じそうにないのです。なんでだろう…(´・_・`)…。

なんつーのかなぁ。自分を攻撃して暴力を振るって、喜んでいる人を見たとしても、悔やしいと思わないし怖いとも思わない気がする。同じ土俵に乗れないというか、乗りたくないというか、乗るつもりがないというか、スイッチが入らない気がする。

最近暴力というものを身近に感じたことがないので、なにかが鈍っているだけなのかもしれないけど。もしかしたら、そうなったときぼくは、「こういうことで喜びを感じる生き物がいるんだなぁ」みたいな感じで傍観してしまうかもしれない。なんというか、インタラクションする気が起きない。感情移入しない。

たとえば、「無理やり服を脱がされ」と言うけど、「服」という概念を自分が理解していなければ、それを「脱がされ」たとしても、なにも思わない。「あ、体についているなにかヒラヒラが取れた」みたいな感じ。暴力を振るわれたら痛いだろうけど。でも、「痛い」ということが何か恐怖や嫌悪につながるかどうか、よく分からない。

というようなことを思ったので、書きたくなったので、書いた。
2006-06-26 13:50:20 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# 男女問題は難しい……

 
 かように、親しい男性が二人きりのときどういう風になるのか見極めるのは難しい*3。それに、それが親しかった人ほど、尊敬していた人程、いざ襲われたようなとき、見知らぬ人によるレイプに対峙するときのように対峙するのは、難しくなると思います。
 
 ほんと、レイプというと言いすぎかもしれないなので、「お互いの了承を得ていないセックス」と言いますが、これは、実はとても頻繁になされているのではないかと思います。

この人は、事件の原因を「性の存在」に置いていないところが潔いと思う。こういうのは、「男が悪い」となりがちだと思うから。そうなっていないことは、とてもとても良いと思う。

でも、個人的な希望を言えば、理想論かもしれないけど、そのときに戦ってほしかった。もちろん、この件では男が悪い。だけどそれと同じか、ちょっと少ないぐらい、あきらめてしまう女も悪いと思う。

「そのとき」に、戦う意志を失ったのは悲しいことだ。もしぼくがそんな目に合ったら、同じ結果になっただろうと思う。ぼくはそんなに強い人間じゃないし、ほかの多くの人もきっとそうだ。すごく傷付くだろうと思う。

ただね。この人の思考課程を振り返れば、一番フェアなのは、「功利を検討して結局そちらに利があると判断したのね」という解釈なんじゃないかな。そのとき、戦うという選択もできたはずだ。「なのにそうしなかっただけ」なんじゃないのだろうか……。

責めるつもりはまったくない。ただ、もう、こういうのはしょうがないような気がするんだ。この程度は、このご時世、交通事故だと思うしかないんじゃないだろうか。たとえばぼくは、いま思い返せばうんざりするような女の子と、悪い付き合いをしたことがある。それと、今回の件とどう違うのか。

「可愛らしい女の子だな」と思って付き合ったら、とんでもない目にあった。とにかくすごい嫌な日々だった。だけど、そんな結果になったのは、どちらが悪いのかなんて言えないでしょう? いずれにせよあの日々は、ぼくの選択によって始まったものだったし、ぼくの選択によって終わったものでもあるのだから。

もうしょうがないと思うしかないよ。人間は間違いを犯すものだし、どんなに注意深い人も、詐欺に騙されるときはあるものだ。「お互いの了承を得ていないセックス」は、確かに悲しいものだ。もう二度といやな経験だろう。ならば、どうすればいい? どうすればいい? ……強くなるしか、ないんじゃないのかな。
2006-06-26 00:43:57 / ふじさわ / Comment: 5 / Trackback: 0

2006-06-25

# LL Ringのチケットは明日発売ですよー

LL Ringのチケット発売方法が公開されましたねー。明日から発売かぁ。去年チケットが取れなかったので、今年は(行くかどうか分からないけど)とにかくチケットだけ早急に取ろうと思っとります。

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いつか、発表者の側に回れるとうれしいのだけどなぁ。我が身では、どうにも修行が足りないと思ってしまうっす。

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greanteaさんは行かれないんでしたよね……。一度お会いしたいのだけど、なかなか機会がないなぁ。

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おおっ!!!! 今年はShiroさんが発表されるのですか? すごい!

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あ。と思ったら「ハワイから生中継予定!」だった……。
2006-06-25 14:46:33 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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