メッセージ。 - diary

2006-06-24

# 男と女はなぜこんなにも違うのか!?

たまに女の子と街を歩いていると、
「つかれたね喫茶店でも入ろうか」てなことになります。
それで喫茶店を探すことになるのですが、
女子の人はなぜああもお店を見つけるのが早いのですかっ!?

ぼくが遠目に、
「あれ? あのお店……
しー、おー、えふ、えふ、いー、いー、あっ!喫茶t」
って思う「しー」の間隙で、
「あった! あそこにしようっか?」とか言われます。

はっきり言って、男と女は、
日本人とニカウさんぐらいの違いがあります。
性差ってたしかに存在します! 恐ろしいです!
2006-06-24 22:45:48 / ふじさわ / Comment: 7 / Trackback: 0

# バッドなものをバッドじゃなくしていくこと

http://nnri.dip.jp/~yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=1290#Commentの続き。

 結局人間は、媒体の都合に合わせる以上のことができないッ!

と書いたんですけど、でもそこで諦めない、歩みを止めないのが科学なんだと思います。
この世界という媒体の都合について研究すること。この媒体はいったい何なのかを知りたいと思うこと。

たとえば、天動説はバッドノウハウでした。その後、これを改良した地動説とニュートン力学が登場し「天動説はバッドだったねぇ」と皆で言い当ったのです。しかしそのニュートン力学さえバッドノウハウでした。ニュートン力学よりgoodな相対性理論が発見されたのです。

しかし、相対性理論とて万能ではありません。いずれきっと相対性理論もバッドノウハウ側に行くことになるでしょう。では、「相対性理論は無駄だったか?」と言うと、決してそうではありません。ニュートン力学も有用だった。天動説でさえ、きっとその時代では有用だったんです。

バッドなノウハウを、ちょっとずつバッドじゃなくしていくこと。これが科学であり「人間」(あるいは西洋科学)のこれまでの指針だったとぼくは思います。だから、歩みを進めること自体がバッドとは考えない。いや、考えなくもないですけど(どっちやねん)。でも「歩みを進めること自体がバッドノウハウ」かどうかは、もっと考える余地があると思います。

 
 というわけで、バッドノウハウなのは「半角スペースを入れるべき」とか「半角スペースを入れるべきではない」という構え方であって、入れたり入れなかったりのそれ自体はグッドでもバッドでもないと思うのだがどうだろう?

今回の問題に対して、「半角スペースを入れるべき」か「半角スペースを入れるべきではない」か構えるのは、ぼくも「バッド」だと思います。だけど、

「半角スペースを入れたほうがよい」か「半角スペースを入れないほうがよい」かと構えたとしたらどうでしょう? ぼくはそれは、バッドではないと考えます。なぜならそれは、科学的だからです。

上記科学の議論で述べたとおり、すべての媒体には特性というものが存在します。アルファベット前後の空白を計算機が自動的に処理してくれればそれが最高ですが、不可能です。計算機は人間の意図を理解できないから。ある程度媒体(この場合計算機)の特性に合わせるしかない。つまり、「入れたり入れなかったりのそれ自体」に、グッドかバッドかの違いは、存在すると考えます。
2006-06-24 14:27:49 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# それでも愛は勝つ、だと?

そういや昔、大江千里さんが『愛は勝つ』とかいう曲を歌っていて、あれもムカついたんだよなー。
「それでも愛は勝つ〜♪」とか言ってさ。バカじゃないの?
当時男子校中学生だったぼくは(←この時点で負け犬です)、
「おいらは負けですか…(´・_・`)…」と憎々しく感じたべさ。

フッ。ならば受けよう! あの瞬間から、愛こそが我が敵となったのだ!

愛が勝つ? 誰に? どうやって勝つというのだ? 誰が愛なぞ持っているというのだ!
あんな曲が流行して、街中に流れているのを聞いて、俺はこの社会に絶望したぞ!
あの無意味な、根拠のない「愛は勝つ」の連呼。その空虚!

