メッセージ。 - diary

2006-06-05

# Wikiの遊び方

たとえば、sbox SandBox/miyuのページだよ

このページって、通りすがりさんが作ったページなんだけどさ(たぶんね)。すごい可愛らしくない? この人は、読み手を意識してるよね。「何もわからないよ」と言いながら、「気をたしかにーっ」って一人ボケツッコミ。でも、誰に対して? この人は、このツッコミをどんな気持ちで書いたんだろう。

あるいは、このツッコミは別の誰かが書いたものなのかもしれない。でもだとしたら、それはそれで想像力をかきたてる。書き手は何を思ったんだろう、miyuさんは読んでくれたかなって。この短いフレーズで、ちゃんとコミュニケーションできている気がするよね。それってなんか楽しい。

結局のところ、人間はみんな、手探りなんだよ。一人ぼっち、この暗闇の泥沼のなかを歩いてる。でも、人間は手を伸ばすことができる。声を発することができる。暗闇にどんな恐しい魔物がいて、どんな怖い目にあうか分からないのに、それでも声を発することを選択するんだ。まるで生まれたばかりの子ガメが海を目指すように。

それがなんか、いいよなぁと思う。声を聞かせてくれてうれしいなと思う。こんな些細なことで喜ぶぼくは馬鹿かもしれないけど、だとしたら馬鹿も悪くない。
2006-06-05 22:46:45 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# Wikiは簡単じゃないけど。

 
 ぶっちゃけ、僕は Wiki というものがあまり好きじゃない。うまく管理しないと、情報がごちゃごちゃした感じになってしまうから。
 それに、文法を覚えるのがめんどくさい。 かなりいろんな方言があるみたいだし。

にゃー。

たしかにWikiは情報がごちゃごちゃになりがちだと思う。それは解決したい問題だ。でも、DocuWikiがそれを解決するかというと、否定的な見解を持たざるを得ない。どんなに優れたツールを使ったとしても、すっきりしたコンテンツを作るのは難しい。ごちゃごちゃしていないコンテンツというのは、本質的に作るのが難しいものなんじゃないかな。(HTMLエディタを見よ)

ブログだって、冷静になって見返してみれば、そこで公開されている情報は十分ごちゃごちゃしていると言える。データが時系列とか、カテゴリに分けられるとか、まぁ機能面でのサポートはあるけど、結論をすぐ知りたい場合は役立たない。意見や結論がまとまってないから。単にWikiよりブログのほうが、読もうと思わせる親しみやすさを持っているだけだ。

結局のところ、ブログにあってWikiにないものは、読もうと思わせる「親しみやすさ」だと思う。また、DocuWikiにあってほかのWikiにないものは、使おうと思わせる「親しみやすさ」だろう。そして、ブログに親しみやすさを付加しているのは、たぶんテンプレート(定型フォーマット)だ。日記という定型フォーマット、プラクティスがあるから、それは読みやすくなる。書き手にとっても受け手にとっても、そこで何がどう語られるべきかがあらかじめ共有されているので安心感がある。

多くのユーザーにとっては、その安心感こそが重要なんだろうと思う。「簡単そう」という言葉がそれを物語っている。安心感は、自由度を下げることで実現される。だからWikiのようにエキセントリックで破壊的、かつ発散的なアプリケーションとは本質的に相性が悪い。まぁ仕方がないのかなぁ。たしかに普通は、無限の自由など与えられても使いこなせない。ユーザーがやりたいのは、あくまでアプリケーションセントリックなことが大半だろうから、無限の自由などは無用の長物ということなのだろう。

……でもね、Wiki、楽しいと思うんだけどな。公園という与えられた遊戯場で遊ぶのもいいけど、街を駆け回って知らない路地裏を見つけるのも楽しい。綺麗な滑り台や高価なおもちゃがなくても、人間って、そこにあるものを使って、想像力で遊べてしまうものじゃん? Wikiにはそういう魅力がある気がするんだよね。
2006-06-05 17:45:03 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

2006-06-04

# 恋愛心理テスト

実はいま、気まぐれでちょびっとmixiに戻ってます。いつまた出て行くか分からないけど。それで、そこで流行っているようだった恋愛心理テストをやってみました。

◆あなたの性格
仲間意識が強い
友人関係を大切にします。また、上下関係には他者が驚くほど敏感で、目上の人の前ではいつも猫をかぶってる典型的な日本人の????????!本音と建前の使い分けもうまい!

→たしかに、猫はかぶってますね。ニャー。

◆恋人に望む物
家庭
あなたは安定した生活を望んでいる????。常に家庭を大切にしてくれる優しい心の持ち主を結婚相手に選ぶでしょう。悪く言えば、容姿なんて二の次です。ホラ、恋人の顔を御覧なさい♪…本当にこれで良いの?

→本当はメンクイです。(と、ここには書くことになっているらしい)

◆別れた時
大切な思い出にする????
別れた相手の事は大切な思い出として胸の奥にしまっておく????。新しい恋人が出来たら前の恋人と心の中では比較するけど、今の恋人の良い部分を見つけようと前向きな考え方が出来るはず。???!

