メッセージ。 - diary

2006-04-26

# すっごい細かいこと!

「だっただろうか」って、日本語の文法として正しいのかな?よく分からない。いや、「だったろうか」かなぁと思って。「だった」の「だ」は断定の「だ」。「だろうか」の「だ」も断定の「だ」だよね? 2個つないでいいのかなぁ……。どうやって調べればいいんだろう。だっただろうだろうか、だったろうだろうか。
2006-04-26 23:27:05 / ふじさわ / Comment: 1 / Trackback: 0

# 完全に蛇足だけど

そういう論拠からぼくは、コペルニクスもアインシュタインも、「常識を疑う事」なんてくだらないところからは出発していなかったはずだと考える。彼らはきっと、常識などという他人の意見は気にしなかったはずだ。自分の好きなもの、気になるもの、「なぜだろう? 知りたい」という内なる声に耳を傾けているうち、常識にぶつかってしまったというのが真相ではないか。

「常識を疑おう」と意識すれば、常識に囚われてしまう。「普通を越えよう」と考えれば「普通」に囚われてしまう。「期待に応えられる成果を出そう」とすれば、期待以上の結果を出せなくなってしまう。創造性というのは、そういうもんだとぼくは思うのだ。
2006-04-26 17:43:00 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# まず、自分が好きなことをやることの重要性。

 
 自分は、世の中を先回りできるかどうかとか、そのとき必要と思われる技術を勢い付けて身につけられるかどうかとかいうのは、こういう自分を突き動かすモチベーションみたいなのを強く持てないと難しいと経験的に思っている節があります。そしてそういうモチベーションの創出能力みたいなのは、先天的な適正とかにかなり依存してる感がある。だから、もしそういうアンテナの高さとかで自分の価値を出していきたいなら、それが好きかどうかを自問してみること。自問してみて、自分はそこまで好きじゃないと思ったら、無理にそれは追求しない方がいい。どうやってもあの人やあの人、あなたの頭の中にある理想像には追いつけない。
 (中略)
 大量に積もった細かいタスクを淡々とこなしていける並行処理能力をもったプログラマ。あるいは人が作ったものを丁寧に磨いていける能力を持ったプログラマ。そういう複数のカテゴリの人たちが一緒になって組織を作っていくのです。組織はお互いがお互いの仕事を尊敬しあってやっていないと、いずれ崩壊する。だから、僕はこの異なるタイプのエンジニアの能力というのをお互いがお互いに認識しあえるかどうかは非常に重要だと思っています。

naoyaたん、いいこと言うなぁ。そうなんだよね。まず、自分が好きなことをやることが大事。好きなことをやっていれば、いずれ結果は出るし、周りを見て恨みつらみを言うこともなくなる。自分の好きな仕事や自分の場所を持っていれば、「自分の仕事は評価されていない、誰それはあんなに評価されているのに」と文句を言わずにすむ。

人は人。自分は自分。好きなことをやっているのなら、評価されなくってもいいじゃないかと思う。いや、むしろ、本当に好きなことをやっている人は、高い評価をなかなか受けにくいんじゃないかと思う。魂の込もった本物の仕事を評価できる人というのは、案外多くないからだ。

「天才の孤独」という言葉があるけれども、ぼくはこれは真実だと思う。天才の仕事を本当に理解できる人は、そう多くない。トップアスリートの本当の凄さを実感し理解できるのは、トップアスリートだけだ。天才の本当の凄さを理解できるのも、天才に近いところにいる人だけだろう。

だからこうも思う。もし、あなたが何かの分野で人から評価されていないのだとすれば、あなたはその分野で天才の可能性がある。あなたは凄すぎて、普通の人にはその凄さが分からないのだ。……ただしこれは、「あなたが自分の好きなことをしていれば」という条件付きでだ。

まわりを気にせず、評価を望まず、自分の本当に好きなことを続けて満足していられるのなら、それはまさしく天才だ。そこではきっと、なにがしかが生まれている。そしていつかは、誰かがそれに気付くかもしれない。それで十分だと思うし、それでこそ、なんじゃないかと思う。
2006-04-26 16:54:27 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# Winnyを競馬場にたとえてみる

