メッセージ。 - diary

2006-06-02

# コンテンツとトラフィック

極東ブログ: 2ちゃんねるまとめサイト炎上・閉鎖

まとめサイト炎上ねぇ……。
問題の本質はどこにあるかって話だけど。結論から言えば、(法的な問題を無視して論理だけで考えると)まとめサイトに非はないと思う。だって、「アフィリエイトがしたかったら、あなたもサイト起ち上げればいいじゃない」と言えてしまうから。ニュー速でもなんでも、面白いと思うトピックを板からコピペしてくればいい。でもそれが、ウケてお金につながるかどうかは別の問題だ。

要するに、「面白くてウケるトピックを選んでくるという作業には、それなりの価値がある」という見解でいる。たとえばぼくは、はてブ経由で『ニャー速』をたまに見るけど、元となっているニュー速板を見たことがない。そこに張り付く時間がないし、2ちゃんねるらしい罵詈雑言の中に浸りたくないからだ。そういうユーザーが多ければ多いほど、まとめサイトの存在価値があるということだ。そして、まとめサイトに対する需要はたしかに存在する。

いいコンテンツはページビューを生むか [Webビジネスの落とし穴] - higuchi.com blogで語られているように、コンテンツは固定資産と考えることができる。コンテンツに価値がないとは言わないが、それは直接トラフィック(引いてはアフィリエイトやお金)を生まない。トラフィックを起こし、そこからお金を生むには別の要因、つまり流通構造が必要になる。いや、流通構造こそが必要になる。そして、流通構造を作るにはそれなりに才能や継続的な努力が必要だ。

「タダで儲けやがって」などと言う発言は、大きな矛盾を含んでいる。タダで何の苦労もなく儲かるのなら、あなたもやればいいんだ。すべての人間がそれをできることになる。でも実際にはそうじゃない。流通構造を作って維持できる人間だけがそれを行える。それを作れる人間と作れない人間のあいだには、確かに超えられない壁が存在する。

たとえば、名画を書けるかどうかと、それをお金に変えられるかどうかは別問題だ。名画を書くには、たぶんお金よりも絵が好きでなければならない。それでお金を稼ごうとこれっぽっちも思わないような、絵に対するモチベーション。才能+なにか。それを持っているということは、素晴らしいことだ。お金なんかよりよっぽど価値がある。だから、そういう人はそれで満足するしかない。お金を欲しがって街に出ていれば、たぶんいつまでも絵は完成しない。

本当の名画を欲しがる人は、たくさんは存在しない。本当の名画はたぶん、トラフィックを生まないんだよ。そこそこの名画と流通構造さえあれば、トラフィックは最大化される。そこそこの名画なんて安価に手に入るんだから、結局流通構造こそが価値の源ということになる。ただし、ここでいう価値とは、お金と交換できるという意味、現代的な意味での価値ね。そういう価値に興味があるなら、流通構造についてよく勉強しておいたほうがいい。ほかのことを犠牲にしたとしても。

# あまり冴えないな……。
2006-06-02 10:24:40 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# なんだろね。うまく説明できない直感とか?

昔、トクナガさんという若いLinux技術者がいてね。
初めてお会いしたのは、とある技術カンファレンスのときだった。
ぼくとトクナガさんとは、知り合いの知り合いという関係で、
たしか4人ぐらいでお昼をご一緒したんだったなぁ。

それで、その日のカンファレンスが終わったあと、
みんなで飲みに行くかという話になってさ。
青山から渋谷に向かって歩いたんだったと記憶している。

その道すがら、トクナガさんがふと尋いてきたんだ。
「いまの仕事、面白いですか?」って。

ぼくは「うん、面白いよ」って答えた。
「雑用も多いし、力足らずで人に迷惑をかけることもある。
体がしんどいときもあるし、ひどく怒られるときもある……。
でも、この仕事には価値があると思えるときがあるから、
面白いよ」って。

そうしたらさぁ、トクナガさんはとても驚いた様子で、
表情をくるくる変えて、それで最後に、ちょっとうれしそうに
目を輝かせたんだ。それが綺麗な表情でねぇ……。

たぶんトクナガさんは、仕事に悩んでいたんだと思う。
何かの事情で仕事に価値を見出せなくて、
仕事だけじゃないもっと大きな何かに悩んでいたんじゃ
ないかと思う。

その悩みが、ぼくのちょっとした一言で緩んだようだった。
それがうれしくてね。ああ、この人の心はまっすぐだなと思った。
もちろん優秀な人でね。少し話せばその聡明さをまぶしく感じるような人。
でも、その聡明な人が、そんなにもまっすぐな心を持ってる
ことがうれしくてね。

