メッセージ。 - diary
2006-05-12
# 呪いの言葉はどこから来るか
医療社会学からみたリスク(第9回)[美馬達哉氏]/SAFETY JAPAN
おれカネさんち経由。医療の現場で、間違った常識に基づいた処置が長年行われていたという話。「科学的呪術」という表現は面白いけど、「コロンブスの卵」の一形態だと考えることもできる。人間を襲う、思い込みという魔物。医者という科学の子でさえ、その呪いに強く縛られている。「人狼があなたを騙しているんじゃない。あなたが、あなたを騙しているんだ」。
おれカネさんち経由。医療の現場で、間違った常識に基づいた処置が長年行われていたという話。「科学的呪術」という表現は面白いけど、「コロンブスの卵」の一形態だと考えることもできる。人間を襲う、思い込みという魔物。医者という科学の子でさえ、その呪いに強く縛られている。「人狼があなたを騙しているんじゃない。あなたが、あなたを騙しているんだ」。
# ひまつぶしとか
梱包材のプチプチをつぶして遊ぶというのは、よくやる人がいるけど、
ぼくはやらないなぁ。なんでだろう。(と、手近にあったプチプチを潰してみる)
ありゃ。これ案外つぶれないね。プチッと行くやつもあるけど、
しぶとく粘るやつがけっこう多い。
3つ4つつぶしたけど、こりゃ全部つぶすのは無理だ。あきらめ。
ぼくはどっちかと言えば、日溜まりに寝転んでまどろみたいほうかな。
寝転んで空中に舞うほこりをながめたり、
体が冷えたり温まったりするのを、ただじっと感じていたり。
あと、CDの裏のピカピカを、いつかきっと、
飽きるまで眺めてみたいと思っている。
初めて見たときに、そう思ってから、もうずいぶん経ってしまった。
ぼくはやらないなぁ。なんでだろう。(と、手近にあったプチプチを潰してみる)
ありゃ。これ案外つぶれないね。プチッと行くやつもあるけど、
しぶとく粘るやつがけっこう多い。
3つ4つつぶしたけど、こりゃ全部つぶすのは無理だ。あきらめ。
ぼくはどっちかと言えば、日溜まりに寝転んでまどろみたいほうかな。
寝転んで空中に舞うほこりをながめたり、
体が冷えたり温まったりするのを、ただじっと感じていたり。
あと、CDの裏のピカピカを、いつかきっと、
飽きるまで眺めてみたいと思っている。
初めて見たときに、そう思ってから、もうずいぶん経ってしまった。
2006-05-11
# 昔はそういうこともあったかな、という話。
ネコプロトコル - WEB上で気になるあの人に気持ちを伝えたいとき、なんでおれたちはメールではなくWEBで記事にするんだろう。
メールで「好きです」って伝えたら、結果がいいものであれ悪いものであれ、「で、これからどうしよう。おれらこれからどうしよう?」という方向に行かざるを得ない。そこに進みたくないから、Webみたいなところで、くたっとした告白をするのではないかなぁ。
「あなたのことが好きですよ。でも、別にどうこうしたいわけではないですよ」という感じ。プラトニックな感じにも似ているかもしれない。どんな願いにせよ、それを手に入れるということは、それを壊すことに等しいし、本当に欲しいものは手に入らないものだと、ぼくらは知っている。
だからぼくらは、それに触れたいけれども触れたくない。触れて壊してしまうことを畏れる。そして逆に、そういう感覚をお互いに理解しているからこそ、双方完全なノーガードになることもたまにある。「ぼくは○○さんのことが好きだ」、「私も△△さんのこと好き」。それで終わる。いや、終わらないのだけど、そこで時間が止まってしまう。
そういう感じを、たくさんたくさんおもちゃ箱にしまって、ぼくらはゆく。いつまでもいつまでも歩いてゆく。たまに空を見上げながら。
メールで「好きです」って伝えたら、結果がいいものであれ悪いものであれ、「で、これからどうしよう。おれらこれからどうしよう?」という方向に行かざるを得ない。そこに進みたくないから、Webみたいなところで、くたっとした告白をするのではないかなぁ。
「あなたのことが好きですよ。でも、別にどうこうしたいわけではないですよ」という感じ。プラトニックな感じにも似ているかもしれない。どんな願いにせよ、それを手に入れるということは、それを壊すことに等しいし、本当に欲しいものは手に入らないものだと、ぼくらは知っている。
だからぼくらは、それに触れたいけれども触れたくない。触れて壊してしまうことを畏れる。そして逆に、そういう感覚をお互いに理解しているからこそ、双方完全なノーガードになることもたまにある。「ぼくは○○さんのことが好きだ」、「私も△△さんのこと好き」。それで終わる。いや、終わらないのだけど、そこで時間が止まってしまう。
そういう感じを、たくさんたくさんおもちゃ箱にしまって、ぼくらはゆく。いつまでもいつまでも歩いてゆく。たまに空を見上げながら。
2006-05-09