……本当に気付かんのか?
勝てないからこそ、「愛は勝つ」と威嚇せねばならぬ非力にッ! 連呼しかできぬ無力にッ!
脆弱すぎる! 人間は脆弱すぎるのだ!
2006-06-24 00:44:16 / ふじさわ / Comment: 4 / Trackback: 0

# どうせ負け犬ですよーだ。

昨日たまたまテレビを見てたら、お菓子作りの料理人が対決していた。

片方は、日本語ペラペラのフランス人パティシエ。可愛い日本人の奥さんがいて、豪華な自宅に住んでかっこいい車に乗っているハンサムガイ。もう一方は、家なし妻なし車なしの、30代ぐらいの日本人毒男(毒男は言いすぎか……)。

お菓子は両方おいしそうだったけど、結局勝ったのはフランスのハンサム野郎だった。まぁ、勝負自体は接戦で見事だったと思う。ただ、勝敗を決した理由について、審査員のタレント(たしか若い女性だったような……)が言ったコメントが気になったんだよねー。

「守るものがある人は強いですね」

もうね、ショボーンですよ…(´・_・`)…。あれはひどかった。打ちひしがれました。
2006-06-24 00:00:03 / ふじさわ / Comment: 3 / Trackback: 0

2006-06-22

# 恋愛の話って、そんなに面白いかなぁ?

なんでもかんでも恋愛というものに原因を求めたり、
性という文脈で解釈しようとする考え方には、
あまり共感できないんだよねぇ……。

たとえば、中村うさぎさんが、40歳とかになってなお、

「女としての価値が下落したことを実感した。
傷付けられた。
だからそれを再確認したい。」

とか言ってるのはさぁ。「はぁ?」って感じちゃう。
だって、40歳になったら、誰だって性的価値が低下
するもんなんじゃないの? 男も女も。

どうしてそんなに、性的存在としての自己に
アイデンティティを見出そうとするの?
恋愛や性という文脈で世界を語ろうとするの?

そうじゃないんじゃないの?
あなたは性的存在である前に、
人間だし生物だし何かだよね!?
なんで女や、男としてしか土俵に立たないの?
人間として、あるいは生きものとして、
この世界を見てみなよ。
悪くないよ。悪くないと思うよ。

性なんてどうだっていい。
どうせ子供のころ、ぼくらには性なんてなかったんだし。
歳を取ったらまた失うんだ。

恋愛や性がなくたって、ぼくらは存在していたし、
これからも存在してゆく。生きてゆく。
2006-06-22 01:03:36 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 1

2006-06-21

# ココログ可愛いよココログ

 
 現在キャッシュシステムはココログレスポンス向上のために導入されておりますが、
 「他人の記事が表示される」「記事の編集ができない場合がある」「記事が削除し
 にくい」といった様々な不具合が判明しています。
 キャッシュシステムを外すことで、上記不具合を一気に解消することが可能です。
 (現時点で外すと、レスポンスが悪化するため外すことができません。)

笑えばいいのか、泣くべきなのか、悩むなぁ。なんだこのエントリというかブログは。すごいノーガード戦法。偉いよココログは。ここまで肚割るって、なかなかできるこっちゃないっす。

それにしても、OSとDBをバージョンアップしたら直るってどういうこと? あと、「W杯に伴ったアクセス増が主原因」って、ほんまなんかな? 別記事では、データベースのロック数までグラフで公開されてるけどwww。なんか、泣けてくる。。・゜・(/Д`)・゜・。
2006-06-21 23:41:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# アルファベット前後のスペースとか

以下、某所にコメントしようとして書いた文章。こんなこと伝える必要ないし、おいらの意見は間違ってるなぁ〜と思ったので、投稿するのやめました。でもせっかく書いたので、ここには置くのですwww。


あのぉ〜。自分、出版業界には少しだけ詳しいんですけど、「(アルファベットの前後に)半角スペースを入れるのは出版業界では常識」というのはすごく誤解を招く表現の気がしました……。

たとえば将来、もしあなたが出版社に原稿を持ち込むことになった、あるいは寄稿の依頼を受けて原稿を書くことになったとしたら、その原稿ではアルファベットの前後にスペースを入れないほうが編集者に喜ばれると思われます。

アルファベットの前後にスペースがあると、編集者はそれをすべて手作業で取り除かなければならないからです。というのも、アルファベットの前後にスペースを開けて見栄えを良くするという作業は、本来組版(紙上にテキストや図などをレイアウトする工程)の担当者がすべき仕事なのです。