ああ、こういう人がいるってことは、希望だなと思った。
よく分からないのだけど、世界を明るく照らすのは
こういう人だなぁと感じたんだな。
そしていまも、ぼくはその直感が間違いでないと信じてる。
2006-06-02 03:31:46 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-06-01

# また会えるよね。

2005年2月16日、mixiに載せた日記を改稿・再掲します。
あんときゃ沙羅さんがいなくなったんだよなぁ。ったく人騒がせな。
いまごろどうしとるんかのぅ。

 ----

ネットは、人と人との距離を近付けた。人はそれで
たくさんの人に出会い、相手のことを深く知るようになった。
だけどそこでは、あまりに簡単に、別れも手に入る。

ぼくは個人的に、人間にとって一番つらいのは、好きな人に
会えなくなることだろうと思っている。たとえば
人が誰かの死を悲しむのは、その人のことを好きだからだ。
好きでもない、名前も知らない人の死を、悲しむ人はいないのだから。
死の悲しさは、好きなものを失う悲しさなのだと思う。

そして、人を好きになるってことは、
A198村でペーターも言ってるように(*1)、その人が心の中に
住み着いちゃうってことだ。自分の心の一部を、
その人の住みかとして明け渡すことだ。

その同居生活は、楽しくてうれしい。
だけど楽しさとうれしさが大きければ大きいほど、それは怖い。
好きになるということは、
失う怖さを受け入れることでもあるから。

……たとえば明日、あなたに会えなくなるのだとすれば、
ぼくはあなたを好きになることができるだろうか。
できないよね? とうていできるとは思えない。そんなのは悲しすぎる。
だからね。

(*1)
【A198謀略の村/エピローグ 少年ペーター午後 3時 48分】

「愛ってなんだ!」かぁ……。

そんな難しいこと、ぼくにも分からないよ。だけど、人を好き
になるって、その人が心に住み着いちゃうことなんじゃないかな
。何かあったときに「あの人はこう感じるだろうな」とか「これ
はあの人が好きだろうな」とか感じること。言い換えれば、その
人そのもの(人物像とか人間性とか)を信じること。
うまく説明できないけど、ぼくの中ではそんな感じかなぁ。

【A198謀略の村/エピローグ 少年ペーター午後 4時 8分】

ニコラスはディーターのことをやさしいって何度か言ってるけ
ど、それは、その人そのものを信じてるってことなんだよ。恋愛
としての「好き」じゃなくても、人は友達としてとか、人間とし
て誰かを「好き」って感じることはあるでしょう?愛も、その延
長線上にあるものじゃないかな。「好き」って、ぼくにとっては
そんな感じ。
2006-06-01 03:43:23 / ふじさわ / Comment: 3 / Trackback: 0

2006-05-30

# 仕事と暮らしについてのまとまらないメモ

うーん。ぜんぜんまとまらない。まとまらないから、そのまま貼っつけちゃうぞ。


システムの開発会社に入社して3年目のことだったかな。
異動になって新しく配属された部署に、新人?というか2年目の女の子が2人いてね。

一人はちびっこくて、何も物を知らなくて、でも機転の利くタイプ。
もう一人は、お姉さんタイプかな。でも不器用でねぇ。毎日眠い眠いって言ってた。
2人とも一応プログラマということになってたけど、まぁなんだ、頭数として数えるにはまだちょっと微妙な感じ?

ちっこい子のほうはいいんだけどさぁ、お姉さんを見てるのがつらくてね。プログラミングとか仕様とかいうものに、全然興味を持てていない感じだった。
でも、これは当然だと思うんだよね。
まだ会社に入ったところで、コンピュータのこともよく知らなくて、周りの人もうまく彼女をmotivateできないんだから。
「女の子なんてそんなもんでしょ」っていうと怒られるか。まぁ「男だってそんなもんだよね」。

ちょっと前に、Rubyの会の高橋さんが、ふつうの人がふつうに9時から17時までプログラムを書いていればふつうに生活できる、という世界は困難なのだろうかという文章を書いてた。