# Lightweight Language Ring
Lightweight Language Ring。ぬー。今年のLLはRingですか。チケット買えるよう頑張らねば。決戦は6月26日。
# この空の下で
実家の母と話していて、彼女が何度か言ったんだ。
自分につぶやくように、「○○しなければいけない」って。
でもね、そんなことないんだよ。
しなければいけないことなんて、人間には、そんなにたくさんないから。
ぼくは思うんだ。それはきっと、間違いじゃないかな。
「何かをしなければいけない」じゃなくて、
「何かをすればいい」じゃないのかな。
面と向かっては、そこまでしか言わなかったけどね。
本当は、もっと言えば、
「何かをしたい」でいいんだと思う。
そのことを、誰も咎めたりはしない。
少なくともぼくは咎めない。
しなければいけないことなんて、
あなたにはほんのちょっぴりしかないんだよ。
したいことをすればいいんだよ。
自分につぶやくように、「○○しなければいけない」って。
でもね、そんなことないんだよ。
しなければいけないことなんて、人間には、そんなにたくさんないから。
ぼくは思うんだ。それはきっと、間違いじゃないかな。
「何かをしなければいけない」じゃなくて、
「何かをすればいい」じゃないのかな。
面と向かっては、そこまでしか言わなかったけどね。
本当は、もっと言えば、
「何かをしたい」でいいんだと思う。
そのことを、誰も咎めたりはしない。
少なくともぼくは咎めない。
しなければいけないことなんて、
あなたにはほんのちょっぴりしかないんだよ。
したいことをすればいいんだよ。
2006-05-08
# もう連休も終わりですねー。
あー。結局なにも進まないまま、連休が終わっちまった。
しかも夜更かししちゃったしなぁ。いかんなぁ。
連休は、帰省していました。久しぶりに車に乗って、横浜から大阪まで。
ボロボロのRX-7なんですけど、なんとか壊れずに行けてよかったー。
大袈裟じゃなくたまに壊れるのです。突然モクモク煙が出たり、電気系が全滅したり。
だから内心、高速とか乗るのはヒヤヒヤなんです。(笑)
RX-7って、トータルで見るとあまりいい車じゃないんですよね。
よく壊れるし、機械としての完成度もそう高くないし。
や、古い型の車(平成元年式 FC3S)なので、余計に悪いところが目に付くのかもしれないですけど。
でも「いい車じゃない」ところがいいんですよね。
「こんな車、ほかに乗ってるやつおらへんやろ」みたいな感じ?
親とかも言うんですよね。「もうそんな車やめとき」って。
そしたら言い返すんです。
「高くて、最新の型で、快適で安全な車は、ちょっと努力すれば誰でも乗れる。
でも、古くて、不便で、よく壊れて、安全でもない車は、誰でも乗れるわけじゃない。
それが一番の贅沢なんやー」ってね。
まぁそれでもたまに、自分でも、もっといい車が欲しいなと思います。
思いますけど、なかなか踏ん切りが付かないんですよね。
ぼくが車を選ぼうとして、基準の1つとして考えるのは、
もし運転してて、事故にあって、死ぬとしたら、どの車の運転席で最期を迎えたいか
ということなんですよね。
ショールームに行ったときには考えます。
この車の、この運転席を最期に見ることになって、後悔しないかって。
最期になるかならないかの刹那、このステアリングと、計器と、ピラーとガラス、
タイヤから感じる道の感触、風の音、すべての感じは、どんなだろうって。
ぼくはこの車にどういう操作をし、この車はぼくに何をさせるだろう。
そのとき、車や、その向こうにある世界は、ぼくにどんな言葉を投げかけるだろう。
そうしたら、「まぁいまの車でええか」と思っちゃうんですよね。
いまの車の中で死ぬのなら、それはなんとなく自分らしい気がする。
もちろん、死ぬときだけじゃなくてね。
車を運転していたら、誰かを傷付けるかもしれないし、
隣に乗っている人にも迷惑をかけるかもしれない。
そういうことを、できるだけ自分の手の届くところに置いておきたい気がします。
何かを失うときのためだけじゃなく、何かを守るときのためにも。
そういう車に、ぼくは乗りたいんです。
ほんとにもう、ボロボロでどうしようもない車なんですけどね。(笑)
しかも夜更かししちゃったしなぁ。いかんなぁ。
連休は、帰省していました。久しぶりに車に乗って、横浜から大阪まで。
ボロボロのRX-7なんですけど、なんとか壊れずに行けてよかったー。
大袈裟じゃなくたまに壊れるのです。突然モクモク煙が出たり、電気系が全滅したり。
だから内心、高速とか乗るのはヒヤヒヤなんです。(笑)
RX-7って、トータルで見るとあまりいい車じゃないんですよね。
よく壊れるし、機械としての完成度もそう高くないし。
や、古い型の車(平成元年式 FC3S)なので、余計に悪いところが目に付くのかもしれないですけど。
でも「いい車じゃない」ところがいいんですよね。
「こんな車、ほかに乗ってるやつおらへんやろ」みたいな感じ?