組版の担当者はその道のプロなので、さまざまなテクニックを駆使してページの読みやすさや見栄えを良くしてくれます。しかし、素材となるテキスト原稿にそういう加工(アルファベット前後のスペースや、たとえばメールのように1行80文字で改行するなど)がされていると、逆にやりにくくなってしまうのです。

これは出版・印刷業界での話でしたが、Webの世界でも同じことが言えます。組版というのは、Webの世界でいえばWebブラウザが担当するものなので、Webブラウザの実装(IEがあったり、Firefoxがあったり、ほかにもいろいろあります)によって、見栄えなどが違ってくるわけです。また、フォントによっても見栄えは変わりますね。

そうしたことを考えると、アルファベットの前後にスペースを入れたほうが良いかどうかというのは、一概に言えないのですね。たしかに現状では、スペースを入れるほうが読みやすいことが多いのですが、たとえば将来、「自分の書いたブログを本にしたい」と思ったとき、逆に読みにくい本になってしまうかもしれません。

見栄えを良くしたほうが読者に優しいのは確かなので、そういった気遣いは本質的に良いものだと思います。ただ、できればテキストの編集時に工夫するのではなく、CSSやブログツールなどで調整するのが良いように思います。

# 老婆心ながら一言書くつもりがクドくなってしまいした。すみません。本当は、ユーザーはこんなつまらないことを意識せずに、コンピュータがうまくやってくれれば良いことなのだと思います。なのでまぁ、うだうだ書きましたけど、あまりお気になさらずに。
2006-06-21 21:42:43 / ふじさわ / Comment: 13 / Trackback: 0

# OpenSSL 0.9.8対応 w3m cr-async ipkを作りました

OpenSSL 0.9.8に対応したw3m 0.5.1-cr-asyncザウルス用パッケージを公開します。
http://pikapika.to/~yf/download/w3m_0.5.1-cr-async-3_arm.ipk

公開の経緯は、http://pikapika.to/~yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=1077#Commentをご参照くださいませ。

OpenSSL 0.9.8自体はいろんなサイトで公開されているようですが、たとえばPrivate Packages for Zaurus SL-C seriesなどからダウンロードしてインストールしてもらえればと思います。(OpenSSLを更新しないと、w3mが動きませんのでご注意をば。)

また何かありましたら、お気軽に情報/リクエストいただけると助かります。今回はどなたかお名前存じませぬが、ありがとうございました。
2006-06-21 19:10:53 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-06-20

# ロングテール時代の探検家

ロングテール時代のSI

すごく面白くて夢のある話だけど、ぼくも現実的じゃないと思うなぁ(笑)。

なんだろ。ビジネスには、ITってそんなに必要ないように思うんだよね。や、ITが人間の活動を活性化するケースは確かにあるけど。でも、ビジネスを成功させるのはITじゃない。ITは道具の1つに過ぎなくて、本当はもっと大事なものがある。

ぼくは考えでは、ビジネスで重要なのは需給の見極めだ。市場はいま何を求めていて、自社は何を供給したいのか。それを見極めて、適切な形とタイミングで商売にすること。自社の人材をいかにネットワークさせるかということ。ITが使えるなら使えばいいけど、それは必須じゃない。ぜんぜん必須じゃない。

ビジネスを実現するうえで、ITが有効だと思えるならそれを使うほうがいい。でも、目的と手段を混同してはいけない。これが注意すべき1つ目の点。それともう1つ。ITの導入コストは高くて、なかなかペイしないことも知っておいたほうがいい。損益分岐点を超えるのはけっこう限られた条件になると思うんだな。

SI業界で失敗の話ばかり聞く理由の1つは、ITシステム自体が本質的に高コストだからだというのがぼくの考えだ。たとえばビルゲイツはWindowsで儲けたけど、それは市場が十分に大きかったから。ユーザーが十分に多かったから。市場にいる見込みユーザーが数億というオーダーで存在したし、みんなWindowsに価値を見出してくれた。あれだけの規模があったからこそ成功したと思うんだよね。

Windowsを使いこなすために、たくさんの人がたくさんのコストを費した。システムとしては不完全極まりないWindows 95シリーズを、「不便だ、ここが嫌だ」と言いながらみんな使ってくれた。そしてWindowsは期待に応え、それなりの価値をユーザーにもたらした。ユーザーたちはみなWindowsに文句を言ったけれど、「元は取った」とも思ってたんじゃないかな。だけどSIでは、この「元は取った」というのが難しい。