ぼくは厳密に言えば、というか大筋では高橋さんとだいぶ主義を異にするのだけど、「ふつうの人のふつうの仕事」を肯定する気持ちは支持したい気がするんだよね。

というかさー。ぼくは、ふつうの人が、自分の仕事を好きになれるようであってほしい。
たとえば何も知らない女の子が業界に入ってきて、「案外面白いじゃん」とか「よくわからんけど、とにかく毎朝会社に行くのは嫌じゃない」と思えるぐらいではあってほしい。

だって、単純に言って、女の子がいない会社なんて嫌じゃん。
や、えーと、そんな目で見ないでというか、そうじゃなくてというか。

男にしても女にしても、この仕事は9時-17時だけじゃ厳しい。
システムを作るのって難しいし、プログラミングができるようになるだけでもすごく時間がかかる。だから9時-17時の感覚で、「時間外は勉強しません」みたい人では、実際のところ使いものにならないような気がする。

でもその代わり、この仕事をやってると手に職を持てるという色彩が強い。この仕事を好きになって、時間外に勉強をすれば、ちゃんとスキルはその人自身の持ち物になる。だからとにかく、いまこの仕事に就いてる人は、この仕事を好きになったほうが、自分のためにもみんなのためにも良いと思うんだよね。

そう。そう思う。システムって面白いものなんだよ。たとえばインターネットって面白いよね? Googleもすごいよね。Pixarの映画って楽しいよね? ほら、面白いシステムがある。でも、そう、そんなもんじゃない。もっといろんなことが、これからあなたの手でできるようになるんだ。

インターネットは、世界中を引っくり返すようなすごいシステムだった。そしてそれは、もとからそこにあったわけじゃない。勝手に空から降ってきたわけじゃない。ぼくらのすぐ上の世代が作ったものだ。そしてぼくらにだって、きっと同じぐらいすごいものが作れるはずだ。だから、これは面白い仕事だ。

……ただね。そうは言っても、この仕事にはしんどい面がある。「面白い仕事」がどこかにある一方で、くだらない目先の仕事も多いだろう。とくに責任感の強い人には、容赦なく仕事が襲ってくる。たくさんたくさんパンチを浴びる。だから、もし仕事に潰されそうになったら、逃げてほしいと思う。だって、そこまでする仕事か?

「システムを作るのは面白い」とぼくは言う。だけどこれは、嘘だ。ぼくにとっては面白いけど、あるいは、作るものによっては面白いけど、ほかの人にとってもそうだとは言えない。彼ら、彼女らには、それぞれの面白いこと、大事なことがある。あの女の子たちがそうだったように。

その大事なものすら守れないのなら、我々は良い仕事なんかできない。藤子不二雄さんが言ったように、人気漫画家になったり、良い作品を作ったりする秘訣は、普通の生活をすることだ。だからいい仕事がしたければ、組織には仕事第一の人間ばかりいてはいけない。女の子がノホホンとしてるぐらいがちょうどいい。

彼女らには、彼女らの仕事観があっていい。そしてあなたにも、きっと、あなたの大事なものがある。仕事はそれを実現するための、手段の1つにすぎない。だから、あまり一生懸命になっている人を見ると、心配になっちゃうんだな。しんどければ逃げたほうがいい。一生懸命になりすぎる必要はないからね。
2006-05-30 23:44:34 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 窓の中の理性

 理性のある人は自分を世界に適応させるが、理性に欠ける人は世界をむりやり自分に適応させようとする。それゆえ、世の中の進歩は理性に欠ける人に左右される。
 
 ジョージ・バーナード・ショウ、Man and Superman(1903)

という言葉があるらしい。ふぅむ、「まさしく」じゃないですか。たまたまいま読んでる『デスマーチ 第2版』に載ってた。

ちなみにぼくは、ジョージ・バーナード・ショウの言葉では、次の文句が好き。

 いつも自分を磨いておけ。あなたは世界を見るための窓なのだ。
2006-05-30 00:28:23 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-05-29

# 現実から目を背けない

失敗の本質の一部

人間は、見たいものしか見ない。それが悲劇を生む。
悲劇を避けたければ、やはり自覚的でなければならないんじゃないかな。
自分に騙されるのは嫌だ。
2006-05-29 21:09:47 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 社会問題はどうやって生まれるの?