→エヘ。

◆結婚願望
なし!
結婚願望が全くない????。まだまだ結婚なんて先の事、自分には関係ない!いい加減にしてくれ、と思っているはず。

→やべぇ。あたってる。

◆恋愛における???の比重
普通
???とそれ以外の両方を重んじる????。よく言えば考え方が大人ですが、実は平凡な恋愛を求めています。

→平凡言うなー。

◆恋人に対する態度
束縛する????
つい些細なことまで口出ししてしまう神経質っぷり発揮!、常に口論になっているでしょう。

→えー?束縛はしないけど。束縛しなさすぎていつも怒られるんだよ。

◆?????度
普通の人間
今の所、?????には成りえませんが、????した気の緩みで?????街道まっしぐら♪気をつけて。

→んー? ならないと思うけどなぁ。

◆一生で体験する???の人数
8人

→はちにん? えーと、いちにいさんしぃ……

◆あなたの好きな体位
正常位

→ガーン。この日記にこのような文字列が書かれる日が来るとは!

◆恋人から思われていること
ワンワン♪

→にゃーにゃー♪

◆恋人に謝る時の態度?言葉
いい子にする。

→ぱっと見はな。

◆初???前のあなたの心境
おいしくしてください……(涙)

→……。

◆一番大切・好きな人
r****さん

◆好きではないけど、????しておきたい人
n****さん

◆信頼できる人
y****さん

◆異性としては見ていない人
m****さん

◆あなたに気がある人
s****さん

→んー。。。これ、やばいデータだなぁ。公開すべきか悩むなぁ。
2006-06-04 15:07:20 / ふじさわ / Comment: 3 / Trackback: 0

2006-06-03

# 分かること

ふと突然、「分かったつもり」にはなりたくないなと思った。

自分が逆の立場になったとき、「分かったつもり」になられるのが一番腹立つから。「お前ってこうだろ」とか、「お前はこうだから、こう感じるだろう」とか、分かってないポイントに乱雑に自分を置かれると、腹が立つ。分かってない。分かるつもりがない。分かる能力がない。なんで!? なんでそうなの!?

分かるってもっと、こう、刻んでいくもののような気がする。いきなり近くに飛び込んでこられても困るし、遠くで何かやられてもよく分からない。でもとにかく、近付いていくこと。近付こうとすることが大事なんじゃないの!? 人間どうしなんて、結局分かれない。分かり合えない。でも、だったら、逆に分かろうとし続けることにしか答はないよね。

分かったつもりになるということは、それを全部捨てるということだ。もうこれ以上コストを支払いませんよということだ。それが腹立つ。そういう風にされると嫌だし、自分もそういう自分でありたくない。ぼくは、分かろうとし続けたい。たとえうまくやれなくても。おなかがぎゅーとなっても、刻むという行為をやめたくない。そこにしか救いはないと信じる。

2006-06-03 17:35:27 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

2006-06-02

# コンテンツとトラフィック

極東ブログ: 2ちゃんねるまとめサイト炎上・閉鎖

まとめサイト炎上ねぇ……。
問題の本質はどこにあるかって話だけど。結論から言えば、(法的な問題を無視して論理だけで考えると)まとめサイトに非はないと思う。だって、「アフィリエイトがしたかったら、あなたもサイト起ち上げればいいじゃない」と言えてしまうから。ニュー速でもなんでも、面白いと思うトピックを板からコピペしてくればいい。でもそれが、ウケてお金につながるかどうかは別の問題だ。

要するに、「面白くてウケるトピックを選んでくるという作業には、それなりの価値がある」という見解でいる。たとえばぼくは、はてブ経由で『ニャー速』をたまに見るけど、元となっているニュー速板を見たことがない。そこに張り付く時間がないし、2ちゃんねるらしい罵詈雑言の中に浸りたくないからだ。そういうユーザーが多ければ多いほど、まとめサイトの存在価値があるということだ。そして、まとめサイトに対する需要はたしかに存在する。

いいコンテンツはページビューを生むか [Webビジネスの落とし穴] - higuchi.com blogで語られているように、コンテンツは固定資産と考えることができる。コンテンツに価値がないとは言わないが、それは直接トラフィック(引いてはアフィリエイトやお金)を生まない。トラフィックを起こし、そこからお金を生むには別の要因、つまり流通構造が必要になる。いや、流通構造こそが必要になる。そして、流通構造を作るにはそれなりに才能や継続的な努力が必要だ。

「タダで儲けやがって」などと言う発言は、大きな矛盾を含んでいる。タダで何の苦労もなく儲かるのなら、あなたもやればいいんだ。すべての人間がそれをできることになる。でも実際にはそうじゃない。流通構造を作って維持できる人間だけがそれを行える。それを作れる人間と作れない人間のあいだには、確かに超えられない壁が存在する。

たとえば、名画を書けるかどうかと、それをお金に変えられるかどうかは別問題だ。名画を書くには、たぶんお金よりも絵が好きでなければならない。それでお金を稼ごうとこれっぽっちも思わないような、絵に対するモチベーション。才能+なにか。それを持っているということは、素晴らしいことだ。お金なんかよりよっぽど価値がある。だから、そういう人はそれで満足するしかない。お金を欲しがって街に出ていれば、たぶんいつまでも絵は完成しない。