SIではたとえば、1つシステムを作ったとして、それを使う人がせいぜい多くて数万人。たいていのシステムは、ユーザーが数十人という規模なんじゃないだろうか。数十人が使うものとして、一人10万円ずつコストをかけてもらえば数百万。数百万円の予算でシステムを作って、「元は取った」と思えるものになる? みんな満足してくれる? たぶん残念ながら、答は「NO」なんだよね。数百万が数千万になったとしても、なかなかしんどいのが実情で、街の零細企業が使えるシステムとなると、もっともっとペイしなくなる。

もちろん、街の零細企業が使えるような安いITツールって、あればいいなと思う。だけどツールがどれだけ高機能でも、それ自体がお金を稼いできてくれるわけじゃない。道具は道具でしかないわけで、人間がそれをどう使うかによって、道具の価値は1にも1000にもなる。ITツールというのは、結局梃子や地図のようなものだ。梃子も地図も、あったほうがそりゃいいけど、だけどそれを手に入れたとしても、使いこなしてお金に変えられる人はほんの一握りだ。

まぁ。でも。これは「今」の話か……。将来はどうか分からない。その昔、入手困難だった梃子や地図が、現代なら誰でも手に入れられるように、システムだって将来は安価で使いやすいものになるのかもしれない。それはそれで、すごいことだ。梃子や地図が、いま人間たちに力を与えているように、将来システムは、もっと人間を活性化するのかもしれない。

そういう意味で、はぶさんがおっしゃるような安価なシステムというのは、夢といえるのかもね。いつかその道具を使いこなす人のために、道筋をつけていくというのは価値のある仕事なのかもしれない。
2006-06-20 22:42:47 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# ロングテールってなんじゃいのぅ

もしも、ポストモダンとかいうのが潮流であるのなら、
あるいは、日本もアメリカも大量生産大量消費の時代を過ぎたとするなら、

ロングテールなんていうのは当たり前のことなわけで。
たとえばいま中国で「ロングテール!」なんて叫んでも、
それほど実効性はないのかなぁと思ったり。

少品種での大量生産が立ち行かなくなってゆく時代でも、
やはりボリュームこそがお金(経済)であることには変わりがなく、

多品種での大量生産方式がいま注目されたりしているのかなぁ。
2006-06-20 01:12:09 / ふじさわ / Comment: 6 / Trackback: 0

2006-06-18

# Winny事件は厨房どうしの喧嘩ですか

スラッシュドット ジャパン | Winny作者の金子氏、TV番組でのインタビューに答えるを読んだ。とりあえず、NHKさんはいい仕事してますねと思った。

金子さんの発言内容について。なんつーか、「厨房なんだなぁ」ってのが正直なところ。まぁ知ってたけどね。今回映像を見て、あらためてそう感じた。インタビューは多少恣意的に編集されているのかもしれないけど、ぼくが気になったのは「技術は最高」という金子さんの台詞。

「最高」とまで言ったのは言葉のアヤかもしれないけど、とにかくそういう思想の方向性なのだろうという前提で。ぼくは「技術が最高」なんていう人間は思想的に好きじゃない。まったく好きになれない。本物の技術者なら、自分の持つ技術の「原罪性」を意識するべきだと考えるからだ。

これは技術者に限らない。法を執行する者なら「法の持つ原罪性」を、マスコミュニケーションに携わる者なら「コミュニケーションの原罪性」を意識するべきだと考える。強い力を持つ者は、その力が人を救う一方で、暴走すれば人を不幸にすることを意識するべきだ。自分の力がどう使われるべきかに細心の注意を払うべきだ。

要するに、火を使う者は、火の怖さを心の底から知っていてほしい。力を持つものは、その力が誰かを傷付けることを心の底から怖れてほしい。それができないというのなら、もうぼくにとっては、許せないレベルで感受性を欠いている。

だからこそ、ぼくはここで何回も、Winnyを擁護しているんだ。捕まえる側の論理が、原罪というものをきちんと認識しているか疑問だったから。でも結局は、捕まえる側も捕まる側も厨房ということでファイナルアンサーみたいだね。期待するほうが馬鹿だったのかもしれないけど。
2006-06-18 03:59:45 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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