メッセージ。 - diary
2006-06-13
# 表現とシャーマニズム
「編集者Blogはナゼ滞るのか」って? そんなの当たり前じゃないの?
だって考えてもみなよ。肩書背負うってことは、自分の書いたものを職場の同僚が読むってことでしょ? あなた職場の同僚が読んでいると知って、「面白いこと」なんか書けますか? 自分の本音さらけ出せますか? 出せませんよねぇ……? それができる人もいるし、そうしやすい職場もあるだろうけど。でも本質的には、それができたらその人は物書きであり、シャーマンだと思う。
モノを書くというのは、手の内を明かすこと。心の内を見せること。書くだけじゃなくて、いろんな表現がそう。たとえばサザンのコンサートに行くと、桑田佳祐は「みんなのことが好きです!」って連呼する。もう馬鹿みたいにそればっかり。でも、見ているぼくらは、その言葉に嘘偽りがないと思える。信じられる。好きな人が目の前にいるからこそ、人間は表現できるんだ。
かつて渡辺えり子さんは、ステージで歌をうたうことを「セックスしてるような気分になる」と表現した。まさしく正鵠を射る表現だとぼくは思う。結局のところ、すべての表現はそういうことだ。書くこと、読んでもらうこともそういうことだ。シャーマニズムとは、ウチとソトが混ぜ合わさってしまうこと。編集者はウチとソトとを分ける門番。本当に表現している人なら、プロアマを問わず分かっていると思うのだけど。どうかね……。
だって考えてもみなよ。肩書背負うってことは、自分の書いたものを職場の同僚が読むってことでしょ? あなた職場の同僚が読んでいると知って、「面白いこと」なんか書けますか? 自分の本音さらけ出せますか? 出せませんよねぇ……? それができる人もいるし、そうしやすい職場もあるだろうけど。でも本質的には、それができたらその人は物書きであり、シャーマンだと思う。
モノを書くというのは、手の内を明かすこと。心の内を見せること。書くだけじゃなくて、いろんな表現がそう。たとえばサザンのコンサートに行くと、桑田佳祐は「みんなのことが好きです!」って連呼する。もう馬鹿みたいにそればっかり。でも、見ているぼくらは、その言葉に嘘偽りがないと思える。信じられる。好きな人が目の前にいるからこそ、人間は表現できるんだ。
かつて渡辺えり子さんは、ステージで歌をうたうことを「セックスしてるような気分になる」と表現した。まさしく正鵠を射る表現だとぼくは思う。結局のところ、すべての表現はそういうことだ。書くこと、読んでもらうこともそういうことだ。シャーマニズムとは、ウチとソトが混ぜ合わさってしまうこと。編集者はウチとソトとを分ける門番。本当に表現している人なら、プロアマを問わず分かっていると思うのだけど。どうかね……。
# ちょっと出遅れましたが
Wataru's memoが更新再開だそうです。一部方面の方にはなみだちょちょぎれのことでしょう。
2006-06-12
# あいかわらず、よしおかさん、かっこいいな
2006-06-11
# 少子化関連で頭の中に思いついた言葉をメモ
- 日本にいる人は、社会というものを憎悪しているんじゃないか。社会というものの存在を窮屈に感じているんじゃないか。
- 表面上は社会に迎合するけれども、一人になる時間を欲しがっているのではないか。
- たとえば女性向けファッション雑誌にはいろいろな(資本主義的)煽り文句が載る。人は表面上それに迎合するけれども、内心は乗せられたくないと思っているのじゃないか。
- 社会から「結婚しろ」と言われても、踏み切れない人が負け犬になっているのじゃないか。
- だから負け犬は、そのことを自嘲しながらも一方でその生き方に誇りさえ持っているのではないか。
- 果たして社会というものが、そこに住む人に「幸福な暮らし」を与えられるのか?
- 社会が「子供を生みなさい」と言ったとして、人間はそれに従うものなんだろうか。
- ある面から見ると、社会というのは必要悪で、人間はそれと戦いながら生きるものじゃないだろうか。
- んー。海外と照らし合わせたりして具体的なことを書きたいけど、書ける力量がない。保留。
- 表面上は社会に迎合するけれども、一人になる時間を欲しがっているのではないか。
- たとえば女性向けファッション雑誌にはいろいろな(資本主義的)煽り文句が載る。人は表面上それに迎合するけれども、内心は乗せられたくないと思っているのじゃないか。
- 社会から「結婚しろ」と言われても、踏み切れない人が負け犬になっているのじゃないか。
- だから負け犬は、そのことを自嘲しながらも一方でその生き方に誇りさえ持っているのではないか。
- 果たして社会というものが、そこに住む人に「幸福な暮らし」を与えられるのか?