本当の名画を欲しがる人は、たくさんは存在しない。本当の名画はたぶん、トラフィックを生まないんだよ。そこそこの名画と流通構造さえあれば、トラフィックは最大化される。そこそこの名画なんて安価に手に入るんだから、結局流通構造こそが価値の源ということになる。ただし、ここでいう価値とは、お金と交換できるという意味、現代的な意味での価値ね。そういう価値に興味があるなら、流通構造についてよく勉強しておいたほうがいい。ほかのことを犠牲にしたとしても。

# あまり冴えないな……。
2006-06-02 10:24:40 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# なんだろね。うまく説明できない直感とか?

昔、トクナガさんという若いLinux技術者がいてね。
初めてお会いしたのは、とある技術カンファレンスのときだった。
ぼくとトクナガさんとは、知り合いの知り合いという関係で、
たしか4人ぐらいでお昼をご一緒したんだったなぁ。

それで、その日のカンファレンスが終わったあと、
みんなで飲みに行くかという話になってさ。
青山から渋谷に向かって歩いたんだったと記憶している。

その道すがら、トクナガさんがふと尋いてきたんだ。
「いまの仕事、面白いですか?」って。

ぼくは「うん、面白いよ」って答えた。
「雑用も多いし、力足らずで人に迷惑をかけることもある。
体がしんどいときもあるし、ひどく怒られるときもある……。
でも、この仕事には価値があると思えるときがあるから、
面白いよ」って。

そうしたらさぁ、トクナガさんはとても驚いた様子で、
表情をくるくる変えて、それで最後に、ちょっとうれしそうに
目を輝かせたんだ。それが綺麗な表情でねぇ……。

たぶんトクナガさんは、仕事に悩んでいたんだと思う。
何かの事情で仕事に価値を見出せなくて、
仕事だけじゃないもっと大きな何かに悩んでいたんじゃ
ないかと思う。

その悩みが、ぼくのちょっとした一言で緩んだようだった。
それがうれしくてね。ああ、この人の心はまっすぐだなと思った。
もちろん優秀な人でね。少し話せばその聡明さをまぶしく感じるような人。
でも、その聡明な人が、そんなにもまっすぐな心を持ってる
ことがうれしくてね。

ああ、こういう人がいるってことは、希望だなと思った。
よく分からないのだけど、世界を明るく照らすのは
こういう人だなぁと感じたんだな。
そしていまも、ぼくはその直感が間違いでないと信じてる。
2006-06-02 03:31:46 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-06-01

# また会えるよね。

2005年2月16日、mixiに載せた日記を改稿・再掲します。
あんときゃ沙羅さんがいなくなったんだよなぁ。ったく人騒がせな。
いまごろどうしとるんかのぅ。

 ----

ネットは、人と人との距離を近付けた。人はそれで
たくさんの人に出会い、相手のことを深く知るようになった。
だけどそこでは、あまりに簡単に、別れも手に入る。

ぼくは個人的に、人間にとって一番つらいのは、好きな人に
会えなくなることだろうと思っている。たとえば
人が誰かの死を悲しむのは、その人のことを好きだからだ。
好きでもない、名前も知らない人の死を、悲しむ人はいないのだから。
死の悲しさは、好きなものを失う悲しさなのだと思う。

そして、人を好きになるってことは、
A198村でペーターも言ってるように(*1)、その人が心の中に
住み着いちゃうってことだ。自分の心の一部を、
その人の住みかとして明け渡すことだ。

その同居生活は、楽しくてうれしい。
だけど楽しさとうれしさが大きければ大きいほど、それは怖い。
好きになるということは、
失う怖さを受け入れることでもあるから。

……たとえば明日、あなたに会えなくなるのだとすれば、
ぼくはあなたを好きになることができるだろうか。
できないよね? とうていできるとは思えない。そんなのは悲しすぎる。
だからね。

(*1)
【A198謀略の村/エピローグ 少年ペーター午後 3時 48分】

「愛ってなんだ!」かぁ……。

そんな難しいこと、ぼくにも分からないよ。だけど、人を好き
になるって、その人が心に住み着いちゃうことなんじゃないかな
。何かあったときに「あの人はこう感じるだろうな」とか「これ
はあの人が好きだろうな」とか感じること。言い換えれば、その
人そのもの(人物像とか人間性とか)を信じること。
うまく説明できないけど、ぼくの中ではそんな感じかなぁ。

【A198謀略の村/エピローグ 少年ペーター午後 4時 8分】

ニコラスはディーターのことをやさしいって何度か言ってるけ
ど、それは、その人そのものを信じてるってことなんだよ。恋愛
としての「好き」じゃなくても、人は友達としてとか、人間とし
て誰かを「好き」って感じることはあるでしょう?愛も、その延
長線上にあるものじゃないかな。「好き」って、ぼくにとっては
そんな感じ。
2006-06-01 03:43:23 / ふじさわ / Comment: 3 / Trackback: 0
recent days<< | >>old days