競馬場(Winnyネットワーク)に行けば、少ない労力で金(お宝画像など)が得られる。普通に生活していては、自由にならない金(お宝画像など)を、一瞬にして手に入れられる快感がある。もちろんそこにはリスクもあって、下手をすると自分の金(個人情報とかPCに入っている情報)を失ったりもする。

だけどオレはそんなヘマをしない。馬(パソコンやWinny)について日夜競馬新聞(ぶっこ抜き推薦雑誌)なんかで研究しているし、ほかのヤツが知らない情報ネットワーク(2ちゃん情報)を持っている。金(お宝画像)があれば好きなだけ酒を飲めるし(引き込もれるし)、女を買うことだってできる(友達にも自慢できる)。

「ギャンブルで得することなんてない」(Winnyネットワークは危険だ)って言うやつもいるが、それはウスラボンヤリしたやつに言うべき言葉だ。オレはいままで馬(パソコンやWinny)で大負けしたことがない(情報を流出したことがない)。そりゃあたまには負けることもある(ウイルスにやられた経験はある)。だけど、ちっぽけな額だ(Windowsを再インスコしたら直った)。

それにテレビや雑誌を見てみろ。競馬場(Winnyネットワーク)に行けば、楽しいことがいっぱいあるって言ってるじゃないか。あれを見た素人さんが競馬場(Winnyネットワーク)に来て、また金(お宝情報)を落としていってくれる。カモがネギしょってやってくるようなもんだ。「ギャンブルは違法だぞ」!?(「違法ダウンロードはやめろ」!?)、違法なもんか。競馬は国が認めた公営ギャンブルだ(「違法なもんか。ダウンロード自体は合法だ。それに、国もグレーゾーンを認めざるを得ない。馬鹿を見るのは金子某と一部のスケープゴートだけだ」)。いずれにせよ、おれのところにまで火の粉はかからないさ。
2006-04-26 12:06:37 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# ただいまーっ

ふゎーっ。眠いなー。寝ますー。いろいろ連絡が滞っていてすみませんー。
2006-04-26 01:35:14 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-04-24

# だから正しさなんて嫌い

正しさを主張する意見は間違っている。
美しいという表現は美しくない。
そんなことはもう、どうだっていいじゃないか。
どうだっていいんだ。
息が詰まってしょうがない。
この目の前にある空を、陽を、水を、音を、
そういうものを語りたいし語ってほしい。
2006-04-24 13:59:20 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# 「自分が正しくて相手が間違っている」という考えは間違っている

という基本的定理を人は忘れがちだ。
2006-04-24 13:30:57 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-04-23

# 「ダメなところもあっていいよね」

なんというか、ポジティブすぎるメッセージに共感できないぼくは病気ですかそうですか。「こうするのが正しいのです」という言い方は嫌い。「ダメなところもあっていいよね。間違ってるかもしれないよね。でもこうすれば面白そうだからいっちょやってみっか」みたいに言ってほしくなっちゃいます。子供ですかそうですか。まぁぼくは社長やリーダーにはなれないタイプだということなんでしょうね。まぁそれはいいんだけど。じゃあぼくは、何をやればいいんだろうと自問すると、全然分からないんですよね。いろんなことが不得手で。ぼくはなにをやればいいんだろう…(´・_・`)…。小学生のときからずっと思ってる。
2006-04-23 10:31:38 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-04-21

# Winnyを使うな? ヘッ! 使うよ! 使い続けるよ!(使ったことないけど)

うーんうーん。
Winnyの脆弱性情報について、各所から意見が出始めているけど、
感じ方が違うのかなぁ。
普通に「Winnyはもう使えない」みたいに書いている人が多い。

ぼくの感じ方では、
「対策方法はWinnyを使わないことです」なんて聞いたら
「そういうことにしたいんでつね?」と言いたくなってしまうのだけど。
本当に、この件は、そういうことにしたいとしか思えない。
だって、対策方法なんて、いくらでもあるわけで。

たとえば何もデータが入っていないPCでWinnyを実行させたら、
(そしてそのPCが乗っ取られたかどうか監視しておけば、)
脆弱性を突かれたところで実質的な損害なんてほとんど発生しない。

あるいは攻撃パケットを判別・廃棄するネットワークブリッジソフトウェアを
動かすとかも効果があるだろう(とりあえずそういうものを
作らなきゃいけないだろうけど、脆弱性を見つけた人間なら
すぐにでもそういうものを作れるでしょ?)。

それか、金子さんに直してもらったらダメなの????