 
 > フリーターの社会問題化の理由はフリーターに男性が含まれ始めたから。男性が不安定就労で生きざるを得ないことが初めて認識された結果、男たちがあわててフリーター問題を社会問題としたに過ぎない。
 > ジェンダー問題抜きの不安定就労問題の議論は無効では。

ふぅん。言われてみればたしかにそうだ(そういう面はある)。この件はもうちょっと考えようっと。

とりあえず思うのは、結局のところ社会問題というものが、本当は、報道されているような感じでは存在しないんじゃないかということ。たとえば「ニート」も「昔からいた」とか言われてるし、「子供の犯罪率」にしても実は下がり続けているのだよね? つまり結局、どんなニュースも「そういう面はある」以上のことではないのだよね。だったら。

ニュースや報道を必要以上に矮小化するつもりはないけどさ、だけど報道というものは、思った以上に無力だったということじゃないの? そして、報道というものをきちんと評価・利用できなかった我々の無力さが分かったということではないかという気がする。(「無力」というか、言いたいのは「弱力」)

男が女に悪意を持っていて、恣意的に、攻撃的に振る舞っていると考えるのは早計な気がする。本当はただ無力で、気が利かなくて、足りなくて、いまの世界があるだけじゃないの? しかもそれは、男だけの責任じゃない。いまの世界が悪なのだとすれば、男にも女にも、同じだけ責任があるよね? だって、同じだけ人数がいるんだよ。これまでも、これからも。同じなんだ。同じだよね?
2006-05-29 12:00:21 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-05-28

# システム開発のゼネコン構造とか

うーん。優秀だなぁ。
まだ1〜2年でこう感じられるって、すごい優秀だと思うんだけど。
そう思いません?

IT業界、とくにJavaでもの作りをしているところって、
残念ながらゼネコン構造なんですよ。
下請け孫請けという構造がすごく強くって、
下のものは上のものの言うことを聞くしかない世界。

だからスピード感もないし、「考える」ということが
すごくないがしろにされてるんです。
下のモンは考えることを許されてない。コーディングだけしてろと。
仕様書を書くからちょっと待ってろと。

なんかいろいろ変なんですよ。
まず、仕様なんてなかなか決まらないものだということを、
誰も認めようとしない。
お客さんなんて、「こういう感じでどう?」って、
モノを見せて初めて「ああ、いいね」とか、「ちょっと
ここはまずい」とか分かるもんじゃないですか。

や、お客さんの頭が悪いと言ってるんじゃなくてね。
現場の最前線にいるお客さんは、システムなんて
分からなくて当然なんですよ。
逆に我々システム屋は、現場で求められる最新のシステムが
分かってなくて当然です。
だから、システムを作るっていうのは、
二人三脚であるべきだとぼくは思うんです。
お互いが何かを発見することだと思うんです。

「こんなことをやりたい」、「こんな感じ?」、
「ああ、違う。こう」、「こう?」、
「おお、それそれ。なんだ、そういうこともできるんじゃん。
じゃあこれは?」、「ああ、それはええと……」。

それでええやん?
コーディングしながら、プロトタイプを作りながら、
見えてくることってあるやん?
システムって、なまものやん?
継続的にカイゼンしていくほうが自然やん?
ものづくりって本来楽しいものやん?
コーディングも楽しくてええやん?

つーか、つまらない仕事は、ぼく、個人的にダメなんですよ。
ミスするんです。つまらないから。楽しくないとダメなんです。
だから、考えるなとか、言うとおりにしろとか、嫌なんです。
プログラマとかシステム屋って、本来そういうモンなんじゃないんですかね。
そしたらゼネコン構造とかって、ぜんぜん合ってないですよね?
そんなんじゃシステムってうまく作れませんよね?

お互いがお互いを高めあうような関係って、
理想論ですかね? ぼくは、そういうことをしたいんですけど。
難しいことを言ってないつもりだけど、
なかなかこういうことを言ってくれる人がいないんですよね……。
ぼくが間違ってて、「優秀」なんていうのも、
単にその考え方の延長線上にいる自分を優秀と思いたいだけで、
自分が正しいと主張しているだけで、
若者を惑わすばっかりのダメな意見なんですかね。

分からない。まぁ、ぼくが間違えてるかどうかはどっちでもいいけど、
楽しく仕事できるようになってほしいなぁと思います。全体的に。
2006-05-28 20:45:17 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0
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