- 社会が「子供を生みなさい」と言ったとして、人間はそれに従うものなんだろうか。
- ある面から見ると、社会というのは必要悪で、人間はそれと戦いながら生きるものじゃないだろうか。
- んー。海外と照らし合わせたりして具体的なことを書きたいけど、書ける力量がない。保留。
# 日本の少子化の話とか
・「母」という価値が下がっている。これは「父」もそうだけどとにかく「家族単位」の価値自体がエートスとして低い。ファミリー単位でという変な建前の蔭には、ファミリーへの侮蔑がある気がする。夫婦単位というのが日本では重要でないように。表面的な経済では推奨されていても、実質にはそれらが理想とはなっていない気がするんだが。どうだろうか。「子供の文化」「若者文化」が最先端であって、家族の文化、夫婦の文化というのは建前にしか存在していないように思える。このあたり、あのラテンの国々の家族や夫婦の在りようとの差はなんだろうと思う。もっとも家族単位が過ぎてバカンスを一族で過ごさねばならない文化は日本人には辛いとも聞く。友人は離婚してしまった。日本人の方が夫婦間も家族間も淡泊なのかも。
あーそう。「日本は母親がしんどいだけじゃなくて、父親もしんどい。日本は人間に対して高い高い社会性を要求する(人間性を否定するほどに)」ということを言いたかったのだけど、うまく言いたいことが言えないのだった。この人はうまく表現してくれてるなぁ。ちょい考え。
2006-06-07
# ささくれた心に
2006-06-06
# 新型レスキューロボット「Hibiscus」
この動画を見てなんとなく、スッパマンみたいで可愛いなぁと思いますた。そう思いません? 千葉工業大学が開発した「Hibiscus」という新型レスキューロボットらしいのだけど。優雅っていうよりはコミカルだよなーって。
# ここについて
あの〜。どうでもいい些細なことなんですけど。
えーと、ここって、一応、ブログではないような気がします。
いや、ブログだと呼んでいただいて構わないですし、
実際ブログなのかもしれないですけど。
たとえば、ぼくってふじさわじゃないですかぁ。
でも、なんかふじさわじゃない気もするんです。
いや、ふじさわなんですけど……。
でも、自分で「ふじさわであろう!」として
ふじさわになったわけじゃない気がするんです。
生まれたとき、ふじさわだったというか、
周りの人がそう呼ぶだけというか。
もちろん、あるときぼくは、
自分がふじさわであることを受け入れましたけどね。
でも、すべて受け入れたわけじゃないんです。
ぼくは、ふじさわではあるけど、ふじさわではない部分もある。
元々ふじさわではなかったわけで、いまもその部分は残ってる。
それと同じように、ここもブログっぽいけど、
ブログではない気がしてます。
じゃあ何かと言うと難しいですけど……。
でも、「メッセージ。」というのは、
一応近いかなと思ってます。
そう呼んでほしいと思わないというか、
そう呼ばれるとむしろ恥ずかしいんですけどね。
えー、まぁ、一応。
えーと、ここって、一応、ブログではないような気がします。
いや、ブログだと呼んでいただいて構わないですし、
実際ブログなのかもしれないですけど。
たとえば、ぼくってふじさわじゃないですかぁ。
でも、なんかふじさわじゃない気もするんです。
いや、ふじさわなんですけど……。
でも、自分で「ふじさわであろう!」として
ふじさわになったわけじゃない気がするんです。
生まれたとき、ふじさわだったというか、
周りの人がそう呼ぶだけというか。
もちろん、あるときぼくは、
自分がふじさわであることを受け入れましたけどね。
でも、すべて受け入れたわけじゃないんです。
ぼくは、ふじさわではあるけど、ふじさわではない部分もある。
元々ふじさわではなかったわけで、いまもその部分は残ってる。
それと同じように、ここもブログっぽいけど、
ブログではない気がしてます。
じゃあ何かと言うと難しいですけど……。
でも、「メッセージ。」というのは、
一応近いかなと思ってます。
そう呼んでほしいと思わないというか、
そう呼ばれるとむしろ恥ずかしいんですけどね。
えー、まぁ、一応。
# 「まっさらな紙に一本の線を引く」
試しにあなたの持っているWindowsマシンをじっくりと眺めてみてください。特にノートマシンがいいでしょう。プラスチックの部品の結合部分、スリットがかなりいろんな箇所に見受けられないでしょうか? 悪いマシンによっては、ネジ部分がむき出しになっていたりするかもしれません。また凹凸だらけで、長方形とはとてもじゃないけど言い難い形ではないですか? Macは不必要なデコボコや継ぎ接ぎをなるべく目立たないように工夫されてあります。これがMacが美しく見える最大の要素とも言えるんですね。(中略)もちろん、黄金比や素材の使い方のうまさなど、いろいろな要素においてMacのハードウェアデザインは秀逸なものといえます。しかし人間は大前提として簡潔な形を受け入れやすいんですね。正方形やキューブ型が、「スキのない」形としばしば評されるのも、そういうところから来ているわけです。まっさらな紙に一本の線を引くこと。そこから我々デザイナのジレンマは始まるわけです。
ふと思い出して、自分用メモに保存していたURLを蔵出し。Wikiとテンプレートの話に関係するかなと思ったので。ふじさわは「ああそうかなるほどなぁ」と感じました。かっこいいよねぇ。