どんなソフトウェアにだって、それを使うメリットと
セキュリティリスクのトレードオフが存在する。
どんな行動にだって、それによって得られるゲインとリスクが存在する。
「Windowsの脆弱性はなくならないので、対策はそれを
使わないことしかありません」とか言ってるようなもんですよ。
全然現実的じゃない。そう言いたいだけ!

「包丁の使用は指を切るリスクをゼロにできないので、
対策はそれを使わないことしかありません」。

「自動車の使用は人身事故を引き起こすリスクをゼロにできないので、
対策はそれを使わないことしかありません」。

「生きていると、不幸な事件や病、争いから免れませんので、
それが嫌なら死ぬしかありません」。

はいはい、ワロスワロス。勝手にやってろってんだ!
2006-04-21 19:07:46 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# Winnyに脆弱性が見つかったそうだが……

 
 開発者による修正方法は公表されていませんので、回避方法は「Winny利用の中止」です。

ちょwwwwwww ネタですよねっ!?
2006-04-21 17:05:19 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-04-20

# 津田さんは、何に対して怒っているのでつか?

それと、これもよく分からないのだよなぁ。→音楽配信メモ 「CD売上回復!」というストーリーを作りたいレコード会社たち

たしかにレコード会社は、「CD売上回復!」というストーリーを作りたいのかもしれない。でも、「消費者がネットで気軽に音楽に触れられるようになった結果、音楽CDに戻ってくる相乗効果があった」みたいな付随ストーリーは嫌うんじゃないの?

だって、ネットやネット配信をポジティブなものと認定してしまったら、いままでやっていた法的・政治的な封じ込め攻撃がしにくくなるもん。そう考えると、これは、アレですか? レコード会社が攻撃の方針を転換したということなんでしょうか?

「いままでさんざん叩いたけど、ネットの音楽配信を潰すのはやっぱり無理だった。だからこれからは、逆に協力者の側に回ってコバンザメ的にインセンティブを吸い上げよう」ということですか?

だとしたらまぁ、ことの経緯や当事者の真意はどうあれ、ネットの側の人間にとって悪いことではないと思うのですが。津田さんが何に対して怒っているのか、よく分からないのですよね。なにかぼくに見えていない構図があるのだと思うのですが……。
2006-04-20 13:35:47 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# NHKの罪はいかほどか

裏2ちゃんねる:元NHK職員が2ちゃんねるにスレを立て内部告発 - livedoor Blog(ブログ)という記事を読んだ。はてなブックマークのほうではNHKを批判する意見が多いけど、ぼくは逆に告発した人も変なように感じてしまったなぁ……。

この人は、内部告発をした理由として、
 NHKは膿を出し切らず再生に向かおうとしている。私はそれを阻止したい。
 膿を出すとは、つまり犯罪者を処分しそれを公表することです。
と書いている。では犯罪とは何か? 彼にとっての犯罪観は、自分の犯した罪を認める次の記述に表れている。

 記憶で概算するとタクシーチケットで10万円程度、記念品で5万円程度
 飲食費は30万円程度だと思います。 

この人は、毎年250億円もの伝票を決済する仕事をしていたそうだがそれに比べて30万円という数字は小さすぎる。少額だから不正をしていいとは言わないけれど、テレビ局というのは本当に大きなお金が動くところなわけで、そういう現場では、それなりの金額でもぞんざいに扱われて仕方のない面があると思う。

 私は自分の罪の償いをしたいからここに実名を挙げて書き込みしているのです。
 私は自首して罪の償いをしたい、でもNHKはそれをさせてくれないのです。 

と書いているけど、本当にその30万円の罪の償いをしたくて、こんなことをしているというのなら、病的な潔癖症のような気がする。法というのは守るべきものであるだろうけど、法を守るために人間は生きているのではない。

法と人の暮らしを照らし合わせれば、社会不正というのはこれに限らずたくさんたくさん見つかるだろう。それをすべて指摘し糾弾していては人間が生きられない。完璧な世界というのは存在しない。人はときに完璧というものに憧れる部分があるけれど、やりすぎるのは危険なんじゃないかな。

法や正義を尊ぶ意見はすばらしいと思う。しかし、法や正義が、人間をスポイルしてしまのならば、法も正義もぼくは欲しくない。
2006-04-20 12:24:51 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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