親とかも言うんですよね。「もうそんな車やめとき」って。
そしたら言い返すんです。
「高くて、最新の型で、快適で安全な車は、ちょっと努力すれば誰でも乗れる。
でも、古くて、不便で、よく壊れて、安全でもない車は、誰でも乗れるわけじゃない。
それが一番の贅沢なんやー」ってね。
まぁそれでもたまに、自分でも、もっといい車が欲しいなと思います。
思いますけど、なかなか踏ん切りが付かないんですよね。
ぼくが車を選ぼうとして、基準の1つとして考えるのは、
もし運転してて、事故にあって、死ぬとしたら、どの車の運転席で最期を迎えたいか
ということなんですよね。
ショールームに行ったときには考えます。
この車の、この運転席を最期に見ることになって、後悔しないかって。
最期になるかならないかの刹那、このステアリングと、計器と、ピラーとガラス、
タイヤから感じる道の感触、風の音、すべての感じは、どんなだろうって。
ぼくはこの車にどういう操作をし、この車はぼくに何をさせるだろう。
そのとき、車や、その向こうにある世界は、ぼくにどんな言葉を投げかけるだろう。
そうしたら、「まぁいまの車でええか」と思っちゃうんですよね。
いまの車の中で死ぬのなら、それはなんとなく自分らしい気がする。
もちろん、死ぬときだけじゃなくてね。
車を運転していたら、誰かを傷付けるかもしれないし、
隣に乗っている人にも迷惑をかけるかもしれない。
そういうことを、できるだけ自分の手の届くところに置いておきたい気がします。
何かを失うときのためだけじゃなく、何かを守るときのためにも。
そういう車に、ぼくは乗りたいんです。
ほんとにもう、ボロボロでどうしようもない車なんですけどね。(笑)
2006-05-07
# Wiki的なもの。自分のもの。楽しさの泉。
http://nnri.dip.jp/~yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=1018#Commentで、文章の間違い(リンク切れ)を修正してくれる人がいて、なんかうれしかった。Wiki的な感じがうれしかったのかな? ……や、「Wiki的」っていうと、特定のソフトのことを考えてしまうけど、そうじゃなくって。こう、自分の作った文章が、誰かの手で変更されることを、心地良いと感じたのですよね。
そういうのって、「いやだな」と思うこともあると思うんです。誰かに自分のものを触られたくないと、感じるときだってありますよね。でも、そういう感じは全然しなかったなぁと思って。誰かが「ココ間違ってますよー」って指摘してくださって、また別の誰かが「直しときましたー」って、なんか楽しいなーと思いました。
なんで楽しいのかなぁ。自分でもよく分からないけど。とにかくありがとうございました。
そういうのって、「いやだな」と思うこともあると思うんです。誰かに自分のものを触られたくないと、感じるときだってありますよね。でも、そういう感じは全然しなかったなぁと思って。誰かが「ココ間違ってますよー」って指摘してくださって、また別の誰かが「直しときましたー」って、なんか楽しいなーと思いました。
なんで楽しいのかなぁ。自分でもよく分からないけど。とにかくありがとうございました。